もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/KTN

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

長崎県警HP

http://www.police.pref.nagasaki.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・堀江一利さんについて》

◆氏名:堀江 一利

(ほりえかずとし)

(Kazutoshi Horie)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年12月頃

◆生年月日:昭和25(1950)年3月30日

◆性別:男

◆当時の年齢:24歳

◆当時の身分:東海大学学生

長崎県対馬市出身

◆身長:165cm

◆体重:60kg~65kg

◆失踪場所:東京都

【失踪状況】

昭和49年10月7日、東京都練馬区のアパートに引っ越したとの手紙が家族に届いた。以後連絡がとれなくなった。

失踪する数日前友人に電話で「知り合いになった人から北海道にいい仕事があると誘われている」と話した。

その後アパートの大家から家族に「帰ってこない」と連絡があった。

出身は長崎県対馬

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・横山辰夫さんについて》

◆氏名:横山 辰夫

(よこやまたつお)

(Tatsuo Yokoyama)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年11月18日以降

◆生年月日:昭和27(1952)年9月6日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:神奈川県横浜市

◆当時の身分:溶接技師で、工場勤務(重機メーカー下請け)

◆特徴:

1)わずかに色弱

2)読書好き

◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】

本人から長崎の実家に「横須賀の米軍基地内の仕事に就くため、戸籍を送って欲しい」と電話があり(11月18日)、家族が友人宅に戸籍を送った直後に連絡が途絶えてしまい、以後行方不明。

失踪前の11月5日には、父の一周忌のため長崎に帰省していた。

長崎県警HP

http://www.police.pref.nagasaki.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・徳永陽一郎さんについて》

◆氏名:徳永 陽一郎

(とくながよういちろう)

(Youichirou Tokunaga)

◆失踪年月日:昭和28(1953)年10月7日

◆生年月日:昭和10(1935)年1月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:長崎県

◆当時の身分:長崎市内の染料店店員(配達)で、勤続45ヶ月

◆特徴:右肩に子供の頃鎌で切った跡がある

◆失踪場所:長崎県長崎市

【失踪状況】

勤務する染料店とは別の勤務先の話があり、履歴書を書いている途中で突然いなくなった。

履歴書に貼るはずの写真を取りに行く前に失踪した。

10月7日に門司から送られて来た書留は家族から借りていた1,500円を返してきたもので「いい仕事があった」「歩いてでも帰ってきます」と書かれていたが、それ以来情報なし。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

《特定失踪者・中村健一さんについて》

◆氏名:中村 健一(通称:武康)

(なかむらけんいち/たけやす)

(Ken-ichi Nakamura)

◆失踪年月日:昭和33(1958)年5月28日

◆生年月日:昭和12(1937)年8月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:長崎県長崎市(現・諫早市

◆当時の身分:技術職

◆身長:175cm

◆特徴:

1)背が高く細身

2)肩幅広い

3)盲腸の手術跡あり

4)胸部が薄く、みぞおちにかけて窪んでいる

5)きれい好きで机の上をいつもきちんと整理していた

◆失踪場所:長崎県長崎市(現・諫早市)の下宿先

【失踪状況】

午前8時頃、下宿先の奥さんに「福岡に就職の事で行ってくる」と言って出かけたまま行方不明となる。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

《特定失踪者・浜崎真嗣さんについて》

◆氏名:浜崎 真嗣

(はまざきまさつぐ)

(Masatsugu Hamazaki)

◆失踪年月日:平成12(2000)年1月6日

◆生年月日:昭和49(1974)年8月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都日野市

◆当時の身分:家電メーカーの会社員で、業務用ビデオの設計担当

長崎県出身

◆身長:160~161cm

◆体重:51~52kg

◆足のサイズ:24cm

◆特徴:

1)浅黒

2)左目の上瞼に2mm程度のイボあり

3)電子装置設計技術を身につけていた

4)趣味はビリヤードとオーケストラ(ファゴット

◆失踪場所:東京都日野市の会社寮

【失踪状況】

1月6日(失踪当日)の東京都内の会社の始業式を無断欠席、翌日、翌々日も出社しないため、人事部係員が寮の部屋を点検。

のちに在京の兄や長崎の両親も寮の部屋へ行った。

部屋には6日の朝刊(未読)が入れられ、PHSも置きっぱなしで、書き置きもなかった。

また、布団は敷いたままで、食べかけパンが残っていた。

普通の服装で出かけ、自転車も置いたままだった。

職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。

のちに給料振込通帳を記帳した結果、1月6日朝6時~7時に東京駅のATMで3万円をキャッシング、また午後1時半頃、函館で普通預金口座から現金12万円を下ろしていたことが判明したが、定期預金には一切手をつけていない。

失踪後、約1年間に2回、長崎の実家に不審電話があった。

失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

長崎県警HP

http://www.police.pref.nagasaki.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

長崎県警公開特定失踪者・福本和光さんについて》

◆氏名:福本 和光

(ふくもとかずみつ)

(Kazumitsu Fukumoto)

◆当時の年齢:27歳(昭和57年当時)

◆当時の住所:埼玉県入間市

◆当時の職業:会社員

◆身長:168cm

◆体重:62kg

◆血液型:O型

【失踪状況】

昭和57年10月25日午前7時20分頃、会社の寮からジョギングへ出掛けたまま、行方不明となっています。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

奈良県警公開特定失踪者・村尾知彦さんについて》

◆氏名:村尾 知彦

(むらおともひこ)

Tomohiko Murao)

◆当時の年齢:19歳(昭和51年当時)

◆当時の住所:長崎市

◆当時の職業:長崎市内の大学1回生

◆身長:177cm

◆特徴:

1)近視のため眼鏡着用

2)右腹部に3cmの手術痕

【失踪状況】

昭和51年2月11日に大学の同級生宛に「自分の存在感が希薄になってしまいそう。見知らぬ土地に惹かれて一人旅に出ることにした。」等と記載された手紙が札幌から郵送されてきた後、行方不明となっています。

奈良県警HP

http://www.police.pref.nara.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.