もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(25)/西岡 力編

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西岡 力(救う会会長)

■大きな機会がやって来た

皆さん、こんにちは。

私も署名を見て、色々なことがあったなと思い出しています。これを総理のポケットに入れて政府が談判をしてほしいと、先ほども総理に申し上げました。

現情勢について報告をした上で、私たちにとって今何が大切かというお話をさせていただきたいと思います。

皆さんのお手元に決議案があります。また日本政府が作った、「すべての拉致被害者の帰国をめざして」というパンフレットがあります。まず決議案を見ていただきたいのですが、先ほど古屋会長もおっしゃっていましたが、私たちも決議案に書きました。「しかし今、大きな機会がやってきた」と思っています。

「制裁と国際連帯の圧力で北朝鮮を交渉の場に引き出す」ということをここで繰り返し申し上げてきました。22年間、そのような運動方針で戦ってきました。

制裁も国際連携も今最高度に高まっています。そして金正恩キム・ジョンウン)氏が話し合いの場に出てきた。私たちは間違っていなかったと思っています。

北朝鮮は外貨不足

制裁により外貨が本当に不足しています。北朝鮮の輸出は制裁前は28億ドルでしたが、今は2億ドルです。26億ドルもの外貨が1年ごとに失われている。

その結果何が起きているか。

39号室という朝鮮労働党の機関があります。そこに外貨が貯められて核・ミサイル開発をしたり、保衛部と政治警察を食べさせたり、軍や政府の幹部たちに贈り物をしたりして独裁を維持してきたんです。その39号室資金は、だいたい50億ドルと言われていたのが、今10億ドルを切っているという複数の専門家の分析が出ています。

今軍隊はどうなっているか。兵士たちが飢えているんです。今は、軍に入れると栄養失調になるから入れたくないと、賄賂を使ってなんとか軍から逃れようとしています。昔は、軍に入ると労働党の党員になれるので、出世の道だということでみんな入ろうとしたんです。今は違います。

北朝鮮では春と秋の2回入営するんですが、この春の入営で人が足りなくなった。栄養失調で身体基準に満たないんです。それでなんでもいいから全員入れろということになった。定員を満たせという命令が出ている。しかし、軍に入ったら栄養失調になる。

栄養失調になる理由は、協同農場の生産が落ちているんです。肥料がないんです。外貨がないから肥料は買えない。協同農場のこの畑はどの部隊、この畑はどの保衛部といって、夜中に兵士が来て盗むのを防いでいます。協同農場の農民は配給がないから夜盗むんですが、その畑の収穫が去年非常に悪く、軍隊に入ったら飢える。

金持ちは軍の近くの民家にお金を送って、息子が2日に1回出てくるから飯を食わせてくれと頼んでいる。隊長もそれを黙認している。困っているのは軍人とか政治警察とかそういう人たちです。一般の人は1990年代半ばから配給が止まっています。自分で食べているんです。

配給で食べていた人たちは外貨がないから困っているんです。その外貨を使って何をしたか。この前ミサイルを撃ちました。困ってはいますが、制裁を緩めてはならないということです。

■「無条件」でも「拉致問題の解決に資するもの」になった

そしてもう一つ。国際連携もうまくいっています。私も先生たちと一緒にワシントンに行ってきました。ホワイトハウスで聞きましたが、シンガポールで1回、ハノイで2回、トランプ(Donald John Trump)大統領が直接、金正恩安倍総理がこう言っているぞということを伝えてくれた。

最後にはごまかせなくなって、何らかのことを言った。その内容も安倍総理には全部伝えてあります、と聞きました。安倍総理が無条件で話し合うと言ったのは4月にトランプ大統領と会った後です。ハノイでどんなやりとりがあったかを聞いたから、無条件でと言われたんです。

それまでは拉致問題の解決に資するために、という条件を付けていた。今はそれが「資するもの」になったと判断したから無条件と言った。まったくブレていないと思っています。

