もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】寺越友枝さん・寺越武志さん[「拉致」と言えなかった母]/KRY

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!【theSOCIAL×NNNドキュメントより】“拉致と呼ぶと会えない”全てを奪われた母》

もし、あなたの子どもが突然、いなくなり、見知らぬ国で、生活していたら―

寺越友枝さん(86歳)は子どもを守るため、「拉致」という言葉を封印しました。

「親としてずっと武志を守ってやりたいから、拉致の認定は今は考えていません」

(寺越友枝さん。救う会認定拉致被害者・寺越武志さんの母)

55年前、中学2年の息子・武志さんは叔父とともに突然、姿を消しました。

24年後、海で亡くなったはずの叔父から「とつぜん朝鮮に来て(中略)幸福に暮らしております」との手紙が―

「(武志が北朝鮮に)おるなと思って(政治家に)働きかけた。どこに行っても、国交がないもんで」

(寺越友枝さん)

手紙が届いてから、半年余り…

「死んだとばっかり思っていたのに良かった。生きとってくれて」

(寺越友枝さん)

13歳だった息子は37歳になり、金英浩(キム・ヨンホ)と名乗っていました。

「『(叔父が)海から落ちて、知らん船が来て助けてもろた』って、『武志に本当か?』と聞くと、『俺、眠っていて知らん』と言って」

(寺越友枝さん)

武志さんは現地で結婚し、子どももいたため、日本に連れ戻すことは、叶いませんでした。

友枝さんは「家族会」の活動に加わり、武志さんの帰国に向けて動き始めます。しかし、息子からは―

「『お母さん、家族会に入っていたら俺と会われんようになるよ』と。私は、やっぱり、我が子が会えないようになるという言葉で(家族会から)離れた」

(寺越友枝さん)

友枝さんは、自ら武志さんに会いに行く道を選びました。

「働いた、働いた、働いた、年金も使わずに、年金貯めて、貯めて、貯めては…」

(寺越友枝さん)

北朝鮮に1回行くたびにかかる費用は数十万円。拉致問題が大きく動いたこの年、武志さんは訪日団として、39年ぶりに祖国の地へ。

「敬愛する金正日キム・ジョンイル)将軍のご配慮により訪問団の一員として来日しました」

(寺越武志さん)

日本での第一声は、朝鮮語。しかし、親子の会話は日本語でした。訪日団という立場の武志さんは、予定通り母国を後にします。

「武志もこのこと(拉致)だとは、やはり言われんということは苦しいと思います。私も苦しいです本当に」

(寺越友枝さん)

友枝さんが訪朝した回数は65回。

息子と、その家族を援助するため、向かう時には、衣類や食料品を詰め込めるだけ、詰め込みます。

「3キロオーバー、(荷物を)抜きますか?」

(係員)

「お金出すわ、荷物抜かれん」

(寺越友枝さん)

武志さんの月給は、日本円で500円ほど。訪朝するたび、お金や電化製品がほしいとせがまれました。3人の孫の結婚費用も、友枝さんが援助しました。

「お母さん、65回、俺のために朝鮮に来て行ったり来たりしながら、たくさん世話になって本当にすみません」

(寺越武志さん)

84歳になった友枝さんは、体調を崩すことが多くなりました。

病床からの友枝さんは

「武志、お前にあげたくてもあげられないからな、自分でちゃんとしとらなダメやぞ、ばあちゃん、もう(仕送りを)できないから」

と話しました。

生き別れの苦しみ。

「春になったらお前の所に行きたいわ」

(寺越友枝さん)

※年齢などの情報は2018年1月時点のものです。

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

山口県警HP

https://www.police.pref.yamaguchi.lg.jp/

救う会山口HP

http://sukuukaiyamaguchi.blog.fc2.com/

山口県特定失踪者家族会を支援する会facebook

https://facebook.com/groups/107829362893077?src=email_notif

■特定失踪者の帰国実現をめざす会・中国ブロックfacebook

https://facebook.com/groups/131092523902398?src=email_notif

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

救う会認定拉致被害者・寺越昭二さんについて》

◆氏名:寺越 昭二

(てらこししょうじ)

