もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】小久保稔史さん[拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会]/THK〈愛知〉

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-人を拉致することは、悪いこと。大の大人に、言うことじゃないよな-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会 特定失踪者・小久保稔史さんの従兄弟・石川孝一さんの訴え》

■石川孝一さんの発言趣旨

拉致問題横田めぐみさんに田口八重子さん、有本恵子さんを加えた3人の問題だと大多数の人に理解されているような気がします。

不謹慎ですが2002年、小泉訪朝で帰国を果たすのがこの3名だったら、人々の関心も遠ざかり安倍政権の誕生もなかったかも知れないとさえ思います。

特定失踪者問題調査会で公開する特定失踪者は270名、非公開は200名に上ると聞きます。

政府の「拉致の可能性を排除できない行方不明者」880名も半数近くが非公開です。公開を望まないご家族が半数に迫る実態からも肉親の失踪がいかに多様で複雑な問題であるかが窺えます。

家族がこの理不尽な別離とどう向き合ってきたのか、封じ込めた思いは察するに余りあります。そんな特定失踪者家族の1人の考えとしてお話しさせていただきます。

拉致問題の解決が「国の最重要課題」とされてから15年が過ぎました。拉致問題で総理になれたと揶揄される安倍元総理ですが、功績は政権が変わっても外す事ができない「最重要課題」の呪文とブルーリボンバッジを閣僚の襟に付けさせた事だけだったように思います。

1年のお勤めでしたが、菅総理が「拉致問題にはあらゆる機会を捉え、自ら先頭に立って取り組む」と所信表明演説するや、北朝鮮は「拉致問題に未練を持ち、あちこちに取り入る理解し難い振る舞いをしている」と批判、その上で「拉致問題は我々の誠意と努力ですでに引き戻せないほど完全無欠に解決された」とつれなく反応してきました。

見えすいたポーズだけの日本政府、対話に応じる素振りも見せない金正恩キム・ジョンウン)、拉致問題の解決は20年前に逆戻りしてしまったかとも思える、この頃です。

決して忘れたり、諦めた訳ではないが、期待もしていない…これが特定失踪者家族の現在の心境ではないかと思います。

アメリカのポーリン・ボス博士が研究する「曖昧な喪失」は彼女が接したベトナム戦争での行方不明兵士や9.11同時多発テロで家族を失ったものの遺体の帰ってこない家族が抱える特徴的な精神状態を研究し論文発表されたもので、3.11東日本大震災の行方不明者を抱える家族の支援プロジェクトでも注目されていました。

家族の死をリアルに経験する事なく曖昧なまま如何に死を受け入れるか、また認知症精神疾患などにより別人のようになってしまった家族とどう向き合うか「さよならのない別れ、別れのないさよなら」がもたらすアンビバレントな家族の心模様とその対処法、サポートのあり方を提言している。失踪者を抱える家族はこの「曖昧な喪失」がもたらす、迷路・迷宮に取り込まれ真相が明らかになるまで自問自責を繰り返します。

貨物船の機関長をしていた私の従兄弟・小久保稔史は当時、島根県の温泉津(ゆのつ)と舞鶴の間をピストン輸送していました。

1980年1月13日夜、舞鶴の行きつけのスナックで足取りが途絶えます。警察や消防、海上保安庁も動員して、捜索したものの消息はつかめず、以後は住所のある鳥羽警察署が担当する事になります。失踪者家族は「家出人捜索願」を提出し、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」に従って捜索が行われます。

拉致の可能性を排除できない行方不明者880名は失踪者が「家出人」ではなく「特異行方不明者」であり警察はもっと深入りすべき事案であったことを認めて公表したものと推測されます。

確証のない推察ですが、公安当局が失踪事案に北朝鮮による拉致の可能性を感じ取ったのは1970年代で「失踪事案が北朝鮮による日本国民の略取であれば、警察の捜査が戦争行為を摘発することになる、深入りは謹まねばならない」のような神の声が発せられ、声の主もその声に従った公安幹部もその時の判断がこれ程大きな問題になるとは考えもしなかったに違いありません。

