もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】北朝鮮が日本人女性を拉致する理由編[増元るみ子さん]/KTS

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!北朝鮮が日本人女性を拉致する理由》

特定失踪者問題調査会副幹事長 杉野正治

■失踪者のおよそ3割から4割が女性

特定失踪者問題調査会に届けられた失踪者と警察庁のホームページに公開されている拉致の疑いのある失踪者は合計で約660名、うち女性は約200名あまりで、およそ3割から4割近くが女性です(もとの資料にもよります)。これが多いのか少ないのかわかりません。大まかに言えば世の中の男女比は1:1なのですから。ランダムに拉致をしていたとすれば少ないとも言えます。それともやはり女性を拉致する何らかの明確な目的があったのでしょうか。

■「日本人女性」であることの必要性

北朝鮮はなぜ日本人女性を必要としたのでしょうか。

1.日本人に扮して韓国に入国する工作員を養成する

北朝鮮の最大の目的は北朝鮮の政権による韓国との統一です。そのためには韓国で工作活動を行なったり親北朝鮮組織を構築したりするため、まず韓国に入国する必要があります。しかし北から南へは合法的に行けない。そうなると男性であれ女性であれ、日本人に扮するのが最も望ましいということになります。

実際に1988年に大韓航空機(KAL機)を爆破した金賢姫(キム・ヒョンヒ)は、男性工作員金勝一(キム・スンイル)とともに偽造のパスポートを携帯して日本人夫婦に扮して大韓航空機に乗り込み、自身が乗り換えたあとに時限爆弾を爆破させました(男性は逮捕時に服毒自殺で死亡)。この金賢姫は、拉致された日本人の教官李恩恵(リ・ウネ)=田口八重子さんと20ヶ月にわたって同居し、「日本人化」の訓練を受けました。日本語やその言い回し、日本人の立ち居振る舞い、日本の流行歌や唱歌など、あらゆることを彼女から教わったと述べています。昭和53(1978)年に拉致された蓮池 薫さんらも工作員を養成するための教官として日本語などを教えていたといいます。

日本人だと見られさえすれば、韓国のみならず世界中で信頼されるし、まして日本人夫婦を装えば疑われるリスクもより低くなります。

2.拉致した日本人同士で家庭を築くため

北朝鮮にとって日本人拉致の大きな目的の一つは、工作員の養成とともに日本の高度な知識や技術を得ることです。女性の拉致は、あるいはその人と結婚させることが目的だったのではないでしょうか。

日本人男性を拉致したとすると、彼を北朝鮮に定着させなければなりません。心ならずも北朝鮮に来てしまったその男性は、突然自分の身に降り掛かった境遇から逃れることで頭が一杯で、その能力を発揮するには程遠い精神状態となります。不安定な彼を北朝鮮に留めるためには、結婚して家庭を持つことが一番です。孤独に苛まれながら日々を過ごしているところに日本語を解する妻がいれば、さぞかし心強く感じることでしょう。さらに二人の間に子供が生まれれば、その男性は子供のために必死になって働きます。ただ大抵の場合、子供は幼少期のうちに両親から引き離されて別に住むことになります。こうすることで、北朝鮮は子供を人質にして拉致した日本人をコントロールすることができるのです。

昭和45(1970)年に日本航空よど号」を乗っ取り、北朝鮮に渡った9名の若い男性たちは、北朝鮮に渡ってまもなく精神的に不安定になったといいます。そもそも日本で「革命」を起こすために、日本の旅客機を乗っ取って共産国に渡り、軍事訓練を受けることが彼らの目的でした。ところが北朝鮮に行ったはいいが日本には帰れない。極度の不安に陥った彼らに、北朝鮮は妻を持たせようと考えました。ハイジャック事件からおよそ5年後の昭和50年~51年頃、日本国内で親北朝鮮の活動をしていた女性たちが、第三国を経由するなどして日本を離れ、北朝鮮に渡ってよど号犯らと結婚したのです。また一人は日本から拉致をした福留貴美子さんでした。

