もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(3)/安倍晋三編

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安倍晋三内閣総理大臣拉致問題対策本部長)

■長い年月をかけて集めた署名

国民大集会の開催に当たり、総理大臣として一言、ご挨拶を申し上げます。

今回、拉致問題の解決を求める1,300万筆を超える署名が私の左手に今展示されております。先ほどご紹介された通りでございます。本年は、家族会が結成されてから22年となります。ご家族そして関係者の皆様が、この22年という長い年月をかけて全国各地で集められた思いが積み重なり、この1,300万筆もの署名に至ったわけでございます。これはそう簡単なことではなかったと思います。雨の日もあれば風の日もあった。そして必ずしも当時はまだ十分な理解もない中でなんとか、子どもたちを、家族を取り戻したい、というご家族の思いでこれだけの署名を積み重ねることができたわけです。改めて政府として重く受け止めたいと思います。

2002年に5名の拉致被害者の方々が帰国されて以来16年以上もの間、1人の拉致被害者の帰国も実現できていません。拉致問題に当初から取り組んできた政治家の1人として、また日・朝首脳会談に官房副長官として同席した者として痛恨の極みであります。

トランプ大統領、テタテで拉致問題を取り上げる

ご家族もご高齢となる中、拉致問題の解決にはアメリカを始めとする国際社会と緊密に連携していくことが重要です。先月アメリカを訪問し(この集会は5月19日)、トランプ(Donald John Trump)大統領から2回目の米・朝首脳会談についてより詳しい説明を伺いました。

大統領は非常に真剣な顔つきで身を乗り出し、会談の雰囲気や金正恩キム・ジョンウン)委員長がどのような様子で話していたかを語ってくれました。大統領は、一番重要な初日の最初に行った一対一、いわゆるテタテ(差し向かい)の会談の場で貴重な時間を割いて金委員長に対し、拉致問題に関しての私の考え方を明確に伝えたとの説明がございました。

テタテの会談というのは、いわゆる一対一、通訳のみで行う会談で、機微な問題を扱う最も国益の懸かった重要な問題を扱う際に活用する重要な場であり、アメリカが拉致問題を非常に重視していることを金正恩委員長も理解したと思います。

その後の少人数の夕食会でも拉致問題を提起し、首脳間で真剣な議論が行われた次第であります。このことは大変有意義であったと認識しています。

私とトランプ大統領との間では、引き続き拉致問題の早期解決に向けて緊密に連携していくことを確認し、大統領からは「今後も全面的に協力する」という力強い言葉がありました。来週にはトランプ大統領国賓として来日します。今回の来日でも拉致被害者ご家族の皆様とお会いいただく予定で、改めてご家族の皆様の切なる思いを直接大統領に伝えていただきたいと思います。

■条件を付けず金正恩委員長と直接向き合う

その上で拉致問題の解決に向けては、わが国自身が主体的に取り組んでいかなければなりません。日・朝間における相互不信の殻を打ち破るためには、私自身が金委員長と直接向き合わなければならないとの決意です。条件を付けずに金正恩委員長と会って、直接に、率直に、虚心坦懐に話をしたいと考えています。

拉致問題安倍内閣の最重要課題です。本日この集会に先立ち、拉致被害者ご家族の皆様と昼食を共にしながら、改めてお話をする機会を設けました。皆様から本当に切実な思いを伺うことができました。残念ながら今日は、代表の飯塚さんも、体調のため出席することができませんし、早紀江さんのご主人の滋さんも今、病に伏せっておられます。有本さんの奥様もそうであります。なんとかお元気なときに、しっかりと自らの手で抱きしめることができる日がやって来るまで、私の使命は終わらない。その思いを改めて強くしたところでございます。

確かにこの問題というのは今日まで解決できなかった問題であり、そう簡単なことではありませんし、まだ残念ながら日・朝首脳会談が行われるということについては、めども立っていないのは事実でございます。しかし大切なことは、拉致問題の解決のために日本国民が一致団結して、全ての拉致被害者の一日も早い帰国の実現への強い意志を示していくことが大切であります。その声こそが国際社会を動かし、そして北朝鮮を動かしていくことにつながっていくと思います。

私もまた皆様と心を一つにしながら、拉致問題解決に向けてあらゆるチャンスを逃さず、果断に行動していくことをお誓い申し上げまして、私のご挨拶とさせていただきたいと思います。

皆様一緒に頑張ってまいりましょう。

ありがとうございました。

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.