もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】新型コロナウイルス編[北朝鮮感染症]/FNN

f:id:Hanzoandmozu:20201227204427j:plain

新型コロナウイルスに打ち勝って、安心安全に拉致被害者を迎えよう!-

《ウイルスじゃなくて、拉致被害者を返せ!「北朝鮮は“感染症の博物館”だ」脱北した感染症医師が語る北朝鮮のコロナ対策》

新型コロナウイルスの感染者はゼロと言い続けてきた北朝鮮が7月下旬、初となる「感染疑い例」が発生したと発表した。その疑い例となったのは、3年前に韓国に脱北し、7月19日に再び北朝鮮に戻ったとされる20代の男性だ。

金正恩キム・ジョンウン)委員長は7月25日に緊急会議を開き、感染疑いが発生した韓国との境界に近い開城市を完全に封鎖するという大ナタを振るった。初の感染者発生かと注目を集めたが、北朝鮮はその後も「感染者はいない」と従来からの主張を繰り返していた。そして、約3週間後の8月14日、北朝鮮メディアは「専門防疫機関の科学的検証と担保」に従って開城の封鎖解除したと報じたが、依然として感染実態が見えない。

北朝鮮で、今何が起きているのか。北朝鮮感染症対策の医師として働き、9年前に韓国に脱北したチェ・ジョンフン医師に話を聞いた。

北朝鮮は「感染症の博物館」「ソーシャルディスタンスは得意技」!?

北朝鮮感染症対策医師として働いていたという チェ・ジョンフン氏

ーー朝鮮で医師として働いていたころ、どんな感染症があったのか。

チェ医師:「一言でいうと、北朝鮮は『感染症の博物館』のようなものだ。私が知るだけでも、腸チフス、パラチフスコレラ、はしか…北朝鮮に存在しない感染症はないと言ってもいい。体制維持が重要視される北では、感染拡大防止策の基本となる周辺住民への情報公開ですら当局に禁止された。さらに、当時北朝鮮には正確な診断ができる設備も技術もなく、至る所で多くの病気が地域病として定着していた」

ーー感染症が発生した際、北朝鮮ではどのような対策が取られるのか。

チェ医師:「今回の新型コロナウイルスの対策と同様、都市封鎖・通行制限といった対応をとる。北朝鮮が打ち出せるのは、こういった当局による接触の統制だけだ。逆に言うと、これまで幾度にわたってこのような対策は取ってきたからこそ、都市封鎖を始めとしたソーシャルディスタンスは、北朝鮮の『得意技』と言えるだろう」

ーー北朝鮮の医療体制は新型コロナウイルスに対応できるのか。

チェ医師:「新型コロナウイルスが世界的に流行し始めた当初、ウイルスの消毒法として用いられたのが、ヨモギを燃やし部屋を消毒するというものだった。こんないつの時代かわからないような方法を、当局がメディアを通じて勧める。北朝鮮の医療がいかに科学的ではなく、劣悪かわかるだろう」

北朝鮮が中・朝境界を遮断したのは2020年1月22日。世界で最初に新型コロナウイルスの感染が拡大した“震源地”である中国・武漢市の封鎖が翌日の23日だったことを考えると異例の早さと言える。国際社会からの経済制裁が続いている状態で、対外貿易の9割を占めていた中国との境界封鎖に踏み切ったのだ。

経済へ与える影響が計り知れないことは容易に想像がつく中で封鎖を断行したのは、劣悪な医療環境が背景にあるとチェ医師は話す。一方で、ソーシャルディスタンスが「得意技」というのは、監視社会である北朝鮮の皮肉な副産物だ。

