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【みんな生きている】小久保稔史さん[拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会]/KTV〈京都〉

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-人を拉致することは、悪いこと。大の大人に、言うことじゃないよな-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会 特定失踪者・小久保稔史さんの従兄弟・石川孝一さんの訴え》

■石川孝一さんの発言趣旨

拉致問題横田めぐみさんに田口八重子さん、有本恵子さんを加えた3人の問題だと大多数の人に理解されているような気がします。

不謹慎ですが2002年、小泉訪朝で帰国を果たすのがこの3名だったら、人々の関心も遠ざかり安倍政権の誕生もなかったかも知れないとさえ思います。

特定失踪者問題調査会で公開する特定失踪者は270名、非公開は200名に上ると聞きます。

政府の「拉致の可能性を排除できない行方不明者」880名も半数近くが非公開です。公開を望まないご家族が半数に迫る実態からも肉親の失踪がいかに多様で複雑な問題であるかが窺えます。

家族がこの理不尽な別離とどう向き合ってきたのか、封じ込めた思いは察するに余りあります。そんな特定失踪者家族の1人の考えとしてお話しさせていただきます。

拉致問題の解決が「国の最重要課題」とされてから15年が過ぎました。拉致問題で総理になれたと揶揄される安倍元総理ですが、功績は政権が変わっても外す事ができない「最重要課題」の呪文とブルーリボンバッジを閣僚の襟に付けさせた事だけだったように思います。

1年のお勤めでしたが、菅総理が「拉致問題にはあらゆる機会を捉え、自ら先頭に立って取り組む」と所信表明演説するや、北朝鮮は「拉致問題に未練を持ち、あちこちに取り入る理解し難い振る舞いをしている」と批判、その上で「拉致問題は我々の誠意と努力ですでに引き戻せないほど完全無欠に解決された」とつれなく反応してきました。

見えすいたポーズだけの日本政府、対話に応じる素振りも見せない金正恩キム・ジョンウン)、拉致問題の解決は20年前に逆戻りしてしまったかとも思える、この頃です。

決して忘れたり、諦めた訳ではないが、期待もしていない…これが特定失踪者家族の現在の心境ではないかと思います。

アメリカのポーリン・ボス博士が研究する「曖昧な喪失」は彼女が接したベトナム戦争での行方不明兵士や9.11同時多発テロで家族を失ったものの遺体の帰ってこない家族が抱える特徴的な精神状態を研究し論文発表されたもので、3.11東日本大震災の行方不明者を抱える家族の支援プロジェクトでも注目されていました。

家族の死をリアルに経験する事なく曖昧なまま如何に死を受け入れるか、また認知症精神疾患などにより別人のようになってしまった家族とどう向き合うか「さよならのない別れ、別れのないさよなら」がもたらすアンビバレントな家族の心模様とその対処法、サポートのあり方を提言している。失踪者を抱える家族はこの「曖昧な喪失」がもたらす、迷路・迷宮に取り込まれ真相が明らかになるまで自問自責を繰り返します。

貨物船の機関長をしていた私の従兄弟・小久保稔史は当時、島根県の温泉津(ゆのつ)と舞鶴の間をピストン輸送していました。

1980年1月13日夜、舞鶴の行きつけのスナックで足取りが途絶えます。警察や消防、海上保安庁も動員して、捜索したものの消息はつかめず、以後は住所のある鳥羽警察署が担当する事になります。失踪者家族は「家出人捜索願」を提出し、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」に従って捜索が行われます。

拉致の可能性を排除できない行方不明者880名は失踪者が「家出人」ではなく「特異行方不明者」であり警察はもっと深入りすべき事案であったことを認めて公表したものと推測されます。

確証のない推察ですが、公安当局が失踪事案に北朝鮮による拉致の可能性を感じ取ったのは1970年代で「失踪事案が北朝鮮による日本国民の略取であれば、警察の捜査が戦争行為を摘発することになる、深入りは謹まねばならない」のような神の声が発せられ、声の主もその声に従った公安幹部もその時の判断がこれ程大きな問題になるとは考えもしなかったに違いありません。