(Shouji Terakoshi)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和38(1963)年5月11日

◆生年月日:昭和2(1927)3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:36歳

◆当時の住所:石川県羽咋郡志賀町

◆当時の身分:漁師

◆身長:170cm

◆失踪場所:石川県能登半島

【失踪状況】

弟の寺越外雄さん(当時24歳)と甥の寺越武志さん(当時13歳)と高浜漁港を出港し、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。

翌日沖合7kmに漁船だけが漂流しているのが発見された。

漁船には他船に衝突されたような損傷があり、塗料も付着していた。

昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮平壌で生活しているという手紙が届いた。

北朝鮮の説明によれば昭二さんは1968年3月30日、心臓病のため病死したとされているが確認されていない。

工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が教官から聞いた話として、日本に侵入するところを目撃されたため、昭二さんは拳銃で射殺されて海に沈められ、外雄さんと武志さんは拉致されたとのこと。

明らかな拉致であるにかかわらず、武志さんが後に「北朝鮮に救助された」と拉致を否定したことから日本政府は拉致認定していない。

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

救う会認定拉致被害者・寺越外雄さんについて》

◆氏名:寺越 外雄

(てらこしそとお)

(Soto-o Terakoshi)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和38(1963)年5月11日

◆生年月日:昭和14(1939)年2月7日

◆性別:男

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:石川県羽咋郡志賀町

◆当時の身分:漁師

◆身長:170cm

◆失踪場所:石川県能登半島

【失踪状況】

兄の寺越昭二さん(当時36歳)と甥の寺越武志さん(当時13歳)と高浜漁港を出港し、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。

翌日沖合7kmに漁船だけが漂流しているのが発見された。

漁船には他船に衝突されたような損傷があり、塗料も付着していた。

昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから姉に北朝鮮平壌で生活しているという手紙が届いた。

工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が教官から聞いた話として、日本に侵入するところを目撃されたため、昭二さんは拳銃で射殺されて海に沈められ、外雄さんと武志さんは拉致されたとのこと。

平成6(1994)年、北朝鮮の亀城で死去したとされる。

明らかな拉致であるにかかわらず、甥の武志さんが後に「北朝鮮に救助された」と拉致を否定したことから日本政府は拉致認定していない。

石川県警HP

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救う会兵庫HP

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救う会認定拉致被害者・寺越武志さんについて》

◆氏名:寺越 武志

(てらこしたけし)

(Takeshi Terakoshi)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和38(1963)年5月11日

◆生年月日:昭和24 (1949)年9月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:13歳

◆当時の住所:石川県羽咋郡志賀町

◆当時の身分:中学生

◆失踪場所:石川県能登半島

【失踪状況】

2人の叔父寺越昭二さん(当時36歳)と寺越外雄さん(当時24歳)とともに高浜漁港を出港し、能登半島沖へ漁に出たまま行方不明になる。

翌日沖合7kmに漁船だけが漂流しているのが発見された。

漁船には他船に衝突されたような損傷があり、塗料も付着していた。

昭和62(1987)年1月22日、外雄さんから北朝鮮平壌で生活しているという手紙が届き、生存していることが判明した。

同年8月、北朝鮮とパイプがあった地元選出の社会党(現・社民党)代議士と家族が一緒に訪朝、平壌を訪れ外雄さんと武志さんに会った。

それ以降、母は彼に会うために数ヶ月に1度の割合で頻繁に訪朝するようになる。

一方父親は2001年7月に訪朝した際そのまま北朝鮮に留まり、武志さん一家と平壌市内で生活、2008年に逝去した。

1997年7月11日、石川県金沢市を本籍として戸籍を回復している。

北朝鮮では金英浩と名乗っていて、肩書きは平壌市職業総同盟副委員長。

平成14(2002) 年10月3日(拉致被害者5名の帰国の12日前)に、朝鮮労働党員及び労働団体の代表団の副団長として日本を訪れ、石川県の生家に宿泊した。

明らかな拉致であるにかかわらず、本人が「北朝鮮に救助された」と拉致を否定したことから日本政府は拉致認定していない。

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

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【寺越事件とは】

昭和38年(1963)5月11日、石川県羽咋郡志賀町沖合にてメバル漁操業中だった寺越昭二さん(36歳)、寺越外雄さん(24歳)、寺越武志さん(13歳)が行方不明となり、死亡認定された後の昭和62年(1987)1月22日に北朝鮮にて生存を伝える手紙が親族のもとに届き判明した事件。現在は武志さんのみ北朝鮮で生存しています。