■薬やガーゼも患者が用意…破綻した無償医療

ーーそもそも北朝鮮における医療制度とは

チェ医師:「社会主義北朝鮮において、保険医療制度の理念として掲げられているのが『無償医療』だ。その名の通り、病院に行くことは自由だ。しかし、適切な診断・治療が受けられるかというと、そうではない。医療設備の老朽化に加え、水道・電気といったインフラの整備ですら追いついていないし、肝心の薬が病院にない。人道支援目的で国際社会から入ってくる薬でさえ、裏ルートで市場に流れ販売される。一般住民に行きわたるべき薬が、金儲けの道具として利用されているのだ。住民たちは薬を自分で買い、病院に行く。さらに、ガーゼや消毒用アルコールなどの治療に必要なもの、手術室を温めるための燃料、さらには治療にかかわる医療スタッフの食事といった、治療には直接関係ないものまで準備しなければ病院で満足に治療を受けられないというのが一般的だ。財力がなくその日暮らしで精いっぱいの住民が、治療を受けられずに亡くなってしまう姿を私は数多く見てきた。社会主義の完璧さを常に主張しているにも関わらず、やっていることは資本主義そのものだ」

医療制度が崩壊している現状は、他の脱北者を取材したときにも耳にした。

8年前に脱北したというスヨンさん(仮名)。

現在は韓国の大学に通っていて、脱北者が出演する韓国のテレビ番組に出演した事もある。彼女は中国との境界近くの田舎町出身なのだが、病院に医者は常駐しておらず、診察・治療を受けることは容易ではなかったという。さらに、病院に薬がないのはもちろん、マスクですら韓国に来るまで見たことがなかったというのだ。

この医療崩壊のきっかけは、経済状況の悪化と食糧難だ。1970年代以降、北朝鮮の主要な貿易相手国は、旧ソ連や東ヨーロッパの社会主義国だったが、1991年に旧ソ連が崩壊すると対外ルートが断絶され、医療設備や薬が十分に入ってこない状態に陥った。さらに1995年の大水害が追い打ちをかけた。餓死者が最大で300万人にも上るとされる大飢饉に見舞われ、北朝鮮ではこの時期を「苦難の行軍」と称している。

当時北朝鮮にいた脱北者によると、支給される給料が減り生活に困るようになった医師たちは、自宅で診療所を開き個人的に診療を行うようになった。金銭的に余裕がない住民は、医師資格をもたない人間による治療を頼らざるを得なくなり、漢方などを利用した治療を受けたり、先祖代々伝わる民間療法で病気やけがを治そうとした結果、死亡する例も多かったという。

■染者ゼロではない…越北者で韓国に責任転嫁?

ーー北朝鮮での新型コロナの感染状況をどう見るか

チェ医師:「北朝鮮が主張し続けている“感染者ゼロ”という状況は考えづらい。感染症を巡って、北朝鮮が感染者の情報を明らかにした事はこれまでない。その理由は、対外的イメージを保つことだけでなく、病気が蔓延していることを住民たちに隠し、内部結束を図ろうとする面もある。実際北朝鮮が考えていることは、『平壌で感染を蔓延させないこと』のみだ。だからすぐ都市封鎖に踏み切る。平壌にだけ最新設備を置いて活用する。設備が地方には1台も行き渡っていないことは容易に想像がつく。今回、初の感染疑い例として報じられた韓国からの越北者だが、彼はいわゆる宣伝に利用されたのだろう。脱北するとこうなるのだと内部に知らしめて新たな脱北を抑止し、韓国が北朝鮮の防疫闘争を邪魔したとして、責任を転嫁する。これまでの北朝鮮の常とう手段だ」

韓国政府は北朝鮮に渡った元脱北者の男性の濃厚接触者や立ち回り先などを対象にPCR検査したが、感染者は1人もいなかった。WHOによると、北朝鮮はこの男性の関係者3,000人以上を隔離しているという。

北朝鮮は開城の封鎖解除を発表したが、男性が本当に感染していたのか、感染を疑わせる症状があったのか、今も定かではない。

(執筆/FNNソウル支局 熱海吉和)

(8月14日)

