もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(17)/増元るみ子さん

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増元照明(増元るみ子さんの弟)

《ただ待っていては絶対北朝鮮は動かない》

ブルーリボンバッジで意思表示を

皆さん、こんにちは。

1999年にこの大集会を開いてから20年近くになりますが、その間、毎回この場所におられた数人の顔が見られなくなりました。我々の仲間にも多くの物故者がおられます。

こんな長い時間、拉致被害者を救出できない。救出できなかった家族会の力も申し訳なかったと思いますが、私は春の集会ですべての国会議員の皆さんにブルーリボンバッジをつけていただきたいと申し上げました。

それは今年こそが最後のチャンスだろうから、せめてこの40年、家族会ができてから20年放置してきた皆さんに、拉致被害者のことを、一日一回だけでも意識してもらいたいから、ブルーリボンバッジをつけることで意識するでしょう。

そして救出に邁進してもらいたいからそう申し上げたんですが、なかなかそれが普及しないようです。立憲民主党拉致問題対策本部長が枝野さんであることを今日初めて知ったのですが、是非付けていただくようおっしゃってください。

国民民主党の代表に方にも是非付けていただくようおっしゃってください。

そして北朝鮮に対して、日本は絶対に引かないという国会議員の意思も、国民の意思も、示していっていただきたいんです。

■日本にはもっと出来ることがある

さらに、現状維持がいいと思うこともあるんですが、実はもっと日本にはできることがあるんじゃないですか。北朝鮮を追い詰めて、北朝鮮が動かざるを得ない状況になるには、日本がもっとやるべきことがあるんじゃないでしょうか。ただ待っていてはダメで、絶対北朝鮮は動きませんよ。

まず日本が、国内にいる北朝鮮シンパの人たちを日本の法律の中でしっかりと始末していくこと、これが一つあるんじゃないでしょうか。それは人権という問題ではありません。

アメリカのクリストファー・ヒル(Christopher R. Hill)でさえ、「日本はイランを擁護しているじゃないか」と言われましたよ。私たちがテロ支援国家を解除しないでくれと言った時に。

確かにそうです。何も言えませんでした。デビッド・アッシャーは、「あなたちの国では北朝鮮と関係がある企業を温存しているではないか」と言われました。

それを言われたら何も言えなくなります。

私たちの国には、あのテロ支援国家を擁護、支援する団体がまだ現存するんです。それを放置しておいて、北朝鮮にものが言えるんですか。各国に協力を求められるんですか。できないと私は思っているんです。それさえできないなら、言ってはならないと思っています。

■連絡所は拉致被害者が死亡していることを前提としたもの

昨今、総裁選で石破さんと安倍さんの立場が北朝鮮政策で完全に別れました。

これを見ても分かりますが、石破さんの発言は、拉致被害者は死んでいるという前提のものです。生きていると信じておられるなら、櫻井さんがおっしゃったように、「返せ」という言葉を言えばいい。

連絡所を設置するというのは、日本政府が納得できるだけの死亡の報告をしなさい。そしてそれを検証する。日本にも連絡所を作ってやるということでしょうが、それは拉致被害者が死亡という前提の連絡所ですよ。こんなことを言う。メディアの方もそうですが、本当に救出しようという心があるんですか。

拉致被害者は生きているというのが我々日本政府、家族会の大前提であり、私たちもそう信じています。信じているからこそ救出運動をやってきたんです。20数年も。死亡を前提にするような考え方なら、国会議員やメディアは私たちの敵じゃないですか。とても許すことはできません。

拉致被害者は生きています。生きている拉致被害者を取り戻せない国は、とんでもない国だということを今日早紀江さんがあれだけ厳しい口調でおっしゃった。

このことを国会議員の皆さん、本当に心に止めておいてください。

■みんな協力出来る体制を

私たちはもう国内で戦うことをしたくないんです。皆さんと共に、拉致被害者は生存していると全国に広めて、みんなが協力してもらえる体制を作りましょう。

宜しくお願いいたします。

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html

■市川修一さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html

■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年8月12日

アベック拉致容疑事案

被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)

被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)

「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。

北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

[August 12, 1978: Couple abducted]

Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)

Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.

North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.