こうして拉致の可能性が排除できない事案はことごとく「家出人」として放置されたと考えないと、警察が全ての拉致事件を見逃した説明はつきません。

従兄弟が失踪した当時の国家公安委員長はカミソリの異名を持つ実力者でした。1969年から警察庁長官を務め、1970年のよど号ハイジャック事件楯の会三島由紀夫割腹事件、1972年の連合赤軍あさま山荘事件など歴史的な公安事件にトップとして対処し、その後政界入りし官房長官など要職を務めています。公安のカリスマであった時代に拉致事件が多発しているのに著書や時事対談の記録には拉致や北朝鮮の話がほとんど出てきません。私は彼こそが「神の声」の主だったのではないかと勝手に思い込んでいます。

覚醒剤、偽ドル札、偽タバコなど北朝鮮ならず者国家らしく外交官まで動員して禁制品の密輸で外貨を獲得しており、取引相手である日本の暴力団との取引を拡大、円滑化するため、日本の港湾施設や航路を知り尽くした日本人の船乗りを必要としていました。

2001年12月、「奄美沖海戦」と呼ばれる北朝鮮工作船海上保安庁の複数の巡視船による銃撃戦が発生、工作船は追い詰められ覚醒剤と見られる積み荷を投棄し、最後は自爆装置を起動させて沈没します。銃撃の最中、工作船からは日本語で「コッチエクルナ」「アッチエイケ」との叫び声を何度も聞いたと巡視船の乗組員が証言しています。

工作船の乗組員は15名(20名説もある)、回収された遺体は沈没時3体、引き揚げ時5体の合わせて8体と記録され、DNA鑑定で日本人は含まれていないと判断、遺骨は鹿児島の寺が保管、供養していると聞きます。

EEZの外、数百メートルの海底に沈んだ工作船は19年前の今日9月11日に引き揚げられ、6日後の9月17日小泉訪朝が実現する事になります。引き揚げられた工作船は現在、横浜みなとみらいにある海上保安庁の資料館に展示されています。 無数に銃弾の跡が残り錆の浮く鉄の塊、グロテスクな工作船を間近に見ると、戦争の遺品としか思えません。

北朝鮮にとって日本は併合の屈辱とともに、朝鮮戦争では厚木や嘉手納が空爆の基地になっており、紛れもなく敵国と考えていた。彼らの戦争は終結しておらず、戦時にゲリラ戦で金品や人質を取るのは有効な作戦の一つと捉えていたとしても不思議はありません。

私の従兄弟、特定失踪者の小久保稔史は舞鶴の在日が経営するスナックで経験豊かな日本人船乗りを得る目的で拉致され、工作船に乗り込み航路の案内や瀬渡しの連絡役をさせられ、任務を遂行してきた、拉致されて20年が経過した2001年、救助されるべき母国の公安により銃撃を受け、非業極まる最後を迎えた---。家族はこんな結末を望まないけど、限られた事実のパーツを並べ、余白を空想で埋めると、現れた絵柄はこんなものです、家族や仕事を無責任に捨てた「家出人」よりは多少マシな気がします。

「拉致は悪魔の仕業です、解決をみんなで祈りましょう」政府もメデイアの訴えや世論の声さえ私たちにはこんな風に聞こえます。北朝鮮の状況や対応に関係なく日本政府、当局が独自にできる事、対処すべき事があるのに誰も掛け違えたボタンを正す勇気を持っていなかった。

■以下は、政府に対する要請

1、「拉致の可能性を排除できない行方不明者」などと第三者のような言い方をやめ、「拉致」が北朝鮮の犯行を連想させると言うなら「強制失踪」と言い換え「強制失踪されたものとして警察が捜査している行方不明者」と言い直し、政府や警察は国民の命を守る当事者であることを明言してもらいたい。

2、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」の中で特異行方不明者の判断基準が曖昧で、家族にも警察の判断や見解は開示されない、家族に「家出人捜索願」(当時)を出させて、犯罪の被害者である「強制失踪者」を十分な捜索もせず「家出人」扱いしている。人命に関わる捜索とは思えない杜撰な規則は直ちに見直してほしい。

