もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】小久保稔史さん[拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会]/TSK〈島根〉

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-人を拉致することは、悪いこと。大の大人に、言うことじゃないよな-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会 特定失踪者・小久保稔史さんの従兄弟・石川孝一さんの訴え》

■石川孝一さんの発言趣旨

拉致問題横田めぐみさんに田口八重子さん、有本恵子さんを加えた3人の問題だと大多数の人に理解されているような気がします。

不謹慎ですが2002年、小泉訪朝で帰国を果たすのがこの3名だったら、人々の関心も遠ざかり安倍政権の誕生もなかったかも知れないとさえ思います。

特定失踪者問題調査会で公開する特定失踪者は270名、非公開は200名に上ると聞きます。

政府の「拉致の可能性を排除できない行方不明者」880名も半数近くが非公開です。公開を望まないご家族が半数に迫る実態からも肉親の失踪がいかに多様で複雑な問題であるかが窺えます。

家族がこの理不尽な別離とどう向き合ってきたのか、封じ込めた思いは察するに余りあります。そんな特定失踪者家族の1人の考えとしてお話しさせていただきます。

拉致問題の解決が「国の最重要課題」とされてから15年が過ぎました。拉致問題で総理になれたと揶揄される安倍元総理ですが、功績は政権が変わっても外す事ができない「最重要課題」の呪文とブルーリボンバッジを閣僚の襟に付けさせた事だけだったように思います。

1年のお勤めでしたが、菅総理が「拉致問題にはあらゆる機会を捉え、自ら先頭に立って取り組む」と所信表明演説するや、北朝鮮は「拉致問題に未練を持ち、あちこちに取り入る理解し難い振る舞いをしている」と批判、その上で「拉致問題は我々の誠意と努力ですでに引き戻せないほど完全無欠に解決された」とつれなく反応してきました。

見えすいたポーズだけの日本政府、対話に応じる素振りも見せない金正恩キム・ジョンウン)、拉致問題の解決は20年前に逆戻りしてしまったかとも思える、この頃です。

決して忘れたり、諦めた訳ではないが、期待もしていない…これが特定失踪者家族の現在の心境ではないかと思います。

アメリカのポーリン・ボス博士が研究する「曖昧な喪失」は彼女が接したベトナム戦争での行方不明兵士や9.11同時多発テロで家族を失ったものの遺体の帰ってこない家族が抱える特徴的な精神状態を研究し論文発表されたもので、3.11東日本大震災の行方不明者を抱える家族の支援プロジェクトでも注目されていました。

家族の死をリアルに経験する事なく曖昧なまま如何に死を受け入れるか、また認知症精神疾患などにより別人のようになってしまった家族とどう向き合うか「さよならのない別れ、別れのないさよなら」がもたらすアンビバレントな家族の心模様とその対処法、サポートのあり方を提言している。失踪者を抱える家族はこの「曖昧な喪失」がもたらす、迷路・迷宮に取り込まれ真相が明らかになるまで自問自責を繰り返します。

貨物船の機関長をしていた私の従兄弟・小久保稔史は当時、島根県の温泉津(ゆのつ)と舞鶴の間をピストン輸送していました。

1980年1月13日夜、舞鶴の行きつけのスナックで足取りが途絶えます。警察や消防、海上保安庁も動員して、捜索したものの消息はつかめず、以後は住所のある鳥羽警察署が担当する事になります。失踪者家族は「家出人捜索願」を提出し、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」に従って捜索が行われます。

拉致の可能性を排除できない行方不明者880名は失踪者が「家出人」ではなく「特異行方不明者」であり警察はもっと深入りすべき事案であったことを認めて公表したものと推測されます。

確証のない推察ですが、公安当局が失踪事案に北朝鮮による拉致の可能性を感じ取ったのは1970年代で「失踪事案が北朝鮮による日本国民の略取であれば、警察の捜査が戦争行為を摘発することになる、深入りは謹まねばならない」のような神の声が発せられ、声の主もその声に従った公安幹部もその時の判断がこれ程大きな問題になるとは考えもしなかったに違いありません。

