もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/OTV

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・富川久子さんについて》

◆氏名:富川 久子

(とみかわひさこ)

(Hisako Tomikawa)

◆失踪年月日:平成6(1994)年2月14日

◆生年月日:昭和33(1958)年2月18日

◆性別:女性

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:沖縄県石垣市

◆当時の身分:主婦

◆身長:153cm

◆体重:50kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)痩せ型

2)コンタクトレンズ使用

3)明るく社交的で頭も良かった

4)足の裏にアザ

5)趣味はゴルフ

6)酒は付き合い程度に飲む

◆失踪場所:沖縄県石垣市沖縄県石垣島御神崎灯台に車を残して失踪

【失踪状況】

失踪以前に「誰かに見られているような気がする」と言っていた。

県営住宅が抽選であたったが、「移るのが怖い」といい始め、その後1週間後に失踪。

失踪直前、ゴルフ練習場の女性従業員に子供を預けて、バレンタインデーのチョコレートを買うために、近くのスーパーに車で行った。

その後、音信が不通となった。

失踪の翌日の昼過ぎに「御神崎灯台で車が見つかった」という連絡があった。

車の鍵は開いていて、キーは車に挿しっぱなしだった。

本人の帽子、バック、子供のミルク缶が車に残されていたが、免許証とバレンタインデーのチョコレートは車中に残っていなかった。

北朝鮮からの脱北者から「北朝鮮で目撃した女性に似ている」との情報がある。

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

静岡県警HP

http://www.pref.shizuoka.jp/police/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による富川久子さん失踪事件の解決】

富川久子さんの車が置いてあった御神崎(おがんざき)や当時の自宅、最後に目撃されたゴルフ練習場などを見てきました。富川さんはちょうど四半世紀前、平成6年(1994年)2月14日、よく行っていたゴルフ練習場に行き、そこに勤めていた旧知の女性から「バレンタインデーだからご主人にチョコレートでも買ってあげたら」と言われ、車で近くのスーパーに行ったまま失踪しました。スーパーにはそこに行くと言ったわけではなく、それらしき人の目撃証言はあるのですが、確実ではありません。

御神崎に行った後、同行してくれたご家族にゴルフ練習場まで案内して戴いたのですが、「ゴルフ練習場はご自宅から御神崎に行く途中にあったのですか」と聞いたところ「いえ、反対方向です」との答えが返ってきました。それを聞いたとき私は一瞬寒気が走りました。

確かに港の近くにあった当時の自宅マンションからゴルフ練習場は東、御神崎は西でまったく方向が異なります。このパターンは平成2年(1990年)に山口県で失踪した河田君江さんと岡山県で失踪した清水桂子さん、平成4年(1992年)に秋田県で失踪した松橋恵美子さん、平成7年(1995年)に宮崎県で失踪した岩本美代子さんとも重なります。

どれも本人がわざわざ行ったとは考えにくい場所に車が残されていました。そのことが頭をよぎったのです。

また、富川さんの失踪後ご自宅には何度も無言電話がかかってきたと言います。これは特定失踪者で共通するケースが多数みられます。ある意味富川さんのケースは状況証拠的には「マニュアル通り」にやったような事件です。

これが拉致であるとすれば、当日富川さんはおそらく家を出たときから監視され、尾行されていたのでしょう。さらに、それ以前から何らかの形で目を付けられていたはずです。実際ご主人に「誰かに見られているような気がする」と言ったこともあったそうです。

《特定失踪者・濱端俊和さんについて》

◆氏名:濱端 俊和

(はまばたとしかず)

(Toshikazu Hamabata)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年4月10日

◆生年月日:昭和34(1959)年9月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:会社員(原子力発電所の定修工事)

沖縄県うるま市出身

◆身長:155cm

◆体重:50kg

◆特徴:左顎下にアザ

◆失踪場所:福井県敦賀市敦賀駅

【失踪状況】

沖縄県出身で地元の会社から横浜の建設会社に研修生として派遣されていた。

昭和58年3月末に大飯原発の定修工事が完了し、美浜原発の定修工事に転出するため、3月30日に横浜の本社に到着。

工事の機材を積み込んで4月2日に美浜に向け出発、3日着。

4日から美浜原発定修工事作業準備。

9日同じ沖縄出身の同僚と日帰りでアメ横まで洋服を買いに行く。

10日その同僚をパチンコに誘うが同僚が行かなかったので一人でタクシーを呼び、当時宿泊していた敦賀市内の寮を出たまま失踪(タクシーは敦賀駅前で降りたことが確認されている)。

ジャンパー姿で出掛けており、免許証、貯金通帳、保険証などの荷物すべて置いたまま。

広島に友人に預けた車があったがそれもそのまま。

10月23日Yという女性から沖縄の実家に電話があり、9月末にご主人が行方不明になった。行方が分からないかとの問い合わせがあった。

濱端さんとは神奈川県内にある自動車工場で知り合ったとのこと(濱端さんは昭和55年4月から10月までここに季節工として勤務)。

お母さんが電話を受け、息子も行方不明になっていると伝え、電話番号を聞いたが教えてもらえなかったという。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》