3、強制失踪を疑っていたとするなら、当時の捜査資料(廃棄してない資料もあると聞く)を家族に開示する。また6年前、北朝鮮が再調査の途中報告として提示または打診してきた内容がどんなものだったのか情報開示してもらいたい。

4、日朝ピョンヤン宣言に「『拉致』と『工作船』は今後行いません」。と金正日キム・ジョンイル)が宣誓したことで、安全・安心は確保されたと考えていないか。ストックホルム合意はすでに白紙化し、日朝ピョンヤン宣言もいつ無効化を宣言するとも限らない。

拉致は朝鮮総連在日朝鮮人の協力者(土台人)なしにはなしえなかった。主権や人権侵害の抑止を目的とした法制化などの対策が講じられたとは思えない。国民の生命と財産を守るという原点に立って、政治の役割を果たせなかったのは不作為というより、不正義に加担する結果になった事を重く受け止めて、今からでも対策を講じてもらいたい。

拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会

https://youtube.com/watch?v=MsRFYBJvzwc&feature=emb_imp_woyt

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

有本恵子さんの母・嘉代子さんの肉声

https://youtube.com/watch?v=u-TQn2F3UK4

有本恵子さんたちヨーロッパ拉致について

https://youtube.com/watch?v=oYynHkWWoXU&feature=emb_imp_woyt

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》

◆氏名:小久保 稔史

(こくぼとしひと)

(Toshihito Kokubo)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日

◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町

◆当時の身分:船員(機関長)

◆身長:163cm

◆体重:57kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)浅黒

3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ

4)盲腸の手術痕あり

5)話し方ややうけ口

6)歌が上手で演歌を好む

7)手先は器用だった

◆失踪場所:京都府舞鶴市のスナックを出たあと

【失踪状況】

島根県温泉津港を出発し、1月13日朝、舞鶴港へ入港。

その日は日曜日で作業がなかったため、午後7時に東舞鶴のスナックを一人で出て、家族に「パチンコ屋の横から」と言って三重県鳥羽市の自宅に電話をした。

電話では長女の入学準備の話など普通の口調で話をしたが、その後消息不明。

スナックを出た時点で船の同僚と別れている。

船室もそのまま、コートも置いてあった。

舞鶴海上保安部、東舞鶴警察署、鳥羽警察署に捜索依頼をする。

また、家族親戚が舞鶴を捜したが見つからず。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・安達恵美子さんについて》

◆氏名:安達 恵美子

(あだちえみこ)

(Emiko Adachi)

◆失踪年月日:昭和34(1959)年5月4日

◆生年月日:昭和11(1936)年1月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市北区

◆当時の身分:准看護師

◆血液型:B型

◆身長:150cmくらい

◆体重:42kg

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

5月2日、病院の慰安旅行(行先は不明・1泊2日程度)に参加する予定だったが、当日になって急に「行かない」と言い出す。

同僚の看護婦によると、神戸の方に行くようなことを言っていたという。

外出の衣服で荷物はボストンバック1個程度。2日午後2時に外出した記録あり。

普段着など身の周りのものは残っていた。

北朝鮮興南で出生、終戦まで大連で生活。

昭和22年1月引き揚げ。島根県平田町の叔母宅で暮らし、昭和30年頃京都に行く。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・井尻恵子さんについて》

◆氏名:井尻 恵子

(いじりけいこ)

(Keiko Ijiri)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年3月16日

◆生年月日:昭和35(1960)年10月23日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市中京区

◆当時の身分:母親の経営するスナック手伝い

◆身長:157cmくらい

◆特徴:両頬に粟粒大のほくろ

◆失踪場所:京都市内の自宅前

【失踪状況】

母親が経営するスナックを深夜に退勤後、同僚と飲みに出かけた。

3月15日夜、同僚と京都市内に飲みに出かけ、翌16日午前4時頃、自宅前でタクシーを降り、その後行方不明。

現場は終夜人通りの絶えない繁華街。

失踪後、運転免許の更新も行っていない。

結婚が決まっていて家具を見に行くなど準備をしていた。

数百万の預金が残されたまま。

《特定失踪者・上田英司さんについて》

◆氏名:上田 英司

(うえだえいじ)

