もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(19)/松原 仁編

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(令和元年9月16日)

松原 仁(拉致議連幹事長、元拉致問題担当大臣衆議院議員

《解決には圧力と怒りが大事》

■解決には圧力と怒りだ!

皆様、お疲れ様でした。

今色々な議論がありました。私は決議文を読む前に二つのことを申しあげたいと思います。

櫻井さんからもお話があったように、この問題の解決には圧力と怒りが大事だと思っています。圧力というのは今から17年前に、5人の拉致被害者が帰ってきた時、あの環境はブッシュ政権によって、北朝鮮は「悪の枢軸」と呼ばれ、北朝鮮側が政府高官を初め大変恐怖を感じていた。

恐怖を感じるような圧力を北朝鮮のトップに与えなければ、この問題の解決は原則的には進まないと思っています。北朝鮮が調子に乗って、何発もミサイルを発射している状況は許しがたい。これに対し、圧力で彼らに畏怖の念を持たせなければ、この問題の解決はできません。仲良くなって解決できるような問題ではないと皆様に明確に申し上げたい。

もう1点は、怒りです。私は怒りが十分に北朝鮮側に伝わっているとはまだ思っていません。政府側が極めて慎重に事を運ぶのは当たり前です。私の立場から勝手なことを言わせてもらうならば、ストックホルム合意のようなものは、とっくに破棄されねばならないような内容です。そのようなものが残っていて、日本人が怒っているということは、北朝鮮には簡単に伝わらないと思います。その上で決議案を読みます。

◆決議案採択

決議案

本日、私たちは今年2回目の「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ! 国民大集会」を開催した。北朝鮮はいまだに多くの拉致被害者を抑留し続けながら人権を蹂躙し、国際社会が求める核・ミサイルを放棄せずに、短距離ミサイルやロケット砲を発射しながら開き直っている。この間も、彼の地で救いを待っている多くの同胞の苦しい日々が続いた。日本で愛する肉親の帰りを待つ家族の苦しみも続いている。私たちは、心からの悔しさと怒りに震える思いだ。

5月の国民大集会でも確認したが、拉致被害者救出運動がチャンスを迎えていることは変わりがない。北朝鮮の政策を変えさせるには強い圧力を背景にした交渉しかない。私たちはいま、北朝鮮が核・ミサイルを全面廃棄し、全ての拉致被害者を返すまで圧力をかけ続けるという国際的枠組みを、この間の必死の努力で手にしている。これこそ私たちの運動の大きな成果だ。

圧力は効果を上げ、北朝鮮は米国との首脳会談の場に出てきた。米朝首脳会談で日本人拉致が取り上げられ、核・ミサイル廃棄を要求する場で拉致被害者全員帰国を同時に要求するという戦略は成功しつつある。米朝協議と相まって安倍首相が拉致問題解決のために繰り返し提案している日朝首脳会談も連動して実現に

向かうことが強く期待される。

家族会・救う会は今年2月、「全拉致被害者の即時一括帰国が実現するのであれば、私たちには国交正常化に反対する意志はない」とする金正恩委員長宛のメッセージを公表した。この立場には全く変化がない。政府はすべての手段を動員して、なんとしても全拉致被害者の即時一括帰国を実現させてほしい。

以下、決議する。

1.北朝鮮は、全拉致被害者の即時一括帰国をすぐに決断せよ。

2.政府は、国民が切望する全拉致被害者の即時一括帰国を早急に実現せよ。

令和元年9月16日

「全拉致被害者の即時一括帰国を実現せよ! 国民大集会」参加者一同

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

[松原議員が拉致問題担当大臣在任中、生存情報に接した事案]

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原議員が拉致問題担当大臣在任中、生存情報に接した事案]

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》

◆氏名:大澤 孝司

(おおさわたかし)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日

◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:新潟県佐渡市の独身寮

◆当時の身分:新潟県佐渡市の県農地事務所勤務。それ以前は小出(現・魚沼市)の農地事務所に勤務

◆身長:172cm

◆体重:65kg~67kg

◆特徴:

1)中肉中背

2)頭の上の左側に丸い3くらいの交通事故時の禿があり、髪の毛で隠していた

3)近視・色弱

4)垂れた髪を手で上げて、終わると頭をゆする癖

5)煙草を1日20~30本吸う

6)新潟弁を喋る

7)趣味はカメラと猟銃

◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。

当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。

失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。

以前勤務していた小出の事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。

元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。

北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。

平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

■大澤孝司さんと再会を果たす会HP

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP

http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.