先日逝去された寺越文雄さん(神戸市東灘区在住)は外雄さんの兄、外雄さんが北朝鮮でもうけた家族への支援を続けていました。

文雄さんは、北朝鮮で一大事が発生したときに、このままでは救出すべき対象から、彼らが外れてしまうのではないかと心配して、

1.外雄の拉致認定

2.人身保護請求

3.家族の日本国籍の確認

を政府に求めて行動を開始していた矢先、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。

昭和62年、生存の知らせを受け、寺越家は関係各機関に救出の要請をしました。そして、当時社会党衆議院議員だった嶋崎 譲氏が北朝鮮当局との交渉を担当し、寺越事件は「海難事故」とされ、寺越家は分裂してゆくことになります。

政府は寺越家の3人を拉致認定しない理由として、寺越武志さんが一時帰国を果たした折、自ら「拉致ではない」と否定したことを第一の理由としていますが、事件が明らかになった時点で、政府が全面的にこれを引き受けて交渉していれば、今のような事にはなっていなかったはずです。

私たち救う会兵庫は、亡き寺越文雄さんの遺志を引き継ぎ、外雄さんの家族の救出へと繋がる国籍認定を引き続き、政府に求めてまいります。

救う会兵庫・長瀬 猛さん)

《特定失踪者・河田君江さんについて》

◆氏名:河田 君江

(かわたきみえ)

(Kimie Kawata)

◆失踪年月日:平成2(1990)年2月7日

◆生年月日:昭和41(1966)年8月15日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:山口県豊浦郡豊浦町(現・山口県下関市

◆当時の身分:縫製工場勤務

◆身長:152cm~153cm

◆体重:47kg~48kg

◆血液型:B型

◆靴のサイズ:23.5cm

◆特徴:

1)ボブカット

2)左手の甲に3歳頃の火傷の跡(5cmくらい)

◆特技:手が器用。高校で和裁を中心に学習していたので浴衣、羽織などを作っていた

◆失踪場所:山口県豊浦郡豊浦町から下関の間

【失踪状況】

退勤後自宅近くで買い物したのち不明に。

2月20日頃、本人の乗っていた車が萩市島根県益田市の中間の国道沿いの駐車スペースに止まっているのが見つかる。

本人は運転時、ヒールのときは裸足で運転するほど汚すのが嫌いだったが、車が見つかったとき、運転席に泥、助手席にシダの葉、少量だが本人の血が付いたカミソリが見つかっている。

免許証、通帳などはそのまま。

その後預金の引き出しなし。

実家へ来るはずが全く逆の方向へ行っている。

2月18日に本人の声で知人に架電して「ごめんね」と言っている。

車内にあったレシートなどによると、8日午後1時34分に島根県出雲市でパン等を購入。

同日午後7時11分、長門市内のコンビニでおむすびを購入。

午後7時36分、同市内でカミソリ、チョコレートを購入。

午後7時37分、同市内弁当屋でのり弁1個を購入している。

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・西村京子さんについて》

◆氏名:西村 京子

(にしむらきょうこ)

(Kyouko Nishimura)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年12月27日

◆生年月日:昭和37(1962)年12月18日

◆性別:女性

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:山口県吉敷郡小郡町(現・山口市

◆当時の身分:洋装店店員。前職はバスガイド

◆身長:163cmくらい

◆体重:55kg

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)快活な性格

2)趣味は旅行

3)酒はほとんど飲まず、飲んでもビール2杯程度

◆失踪場所:山口県山口市湯田温泉

【失踪状況】

失踪日夕刻、自宅を車で出掛け、山口市湯田温泉の居酒屋で職場の同僚の女性(Aさん)と2人だけの忘年会を市内で行い、近くの別の飲食店で2次会を行った。

Aさんはそこで帰ったが、そこで男性(B氏)と知り合い、午後9時頃、西村さんがB氏の車に同乗するのをAさんが目撃したのを最後に2人とも失踪した。

B氏も現在まで行方不明。

西村さんの車は湯田温泉のスーパーの駐車場に置いてあった。

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・村本宣夫さんについて》

◆氏名:村本 宣夫

(むらもとのぶお)