こうして拉致の可能性が排除できない事案はことごとく「家出人」として放置されたと考えないと、警察が全ての拉致事件を見逃した説明はつきません。

従兄弟が失踪した当時の国家公安委員長はカミソリの異名を持つ実力者でした。1969年から警察庁長官を務め、1970年のよど号ハイジャック事件楯の会三島由紀夫割腹事件、1972年の連合赤軍あさま山荘事件など歴史的な公安事件にトップとして対処し、その後政界入りし官房長官など要職を務めています。公安のカリスマであった時代に拉致事件が多発しているのに著書や時事対談の記録には拉致や北朝鮮の話がほとんど出てきません。私は彼こそが「神の声」の主だったのではないかと勝手に思い込んでいます。

覚醒剤、偽ドル札、偽タバコなど北朝鮮ならず者国家らしく外交官まで動員して禁制品の密輸で外貨を獲得しており、取引相手である日本の暴力団との取引を拡大、円滑化するため、日本の港湾施設や航路を知り尽くした日本人の船乗りを必要としていました。

2001年12月、「奄美沖海戦」と呼ばれる北朝鮮工作船海上保安庁の複数の巡視船による銃撃戦が発生、工作船は追い詰められ覚醒剤と見られる積み荷を投棄し、最後は自爆装置を起動させて沈没します。銃撃の最中、工作船からは日本語で「コッチエクルナ」「アッチエイケ」との叫び声を何度も聞いたと巡視船の乗組員が証言しています。

工作船の乗組員は15名(20名説もある)、回収された遺体は沈没時3体、引き揚げ時5体の合わせて8体と記録され、DNA鑑定で日本人は含まれていないと判断、遺骨は鹿児島の寺が保管、供養していると聞きます。

EEZの外、数百メートルの海底に沈んだ工作船は19年前の今日9月11日に引き揚げられ、6日後の9月17日小泉訪朝が実現する事になります。引き揚げられた工作船は現在、横浜みなとみらいにある海上保安庁の資料館に展示されています。 無数に銃弾の跡が残り錆の浮く鉄の塊、グロテスクな工作船を間近に見ると、戦争の遺品としか思えません。

北朝鮮にとって日本は併合の屈辱とともに、朝鮮戦争では厚木や嘉手納が空爆の基地になっており、紛れもなく敵国と考えていた。彼らの戦争は終結しておらず、戦時にゲリラ戦で金品や人質を取るのは有効な作戦の一つと捉えていたとしても不思議はありません。

私の従兄弟、特定失踪者の小久保稔史は舞鶴の在日が経営するスナックで経験豊かな日本人船乗りを得る目的で拉致され、工作船に乗り込み航路の案内や瀬渡しの連絡役をさせられ、任務を遂行してきた、拉致されて20年が経過した2001年、救助されるべき母国の公安により銃撃を受け、非業極まる最後を迎えた---。家族はこんな結末を望まないけど、限られた事実のパーツを並べ、余白を空想で埋めると、現れた絵柄はこんなものです、家族や仕事を無責任に捨てた「家出人」よりは多少マシな気がします。

「拉致は悪魔の仕業です、解決をみんなで祈りましょう」政府もメデイアの訴えや世論の声さえ私たちにはこんな風に聞こえます。北朝鮮の状況や対応に関係なく日本政府、当局が独自にできる事、対処すべき事があるのに誰も掛け違えたボタンを正す勇気を持っていなかった。

■以下は、政府に対する要請

1、「拉致の可能性を排除できない行方不明者」などと第三者のような言い方をやめ、「拉致」が北朝鮮の犯行を連想させると言うなら「強制失踪」と言い換え「強制失踪されたものとして警察が捜査している行方不明者」と言い直し、政府や警察は国民の命を守る当事者であることを明言してもらいたい。

