もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】[大鰐温泉もやし]/RAB

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(2020年)

-もやしバクバク食って、新型コロナウイルスをやっつけろ!-

平安時代は「毛也之」だった!?【特集】コロナ不況で「もやし」の売り上げ好調 実は栄養豊富 その“知られざる魅力“を兵庫・青森で取材》

■景気が悪くなるともやしの売り上げが伸びる?

コロナ禍で家庭での「もやし」の消費が伸びています。

家計調査によりますと、今年4月と5月の消費額は去年のおよそ1.3倍。6月以降も好調な売り上げが続いています。

第一生命経済研究所の藤代宏一さんによると、景気ともやしの売り上げは反比例していて、景気が悪くなると、人々の節約志向が強まり値段の安いもやしの売り上げが伸びるといいます。実際、2008年のリーマンショックではもやしがよく売れ、コロナ禍の今、再び注目されているのです。

しかし、ただ安いだけとあなどるなかれ。最近は、もやし料理を集めたレシピ本に、本格的なもやし料理が簡単に作れる調味料、さらにはもやしが主役の鍋料理のつゆまで登場し、食卓で存在感を増しています。

実は疲労回復に効果がある栄養素も豊富。さらに、青森のある町でしか作られていない“幻のもやし”を発見。いま注目が集まる「もやし」の知られざる魅力を解明します。

■もやしは栄養満点!実は疲労回復に効果あり!?

そもそも、もやしとは、豆を水に浸して発芽させたもので、大きく3種類にわけられます。

日本に流通しているもやしの9割を占めているのが、緑豆からできる「緑豆もやし」。「細もやし」とも呼ばれる黒豆もやしはブラックマッペという小豆の一種から、そして「豆もやし」は大豆からできる品種です。

「もやしっ子」などと言われますが、実は栄養価の高い食品。1日に約15万パックのもやしを生産している兵庫県三木市のもやしメーカー大手「サラダコスモ」営業部の岩渕和彦さんによると、

「もやしは、種の段階では無かった栄養分が、発芽することでもやしの中で作られます。あまり栄養はないと思われがちですが、疲労回復に効果があるビタミンCやアスパラギン酸といった成分が含まれています」

(サラダコスモ営業部・岩渕和彦さん)

事実、野菜100グラムに含まれるアスパラギン酸の含有量は、れんこん680ミリグラム、たけのこ670ミリグラム、アスパラが430ミリグラムなのに対して、豆もやしは890ミリグラムと、豊富に含まれています。(『七訂日本食品標準成分表』より)

ちなみに、ビタミンCは水に溶けやすいため、茹でるよりも電子レンジで調理する方が、おすすめ。

■成長過程で自ら発熱 40度以上に

「もやしは日の光の当たらない工場の中の施設で育てています」

(岩渕和彦さん)

真っ暗な部屋に、人間の背丈ほどある巨大な箱がびっしりと並べられ、箱の底には発芽して3日目だという豆から芽が少し出た状態のもやしが敷き詰められています。8日も経てば、普段、私たちが目にする姿に成長し、芽が出て8日から10日、箱の高さを越えるぐらいまで成長したら収穫のタイミング。一箱分の重量はおよそ1トン。袋にして5,000パック分にもなります。

「もやしは成長するときに熱を出します。水をかけないとそのまま40℃以上にまで熱が上がっていきますので、そうするともやしは自分の熱で死んでしまいます」

(岩渕和彦さん)

そのため、もやしが自分の熱で傷まないよう、1日に4回から6回水をかけて冷ます必要があります。もやしは袋の中でも成長を続け、熱などを出しているため、冷蔵庫のチルド室で保存すると冬眠状態になり、より鮮度を保つことができるそうです。

■1袋20円 もやしはなぜ安い?

