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【みんな生きている】ドン・チョルキム編[北朝鮮拷問証言]/FNN

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!ドン・チョルキム博士のインタビュー》

(以下は、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のブログから転載)

以下は一昨年6月韓国の新聞に載ったドンチョル・キム博士のインタビュー記事です。キム博士から「日本の皆さんに紹介してもらいたい」とのことで、翻訳しました。保衛部取調室の拷問や強制労働収容所での生活など生々しい話ですが、オットー・ワームビア(Otto Warmbier)氏の目撃証言もあります。ぜひ御一読下さい。

■金東哲博士「水拷問で失神したワームビア氏目撃…サッカンモルで生物化学兵器も開発」(論説委員パワーインタビュー 2019年6月5日付東亜日報WEB版)

「2015年10月羅先特区で逮捕され11月平壌に押送された後保衛部で調査を受けた時でした。2016年初めに壮健な米国人青年が調査を受けるのを目撃しました。私が取調室で調査を受け戻るとき他の取調室から英語で声を張り上げるのが聞こえました。ときには悲鳴に近い声がしていました」

昨年(2018年)6月ドナルド・トランプ(Donald John Trump)米大統領金正恩キム・ジョンウン北朝鮮国務委員長のシンガポール頂上会談を前にして北朝鮮が釈放した韓国出身米国市民権者、金東哲(キム・ドンチョル)博士を先週インタビューした。金博士は北朝鮮に抑留されているとき米国大学生オットー・ワームビア氏が水拷問を受けていると推定される状況を目撃したと語った。金博士は北朝鮮経験談を込めた本『境界人(Border Rider)』を6月に上梓する。

「ある日廊下でその米国人青年が、頭と顔がびっしょり濡れて捜査官たちに支えられ、取調室からずるずると引きずられていきました。ほとんど失神状態で頭がうなだれていました。私も水拷問を受けたことがあるのでその青年もどんな調査を受けたのか直ぐにわかりました」

金博士は

平壌での調査で受けた拷問の中でも最も耐えがたかったのが水拷問だった。取調室の中の水で満たされた浴槽の前に後ろ手に縛られたまま膝をつかされて頭を浴槽の中に押しつけられれば1分耐えるのも難しかった」

と語った。

金博士は水拷問で気力が尽き果て廊下を歩いていて2度も失神したときがあったと語った。

金博士はワームビア氏が羊角島国際ホテルで宣伝スローガンが書かれたポスター1枚を剥がしてきた罪(国家財産窃取罪)と金正日キム・ジョンイル)の顔が描かれたポスターをくるくる巻いた権威毀損罪を合わせて強制労働教化刑15年を宣告されたことを釈放された後に知った。米国の名門州立大学であるバージニア大学の学生だったワームビア氏は、北朝鮮旅行中抑留されて15年の刑を宣告された。後に解放され米国に戻ったが6日後に死亡した。

北朝鮮、治療費名目で1億ウォン余り奪い取る

金博士はワームビア氏を釈放するとき、北朝鮮が治療費名目で200万ドルを要求したという話を聞いて十分にあり得ることだと語った。

金博士は

北朝鮮当局は病院費と治療費名目で私の妻から70万人民元(約1億2000万ウォン。日本円で約1,200万円)を奪い取った」

と言った。

金博士は羅先特区に豆満江ホテルを建て運営するなど17年対北事業をし、北朝鮮当局に逮捕されて国家転覆罪などで10年の刑を宣告され服役し、昨年5月9日解放された。

金博士は前現職軍人や専門家を秘密情報員として活用し核とミサイル関連の敏感な情報を収集したが、その動機について著書『境界人』で

「人権死角地帯で閉鎖された北朝鮮住民の奴隷に近い悲惨な生活の解放に一助となるため、外部世界に真実の実像を伝達したかった」

と語った。

彼は

北朝鮮事業を本格的に始めて10年ほど経ったとき、韓国と米国の情報機関が協力を要請してきた。秘密諜報員になる危険負担もあったが拒絶しなかったのはそんな所信のためだった」