(Eiji Ueda)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日

◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:予備校生(大学受験生)。ホテルのフロントや喫茶店でアルバイトをしていた

◆身長:175cm

鳥取県西伯郡伯耆町出身

◆特徴:

1)読書が趣味

2)目立つのを嫌がる地味な性格

3)実直で親思い

◆失踪当時の服装:黒いコートに紙袋1つ

◆失踪場所:東京都渋谷区または京都府

【失踪状況】

失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。

黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。

11月初めに実家の荷物を実家の鳥取県から送ったが、いつもは来るはずの「受け取った」という手紙が来ないので不審に思い、電話してみる。

20日頃いなくなったことを知る。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》

◆氏名:尾方 晃

(おがたあきら)

Akira Ogata)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日

◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都市北区衣笠西馬場町

◆当時の身分:立命館大学学生。レストランでアルバイトをしていた

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆特徴:

1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり

2)右手中指第3関節の骨が突起している

◆失踪場所:京都府京都市北区

【失踪状況】

京都市北区の下宿先から失踪。

直前の年末には岐阜の実家に帰省した。

翌年1月、京都市内のアルバイト先から「アルバイト代を払いたいが実家に帰っていないか」と連絡があった。

家族がアパートに行くが、荷物、お金はそのまま残っていた。

家賃は1年間支払っていなかった。

2月13日に預金を引き出した形跡がある。

3月30日に叔父が死去し、本人に電話したが連絡つかず。

また、名古屋の妹に縁談があり、会社を退職する前に京都を案内してほしいと手紙を出したが返事がなかった。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・尾崎隆生さんについて》

◆氏名:尾崎 隆生

(おざきたかお)

(Takao Ozaki)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年11月3日

◆生年月日:昭和8(1933)年4月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:ネクタイ製造会社の経理

◆身長:169cm

◆体重:60kg

◆特徴:左手の指が事故で曲がらないが、手先は器用

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

11月2日、カメラを持って「遊びに行く」と言って神戸市の自宅を出かけたまま戻らず。

翌日、会社から連絡があり、失踪が分かった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

《特定失踪者・甲斐一志さんについて》

◆氏名:甲斐 一志

(かいかずし)

(Kazushi Kai)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年5月6日

◆生年月日:昭和28(1953)年2月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:京都府京都市東山区の会社寮

◆当時の身分:調理師

◆身長:178cm

◆体重:72kg

◆特徴:右足首上に500円玉位の火傷痕。

◆失踪場所:京都府京都市東山区

【失踪状況】

うどん屋の寮に2~3人で住んでいた。

当日近くのコーヒーショップに出かけ、そのまま失踪。免許証も財布も置いたままだった。

寮の中の1人と思われる人物から九州の実家に電話があり、母が出ると「一志君は家に帰っていませんか」との問い合わせで1日1回昼頃に4~5回かかってきた。

名前を答えないので「あなたが殺したんじゃないか?」と問い詰めると、それっきりかかってこなくなった。

《特定失踪者・樹下秋男さんについて》

◆氏名:樹下 秋男

(きのしたあきお)

(Akio Kinoshia)

◆失踪年月日:昭和30(1955)年4月7日

◆生年月日:昭和11(1936)年10月8日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:京都市下京区

◆当時の身分:住み込み店員(製麺所)

◆身長:164cm~165cmくらい

◆特徴:人当たりがよい陽気な性格。

◆失踪場所:京都府

【失踪状況】

勤務先に「実家に行ってくる」との書き置きを残して失踪。

実際には実家には行っていない。

以後全く情報なし。

《特定失踪者・小丸勝義さんについて》

◆氏名:小丸 勝義

(こまるかつよし)