栄養満点でボリュームたっぷり。しかも値段は1袋20円代からと、とてもリーズナブル。安さの理由を岩渕さんに伺うと、

「天候に左右されない工場の中でつくることで、1年間を通して安定的に生産できることが一つの理由です。それに加えて、できるだけ機械化することで人件費を抑えています」

(岩渕和彦さん)

さらに、値段が安定している理由として、他の野菜の値段が上がるともやしの売れ行きがよくなるため、「サラダコスモ」では野菜の相場や台風の状況などを常にチェックし、生産量を決めているのです。

■売れても利益少ないもやし 儲けのカラクリは?

「もやしの売上は伸びてはいますが、原料の値段が上がったり、色々なコストの上昇で利益というのはもやしだけでは、なかなか確保できていない現状があります」

(岩渕和彦さん)

しかし、安さが売りのもやしはそう簡単に値上げすることもできず、もやしの生産者は次々に廃業し、ここ10年間で半分ほどにまで減っているんです。

この状況を打開すべく、もやしメーカーのサラダコスモでは、6年前から、もやしに他の野菜を加えた“カット野菜”の生産も開始し、利益を上げています。また、パッケージに、これまで注目されなかった栄養価を表示するなど、付加価値をつける工夫を続けているのです。

■食卓への「もやし」普及 きっかけは「味噌ラーメン」

いまや食卓には欠かせないもやしですが、日本で広まったのは昭和40年代から。

もやし生産者協会の林 正二理事長によると、平安時代に書かれた日本で最も古い薬草の本「本草和名」に「毛也之(もやし)」として紹介されており、薬用として栽培されていたといいます。

明治に入ると横浜や大阪、神戸など、港のある大都市に「もやし」の栽培業者が現れ、戦後、各地で盛んにつくられるようになりました。

そして、食卓に普及する転機となったのが昭和40年代の「味噌ラーメンブーム」。

「昭和40年代、50年代はラーメン屋さんに納めるもやしの量がすごかったですね。それまでは中華料理の食材の一部としてしか使っていなかったもやしをラーメンの上に山ほどのせる。家庭で食べる。そうして、食べ方の新しい展開が一つできたと言えます。」

(もやし生産者協会・林 正二理事長)

■一束300円 青森で約400年作り継がれる“幻の高級もやし”

のどかな温泉地で知られる青森県大鰐町(おおわにまち)で育てられているのが、この地で400年近く作られてきた津軽伝統野菜の一つ、「大鰐温泉もやし」です。

晩秋から冬にかけて旬を迎え、シャキシャキとした歯ごたえと香りの良さで、1束300円と、普通のもやしの10倍の値が付く高級食材。店頭に並ぶと瞬く間に売り切れ、県外はおろか地元でもなかなか手に入らない“幻のもやし”です。

特徴的なのは、その長さで、豆から伸びた芽は約40センチにまで成長し、普通のもやしの5倍にあたります。さらに、もやしは工場での水耕栽培が一般的ですが、「大鰐温泉もやし」はその名の通り、温泉水だけを使って土耕栽培されています。

生産者の八木橋 順さんを訪ねると、薄暗いビニルハウスの中で、大鰐温泉もやしは育てられていました。ひと一人が入れるほどの幅に掘られた溝に、黄金色に輝く「大鰐温泉もやし」がびっしりと生えそろっています。

「温泉の地熱を上げて栽培しているので、土の中は常に30℃よりちょっと下ぐらいをキープしています」

(生産者・八木橋 順さん)

土を暖めるだけではなく、収穫後に土を落とすのにも温泉水を使うなど、まさに温泉づくし。

さらに、「大鰐温泉もやし」の豆は「子八豆(こはちまめ)」という品種で、こちらもこの地でしか栽培されていない門外不出の豆。大鰐温泉と子八豆、どちらが欠けても、この長さには育たないのだそうです。

バブル崩壊で財政難 “幻のもやし”が瀕死の町を救う

大鰐温泉もやしが町の特産品へと生まれ変わった背景には、大鰐町が抱えた厳しい事情がありました。

雪が多い大鰐町はスキーの町として知られ、バブル期にはスキー場を中心としたリゾート開発が進められましたが、バブルの崩壊でリゾート施設は閉鎖。町は財政破綻寸前まで追い込まれます。