昭和53(1978)年の蓮池 薫さん・祐木子さん、地村保志さん・富貴恵さんなどの「アベック拉致事件」はよく知られています。これらを含め、昭和40年代後半から50年代末にかけて、アベックや夫婦で失踪するケースは未遂も含めて10数件見られます。これも拉致した日本人を定着させるために、最初から男女を狙ったというということも十分に考えられます。

さらに1978年には韓国の映画監督申相玉シン・サンオク)と、その元妻で女優の崔銀姫チェ・ウニ)が北朝鮮に拉致をされました。北朝鮮崔銀姫を拉致し、これを探しに行った申相玉を拉致しています(二人は後に北朝鮮を脱出してアメリカに亡命し、北朝鮮の実態を描いた映画を作ります)。そこで申相玉は、北朝鮮に拉致されたときに密かに録音した金正日キム・ジョンイル)の肉声を公開しています。テープにはこう残されていました。「あなたを我が国に連れてくるよう私が指示した。しかしあなたを連れてくることが困難だったので、まず崔銀姫先生を拉致したのだ」。北朝鮮は拉致をする際も男女の関係を利用したのです。

■拉致の対象者を見つける

以前にも述べたように、拉致の対象者を選定するのはそう簡単ではありません。拉致をするためには、対象者がどんな家族構成でどんな生活パターンなのか、あるいは何か悩みを抱えているかなど、その人の詳細を把握する必要があります。あくまで想像ですが、拉致をした男性を北朝鮮に定着させるために、あらかじめ彼から結婚相手として容姿や性格などある程度の好みを聴取し、それに近い女性を拉致するように指令したのではないでしょうか。

失踪した女性は、和裁や洋裁の学校に通っていたという人が数多います。ほとんどが若い女性です。昭和50年くらいまで和裁・洋裁の学校は「花嫁修業」のために多くの女性が通っていました。こうしたところはいわゆる個人情報を持っているし行動パターンも把握している。容姿や性格などもよく知っている。例えば拉致の対象者を探し出そうとする人物が「見合い相手を探してるんだけど、ポッチャリ型でおとなしい感じのいい子はいないかな?」と持ちかけると、教室を経営する世話好きなおばさんは、何十人もいる教室の生徒の中から、提示された条件に近い女性を探し出すのです。すでに「花嫁修業」はできています(※あくまで私のイメージですが)。

もちろんこのお節介なおばさんは、全く拉致の認識はありません。一方でニセのお見合い相手を探すよう依頼した人物は、間違いなく日本国内で活動している工作員か工作補助員です。あるとき、このおばさんが探しだした女性を、これまた拉致した日本人男性と結婚させるために拉致するのです。和裁・洋裁教室に限らず、個人情報を把握できる空間であれば、拉致の対象者を選定することが可能になってくるのです。

日本人女性はホスピタリティーが高く、穏やかで、頭も切れる。化粧やファッションにも敏感で優れたセンスを持っている。日本人女性と家庭を持つことは、ステータスの高さを示すものでもあります。あるいは拉致された日本人同士が、北朝鮮の中で助け合ったり励まし合ったりしながら救出されるのを待っているはずです。その一方、家庭を築くことで祖国日本への帰国がますます難しくなることは、蓮池夫妻、地村夫妻、そして曽我ひとみさんやジェンキンスさんなどを見てもよくわかります。

(7月6日)

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

[お知らせ]

映画『めぐみへの誓い』を6月18日(金曜日)からネット配信します。

視聴にはチケット(1,500円)が必要です。

■チケットはコチラ↓

https://blog.nicovideo.jp/niconews/153039.html

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html

■市川修一さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html

■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html

吹上浜/市川修一さん・増元るみ子さん拉致現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=VWMh1hN3LB8

増元照明さんFacebook

https://facebook.com/profile.php?id=100024655322000&_rdr

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和53(1978)年8月12日

アベック拉致容疑事案

被害者:増元るみ子さん(Rumiko Masumoto)

(拉致被害時24歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:市川修一さん(Shu-ichi Ichikawa)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。

北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

吹上浜/市川修一さん・増元るみ子さん拉致現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=VWMh1hN3LB8

[August 12, 1978: Couple abducted]

Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)

Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.