(Katsuyoshi Komaru)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年4月10日

◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:造船会社社員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)右肩の中心に縫った痕がある

2)子供の頃のけがで左眉の中心に縫った跡が残っている

3)細面

4)浅黒

◆失踪場所:東京都または京都府舞鶴市

【失踪状況】

大阪の大学を卒業して舞鶴の造船会社に就職が決まり、東京本社で研修を終えて赴任地舞鶴までの切符をもらって以後行方不明。

汽車に乗ったのかどうかも分からない。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・酒井秀俊さんについて》

◆氏名:酒井 秀俊

(さかいひでとし)

(Hidetoshi Sakai)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月16日?

◆生年月日:昭和27(1952)年1月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:京都市右京区

◆当時の身分:立命館大学経済学部4年生

◆身長:170cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)盲腸の手術跡

3)酒はつきあい程度

4)趣味は絵画、スキー

◆失踪場所:不祥(当時京都市右京区に下宿)

【失踪状況】

当時両親は転勤族で山形在住、姉は結婚し祖母と実家の愛知県一宮市に住んでいたので、本人の失踪時期は正確にはわからない。

就職は岐阜県大垣市内に内定し、卒論に追われていた。

正月に母や姉の住む山形にも一宮市にも帰省しなかった。

下宿していた部屋はたった今まで生活していたような感じだった。

失踪前の11月、海外旅行で一人でアムステルダムに2~3週間に行っていた。

山形県警HP

http://www.pref.yamagata.jp/police/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・澤辺和也さんについて》

◆氏名:澤辺 和也

(さわべかずや)

(Kazuya Sawabe)

◆失踪年月日:平成13(2001)年12月3日

◆生年月日:昭和42(1967)年5月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府網野町(現・京丹後市

◆当時の身分:料理師

◆身長:178cm

◆体重:65kg~70kg

◆特徴:

1)左胸に傷

2)顔の右に大きなほくろ

3)がに股歩き

4)細身

5)酒は何でも飲める

6)煙草はホープを吸う

7)剣道、柔道をしていた

◆失踪場所:京都府宮津市の勤務先から帰宅途中

【失踪状況】

12月3日午後5時半頃、宮津市日置の職場から「6時には帰宅する」と電話をかけてきたが、夜になっても自宅に戻らずその後行方不明。

20日経った12月23日夜、京都府宮津警察署より宮津市内の山中で炎上した跡のある車発見の報。

付近住民が午前2時頃車が立ち去っていく音と、その後の爆発音を聞いている。

本人の姿はなく、雪解けを待って翌年4月に捜索が行われたが、焼けた車から100mほど離れた位置で本人の財布が発見されたのみであった。

《特定失踪者・田中浩史さんについて》

◆氏名:田中 浩史

(たなかひろし)

(Hiroshi Tanaka)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月5日

◆生年月日:昭和35(1960)年6月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:ビルメンテナンス(排水管清掃等)

◆身長:170cm~172cm

◆体重:50kg

◆血液型:B型

◆特徴:

1)痩せ型

2)顔色浅黒

3)実年齢より若く見える

4)飲酒・喫煙をする

5)腰痛持ちのためやや足を引きずり加減で歩く

6)料理が得意

7)手先が器用

◆持病:肩こり、腰痛、喘息性気管支炎の持病あり

◆失踪場所:福井県丹生郡河野村

【失踪状況】

当日朝7時半、いつもと同じ時間に出勤のため車で京都市山科区の家を出る。

同日昼過ぎに勤務先(京都市山科区)から欠勤していると連絡あり。ポケベルで呼び出すが連絡なし。

翌6日捜索願を出す。

10日福井県警丹生警察署から「丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見した」との報があり、丹生郡河野村の海岸沿いに車が発見された。

夕方確認に出向くと車の中に本人のバッグ、ポケベル、免許証があったが、財布は発見できず。海も捜したが見つからなかった。

所持金は2万円~3万円だったと思われる。

同年6月に福井県警より4月5日午前中に福井県内の道でスピード違反をして本人署名のある納付書が送付された。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・種田 誠さんについて》