そこで目をつけたのが「大鰐温泉もやし」でした。「プロジェクトおおわに事業協同組合」の相馬康穫さんによると、

「地元では、かなり昔から有名でしたが、全国的にはまだ知られていなかったので、これをどんどん販路開拓して、町を活性化させたいと考えました」

(相馬康穫さん)

重視したのは、もやしでは珍しい“ブランド化”。認知度を上げるため、生産量の3割を町の外に売り出し、残りの7割は地元で売るルールを作りました。

「人気になればなるほど、ここへ来て食べて頂きたいじゃないですか。なので7対3という数字で考えました」

(相馬康穫さん)

こうして、「この町に来ないと食べられない」 “幻のもやし”を作り上げていったのです。同時に、深刻だった後継者不足の解決にも着手。少しずつ販売価格を上げ、農家の収益を増やし“食べていける農業”に進化させたことで、「大鰐温泉もやし」は全国からお客さんが買いに来る“ブランドもやし”になったのです。

子どもたちの教育にも活用され、毎年、地元の小学生が授業の一環として東京で販売し、地元のもやしが東京で売れることで、町の良さや愛着を再認識することに繋がっているといいます。

栄養豊富で、家計を潤し、町を潤す“救世主”。もやしの魅力が再認識されつつある今、料理の「脇役」と呼ばれる日が終わりを迎えるのも、そう遠くないかもしれません。

(1月6日)

厚生労働省HP-新型コロナウイルス感染症について-

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

■「病院で働く人に捧ぐ歌!」byBORO

https://youtu.be/siGCm08bfgM

■『病院で働く人に捧ぐ歌!』ミュージアムFacebook

https://facebook.com/groups/261119665333231?src=email_notif

■今井英輝さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter10.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

青森県警HP

http://www.police.pref.aomori.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

■荒木和博BLOG

http://araki.way-nifty.com/araki/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・今井 裕さんについて》

◆氏名:今井 裕

(いまいゆたか)

(Yutaka Imai)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月2日

◆生年月日:昭和25(1950)年12月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:青森県弘前市

◆当時の身分:青森県弘前工業高校3年生

◆身長:170cmくらい

◆体重:62kg~63kg

◆5人兄弟の末っ子

◆特徴:

1)眼鏡着用

2)右の頬に子どものとき木に登ってついた傷が残っている

◆失踪場所:青森県弘前市

【失踪状況】

3月4日の卒業式で答辞を読むことになっていたので「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たが、午後10時を過ぎても帰宅しないので兄弟2人が市内を捜す。

午後11時過ぎ、弘前警察署に捜索願提出。

翌日、警察、消防署、学校関係者で捜すが見つからず。

東京の営団地下鉄(現・東京メトロ)で就職が決まっていた。

失踪2~3日前に家の隣にある物置小屋の脇で書類(紙類)らしいものを燃やしていた。

平成16年1月29日、青森県弘前署に告発状提出。

■今井英輝さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter10.html

■今井 裕さんの兄・英輝さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第20回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=C3mFEx37lKc

《特定失踪者・平山政子さんについて》

◆氏名:平山 政子

(ひらやままさこ)

(Masako Hirayama)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年3月24日

◆生年月日:昭和21(1946)年9月4日

◆性別:女性

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:青森県青森市

◆当時の身分:飲食店従業員。マジックショーのアシスタント

◆血液型:A型

◆失踪場所:青森県青森市

【失踪状況】

当日、絵を描いていた姉妹が入賞し、お祝いのために待ち合わせていたが現れず。

アパートを訪ねると、特に身辺整理した様子もなく、普段の生活状況のまま。

残されていた通帳には現金が挟んであった。

無断欠勤したことのない政子さんが丸2日も職場に連絡せず失踪。

趣味の手品のアシスタントとしてステージに立つこともあった。

同日、ハワイで行われるマジックの世界大会に参加するための打ち合わせがあった。

政子さんが使用していた車は自宅アパートから約1.6kmほど離れた場所に放置されていた。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