と主張した。

北朝鮮のサッカンモルで生物化学兵器開発

金博士は北朝鮮が2017年11月大陸間弾道ミサイルICBM)「火星15型」を発射した平安南道平城近くには核開発関連地下研究所があり、ミサイル基地として知られた黄海北道黄州郡サッカンモルには生物化学兵器等非対称兵器も開発していると語った。

2007年10月、平壌で会った核化学者(金策工業大学で核物理学の教授職を務め退職)が、自分が平城近隣の地下研究所で核物質製造過程を幾何学的に研究する仕事を10年余りしてきたと語ったとのこと。この科学者は核製造とミサイル開発に必須物質であり旧ソ連を示す「CCCP」と鮮明に書かれた純度99.9999%の四角い亜鉛の固まりももってきたが、この亜鉛塊は金博士が購入して保管しているという。

サッカンモルは2016年3月北朝鮮が短距離ミサイルを試験発射したところだ。金博士が平壌で会ったサッカンモルの研究所の警備部隊軍人は「サッカンモルで非対称兵器が準備されている」と語った。サッカンモルがミサイル発射基地にとどまらず非対称兵器が準備されており北韓全域にある防空壕の中には非対称兵器を開発するための施設と設備があるところもあると主張した。平壌付近にも名称は化学工場、肥料工場だがVXやサリンガスのような猛毒性化学兵器炭疽菌のような生物兵器が作られているという情報に接したという。

◆強制労働教化所生活

金博士は北朝鮮最高裁判所で10年の刑を宣告され平壌外郭の山岳地帯の強制労働教化所で服役した。午前8時から午後6時まで土の掘削など各種労働をし、1日3度の食事はすえた臭いのする褐色の飯としょっぱい味噌汁、塩漬けの大根、干した大根3きれが全てという生活が収容期間中一度も変わったことがなかったという。

飢えをしのぐため野外作業をするとき木の実はもちろん生のジャガイモも隠れて食べて何度か下痢をした。セミの幼虫も生きたままで捕まえて食べたという。急斜面で作業をしていて親指が折れて自由に伸ばせないと言ってインタビューの途中曲がっている部分を見せてくれた。

彼は地獄のような生活で死にたくなるたびに聞こえてくる神様の声は「虫よ、虫よ」だったという。虫のようなものであって生きて命をつなぎなさいという言葉に聞こえたと言い。雨が激しく降る日の夜監視人が聞けないときに声を出して泣いたと語った。

金博士は2017年の夏平壌人民文化宮殿でジョセフ・ユン米国務省対北政策特別代表に会ったことが収監中最初で最後の面会だったと語った。ジョセフ・ユン代表は社会保障カード番号などを通して金博士が米国市民権者であることを確認し、どのような犯罪で逮捕されて裁判を受けたのか、量刑、どこで収監生活をしているのか、どんな待遇を受けているのかなどを聞いた。

釈放当日、金博士は突然服を持って出た後、平壌人民文化宮殿で反省文1枚を書いて最高裁判所判事から釈放命令を受けてやっと解放されることを知った。平壌順安空港で搭乗した米国国務長官専用機で会った中央情報局(CIA)コリアミッションセンターのアンドルー・キム・センター長はこの間米当局がいかに多くの水面下の接触を為てきたか教えてくれた。キム・センター長は金博士が北朝鮮権力の恥部と各種軍事情報を知りすぎているため北朝鮮当局が釈放を強硬に拒否したと伝えた。ワシントンのアンドルーズ空軍基地に到着した後、機内にメラニア女史とともに入ってきたトランプ大統領は「あなたは米国の英雄だ。海外にいる国民の保護よりも優先すべきことはない」と言ったという。

金博士は最初の予審では死刑判決を受けたが最高裁判所で10年に減刑されたのは奇跡のようだったとし、逮捕されるまで10年余り北朝鮮で多くの奉仕活動をし、特に羅先市外資誘致委員長として中国資本の誘致実績があった点、金正日国防委員長から受けた3回の表彰、そして米国の国籍者であるという特殊状況などが考慮されたようだと語った。

金博士は自らが南北韓と米国、中国を往来したことを念頭に置いて本の題目を『境界人』としたと語り、

「どこでも認められない境界人は常に孤独だ。単発性と使い捨て人生で消耗されうるという事実が本当にわびしい」

と語った。

(具ジャリョン論説委員・荒木訳)