そして拉致問題を解決するには、アメリカに頼むのではなくて、日・米が連携しなければならないのです。過去に2回チャンスがあったのです。クリントン政権の時、北朝鮮は核問題で国際社会に追い込まれた。爆撃機の準備もしていた。最終的にはカーターさんと金日成(キム・イルソン)が会って、譲歩したんですが、その時何が起きたか。日本では国会で拉致があると答弁されていたのに、日本政府に軽水炉を作るために10億ドルを出してくれと言われたら、拉致問題が一切進展していないのに、当時の村山政権は10億ドル出すと約束して、実際に5億ドル出したのです。拉致は進んでいないのにお金を出した悪例があるんです。日・米の連携をちゃんとしなかったからです。

ブッシュ政権の時は、外務省の幹部がテレビ等に出て、自分たちは成功したと言っているようですが、小泉さんが平壌に行った時、「死んだ」と言われて、それを確認しないで家族に伝えたことを私たちは大変怒りましたが、平壌に小泉さんを連れて行くということをアメリカに全然言っていなかったのです。

アメリカはその時、北朝鮮が濃縮ウラニウムを作っているとの確実な証拠を持っていたんです。そのアメリカを信じないで、金正日キム・ジョンイル)が「やってない」ということを信じて、平壌宣言をまとめたからアメリカは怒ったんです。

小泉訪朝の1か月後に、アメリカのケリー国務次官補が行って証拠を突きつけたら、北朝鮮は濃縮ウラニウムをやっていたことを認めたんです。濃縮ウラニウムで核爆弾を作っていたのに、国交正常化して大規模な経済支援をしようとしたのが当時の田中局長たちの外交のやり方で、それに反対した安倍副長官とか家族会・救う会アメリカで地位が上がったんです。

安倍総理はそういうことがよく分かっているから、まずアメリカと話をする。アメリカに我々の立場を理解してもらう。核をやめさせなければいけない。しかし日本は核だけじゃない。全拉致被害者が帰って来ない限り、日本は制裁を緩めないし、国際社会も一緒に歩んでほしい、と。その枠組みを作ることに成功した。

トランプ大統領が、大切な核問題の時間を割いて拉致を言ったということは、核が動いても拉致が動かなければアメリカは強い制裁を下げないというメッセージになっているんです。そこまで来たんです。

国際連携と制裁の圧力で、中山先生もおっしゃいましたが、普通の外交じゃダメだ、取引だ、と。取引の場に彼らを引き出すところまで来た。ここまで来たということをまず確認したいと思います。

■3つのカテゴリー

しかし、これからが最後の勝負です。では解決の定義は何かということについて、もう一度私たちは頭の整理をしなければならない。色々な人が「解決」しなければならないと言います。総理が「解決」のために金正恩に会うという時、私たちは何を「解決」とするか。

「全拉致被害者の即時一括帰国」です。これは絶対譲れません。では全被害者とは誰かということです。

ここが核心です。

私は3つのカテゴリーがあると思っています。アメリカでもそう言ってきました。3つのカテゴリーが全部帰ってこなければ「解決」ではない。「全拉致被害者」ではない。

それがよく分かるのが、このパンフレットです。

第1は、2002年に北朝鮮が一方的に「死んだ」と言った8人です。横田めぐみさんや田口八重子さんが含まれていますが、8人の内誰にも死亡の証拠はないんです。3人はあって5人がないではなく、誰にも死亡の証拠がないんです。

例えば2ページの下には、交通事故記録とあります。田口さんと松木さんは交通事故で死んだと言っていますが、警察が作った書類の名前の所がホワイトで消してあるんです。そんなもので死亡の証拠にはできないじゃないですか。