《特定失踪者・山口浩一さんについて》

◆氏名:山口 浩一

(やまぐちこういち)

Kouichi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年5月

◆生年月日:昭和29(1954)年9月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府東大阪市

◆当時の身分:高校生

◆身長:168cm

◆体重:60kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左利き

2)どちらかの肩に10円から500円玉大のアザがある

3)中学生の頃からスキーを始め、高校時代はインターハイに出場した

◆失踪場所:青森県十和田湖か?

【失踪状況】

交際相手の女性(非公開)と、それぞれの家族に「友達の家に泊まりに行く」と言って家を出かけた。

その後、青森県十和田湖のホテルから「お金が足りない」と連絡してきたのを最後に、女性とともに行方不明となる。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・木本佳紀さんについて》

◆氏名:木本 佳紀

(きもとよしのり)

(Yoshinori Kimoto)

◆失踪年月日:昭和60(1985)年10月1日

◆生年月日:昭和38(1963)年5月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:青森県弘前市

◆当時の身分:大学3年生

◆身長:176cm

◆体重:65kg

◆血液型:A型

◆視力:右0.06、左0.05で眼鏡使用

◆特徴:

1)右手首に約1cmの火傷の跡がありケロイド状になっている

2)首の後ろに直径約3mmの大きなほくろがある

3)多少痩せ型

4)髪質は直毛で太い

5)眉も太い

6)近視と乱視で眼鏡使用

7)上下の歯が並んでいる風で噛み合わせは悪い

8)顎は逆三角形型

9)喫煙する

◆失踪場所:青森県弘前市

【失踪状況】

青森県弘前市内のアパートから失踪。

アパートには10月1日付の新聞が室内に残り、2日以降の新聞は部屋の外に置かれたまま。

机の引き出しには免許証、預金通帳、キャッシュカード。

旅行鞄、衣類はそのまま。

8月に北海道の実家に帰省し、9月1日に弘前に戻った。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・山形キセさんについて》

◆氏名:山形 キセ

(やまがたきせ)

(Kise Yamagata)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年8月以降

◆生年月日:昭和18(1943)年9月13日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳~22歳

◆当時の住所:神奈川県川崎市

◆当時の身分:和裁見習

◆身長:159cmくらい

◆特徴:

1)中肉

2)左右に八重歯

◆失踪場所:神奈川県川崎市

【失踪状況】

青森県弘前市の中学卒業後、川崎市で和裁の見習をしていた。

失踪の年の3月に母が青森から上京して一緒に東京見物。

また、8月に姉妹とともに写真を撮ったが、それ以降手紙も写真も届かなくなり、音信不通となった。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

青森県警HP

http://www.police.pref.aomori.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■山形キセさんの妹・伊勢フサさんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第54回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=JtKJd_CCrG4

《特定失踪者・木村かほるさんについて》

◆氏名:木村 かほる

(きむらかおる)

Kaoru Kimura)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年2月27日

◆生年月日:昭和13(1938)年8月27日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:秋田県秋田市中通

◆当時の身分:日赤秋田高等看護学校3年生

◆身長:152cm

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中肉中背

2)色白でいつも微笑みをたたえ優しい感じ

3)知的で物静か

◆失踪場所:秋田市

【失踪状況】

戸籍上は「かをる」だが、日常は「かほる」としていた。

看護学校の卒業式を10日後に控えていた2月27日午後5時半ごろ、「ちょっと出掛けてくる」と言って学校の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。看護学生の教則「看護必携」を抱えていたという。

金正日キム・ジョンイル)の料理人」こと藤本健二氏ら複数の北朝鮮での目撃証言がある。

平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。

秋田県警HP

http://www.police.pref.akita.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.