◆氏名:川満 敏弘

(かわみつとしひろ)

(Toshihiro Kawamitsu)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月

◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市港区

◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者

沖縄県城部町出身

◆身長:160cmくらい

◆特徴:

1)痩せ型

2)四角顔

3)浅黒

4)左右いずれかの目頭に切り傷有り

5)世話好きの性格だった

◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て

【失踪状況】

妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。

季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。

同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。

愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・仲里次弘さんについて》

◆氏名:仲里 次弘

(なかざとつぐひろ)

(Tsuguhiro Nakazato)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年5月

◆生年月日:昭和25(1950)年11月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:関東地方(前々年まで神奈川県横浜市

沖縄県南風原町出身

◆当時の身分:

1)前々年まで日産自動車工場勤務(神奈川県)

2)それ以前は陸上自衛隊大宮駐屯地(埼玉県)などに勤務

◆身長:161cm~162cm

◆特徴:

1)中肉

2)色白

3)髪は直毛で黒い

◆失踪場所:神奈川県から失踪したと思われる

【失踪状況】

陸上自衛隊に入隊し、約2カ年間の訓練を受けたあと、沖縄へ帰郷。

その後自動車工場に3ヶ月の季節労務に就くために再び上京し、契約期間の就労を終えたあと連絡が途絶えた。

昭和52年5月には神奈川県茅ヶ崎市にあった断食道場に20日間いたことがわかっている。

警察に行ったり、全国版新聞での尋ね人の広告を出したり、職業安定所での登録の確認等、東京・神奈川を中心に歩き回るが、手がかりは何一つ見つからない。

沖縄県出身で、集団就職横浜市の製鉄会社に就職したあと、陸上自衛隊に入隊し、約2年後に除隊。いくつかの職を経て、日産自動車座間工場で季節工として4ヶ月勤務。

その後、昭和52年5月、茅ヶ崎の断食道場に入場したと思われる。平成14年(2002年)8月、沖縄の妹宅に標準語の男の声で「次弘はおばさんの世話で北朝鮮に行った。“ちゅうさん”と呼ばれていた。元気でいると思いますよ」などと早口で話す不審電話が実家にあった。

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

《特定失踪者・仲村克己さんについて》

◆氏名:仲村 克己

(なかむらかつみ)

(Katsumi Nakamura)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年8月2日

◆生年月日:昭和18(1943)年5月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県西宮市

◆当時の身分:牛乳販売

沖縄県那覇市出身

◆身長:160cm

◆特徴:

1)眼鏡使用

2)痩せ型

3)色白

◆失踪場所:兵庫県西宮駅

【失踪状況】

下宿していた部屋のテーブルの上に「8月2日神戸へ行く」のメモがあった。

9月に家主から1ヶ月家に帰っていないと電話があり、9月か10月に兵庫県警西宮警察署に失踪届を出す。

本人から一度も連絡がない。

部屋からパスポートがなくなっていた。

また、会社へ給料の問い合わせがあったが取りに来なかった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

《特定失踪者・崎山 実さんについて》

◆氏名:崎山 実

(さきやまみのる)

(Minoru Sakiyama)

◆失踪年月日:平成元年(1989)年11月24日

◆生年月日:昭和39(1964)年5月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区

◆当時の身分:会社員

沖縄県名護市出身

◆身長:165cm

◆血液型:O型

◆足のサイズ:25.5cm

◆特徴:

1)小柄

2)猫背ぎみ

3)八重歯

4)近視

5)飲酒する

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

突然家族との連絡がとれなくなった。

勤務先の会社から「無断欠勤している」と沖縄の家族に連絡があった。

大阪のアパートを見に行くと、洗濯機は途中で、カバンや眼鏡も部屋の中に残っていた。

荷物はそのままだった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・下地才喜さんについて》

◆氏名:下地 才喜

(しもじさいき)

(Saiki Shimoji)

◆失踪年月日:昭和60(1985)年4月

◆生年月日:昭和37(1962)年7月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:東京都杉並区

◆当時の身分:杉並区内のパブでアルバイト

沖縄県那覇市出身

◆身長:165cm

◆血液型:B型

◆失踪場所:東京か?

【失踪状況】

昭和58年に東京で働きながら資格を取ると沖縄から上京。

杉並区内のパブでアルバイトをしていた。

昭和60年4月にラジカセを月賦で買うから保証人になってくれと実家に電話したのを最後に行方不明。

10月に月賦不払いの通知が母親に来たことから失踪が判明。

その後、実家に無言電話が2回あった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・原 哲也さんについて》

◆氏名:原 哲也

(はらてつや)

(Tetsuya Hara)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年3月

◆生年月日:昭和37(1962)年5月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:東京都江戸川区小岩

◆以前の住所:千葉県市川市の会社の寮

◆当時の身分:無職(食品会社を退職した直後)