厚生労働省HP-新型コロナウイルス感染症について-

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

■「病院で働く人に捧ぐ歌!」byBORO

https://youtu.be/siGCm08bfgM

■『病院で働く人に捧ぐ歌!』ミュージアムFacebook

https://facebook.com/groups/261119665333231?src=email_notif

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

■荒木和博BLOG

http://araki.way-nifty.com/araki/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

Susumu Fujita)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《特定失踪者・藤田 慎さんについて》

※藤田 進さん・隆司さん兄弟の叔父

◆氏名:藤田 慎

(ふじたしん)

(Shin Fujita)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年

◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:東京都大田区蒲田

◆当時の身分:三菱重工業石川島播磨重工業のどちらかに勤務

◆身長:165cmくらい

◆体重:65kg〜70kg

◆特徴:

1)柔道をやっていてがっしりした体格

2)川に潜って魚獲りをするのが好きだった

3)長兄(藤田 進さんの父)と顔が似ている

◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)

【失踪状況】

長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。

次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。

また、弟にお金を借りに来る。

その後音信不通。

失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。

字体は達筆(本人の字体に似ていた)。

差出人の名前がなかった。

消印は世田谷だったようである。

昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

《特定失踪者・古川了子さんについて》

◆氏名:古川 了子

(ふるかわのりこ)

(Noriko Furukawa)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日

◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:千葉県市原市菊間

◆当時の身分:三井造船社員(経理

◆身長:157cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。

2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。

3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。

4)左眉に途切れたような傷がある。

◆失踪場所:千葉県市原市の自宅を出てから

【失踪状況】

当日は土曜日で会社が休みだったので、午前中に美容院に行って午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。

午前中、了子さんは母親が知らない間に家を出ていたが、美容院に了子さんから電話で「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができたので母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。

母親は美容院の人から電話を貰い、友達にでも会うことになったのだろうと気にはしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。

7月に初めて貰ったボーナスは手付かずだし預金通帳も置いたまま。

持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。

その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。

北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。

平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。

平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

救う会千葉ブログ

http://sukuukaichiba.blog.fc2.com/

■古川了子さんを救う会HP

http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

《特定失踪者・関谷俊子さんについて》

◆氏名:関谷 俊子

(せきやとしこ)

(Toshiko Sekiya)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市徳氏

◆当時の身分:薬品会社勤務。定時制高校在学中

◆身長:160cm

◆体重:50kgくらい

◆血液型:A型またはO型

◆特徴:

1)痩せ型

2)ソフトボールをやっていて、実業団に入るのを勧められた

3)スポーツは得意

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

親類の峰島英雄さんと幼馴染の同級生・遠山常子さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。

古川事件の1年後の同じ7月の失踪。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・遠山常子さんについて》

◆氏名:遠山 常子

(とおやまつねこ)

(Tsuneko To'yama)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年6月22日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市田淵

◆当時の身分:県立高校学生(夜間部)

◆当時の勤務先:千葉市内のスーパーマーケット

◆身長:158cm~160cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中肉中背で、関谷俊子さんより背がやや低い2)ポッチャリしていた

3)左右どちらかは不明だが眉の上にホクロの切除痕有り

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

幼馴染の同級生・関谷俊子さんとその親類の峰島英雄さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・峰島英雄さんについて》

◆氏名:峰島 英雄

(みねしまひでお)

(Hideo Mineshima)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和27(1952)年9月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:千葉市稲毛区)轟町

◆当時の身分:千葉市内の電話工事会社社員(下請け)

◆身長:170cm

◆血液型:B型またはO型

◆特徴:

1)ガッチリした体型

2)少し空手を習っていた

3)飲酒・喫煙をする

4)軽装

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

当日夜、遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、英雄さんの兄が店長を務め妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。

数時間店に滞在。英雄さんが「二人を車で家に送ってくる。おなかも空いたので、戻ってくるからおにぎりを作っておいてくれ」と言って店を出たが戻って来なかった。

その後三人からの連絡は一切無し。

車(赤いマーク2)も発見されていない。

失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。

失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.