2、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」の中で特異行方不明者の判断基準が曖昧で、家族にも警察の判断や見解は開示されない、家族に「家出人捜索願」(当時)を出させて、犯罪の被害者である「強制失踪者」を十分な捜索もせず「家出人」扱いしている。人命に関わる捜索とは思えない杜撰な規則は直ちに見直してほしい。

3、強制失踪を疑っていたとするなら、当時の捜査資料(廃棄してない資料もあると聞く)を家族に開示する。また6年前、北朝鮮が再調査の途中報告として提示または打診してきた内容がどんなものだったのか情報開示してもらいたい。

4、日朝ピョンヤン宣言に「『拉致』と『工作船』は今後行いません」。と金正日キム・ジョンイル)が宣誓したことで、安全・安心は確保されたと考えていないか。ストックホルム合意はすでに白紙化し、日朝ピョンヤン宣言もいつ無効化を宣言するとも限らない。

拉致は朝鮮総連在日朝鮮人の協力者(土台人)なしにはなしえなかった。主権や人権侵害の抑止を目的とした法制化などの対策が講じられたとは思えない。国民の生命と財産を守るという原点に立って、政治の役割を果たせなかったのは不作為というより、不正義に加担する結果になった事を重く受け止めて、今からでも対策を講じてもらいたい。

拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会

https://youtube.com/watch?v=MsRFYBJvzwc&feature=emb_imp_woyt

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-1)

https://www.youtube.com/watch?v=pfJnHSXB6Gs

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-2)

https://www.youtube.com/watch?v=jV8OSbbWAeg

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-3)

https://www.youtube.com/watch?v=AfhA3Tm3O-s

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-4)

https://www.youtube.com/watch?v=hqLxVoSRzTA

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-5)

https://www.youtube.com/watch?v=sznRT1figRk

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-6)

https://www.youtube.com/watch?v=oo3Dw4QvuUg&t=4s

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-7)

https://www.youtube.com/watch?v=APKS5m0plLs

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市-8)

https://www.youtube.com/watch?v=V_lC239PxGw

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-1)

https://youtube.com/watch?v=z1NbxoKo4lA

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-2)

https://youtube.com/watch?v=VBcSiS3CpxQ

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-3)

https://youtube.com/watch?v=JZadszNFQME

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-4)

https://youtube.com/watch?v=vKLMAheDwrQ

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-5)

https://youtube.com/watch?v=y9P0mJxImS0

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-6)

https://youtube.com/watch?v=T5NLto6vx1M

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-7)

https://youtube.com/watch?v=2f_K-cLItJo

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-8)

https://youtube.com/watch?v=opMNCMy0wdk

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市-9)

https://youtube.com/watch?v=mQ5u2M4QeuQ

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

■山陰地方における拉致と北朝鮮工作活動の偏りについて

https://youtube.com/watch?v=E-ZZMlvbR1c

■特定失踪者の帰国実現をめざす会・中国ブロックfacebook

https://facebook.com/groups/131092523902398?src=email_notif

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》

◆氏名:小久保 稔史

(こくぼとしひと)

(Toshihito Kokubo)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日

◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町

◆当時の身分:船員(機関長)

◆身長:163cm

◆体重:57kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)浅黒

3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ

4)盲腸の手術痕あり

5)話し方ややうけ口

6)歌が上手で演歌を好む

7)手先は器用だった

◆失踪場所:京都府舞鶴市のスナックを出たあと

【失踪状況】

島根県温泉津港を出発し、1月13日朝、舞鶴港へ入港。

その日は日曜日で作業がなかったため、午後7時に東舞鶴のスナックを一人で出て、家族に「パチンコ屋の横から」と言って三重県鳥羽市の自宅に電話をした。

電話では長女の入学準備の話など普通の口調で話をしたが、その後消息不明。

スナックを出た時点で船の同僚と別れている。

船室もそのまま、コートも置いてあった。

舞鶴海上保安部、東舞鶴警察署、鳥羽警察署に捜索依頼をする。

また、家族親戚が舞鶴を捜したが見つからず。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・益田ひろみさんについて》

