もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】藤田 進さん[埼玉会館]/産経新聞

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致問題「早期解決に命懸ける」 さいたまの考える集いに460人》

埼玉県や「北朝鮮に拉致された日本人を救出する埼玉の会(救う会埼玉)」主催で、9月1日に埼玉会館さいたま市浦和区)で開かれた「拉致問題を考える県民の集い」には約460人の県民が集まり、拉致被害者や特定失踪者の家族の解決に懸ける思いに熱心に耳を傾けていた。

「拉致被害に遭った可能性のある方が埼玉県で20人以上、全国で883人いる」。

講演会で県民にこう呼びかけたのは特定失踪者・藤田 進さん(62歳。失踪当時19歳)の弟で、「特定失踪者家族有志の会」副会長の隆司さん(60歳)。

「兄にこの壇上に立ってもらい、北朝鮮で何を思い、どう過ごしていたのか話してほしい」

と訴えた。

進さんに壇上で話してもらうためには、できるだけ若くて健康なうちに帰国してもらわないといけない。講演後、隆司さんは

「あと数年のうちに解決しなければ、兄に壇上で話してもらうことはかなわない。早期解決に向けて、命を懸けて臨みたい」

と話した。

現在、拉致被害者と特定失踪者の家族の高齢化が深刻化している。「県民の集い」では例年、田口八重子さん(63歳。拉致当時22歳)の長兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(80歳)がメッセージを寄せていたが、今年は体調不良のため、八重子さんの長男で同連絡会事務局次長の飯塚耕一郎さん(41歳)が登壇した。

後半には、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんも講演を行い、拉致の手口や工作員の上陸方法を映像を交えて解説。特定失踪者家族の悲痛な声を伝えた上で「拉致問題を動かすのには世論が必要だ」と県民に協力を呼びかけた。

話を聞いた川越市の民生・児童委員の男性(70歳)は

「(被害に遭った可能性がある人が)埼玉にもこれだけいるというのを聞いて驚いた。拉致のことを忘れないようにしていきたい」

と話した。

■ご家族・支援者の声

◆藤田隆司さん

「今年で16回目だが、事実上の進展は全くない。いつまでやればいいのか。国は責任を持ってやっていただきたい」

◆荒木和博さん

「政府は政府でやってもらいたいが、われわれ民間の力で何とか突破口をつくり、状況が変わるよう頑張りたい」

◆飯塚耕一郎さん

「調査委員会の報告など中間的なものは私たち家族は誰一人として望んでいない。家族を速やかに返してほしい」

救う会玉代表の竹本博光さん

「被害者救出とともに2度と拉致が起きない国づくりを目指したい。(県民に)自分の問題としてとらえてほしい」

※「アメリカはローラ・リンさんとユナ・リーさんのときはクリントン元大統領、アイジャロン・マーリ・ゴメスさんのときはカーター元大統領が直接平壌に乗り込んだ。日本にも元総理がたくさんいる。その中の一人でも拉致被害者のために平壌に行ったらどうなんだ。誰かいないのか」

上田清司埼玉県知事)

拉致問題を考える埼玉県民の集い動画

https://youtu.be/jLfpxGqWCJ8

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

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北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

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■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナ救出団:日本語(1)

https://youtu.be/USkALHXYyfI

■ベナ救出団:日本語(2)

https://youtu.be/W9yxZD9sjuM

■ベナ救出団:日本語(3)

https://youtu.be/Mv2kbq4hamU

■ベナ救出団:日本語(4)

https://youtu.be/xpocs10Hx0E

■ベナ救出団:日本語(5)

https://youtu.be/SYT--pNiFqc

■ベナ救出団:日本語(6)

https://youtu.be/p1MN3RHXQBc

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

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救う会埼玉HP

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■藤田隆司さんfacebook

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■緑風香ブログ

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拉致問題を考える川口の会HP

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【以下は、『週刊現代』2007年4月21日号に掲載された特定失踪者・藤田 進さんについての記事です】

「2003年頃でしょうか。日本に帰ってきてテレビを見たら、北朝鮮拉致にまつわる番組をやっていたのです。そこで流れた藤田 進さんの顔を見て、はっきり思い出したのです。私の目の前で泣き叫んだ男だと。

私は藤田さんの名前も知らず、拉致という言葉さえ知らなかった。しかし、結果として、私は拉致に関与してしまった。その良心の呵責から、自分が知っていることの全てを話そうと決意したのです」

こう語るのは、現在、中国に在住する57歳の朝鮮人の男性である。

1976年2月、当時、東京学芸大学の1年生だった藤田 進さん(当時19歳)が、アルバイトに行くと言って埼玉・川口市内の自宅を出たきり、失踪した。

以後、行方は杳として知れなかったが、2004年7月、北朝鮮から流出した1枚の写真により、藤田さんが北朝鮮に拉致された疑惑が高まった。写真鑑定が行われ、骨格や顔のパーツの位置関係などから、写真の男性と藤田さんは同一人物の可能性が高いという結論が出た。藤田さんは「拉致の確率が高い」特定失踪者1000番台リストに載せられることになった。