◆身長:158cm

◆体重:42kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)喫煙飲酒少々

2)胸に縦10cm位のキズあり

3)前腕部に骨折痕

4)左足の太ももに手のひら大のおできの痕

5)趣味は将棋と機械いじり

6)スポーツはボーリングをする

7)両手の親指がしゃもじ型

◆失踪場所:沖縄県。東京都江戸川区に居住。

【失踪状況】

3月初め、友人と2人で沖縄に行き、知人宅に寄った後、1人で出掛けたまま消息不明。

会社を退職したばかりで、千葉県市川市の会社の寮から江戸川区に転居したばかりだった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

《特定失踪者・金武川栄輝さんについて》

◆氏名:金武川 栄輝

(きんがわえいき)

(Eiki Kingawa)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日

◆生年月日:昭和26(1951)年2月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:沖縄県中頭郡与那城村(現・うるま市

◆当時の身分:漁船員(第8協洋丸甲板員)

◆身長:164cm

◆体重:64kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)右目か左目かのどちらかの目の白目のところに米粒半分位の茶色の斑点があった

2)バレーボールが得意、中学校で指導していた

3)機械をいじるのが好き

4)趣味はレコード鑑賞

5)煙草は2日に1箱くらい吸う

◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】

乗組員7名で船ごと行方不明。

11月8日にマグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9t)で沖縄県那覇市泊港を出航。

波照間方面で操業後、18日宮古島の平良漁港に入港。

24日、平良港で燃料補給し出航。

船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。

台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。

12月20日頃帰る予定が戻らず。

第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・牧志孝司さんについて》

◆氏名:牧志 孝司

(まきしたかし)

(Takashi Makishi)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日

◆生年月日:昭和12(1937)年11月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:40歳

◆当時の住所:沖縄県中頭郡与那城村(現・うるま市

◆当時の身分:漁船員(第8協洋丸船長)

◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】

乗組員7名で船ごと行方不明。

11月8日にマグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9t)で沖縄県那覇市泊港を出航。

波照間方面で操業後、18日宮古島の平良漁港に入港。

24日、平良港で燃料補給し出航。

船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。

台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。

12月20日頃帰る予定が戻らず。

第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・田島清光さんについて》

◆氏名:田島 清光

(たじませいこう)

(Seikou Tajima)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日

◆生年月日:昭和6(1931)年5月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:46歳

◆当時の住所:沖縄県那覇市

◆当時の身分:漁船員(第8協洋丸漁労長

◆身長:174cm

◆体重:71kg

◆特徴:

1)煙草好き

2)海にいると色黒だが海から離れるとすぐ白くなる

3)19tまでの機関長の資格あり?

◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】

乗組員7名で船ごと行方不明。

11月8日にマグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9t)で沖縄県那覇市泊港を出航。

波照間方面で操業後、18日宮古島の平良漁港に入港。

24日、平良港で燃料補給し出航。

船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。

台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。

12月20日頃帰る予定が戻らず。

第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・儀間 隆さんについて》

◆氏名:儀間 隆

(ぎまたかし)

(Takashi Gima)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月24日

◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:沖縄県那覇市

◆当時の身分:漁船員(第8協洋丸甲板員)

◆身長:170cm

◆失踪場所:沖縄南方海上

【失踪状況】

乗組員7名で船ごと行方不明。

11月8日にマグロはえなわ漁船第8協洋丸(19.9t)で沖縄県那覇市泊港を出航。

波照間方面で操業後、18日宮古島の平良漁港に入港。

24日、平良港で燃料補給し出航。

船長、漁労長の話では北緯10度くらいまで下がって漁をすると言っていた。

台風20号が失踪海域(フィリピン北東)で発生していた。

12月20日頃帰る予定が戻らず。

第11管区保安本部が海、空から捜索したが、船影、浮遊物など手がかりは全くなし。

《特定失踪者・仲桝忠吉さんについて》

◆氏名:仲桝 忠吉

(なかますちゅうきち)

(CHU-KICHI NAKAMASU)

◆失踪年月日:平成6(1994)年2月3日

◆生年月日:昭和18(1943)年7月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:50歳

◆当時の住所:沖縄県那覇市

◆当時の身分:マグロ延縄漁船船長

◆血液型:O型

◆失踪場所:フィリピン東方海域

【失踪状況】

マグロ延縄漁船「第15武潮丸」で出港。

乗組員は仲桝さん含め7人。

フィリピン東方海域で船ごと失踪。

海上保安庁海上自衛隊の航空機、巡視船などの捜索でも漂流物一つ発見されず。

仲桝さんは以前沖縄県水産試験場漁業調査船の甲板員も務めていた。

沖縄県警公開特定失踪者・佐次田 堅さんについて》

◆氏名:佐次田 堅

(さしだかたし)

(Katashi Sashida)

◆当時の年齢:31歳(昭和54年当時)

◆当時の住所:埼玉県川口市

◆当時の職業:不詳

◆身長:168cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)自らを「かたし」ではなく「けん」と称することがある

【失踪状況】

昭和54年1月頃、行方不明になっています。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.