◆氏名:益田 ひろみ

(ますだひろみ)

(Hiromi Masuda)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年3月頃

◆生年月日:昭和27(1952)年8月29日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:島根県鹿足郡日原町青原(現・津和野市)

◆当時の身分:会社員(呉服販売)

◆身長:155cmくらい

◆失踪場所:島根県益田市

【失踪状況】

失踪当日寝坊して、父親が自転車で山口線東青原駅まで送り、間に合って益田駅で降りる。

益田駅で降り、駅前の店のシャッターを開ける担当だったが、弁当などが入った鞄と京都への旅行の土産を裏口に置いてそのまま失踪。

【益田ひろみさんの生い立ちと失踪後の状況】

益田ひろみさんは、益田市立柏原小学校(平成14年閉校)、益田市立西南中学校を卒業した後、隣町の(旧)日原町青原に引っ越し両親とともに暮らしていました。

益田市内の洋裁学校を修了し、希望する呉服店に就職、幸せな青春の日々を送っていましたが、忽然と行方不明になって40年以上が経過しました。

こうした状況を知って、昭和42年度の西南中学校卒業同窓生が集まり、真相究明のお世話をしようと、「益田ひろみさんをさがす会」を結成されました。

「益田ひろみさんをさがす会」では、署名運動等を通じ皆様のご理解とご協力を頂く活動を実施しておられますので、「失踪の真相究明」に対するお力添え及び署名活動にご協力下さいますよう、心からお願い申し上げます。

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市

https://www.youtube.com/watch?v=APKS5m0plLs

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市

https://youtube.com/watch?v=T5NLto6vx1M

■益田ひろみさんの母・シゲ子さん「しおかぜ」メッセージ

https://youtube.com/watch?v=y0qNCy-xKnk

益田市HP(情報提供先)

https://www.city.masuda.lg.jp/soshiki/27/1495.html

《特定失踪者・和田佑介さんについて》

◆氏名:和田 佑介

(わだゆうすけ)

(Yu-suke Wada)

◆失踪年月日:平成14(2002)年5月7日

◆生年月日:昭和52(1977)年1月30日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:広島県広島市佐伯区

島根県江津市出身

◆当時の身分:会社員

◆身長:172cm

◆体重:80kg

◆失踪場所:広島県広島市佐伯区

【失踪状況】

5月7日、会社から無断欠勤していると連絡がある。

その後行方が分からず。

アパートは、冷蔵庫湯沸しポットなど、全て電気も入れてあり、普通どおりの生活感があり、ちょっと外へ出ると言ったような様子。携帯電話、銀行通帳、キャッシュカード、ガソリンカード、免許証、タバコ入れは無かった。

失踪前日まで、全く変わった様子はなかった。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

【調査会による和田佑介さん失踪の調査結果】

《足取り》

お母さんが持参した出光興産のカードの記録で5月6日以降の和田さんの足取りを辿ると以下のようになる(同一日の中の順序は異なっている可能性あり)。

[5月6日]

◆出光興産江津給油所で34.51リッター給油(4,348円)

◆五日市料金所(広島市佐伯区)で1,300円支払い

[5月7日]

◆出光興産エアポート石見給油所(島根県益田市)で32.1リッター給油(3,877円)

中国自動車道戸河内料金所(広島県山県郡安芸太田町)で2,450円支払い

[5月8日]

広島銀行東城支店(広島県庄原市東城町)で8時40分に現金40万円引き出し(監視カメラで本人と確認)

◆出光興産帝釈峡パーキングエリア給油所(東城町・中国自動車道上り線)で30.8リッター給油(3,590円)

◆出光興産名四新桑名給油所(三重県桑名市小貝須)で37リッター給油(4,079円-1,222円割引)