その藤田さんを拉致した、と告白するのがこの57歳の男性である。これまでマスコミに語られることのなかった日本人拉致の生々しい真相が、以下の240分に及ぶ男性へのインタビューで明かされる。

■国際指名手配犯に拉致を指示された

私は都内の大学を卒業し、しばらくして朝鮮総連在日本朝鮮人総連合会)の幹部の紹介で東京都足立区にある西新井病院に勤務することになりました。1972年~1973年のことです。

最初は医療現場で働いていましたが、5ヶ月ほど経った頃、当時の西新井病院の金萬有(キム・マンユ)理事長から「ちょっと手伝ってくれ」と言われて、理事長の運転手など、理事長とその家族の手伝いや病院の経営に関する仕事に従事するようになったのです。理事長一家の手伝いをする人間は「幹部」と呼ばれていました。

しかし、「幹部」になると同時に、西新井病院の“裏”の仕事にも、知らず知らずのうちに巻き込まれることになっていったのです。

北朝鮮系の総合病院として知られる西新井病院は、過去にもたびたび北朝鮮の工作活動の拠点として取り沙汰されてきた。

1953年に病院を創設した金萬有氏(故人)は金日成(キム・イルソン)・金正日キム・ジョンイル)親子とも面識がある在日朝鮮人の超大物である。しかも金氏は、核など日本の最先端技術を北朝鮮に運ぶ密命を帯びて活動しているとの疑惑が濃厚な、在日科学者からなる「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の中枢メンバーでもあった。

病院3階にあった無線室が北朝鮮からの秘密指令を受け取る場所でした。6畳ほどの部屋の壁という壁が通信機器などで埋まっていました。この部屋に入れるのは、鍵を持っている金理事長の甥と数人の幹部だけで、完全な秘密部屋でした。

北朝鮮からの指令は短波放送を通じて流されていました。放送は「1、2、3」などと数字が淡々と読み上げられており、その数字を理事長の甥が解読し、関係各所に連絡するのです。

おそらく、1976年2月、私に下された“任務”も、そのようなルートで北朝鮮から指示されたものだったのでしょう。しかし、私は理事長の甥ではなく“金先生”という男から藤田さん拉致の手伝いを頼まれたんです。“金先生”は名古屋大学医学部を卒業した医者、という触れ込みでしたが、病院に勤めてもおらず、住所もわからない。ただ2週間に一度くらいフラッと病院に来ては幹部と雑談して帰っていく謎の人物でした。

後日、チェ・スンチョルという北朝鮮工作員の写真を見る機会があったのですが、その写真には紛れもなく“金先生”が写っていました。私はあの「西新井事件」を起こした大物工作員の手下として働いていたのです。

チェ・スンチョルは、日本の機密に関する情報収集などを行っていたとされる北朝鮮工作員。1960年代に都内で失踪した小熊和也さん、1960年に北海道で失踪した小住健蔵さんの戸籍を奪い、本人になりすまして生活していたことも確認されている。1985年、警視庁は西新井病院の近くにあるチェ・スンチョルのアジトに踏み込み、乱数表などを押収した(西新井事件)。チェ・スンチョルは逃走し、現在国際指名手配されている。このチェ・スンチョルが病院にもさかんに出入りしていたと、今回、男性は衝撃の証言をしているのである。

■クスリを打たれ意識を失った藤田さん

「埼玉に“患者”を連れに行くから、運転手をやってくれ」と、私の事務所に“金先生”から院内(の内線)電話が入ったのは拉致前日のことだったと思います。当時の私は拉致など知りません。総連系の医療機関は埼玉にもたくさんあるから、そのうちのどこかから患者を引き取ってくるんだな、くらいの気持ちで手伝いをしたのです。

2月7日は、冬にしては暖かい日だったと記憶しています。昼過ぎ、総勢4名が病院から車2台で出かけました。私は先頭車両の1号車のハンドルを握りました。車は小豆色のブルーバードで、助手席には“金先生”ことチェ・スンチョルが座りました。2号車は紺のトヨタ車で、二人のスーツの男が乗っていました。彼らはおそらく科協の関係者だと思います。

当時と今では、道がかなり変わっていますが、当時の記憶で説明します。

まずわれわれは環状七号線を西へ進み、鹿浜交差点を右折して都道107号線に入りました。そのすぐ先を左折し、博慈会病院の前を通って新芝川べりから山王橋を渡り、鋳物工場が両サイドに並ぶ通りを直進して、川口本町大通りから産業道路に入りました。

“金先生”は、「このルートだと派出所は1ヶ所しかないから安全なんだ」と説明していました。どこをどう通るかまで、綿密に計算し尽くしていたわけです。

国鉄(当時)川口駅前を越してしばらく走ると、産業道路沿いにある公園で停まるように言われました。車を降り、公園の反対側に歩いていくと、濃い色のクラウン(3号車)が停まっていて、スーツ姿の男が4人乗っていました。