◆氏名:種田 誠

(たねだまこと)

(Makoto Taneda)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月

◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:焼肉料理店チーフ

◆特徴:盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

京都市内のアパートから失踪。

「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。

以来何の連絡もない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・福本勝利さんについて》

◆氏名:福本 勝利

(ふくもとかつとし)

(Katsutoshi Fukumoto)

◆失踪年月日:平成7(1995)年5月11日

◆生年月日:昭和47(1972)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:滋賀県長浜市神照町

◆当時の身分:会社員。以前は兵庫県高砂市で家業の漁業を手伝っていた

◆身長:172cm

◆体重:52kg

◆特徴:

1)18歳のとき脳腫瘍手術をしているため頭の後ろに10cm角の傷があり、頭上前から耳の後ろを通って皮の中側に体の前の方へ管が入っている

2) バレーボールをしていた

◆失踪当時の服装:青色の上下作業服、安全靴、眼鏡、腕時計

◆失踪場所:滋賀県虎姫町の会社から

【失踪状況】

兵庫県高砂市で家の仕事(漁業)を手伝っていたが、手術もしていたため疲れやすく、休むことも多かったので、求人広告で京都市下京区で紹介された滋賀の会社へ行く。

一度見学し、自分に出来そうなので行きたいと言い寮に入って仕事をすることになる。

これと言って変わった様子はなかったが、出勤1日目の昼に突然いなくなった。

会社のロッカーに財布や中の現金など鞄の中身そのままに残っていた。

滋賀県警HP

http://www.pref.shiga.lg.jp/police/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■福本勝利さんの母・福本えりさんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第25回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=IszXfdVE0Z4&t=540s

《特定失踪者・古川 龍さんについて》

◆氏名:古川 龍

(ふるかわりょう)

(Ryou Furukawa)

◆失踪年月日:昭和62年(1987)3月以降

◆生年月日:昭和39年(1964)11月4日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:イギリスのデヴォン(Devon)州エクセター(Exeter)市

◆日本国内の住所:京都府京都市

◆当時の身分:留学生

◆身長:167cmくらい

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:エクセター市ないしスペイン

【失踪状況】

大学(英文科)在学時に英語の勉強をするため私費でイギリス・エクセター市に滞在中、スペインに向かった後、行方不明となった。

エクセター市の滞在先だった部屋には荷物が置かれたままだった。

古川 龍さんの失踪について、現時点で北朝鮮との直接の結びつきは見つかっていないが、政府認定拉致被害者有本恵子さんの拉致はイギリスを、松木 薫さんと石岡 亨さんの拉致はスペインを舞台に行われていることもあり、公開をきっかけに新たな情報が出てくることを期待している。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・別役佳子さんについて》

◆氏名:別役 佳子

(べっちゃくけいこ)

(Keiko Betchaku)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年2月

◆生年月日:昭和16(1941)年8月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:京都府京都市

◆当時の身分:スナック店長

◆身長:155cm~156cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)色白

2)飲酒、喫煙する

3)スポーツは何でもやる

◆失踪場所:京都府京都市北区紫野西野町

【失踪状況】

昭和44年(1969)2月、京都市北区紫野西野町に所在したスナック「ダンヒル」(現在は存在しない)に雇われママとして勤務していた当時、高知県香美郡香我美町(現・香南市)の実家に一時帰省の意味で帰ると連絡してきたのを最後に行方不明となった。

実家に子どもを預けていた。

日時は不明だが、当時北海道に居住していた弟に家賃とミシンの支払いを依頼する手紙が送られてきた。

本件については別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がおり、それらが関与した拉致の可能性が考えられる。

また、飲食店勤務等の職業で幼い子供がいたという意味では渡辺秀子さんや田口八重子さんらとも類似の点がある。

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・前上昌輝さんについて》

◆氏名:前上 昌輝

(まえがみまさてる)

(Masateru Maegami)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月22日

◆生年月日:昭和32(1957)年7月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:京都市左京区北白川