こうして拉致の可能性が排除できない事案はことごとく「家出人」として放置されたと考えないと、警察が全ての拉致事件を見逃した説明はつきません。

従兄弟が失踪した当時の国家公安委員長はカミソリの異名を持つ実力者でした。1969年から警察庁長官を務め、1970年のよど号ハイジャック事件楯の会三島由紀夫割腹事件、1972年の連合赤軍あさま山荘事件など歴史的な公安事件にトップとして対処し、その後政界入りし官房長官など要職を務めています。公安のカリスマであった時代に拉致事件が多発しているのに著書や時事対談の記録には拉致や北朝鮮の話がほとんど出てきません。私は彼こそが「神の声」の主だったのではないかと勝手に思い込んでいます。

覚醒剤、偽ドル札、偽タバコなど北朝鮮ならず者国家らしく外交官まで動員して禁制品の密輸で外貨を獲得しており、取引相手である日本の暴力団との取引を拡大、円滑化するため、日本の港湾施設や航路を知り尽くした日本人の船乗りを必要としていました。

2001年12月、「奄美沖海戦」と呼ばれる北朝鮮工作船海上保安庁の複数の巡視船による銃撃戦が発生、工作船は追い詰められ覚醒剤と見られる積み荷を投棄し、最後は自爆装置を起動させて沈没します。銃撃の最中、工作船からは日本語で「コッチエクルナ」「アッチエイケ」との叫び声を何度も聞いたと巡視船の乗組員が証言しています。

工作船の乗組員は15名(20名説もある)、回収された遺体は沈没時3体、引き揚げ時5体の合わせて8体と記録され、DNA鑑定で日本人は含まれていないと判断、遺骨は鹿児島の寺が保管、供養していると聞きます。

EEZの外、数百メートルの海底に沈んだ工作船は19年前の今日9月11日に引き揚げられ、6日後の9月17日小泉訪朝が実現する事になります。引き揚げられた工作船は現在、横浜みなとみらいにある海上保安庁の資料館に展示されています。 無数に銃弾の跡が残り錆の浮く鉄の塊、グロテスクな工作船を間近に見ると、戦争の遺品としか思えません。

北朝鮮にとって日本は併合の屈辱とともに、朝鮮戦争では厚木や嘉手納が空爆の基地になっており、紛れもなく敵国と考えていた。彼らの戦争は終結しておらず、戦時にゲリラ戦で金品や人質を取るのは有効な作戦の一つと捉えていたとしても不思議はありません。

私の従兄弟、特定失踪者の小久保稔史は舞鶴の在日が経営するスナックで経験豊かな日本人船乗りを得る目的で拉致され、工作船に乗り込み航路の案内や瀬渡しの連絡役をさせられ、任務を遂行してきた、拉致されて20年が経過した2001年、救助されるべき母国の公安により銃撃を受け、非業極まる最後を迎えた---。家族はこんな結末を望まないけど、限られた事実のパーツを並べ、余白を空想で埋めると、現れた絵柄はこんなものです、家族や仕事を無責任に捨てた「家出人」よりは多少マシな気がします。

「拉致は悪魔の仕業です、解決をみんなで祈りましょう」政府もメデイアの訴えや世論の声さえ私たちにはこんな風に聞こえます。北朝鮮の状況や対応に関係なく日本政府、当局が独自にできる事、対処すべき事があるのに誰も掛け違えたボタンを正す勇気を持っていなかった。

■以下は、政府に対する要請

1、「拉致の可能性を排除できない行方不明者」などと第三者のような言い方をやめ、「拉致」が北朝鮮の犯行を連想させると言うなら「強制失踪」と言い換え「強制失踪されたものとして警察が捜査している行方不明者」と言い直し、政府や警察は国民の命を守る当事者であることを明言してもらいたい。