(Nobuo Muramoto)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年3月24日

◆生年月日:昭和7(1932)年8月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:38歳

◆当時の住所:山口県岩国市

◆当時の身分:運転手・事務・雑用

◆身長:162cmくらい

◆特徴:

1)20歳〜25歳頃、和菓子製造職人をしていて、卸売りもしていた

2)喫煙は少々

3)パチンコをやっていた様子

◆失踪場所:山口県岩国市

【失踪状況】

岩国市の下宿先から失踪。

免許、お金など全部置いてあり、普段着のまま失踪した。

乗用車も新車に乗り換えたばかり、夫婦生活、人間関係に特に変わったことはなかった。

行く先を告げずに遊びに行くことはなかった。

失踪後、連絡一切なし。

《特定失踪者・国広富子さんについて》

◆氏名:国広 富子

(くにひろとみこ)

(Tomiko Kunihiro)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月2日

◆生年月日:昭和27(1952)年2月9日

◆性別:女性

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:山口県宇部市

◆当時の身分:看護師

◆身長:152cm

◆体重:48kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左こめかみから頬にかけうす茶色のあざ(化粧で隠れるほど、1cmくらいのあざ)

2)ざっくばらんな性格

3)兄弟思い

◆失踪当時の服装:グリーンのノースリーブシャツに薄黄色の7分丈のズボン、白いつっかけの軽装

◆失踪場所:山口県宇部市笹山

【失踪状況】

午後8時半頃、母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、自宅から数十メートル先のたばこ自販機まで300円のみを持ってサンダル履きで家を出たまま消息不明。

新しい病院に勤務し始めたばかりだった。

平成16年1月29日、山口県宇部警察署に告発状提出。

《特定失踪者・尹文夫さんについて》

◆氏名:尹文夫

(ゆんふみお)

(Fumio Yung)

◆別名:安村 文夫

(やすむらふみお)

(Fumio Yasumura)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年9月16日

◆生年月日:昭和29(1954)年9月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:山口県美祢市

◆当時の身分:朝鮮大学校退学後で無職

◆身長:175cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:右手か左手かはっきりしないが手の甲に3cm程度の切傷

◆失踪場所:山口県新下関駅

【失踪状況】

県立高校の普通科を卒業後、朝鮮大学校工学部に入学したが言葉が通じないのと思想的な違和感から1年次に中退。

一度山口県美祢市の実家に帰るが仕事がなく、父親と意見の衝突があり家を出た。

以後外国人登録、運転免許も更新していない。

再度上京してそのまま消息不明。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による安村文夫さん失踪事件の解説】

今月(2017年6月)刊行された『朝鮮大学校研究』(産経新聞出版刊)を読んで、よくもまあ、こういう学校が認可されたものだと半ば呆れ、半ば感心(?)しました。最近の加計学園問題での騒ぎを見るにつけ、「こっちの認可問題の方がよっぽど大事だろう」と思わざるをえません。

左翼都政だった美濃部知事時代のことではありますが、本書には認可の運動をしている最中に学内では北朝鮮さながらの権力闘争が行われていたとも書かれています。文科省も女性の貧困の研究は厚労省に任せて、今からでもしっかりチェックしてもらいたいものです。

ところで特定失踪者の中で1人朝鮮大学校に在籍した人がいます。

安村(尹)文夫さん。

昭和52年(1977)9月16日、新下関駅から新幹線で東京に向かったまま行方が分からなくなりました。当時23歳。

安村さんは山口県立の普通科高校を卒業後朝鮮大学校工学部に入学しました。お父さんが朝鮮総聯から表彰されたこともあったので朝大にはスムーズに入学できたそうですが、言葉が通じないのと思想的な違和感から1年生の途中で退学、実家に戻っていました。ご家族によれば東京には知人は朝大関係者しかいないとのことなので、何か声がかかったのかも知れませんが詳細は不明です。