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

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■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

Susumu Fujita)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《特定失踪者・藤田 慎さんについて》

※藤田 進さん・隆司さん兄弟の叔父

◆氏名:藤田 慎

(ふじたしん)

(Shin Fujita)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年

◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:東京都大田区蒲田

◆当時の身分:三菱重工業石川島播磨重工業のどちらかに勤務

◆身長:165cmくらい

◆体重:65kg〜70kg

◆特徴:

1)柔道をやっていてがっしりした体格

2)川に潜って魚獲りをするのが好きだった

3)長兄(藤田 進さんの父)と顔が似ている

◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)

【失踪状況】

長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。

次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。

また、弟にお金を借りに来る。

その後音信不通。

失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。

字体は達筆(本人の字体に似ていた)。

差出人の名前がなかった。

消印は世田谷だったようである。

昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

《特定失踪者・古川了子さんについて》

◆氏名:古川 了子

(ふるかわのりこ)

(Noriko Furukawa)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日

◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:千葉県市原市菊間

◆当時の身分:三井造船社員(経理

◆身長:157cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。

2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。

3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。

4)左眉に途切れたような傷がある。

◆失踪場所:千葉県市原市の自宅を出てから

【失踪状況】

当日は土曜日で会社が休みだったので、午前中に美容院に行って午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。

午前中、了子さんは母親が知らない間に家を出ていたが、美容院に了子さんから電話で「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができたので母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。

母親は美容院の人から電話を貰い、友達にでも会うことになったのだろうと気にはしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。

7月に初めて貰ったボーナスは手付かずだし預金通帳も置いたまま。

持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。

その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。

北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。

平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。

平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

救う会千葉ブログ

http://sukuukaichiba.blog.fc2.com/

■古川了子さんを救う会HP

http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

■古川了子さんの姉・竹下珠路さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第28回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=ATXuHCD6BCI

《特定失踪者・関谷俊子さんについて》

◆氏名:関谷 俊子

(せきやとしこ)

(Toshiko Sekiya)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市徳氏

◆当時の身分:薬品会社(千葉薬品)勤務。定時制高校在学中

◆身長:160cm

◆体重:50kgくらい

◆血液型:A型またはO型

◆特徴:

1)痩せ型

2)ソフトボールをやっていて、実業団に入るのを勧められた

3)スポーツは得意

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

親類の峰島英雄さんと幼馴染の同級生・遠山常子さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。

古川事件の1年後の同じ7月の失踪。

千葉県警HP

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救う会千葉HP

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■関谷俊子さんの姉・栄子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第46回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=6AJQzmF0voo

《特定失踪者・遠山常子さんについて》

◆氏名:遠山 常子

(とおやまつねこ)

(Tsuneko To'yama)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年6月22日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市田淵

◆当時の身分:県立高校学生(夜間部)

◆当時の勤務先:千葉市内のスーパーマーケット

◆身長:158cm~160cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中肉中背で、関谷俊子さんより背がやや低い2)ポッチャリしていた

3)左右どちらかは不明だが眉の上にホクロの切除痕有り

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

幼馴染の同級生・関谷俊子さんとその親類の峰島英雄さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

■遠山常子さんの姉・正子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第46回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=6AJQzmF0voo

《特定失踪者・峰島英雄さんについて》

◆氏名:峰島 英雄

(みねしまひでお)

(Hideo Mineshima)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和27(1952)年9月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:千葉市稲毛区)轟町

◆当時の身分:千葉市内の電話工事会社社員(下請け)

◆身長:170cm

◆血液型:B型またはO型

◆特徴:

1)ガッチリした体型

2)少し空手を習っていた

3)飲酒・喫煙をする

4)軽装

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

当日夜、遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、英雄さんの兄が店長を務め妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。

数時間店に滞在。英雄さんが「二人を車で家に送ってくる。おなかも空いたので、戻ってくるからおにぎりを作っておいてくれ」と言って店を出たが戻って来なかった。

その後三人からの連絡は一切無し。

車(赤いマーク2)も発見されていない。

失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。

失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

千葉県警HP

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救う会千葉HP

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◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.