2、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」の中で特異行方不明者の判断基準が曖昧で、家族にも警察の判断や見解は開示されない、家族に「家出人捜索願」(当時)を出させて、犯罪の被害者である「強制失踪者」を十分な捜索もせず「家出人」扱いしている。人命に関わる捜索とは思えない杜撰な規則は直ちに見直してほしい。

3、強制失踪を疑っていたとするなら、当時の捜査資料(廃棄してない資料もあると聞く)を家族に開示する。また6年前、北朝鮮が再調査の途中報告として提示または打診してきた内容がどんなものだったのか情報開示してもらいたい。

4、日朝ピョンヤン宣言に「『拉致』と『工作船』は今後行いません」。と金正日キム・ジョンイル)が宣誓したことで、安全・安心は確保されたと考えていないか。ストックホルム合意はすでに白紙化し、日朝ピョンヤン宣言もいつ無効化を宣言するとも限らない。

拉致は朝鮮総連在日朝鮮人の協力者(土台人)なしにはなしえなかった。主権や人権侵害の抑止を目的とした法制化などの対策が講じられたとは思えない。国民の生命と財産を守るという原点に立って、政治の役割を果たせなかったのは不作為というより、不正義に加担する結果になった事を重く受け止めて、今からでも対策を講じてもらいたい。

拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会

https://youtube.com/watch?v=MsRFYBJvzwc&feature=emb_imp_woyt

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

救う会愛知ブログ

http://sukuukai-aichi.at.webry.info/

ブルーリボン豊橋HP

http://teramotoh.net/kusanonesyuukai.html

ブルーリボン豊川・どすごいネット

https://dosugoi-net.jp/group-detail.php?id=6393

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

救う会三重HP

http://www7.cty-net.ne.jp/~mie/sukuukai/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》

◆氏名:小久保 稔史

(こくぼとしひと)

(Toshihito Kokubo)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日

◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町

◆当時の身分:船員(機関長)

◆身長:163cm

◆体重:57kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)浅黒

3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ

4)盲腸の手術痕あり

5)話し方ややうけ口

6)歌が上手で演歌を好む

7)手先は器用だった

◆失踪場所:京都府舞鶴市のスナックを出たあと

【失踪状況】

島根県温泉津港を出発し、1月13日朝、舞鶴港へ入港。

その日は日曜日で作業がなかったため、午後7時に東舞鶴のスナックを一人で出て、家族に「パチンコ屋の横から」と言って三重県鳥羽市の自宅に電話をした。

電話では長女の入学準備の話など普通の口調で話をしたが、その後消息不明。

スナックを出た時点で船の同僚と別れている。

船室もそのまま、コートも置いてあった。

舞鶴海上保安部、東舞鶴警察署、鳥羽警察署に捜索依頼をする。

また、家族親戚が舞鶴を捜したが見つからず。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》

◆氏名:川満 敏弘

(かわみつとしひろ)

(Toshihiro Kawamitsu)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月

◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市港区

◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者

沖縄県城部町出身

◆身長:160cmくらい

◆特徴:

1)痩せ型

2)四角顔

3)浅黒

4)左右いずれかの目頭に切り傷有り

5)世話好きの性格だった

◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て

【失踪状況】

妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。

季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。

同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。

愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・加藤鈴勝さんについて》

◆氏名:加藤 鈴勝

(かとうすずかつ)

(Suzukatsu Katou)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月

◆生年月日:大正11(1922)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:55歳

◆身長:170cm

◆体重:56kg

◆当時の身分:設計技師

◆当時の住所:愛知県名古屋市中村区

◆特徴:

1)背中に7cmくらいのお灸の跡が2つ

2)1日1箱くらい喫煙する

3)趣味は釣り。川釣り道具は特注で、小物は自分で作り楽しんでいた

◆失踪場所:愛知県名古屋市の自宅から

【失踪状況】

失踪した年の秋、加藤さんから次女・京子さんに朝8時頃本人から電話があり、弾んだ声で何か伝えたいという感じだったが、仕事で出なければならないと伝えると、「そうか。頑張れよ」と言って電話を切った。