日本道路公団関西支社(場所不明)で6,400円支払い

◆東城料金所(広島県庄原市)で4,700円支払い

※三重に行ったのは鈴鹿サーキットで何らかのイベントがありそこに参加したとも考えられたが、この時期鈴鹿サーキットでは行事は行われていなかった。

《失踪前に組んでいた予定》

和田さんは車が好きで整備士になり、入っていたレグナムのサークルの集まりを5月12日に予定しており、本人が幹事をしていた。その準備のやりとりのメールにも自らの意志による失踪を思わせるものはない。

《室内》

なぜか包丁(お母さんが買ったもの)がユニットバスに置かれていた。またテーブルに雑巾があり若干血液が付いていた。

《特定失踪者・野田福美さんについて》

◆氏名:野田 福美

(のだふくみ)

(Fukumi Noda)

◆失踪年月日:昭和57(1982)年10月28日

◆生年月日:昭和9(1934)年11月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:47歳

◆当時の住所:島根県美保関町

◆当時の身分:漁船員(無線通信士)

◆身長:161cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)喫煙する

2)酒は少々

3)歩き方外歩き(蟹股?)

◆失踪場所:北海道礼文島

【失踪状況】

島根県美保関の漁港を出港。

失踪当日は礼文島イカ漁をしていた。

海は穏やかで無線にて僚船と10時半頃まで交信のあと消息不明。

長靴、合羽等は身に着けていない。

サンダルが片方ずつ違うものが残り、操業状態のまま発見される。

10艘の船団を率いる団長。

翌日は晴天で、海保のヘリや、礼文島の人、僚船が丸一日捜索して見つからず。

電話で「漁は終わりにして帰路に着く」と告げていた。

お土産、燃料代の精算も袋に入れて船に残されていた。

10艘の船団を率いる団長として5年目、何度と無く時化に遭遇して人命救助の経験もある。

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・矢倉富康さんについて》

◆氏名:矢倉 富康

(やくらとみやす)

(Tomiyasu Yakura)

◆失踪年月日:昭和63(1988)年8月2日

◆生年月日:昭和26(1951)年11月23日

◆性別:男

◆当時の年齢:36歳

◆当時の住所:鳥取県米子市

◆当時の身分:漁師。前職はマニシングセンターで国内トップの企業(昭和59年倒産)に勤務し、優秀な技術者だった

◆身長:165cm~170cmくらい

◆失踪場所:鳥取県から島根県の間。美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった

【失踪状況】

一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定だったが行方不明。

海上保安庁と漁業組合全員が操業を中止して操業海域を捜索したが手がかりなし。

8月10日に海上保安庁竹島沖南南東25kmで漁船を発見したが、本人の姿はなかった。

左舷前方に他の船と衝突した痕跡があり、青い塗料が付着していた。

失踪3年前まで勤めていた会社は金属精密工作機械を製作する国内トップメーカーで、軍事転用可能な精密工作機械を製作していた優秀なエンジニアだった矢倉さんは、技術指導のために韓国や東欧を含む欧米などへも頻繁に出張していた。

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

《特定失踪者・安達恵美子さんについて》

◆氏名:安達 恵美子

(あだちえみこ)

(Emiko Adachi)

◆失踪年月日:昭和34(1959)年5月4日

◆生年月日:昭和11(1936)年1月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市北区

◆当時の身分:准看護師

◆血液型:B型

◆身長:150cmくらい

◆体重:42kg

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

5月2日、病院の慰安旅行(行先は不明・1泊2日程度)に参加する予定だったが、当日になって急に「行かない」と言い出す。

同僚の看護婦によると、神戸の方に行くようなことを言っていたという。

外出の衣服で荷物はボストンバック1個程度。2日午後2時に外出した記録あり。

普段着など身の周りのものは残っていた。

北朝鮮興南で出生、終戦まで大連で生活。

昭和22年1月引き揚げ。島根県平田町の叔母宅で暮らし、昭和30年頃京都に行く。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.