4人とも朝鮮総連本部関係者で、いま考えると、彼らがこの事件の指揮官でした。“金先生”は、3号車の4人と何か話したあと、私のところに戻ってきて「大宮の氷川神社に行くことになった」と、淡々と私に指示を出しました。

当時は道が空いていたので川口まで30分弱、川口から氷川神社までもそれほど時間はかかりませんでした。大宮氷川神社の隣には大宮公園があるのですが、公園の池の近くで車を停めるよう指示されました。いまでこそ、人も多く明るい公園ですが、当時は木が鬱蒼と茂っていて人影も少なく、寂しい場所でした。

そこには、かなり大きめの乗用車(4号車)が、われわれを待っていました。これが藤田さんを捕まえていた車です。2号車から2人、3号車から4人が降りると、待っていた4号車の後部座席から、大柄な男2人に両側を抱えられて、男性が連れ出されました。これが藤田さんでした。藤田さんは精神病患者などが暴れた際に着させられる拘禁服に似た、ベージュ色の保護服を着ていました。足元もおぼつかないほどフラフラの状態で、意識がないようにも見えました。クスリを打たれているな、とすぐにわかりました。そのまま藤田さんは2号車の後部座席に入れられ、2人の男が両側から挟むようにして座りました。

作業は一瞬でした。3号車の指揮官と思われる男が私のもとにやってきて、「全て完了したので戻って下さい」と日本語で言いました。日本語が使われたのはこのときだけで、あとは全て朝鮮語です。

帰りも私の運転する1号車が先導でした。後ろを走っていた3、4号車はすぐに姿を消し、私たち1、2号車はまっすぐ病院に向かったのですが、私は途中で道に迷ってはぐれ、2号車より20分も遅れて病院に着きました。“金先生”にひどく怒られたのを覚えています。藤田さんを乗せた2号車は、行きと同じ道で病院まで戻ったそうです。

藤田さんの拉致には、川口市の総連系の診療所が大きくかかわっていると思います。金理事長が中枢にいた科協には医師が非常に多いのです。おそらく西新井病院で解読された拉致指令が科協本部にわたり、科協から傘下の診療所に通達されたのでしょう。数年前から藤田さんと川口の診療所の医者が親しくなっていたそうです。医師は何年もかけて藤田さんと親密な関係を築き、拉致当日、食事や催し物に一緒に行こう、と誘ったのでしょう。

■涙をためて「ここはどこですか」

病院に連れてこられた藤田さんは、そのまま病院2階付近にある「保護室」という名の監禁部屋に入れられました。「保護室」の存在は「幹部」しか知りません。一般職員からはわからないように扉はまるで壁のように加工されていました。「保護室」は畳1枚半の部屋で、鉄格子がしてあり、壁も床も自傷防止用の青緑色のクッションが張ってあります。ちなみに西新井病院に精神科はなく、このような施設は必要ありません。

私は“金先生”から「“患者”に配膳をしてくれ」と頼まれました。翌日の朝から配膳係になって、朝、昼、晩の3回藤田さんに食事を運びました。

拉致の翌日、藤田さんは打たれたクスリがまだ効いているようで、意識が朦朧としており、朝食、昼食とも手付かずでした。藤田さんが打たれたのは自白剤ではないかと思います。ものすごく息が臭くなるのでわかりました。

その日の夜、藤田さんの意識がしっかりしてきました。しかし、現実が受け入れられないのか、ただただ大声で泣き叫んでいました。慟哭という感じでした。「どこへ連れて行くんだ!」「なんだ、これは!」という叫びが、今も強く耳に残っています。

2日目、3日目も会話はなく、食事は摂るようになったのですが、藤田さんは身動きが制限される保護服を着たまま、ただじっとしていました。叫ぶこともなくなりました。

4日目になって、「ここはどこですか」「自分は何でここにいるんですか」と、涙をいっぱいに溜めた脅えきった目で私に聞いてきました。これが、最初で最後の会話です。

4日目の夜、藤田さんはいなくなりました。その後、病院関係者から「彼は同志同胞の繁栄のため、新潟から万景峰号(マンギョンボンごう)で北朝鮮へ渡った」と聞かされました。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:ラーメン店店員

◆身長:180cm

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

昭和52年ごろ、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営するラーメン店「来大」に就職。昭和53年に田中 実さんを「来大」に紹介し、ともに働く。同年、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。

半年ほどして、田中 実さんが差出人になっているオーストリアからの国際郵便を受け取る。その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。

田中さんの誘いを受け、打ちあわせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

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救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》

◆氏名:福留 貴美子

(ふくとめきみこ)

◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日

◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日

◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿

◆当時の身分:アルバイト

◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】

1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。

1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。

1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》

◆氏名:渡邉 浩成

(わたなべひろまさ)

◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)

◆当時の住所:愛知県名古屋市中区

新潟県三条市出身

◆当時の職業:郵便局員

◆身長:170cmくらい

【失踪状況】

昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

拉致事件、捜査の現状】

北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。

拉致には金正日キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。

このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員辛光洙シン・グァンス)容疑者が手配されています。

また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。

この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。

北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。

新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。

ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。

よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。

このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。