弾んだ声で電話があったが、その1~2ヶ月後に長男から「父がいない」と連絡を受けた。

次女が事件ではないかと警察に届けを出した結果、空き巣に何度も入られており、3人分ほど土足の跡があったが、車、免許証、実印、通帳、鍵が机の上に残されていて、衣服、履物も残されていた。

数日後、警察と再度室内の確認をすると、玄関のドアの金具のねじが外されており、鍵付きの箪笥がこじ開けられていた。

そして中にあるはずの株券がすべて無くなっていた。

《特定失踪者・加藤悦子さんについて》

◆氏名:加藤 悦子

(かとうえつこ)

(Etsuko Katou)

◆失踪年月日:平成元(1989)年8月23日

◆生年月日:昭和23(1948)年1月3日

◆性別:女性

◆当時の年齢:41歳

◆当時の住所:愛知県尾張旭市

◆当時の身分:看護師

◆身長:160cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:趣味は畑仕事、農作業

◆失踪場所:愛知県尾張旭市の自宅

【失踪状況】

家族を送り出し、午前中勤務先の医院を無断欠勤。

夕方自宅に「ご飯を作って食べていてくれる?」との電話。

当日夜、夫が鏡台内から「これから旅に出る」という手紙を発見。

翌日には鹿児島の実家、兄弟姉妹、当時から過去の交友関係などすべて調べるが手がかりなし。

いつも持ち歩いていたバックも家にある。

通帳印鑑も同様。

現金を引き出した痕跡なし。

給料前だったので所持金はほとんどない。

看護婦免許も家に置いたまま。

服も持ち出した形跡なし。

性格上自殺は考えにくい。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・保泉泰子さんについて》

◆氏名:保泉 泰子

(ほいずみやすこ)

(Yasuko Hoizumi)

◆失踪年月日:平成3(1991)年11月10日

◆生年月日:昭和11(1936)年8月25日

◆性別:女性

◆当時の年齢:55歳

◆当時の住所:愛知県日進市

◆当時の身分:主婦(元看護師)

◆身長:143cm

◆体重:43kg

◆血液型:O型

◆失踪場所:愛知県日進市

【失踪状況】

自宅から400m~500m先のコンビニにお茶の葉を購入に行く途中行方不明。

失踪時、家を建て替え中で、コンクリート工事の人に出すお茶が切れていたため、午後5時頃、家を出て近くのコンビニエンス・ストアーに行ったまま帰らず。

新しい家ができることを誰よりも楽しみにしていた。

所持品は財布と買い物手提げ程度。

所持金も小額で、普段着だった。

失踪後、自宅に無言電話が月に2~3回あった。

《特定失踪者・山口美好さんについて》

◆氏名:山口 美好

(やまぐちみよし)

(Miyoshi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月3日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:大阪府守口市

◆当時の身分:無職(国鉄職員を退職し、仕事を探していた)

◆身長:170cm

◆特徴:

1)細身だががっしりした体格

2)野球をしていた

3)生真面目でうまく立ち回れないタイプ

4)喫煙する

5)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府守口市

【失踪状況】

職場の同僚が事故で死亡し、その現場を見たショックから「国鉄にいたくない」と言い出した。

別の仕事を始めると言い出し、失踪前日の夜遅く、その仕事を紹介した人物と兄の家を訪れた。

兄は反対し喧嘩になったが、翌日の朝、心配して守口市の下宿先を訪ねると、一切の荷物が整理され、本人はいなくなっていた。

身分証明書や現金等が机の上に残されていた。

失踪後、家族が守口市役所を訪問して住民票を確認しようとしたが、原本が見当たらず、市の助役が謝罪するという出来事があった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・布施範行さんについて》

◆氏名:布施 範行

(ふせのりゆき)

(Noriyuki Fuse

◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月

◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市北区

◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)