安村さんが失踪する5年前、昭和47年(1972年)は金正恩キム・ジョンウン)の祖父・金日成(キム・イルソン)の還暦の年でした。『朝鮮大学校研究』にも出てきますが朝鮮総聯はその年朝鮮大学校の学生200人を北朝鮮に送ります。還暦祝いの貢ぎ物で、もちろん片道切符です。

私の中学の1年後輩(在日)も同じ昭和47年、中学2年の夏休みに北朝鮮に行って帰ってきませんでした。夏休みが終わっても登校せず、北朝鮮に行って戻ってこないということは分かったもののそのまま除籍になったようです。このことを知ったのは数年前なのですが、行った経緯は分からないものの、おそらく同じ扱いになったのではないかと思います。

そして安村さん失踪の3日後には久米 裕さん拉致、いわゆる宇出津事件が起きています。翌月には松本京子さん、その翌月には横田めぐみさんが拉致されています。帰還事業と拉致というのは決して無関係ではない、そんな思いもしている次第です。

《特定失踪者・花田昭博さんについて》

◆氏名:花田 昭博

(はなだあきひろ)

(Akihiro Hanada)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年9月24日

◆生年月日:昭和41(1966)年4月5日

◆性別:男性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:広島県大竹市

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:169cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)左眉毛上に米粒大のほくろ

3)一重瞼

◆失踪場所:当時居住していた自宅から

【失踪状況】

失踪当日自宅テーブルの上に「釣りに行きます」との書置きを残し、朝5時~6時頃家を出たまま行方不明となる。

本人は留守にするときには必ず書き置きをしていた。

当日は学校は休みだった。

1週間後、自宅から33km離れた山口県大島大橋山口県柳井市と大島郡周防大島町間の大畠瀬戸に架かる橋)の中央近く車道部分に本人の自転車と釣り竿が放置されていた。

釣りが趣味だったが、通常はほとんど1人で出かけており、たまに2歳年上の友人と行ったこともあった。通常行く先は自転車で行ける範囲の大竹海岸だった。

本人が小学生のとき、お父さんとお父さんの知人、その子供たちで大島大橋を渡って島内に入り釣りをしたことが何度かあるが1人で大島まで釣りに行ったことはなかった。

自宅には小遣い7,000円~8,000円が残されていた。

間違い電話の可能性はあるが失踪後何度か無言電話はあった。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・坂本英明さんについて》

◆氏名:坂本 英明

(さかもとひであき)

(Hideaki Sakamoto)

◆失踪年月日:昭和42(1967)年11月20日

◆生年月日:昭和10(1935)年11月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:大阪府大阪市西区の社員寮

◆当時の身分:会社員。その前は航空自衛隊に6年勤務。

◆身長:165cm

◆体重:50kg

◆特徴:

1)たばこを1日10本くらい吸う

2)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府大阪市西区立売堀

【失踪状況】

免許の更新に行くと言って会社の独身寮から外出したまま外出したまま戻らず。

更新の手続きはされていなかった。

高校卒業後、山口県防府市航空自衛隊に6年勤務し、その後運送会社に務める。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・西村三男さんについて》

◆氏名:西村 三男

(にしむらみつお)

(Mitsuo Nishimura)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年5月

◆生年月日:昭和37(1962)年5月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:山口県山口市

◆当時の身分:会社員(住宅メーカー工場勤務)

熊本県出身

◆身長:170cmくらい

◆血液型:O型

◆特徴:中学・高校時代は野球部に所属

◆失踪場所:山口県山口市

【失踪状況】

ゴールデンウィーク後、実家の実家の熊本県宮原町(現・氷川町)から山口市にある会社に戻り、寮から工場へ移動中失踪。

原付免許も寮に置いたまま、住民票もそのまま。

会社の記録では5月下旬から欠勤となっている。

失踪後6ヶ月程して無言電話あり。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.