◆当時の身分:大学受験準備中のため無職。直前まで北海道富良野の牧場で働く。

◆身長:173cm

◆特徴:

1)筋肉質の体格

2)大けがのため左目がやや小さい

3)絵画、書道が得意

4)写真に興味がある

◆失踪場所:北海道旭川駅

【失踪状況】

高校卒業後、美大を志望して東京で受験するも失敗。

1浪して地元京都を中心に受験するが再び失敗した。「人生修業のために北海道に行きたい」と言って、4月に京都の自宅を出発し、2ヶ月ほど横浜で当面の資金を稼いで、母に「お金が貯まったので、いよいよ北海道へ行く」と電話をしてきた。

北海道に渡り、道庁で紹介を受けた富良野の牧場で4ヶ月ほど働く。

8月下旬に母に電話で「大学受験を決意した」と話し、9月20日に牧場を退職。

国鉄旭川駅前のホテルに2泊宿泊し、22日午前10時頃、旭川駅の荷物一時預りにザックを預け、「3日間お願いします」と言って出かけたのが最後で行方不明になった。

北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。

後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。

同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。

電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。

以来手がかりは全くない。

平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

■前上昌輝さんの同窓生によるHP

http://www.ja3yaq.ampr.org/%7Ejh3txp/kitashirakawa/maegami.html

《特定失踪者・松本重行さんについて》

◆氏名:松本 重行

(まつもとしげゆき)

(Shigeyuki Matsumoto)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月17日

◆生年月日:昭和10(1935)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:48歳

◆当時の住所:京都府舞鶴市

◆当時の身分:漁師。漁業協同組合職員

◆身長:165cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)喫煙する

2)酒は飲まない

3)コーヒーが好き

4)カラオケが好き

5)囲碁・将棋が好き

◆失踪場所:京都府舞鶴市小橋の海上

【失踪状況】

漁船「照和丸」で刺し網漁業中に行方不明。

船は同日無人の状態で漂泊していたのを発見される。

べた凪、転落しにくい船の構造、ベテラン漁師であることを考えると、転落は有り得ない。

たとえ転落しても、水温も高く自力で船に戻れるはずであり、遭難しても大掛かりな捜索から遺体が発見されたはずである。

出港直後、不審な船が接近している。

京都府の東端に位置し、北朝鮮絡みの事件が多発する地域に隣接する。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・水嶋弥寿志さんについて》

◆氏名:水嶋 弥寿志

(みずしまやすし)

(Yasushi Mizushima)

◆失踪年月日:平成15(2003)年9月8日

◆生年月日:昭和39(1964)年4月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:埼玉県蕨市

◆当時の身分:会社員

◆身長:169cm

◆体重:66kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)前髪を右手と首を上にむけてあげる

2)喫煙しない

3)酒は付き合い程度

4)大またでゆったり歩く

◆趣味:読書、映画、スポーツ(テニス)

◆特技:コンピューター

◆失踪場所:埼玉県蕨市さいたま市大宮区のどちらか

【失踪状況】

平成15年9月4日午前7時30分頃、自宅から勤務先に体調不良で休むと電話連絡。

7日にさいたま市大宮で現金を引き出して以降、消息不明。

失踪前に体調を崩し1週間休みをとっていたが、毎日会社に連絡を入れていた。

9月8日に出社せず連絡も無くなったことで会社の部長や同僚が住居に向かい、行方不明が判明。

昼過ぎに会社から京都府舞鶴市の家族に連絡が入った。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・渡邊晃佐さんについて》

◆氏名:渡邊 晃佐

(わたなべこうすけ

(Kousuke Watanabe)

◆失踪年月日:昭和27(1952)年10月27日

◆生年月日:昭和7(1932)年1月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:京都府京都市右京区上桂三宮町

◆当時の身分:立命館大学学生

◆身長:163cm

◆体重:56kg

◆趣味:ダンス、登山

◆失踪場所:京都府京都市右京区上桂三宮町

【失踪状況】

当日自宅を出て行方不明。

その後連絡なし。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.