North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・田中正道さんについて》

◆氏名:田中 正道

(たなかまさみち)

(Masamichi Tanaka)

◆失踪年月日:平成5(1993)年6月7日

◆生年月日:昭和23(1948)年6月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:44歳

◆当時の住所:茨城県久慈郡金砂郷村

◆当時の身分:建設業(鍛冶工、鳶職)

◆身長:168cm

◆体重:55kg

◆特徴:痩せ型

◆特技:測量、ガス、足場、玉掛の技術を持っている

◆失踪場所:千葉県習志野市

【失踪状況】

5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島に住む家族にあった。

入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。

退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医は「そういう話はしていない」と言っている)。

6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。

6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。

6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。

同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いており、後輪がパンクしていた。

車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

茨城県警HP

http://www.pref.ibaraki.jp/kenkei/

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・園田 一さんについて》

◆氏名:園田 一

(そのだはじめ)

(Hajime Sonoda)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日

◆生年月日:大正7(1918)年2月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:53歳

◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町

◆当時の身分:養鶏場勤務(管理人)

◆身長:160cm

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中

【失踪状況】

当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。

出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。

失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。

平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。

失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町北朝鮮工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。

同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

■鹿児島県東岸大隅半島と園田 一さん・トシ子さん失踪について

https://youtube.com/watch?v=6mZxFGpWIhI

■園田 一さん・トシ子さん失踪現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=aS0A0cVM4jA

《特定失踪者・園田トシ子さんについて》

◆氏名:園田 トシ子

(そのだとしこ)

(Toshiko Sonoda)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日

◆生年月日:昭和4(1929)年9月7日

◆性別:女性

◆当時の年齢:42歳

◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町

◆当時の身分:養鶏場勤務

◆身長:155cm

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中

【失踪状況】

当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。

出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。

失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。

平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。

失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町北朝鮮工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。

同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。

「トシ子」が戸籍名だが、「敏子」を使うこともある。

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

■鹿児島県東岸大隅半島と園田 一さん・トシ子さん失踪について

https://youtube.com/watch?v=6mZxFGpWIhI

■園田 一さん・トシ子さん失踪現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=aS0A0cVM4jA

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による園田さん夫妻失踪事件の解説】

大隅半島は意外と目立たないものの北朝鮮の工作機関には重要な意味があったと思われます。その大隅半島の付け根のあたり、大崎町から車で宮崎空港に向かう途中失踪したのが園田 一・敏子夫妻。昭和46年(1971)12月30日のことです。

《特定失踪者・種田 誠さんについて》

◆氏名:種田 誠

(たねだまこと)

(Makoto Taneda)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月

◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:焼肉料理店チーフ

◆特徴:盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

京都市内のアパートから失踪。

「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。

以来何の連絡もない。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・日高満男さんについて》

◆氏名:日高 満男

(ひだかみつお)

(Mitsuo Hidaka)

◆失踪年月日:平成元(1989)年2月23日

◆生年月日:昭和33(1958)年8月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:鹿児島県鹿児島郡三島村(鹿児島県十島村諏訪瀬島の知人宅に居候中だった)

◆当時の身分:港湾土木作業員・漁船員

◆身長:171cm

◆体重:50kg

◆特徴:

1)中肉

2)面長

◆失踪場所:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域

【失踪状況】

建設会社の仕事で鹿児島県諏訪之瀬島に赴き、男性と意気投合。

再度諏訪之瀬島に渡り、男性が所有する小型漁船・大昭丸に1人で乗り込み、元浦港南西漁場で操業。1人でトローリング漁に出かけた。

その日出漁したのは15~16隻。

14時ごろ、他の漁船が日高さんの船が海上に停泊し、「釣れたか?」と声をかけると日高さんは「ダメだ」と答えた。

目撃されたのはこれが最後。

日没後も帰港しないため、漁船、海上保安部巡視船、航空機により捜索。

翌日、諏訪之瀬島切石港沖合で船が発見されたが、日高さんの姿がなかった。

トローリングをしていた状態で釣り糸は垂れたまま、船は燃料切れで漂流していた。

失踪後1~2年、父の家に無言電話が1ヶ月ほど続いた。

毎夜0時~1時ごろで、テレビのノイズのような雑音とともに、ツー、ツーという音(モールス信号のような音)が聞こえてきた。

■日高満男さんの姉のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第70回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=HT8vXdCY9WQ

《特定失踪者・加藤義美さんについて》

◆氏名:加藤 義美

(かとうよしみ)

(Yoshimi Katou)

◆失踪年月日:平成7(1995)年2月15日

◆生年月日:昭和18(1943)年11月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:50歳

◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市喜入町

◆当時の身分:船員

◆身長:164cm

◆体重:56kg

◆特徴:歩行時に左足を引きずる

◆失踪当時の服装:グレーの作業ズボン、グレーのハイネック

◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡上屋久宮之浦港

【失踪状況】

港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。

2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1~2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と4人で宮の浦のスナックで午後10時頃まで飲む。本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。

本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。

翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。

1階食堂に本人が外出時来ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。

《特定失踪者・羽生弘行さんについて》

◆氏名:羽生 弘行

(はぶひろゆき

(Hiroyuki Habu)

◆失踪年月日: 昭和30(1955)年10月23日

◆生年月日:大正6(1917)年11月5日

◆性別:男

◆当時の年齢: 37歳

◆当時の住所:鹿児島県熊毛郡屋久

◆当時の身分:漁師(半農半漁)

◆身長:165cm

◆血液型:A型

◆特徴:

1)色黒

2)左目の視力なし

3)痩せ型

4)喫煙する、酒は少々

◆失踪場所: 鹿児島県熊毛郡屋久

【失踪状況】

所有する「なには丸」に他6名とともに屋久島の栗生川河口から口永良部島に向かうが戻らず。

後に口永良部島に入港していないことが判明。

■羽生弘行さんの母、叔母、息子のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第70回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=HT8vXdCY9WQ

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・加藤悦子さんについて》

◆氏名:加藤 悦子

(かとうえつこ)

(Etsuko Katou)

◆失踪年月日:平成元(1989)年8月23日

◆生年月日:昭和23(1948)年1月3日

◆性別:女性

◆当時の年齢:41歳

◆当時の住所:愛知県尾張旭市

◆当時の身分:看護師

◆身長:160cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:趣味は畑仕事、農作業

◆失踪場所:愛知県尾張旭市の自宅

【失踪状況】

家族を送り出し、午前中勤務先の医院を無断欠勤。

夕方自宅に「ご飯を作って食べていてくれる?」との電話。

当日夜、夫が鏡台内から「これから旅に出る」という手紙を発見。

翌日には鹿児島の実家、兄弟姉妹、当時から過去の交友関係などすべて調べるが手がかりなし。

いつも持ち歩いていたバックも家にある。

通帳印鑑も同様。

現金を引き出した痕跡なし。

給料前だったので所持金はほとんどない。

看護婦免許も家に置いたまま。

服も持ち出した形跡なし。

性格上自殺は考えにくい。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》

◆氏名:佐藤 益一

(さとうますいち)

(Masuichi Satou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日

◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮

◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)

◆身長:163cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)縮毛

3)山歩きが好き

◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】

6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。

背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。

この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。

6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。

警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。

池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.