死亡確認書も偽物でした。これは北朝鮮が偽物だと認めた。次のページでは、横田めぐみさんのことで嘘をついている。元夫が、横田家に送ってきた手紙では「93年に愛するめぐみを失った」と書いてあった。死亡診断書にもそう書いてある。しかし、帰ってきた被害者は94年までめぐみさんと一緒の地域で暮らしていた。夫が嘘をつくんです。

2つめのカテゴリーが6ページにあります。日本政府は17人認定しています。

北朝鮮は13人しか拉致をしていないと言っている。13人の内5人は返した。8人は死亡した、と。だから解決したと今も言っている。それは嘘です。

ここに日本政府が認定した4人の名前が出ています。曽我ミヨシさんは曽我ひとみさんのお母さんです。北朝鮮は拉致していないと言っています。しかし、曽我さんは近所のお店に夕飯の買い物に行って、お母さんと一緒に道を歩いていたら、3人の男と1人の女工作員に襲われたと証言しています。

北朝鮮は、曽我さんを拉致したのは下請業者だと言っています。そして曽我ひとみさんしか引き渡さなかったから、ミヨシさんは拉致していないと言っている。

曽我さんに聞くと、3人の男と1人の女に2人が襲われた。隠れ家に連れていかれて引き渡されたのではなく、そのまま船に乗せられて連れて行かれた。3人の男と1人の女も一緒に行った。その内、女は曽我さんの教育係になった。下請業者が入る余地はない。一緒に襲ったミヨシさんのことを説明する義務があるんです。他にも確実な証拠があるのがこの4人です。

3つ目のカテゴリーは、未認定の人たちです。今回私は吉見美保さんと一緒にニューヨークに行きましたが、日本政府は「認定の有無に関わらず全員を助ける」と言っています。政府主催の国際シンポジウムでは、未認定の人たちを代表した家族の人をいつも呼んでアピールしているわけです。

先ほど寺越家の家族が、政府未認定拉致被害者と言っていましたが、寺越事件も認定されていません。私たちは拉致が間違いないと思っているから家族会に入ってもらっているわけです。もっといるのは間違いないんです。

残念ながら私たちは正確な名簿を持っていない。しかし、「あなたは持っているんでしょう。一人でも残したらダメですよ」と。「この3つのカテゴリーの全員が帰ってくるまで、日本は制裁を緩めないし、支援もしない。国際社会も一緒に歩いていく。だからトランプ大統領があなたに拉致をいったでしょう」ということを、総理が今言える段階になった。条件なしに会うところまで来たんです。

そして「8人死亡」について考えてみる時に、なぜ生きている人を死亡と言ったのか。たくさんの秘密を知っていることを恐れているかもしれない。そのことについて2月にメッセージを出して、「秘密を聞くことはしない」と言ったんです。

しかし私たちは譲歩しているつもりはない。全拉致被害者、それも3つのカテゴリーの全員が帰ってこなければならない。一人でも日本人が残っていたら、解決じゃない。

そのことをみんなで確認して、何人かだけだとか、連絡事務所を作って再調査するとか、そんなことを言う人がいます。それではだめ。全拉致被害者の即時一括帰国、3つのカテゴリーが全部です。全部が帰ってきた時、私たちは国交正常化に反対しないと言っているわけです。

■圧力を背景にした強い談判以外に解決する方法はない

安倍総理に、その私たちの願いをポケットに入れて、金正恩と最後の談判をしてほしい。向こうがそれを受け入れるまで、絶対に支援をしてはならない、制裁を緩めてはならない。一部緩めるとか、食糧支援をするとか、そんなことは一切やってはならない。

圧力を背景にした強い談判以外に解決する方法はない。今圧力がかつてないほど高まることに成功している。大きな原動力はそこにある署名です。あれは圧力をかけてください、経済制裁をしてくださいという署名です。ここまで来ました。

だからこそ、何人か残してはならない。3つのカテゴリーの全員が一緒に帰ってこなければならない。

そのために不退転で、全力で、みんなで叫び続けようではありませんか。

ありがとうございました。

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.