もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2019(3)/安倍晋三編

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(令和元年9月16日)

安倍晋三内閣総理大臣、政府拉致問題対策本部長)

《ご家族を抱きしめる日がやってくるまで私の使命は終わらない》

■小泉訪朝以来、一人も取り戻せていない

2002年9月17日に平壌で首脳会談が行われ、当時の金正日キム・ジョンイル)国防委員長が公式に拉致を認めてから明日で17年目になります。当時私も当時の小泉総理と共に訪朝しました。先方から5名が生存、そして8名が死亡と言い渡されたわけですが、あの時の衝撃は今も胸に刻まれています。

その後彼らが出してきた資料は真実でないことが明らかになり、我々はそれ以来全員の奪還を目指して今日に至っているわけですが、拉致被害者のご家族の皆様はもちろん、ご本人も歳を重ねてこられました。一刻の猶予も許されない。その思いを強くしています。

残念ながら未だに、5人の皆様とご家族の帰国後は、一人の拉致被害者の奪還も成し得ていない。痛恨の極みです。

トランプ大統領拉致被害者家族と面会

そんな中、本年5月末には、ご家族の皆様は来日されたトランプ(Donald John Trump)大統領と再び面会をしていただきました。拉致被害者との面会は2回目になりますが、今回も一人ひとりから事情を聴いていただきました。その際早紀江さんにもお話をいただきましたし、有本さんからもお話をいただきました。

有本さんのお話は、大変情熱を込めて話をされましたので、ちょっと長めになったんですかね。事務局の方が、「有本さんそろそろ」、とこう促されたんですが、トランプ大統領は、「今、正に有本さんにとって大変大切なことを話しているんですから、有本さんにはどうか最後まで話させてください」と、トランプ大統領が促されました。

有本さんはその後、「全部ここで話はできないので、私の思いは手紙に書いてそれをホワイトハウスのスタッフの方に渡したので、是非後で読んでもらいたい」と、こうおっしゃいました。それに対しトランプ大統領は、「誰に渡したんだい、スタッフに渡したって永久に私の手には来ないよ」と。「誰か受け取った人は手を上げてくれ」と言ったら、ホワイトハウスの人がその手紙を、こう高く手に掲げました。

トランプ大統領は、「じゃあその手紙、俺のところへ持って来い」と言ってその手紙を受け取って、それをボルトン(John Robert Bolton)補佐官に渡しました。「私のデスクの一番上に置いておいてもらいたい、必ず読むからね」とこう彼は言ってくれました。

その後、その手紙を読んだ後の返信の手紙が、有本さんのところに来ました。そこには、有本さんに対して、「私と安倍さんは必ず勝利する」ということを自筆で書いていただきました。正に日本とアメリカ、この問題を解決していく上において、完全に立場を同じくしているわけです。

■国際社会の協力も必要

しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、大統領とともに国際社会の理解が必要であります。先般のビアリッツ・サミットにおきましても、G7のメンバー、少し入れ替わりがありましたので、改めて拉致問題の重要性についてお話をさせていただきました。

北朝鮮との問題は、もちろん核の問題、ミサイルの問題は大切ですし、朝鮮半島を非核化していくという米・朝プロセスを支援していく。そのためには、一致をしなければいけないということでは、正に参加国全員が賛成したのですが、同時に東アジアの情勢の平和と安定を確保する上においては、拉致問題を解決しなければいけない。拉致問題を解決しなければ、日・朝の国交正常化はないわけですから、「日・朝国交が正常化しない限り、この朝鮮半島の、あるいは北東アジアの平和と安定にはつながらない」というお話し、説明もさせていただきました。拉致問題を解決していくということについて、日本の立場に対する支持を、全ての参加国から、支持と理解を得たところです。

■条件付けず直接対決

しかしもちろん、この問題を解決していく上においては、日本が主体的にこの問題に取り組んでいかなければなりません。私自身、条件を付けずに金正恩キム・ジョンウン)委員長と直接向き合っていく。冷静な分析の上に、あらゆるチャンスを逃すことなく、果断に行動していく考えです。

北朝鮮には、勤勉な労働力とそして豊富な資源があります。しかし、それを生かしていく上においては、北朝鮮に大きな決断をしてもらう必要があります。それによって初めて北朝鮮には明るい未来が開かれてきます。相互不信の殻を破り、そして何より重要な拉致問題を解決し、不幸な過去を清算して、北朝鮮との国交正常化を目指していく決意に変わりはありません。

拉致問題は、安倍政権の最重要課題であります。本日、この集会に先立ち、拉致被害者のご家族の皆様と懇談する機会をいただきました。改めて皆様の痛切な思いをお伺いさせていただきました。ご家族の皆様が、この日本の地でご家族を抱きしめる日がやってくるまで私の使命は終わらないとの決意で、この問題に取り組んでいきます。

拉致問題の解決のためには、正に日本国民が一致団結して、全ての拉致被害者の一日も早い帰国への実現に強い意志を示していくことが大切であろうと思います。17年前の明日9月17日、あの17年前5名の方々が帰国することができたのも、それに向けて国民の皆様が声を大きくして、一つにして、被害者を日本に返せ、こう声を上げていただいた結果だろうと思っています。

その声こそが国際社会を動かし、そして北朝鮮を動かしていくことにつながっていきます。私もまた、皆様と心を一つにしながら、過去の経験を生かし、拉致問題解決に向けて全力を尽くしていくことをお誓い申し上げまして、本日のご挨拶とさせていただきたいと思います。

皆様一緒に頑張っていきましょう。

よろしくお願いします。

ありがとうございました。

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.