◆身長:180cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)寡黙でおとなしい

◆失踪場所:

1)愛知県

2)沖縄県

【失踪状況】

前年に大学卒業後、愛知県名古屋市の会社に入社後、研修を経て岐阜支店に勤務したが、その年の12月に退社。

失踪当時は名古屋のプレハブ工事現場で働く。

3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。

3ヶ月前に実家で会ったときとは別人の様相。

「2ヶ月で帰る」とあったがその後連絡なし。

預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。

家財、布団など全て処分していた。

昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。

失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。

平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。

山形県警HP

http://www.pref.yamagata.jp/police/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・佐藤正行さんについて》

◆氏名:佐藤 正行

(さとうまさゆき)

(Masayuki Satou)

◆失踪年月日:昭和61(1986)年10月29日

◆生年月日:昭和33(1958)年12月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市千種区

◆当時の身分:製薬会社勤務

秋田県秋田市新屋出身

◆身長:170cm

◆体重:60cm

◆特徴:

1)やや面長

2)眼鏡とコンタクトレンズを併用

◆失踪場所:愛知県名古屋市千種区の自宅マンション

【失踪状況】

外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。

部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。

秋田県警HP

http://www.police.pref.akita.jp/

《特定失踪者・安西正博さんについて》

◆氏名:安西 正博

(あんざいまさひろ)

(Masahiro Anzai)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月14日

◆生年月日:昭和43(1948)年9月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市名東区

◆当時の身分:会社員(荏原製作所

◆栃木県小山市出身

◆身長:173cm

◆特徴:

1)色白

2)笑うと八重歯

3)髪はくせ毛

4)近視で眼鏡をかけている

◆失踪場所:愛知県名古屋市

【失踪状況】

会社の寮から車で出かけ、そのまま行方不明になる。

最後に姿を見たのは寮の管理人。

日曜日だったので、寮の玄関で「安西君、食事はどうする?」と声をかけたら「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで車で出かけた。

前日買った単行本3冊が机の上に置いたまま。レシートも挟んであった。

前に実家に電話、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る、お土産を買っていく」と話していた。

3ヶ月後、寮を引き揚げるとき礼服の内ポケットに祝儀袋が入っていた。

自ら消息を絶つとは考えられない。

■栃木県警HP

http://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》

◆氏名:尾方 晃

(おがたあきら)

Akira Ogata)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日

◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都市北区衣笠西馬場町

◆当時の身分:立命館大学学生。レストランでアルバイトをしていた

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆特徴:

1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり

2)右手中指第3関節の骨が突起している

◆失踪場所:京都府京都市北区

【失踪状況】

京都市北区の下宿先から失踪。

直前の年末には岐阜の実家に帰省した。

翌年1月、京都市内のアルバイト先から「アルバイト代を払いたいが実家に帰っていないか」と連絡があった。

家族がアパートに行くが、荷物、お金はそのまま残っていた。

家賃は1年間支払っていなかった。

2月13日に預金を引き出した形跡がある。

3月30日に叔父が死去し、本人に電話したが連絡つかず。

また、名古屋の妹に縁談があり、会社を退職する前に京都を案内してほしいと手紙を出したが返事がなかった。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・辻 與一さんについて》

◆氏名:辻 與一

(つじよいち)

(Yoichi Tsuji)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年12月5日

◆生年月日:昭和24(1949)年2月6日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の身分:工業高校英語教諭

◆当時の住所:三重県桑名市大字上野

◆身長:170cm

◆特徴:

1)メガネ(近視用)をかけている

2)時々顎をはずすことがある

◆失踪場所:三重県桑名市のアパート

【失踪状況】

勤務校では同和地区の生徒の指導を担当。

下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行った。

部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

12月4日から7日まで休暇を取っていたが、8日に勤務している学校に来ないので、校長が家族に連絡してきた。

アパートの部屋はそのままの状態で、食べかけのパンとコーヒーがあった。

また、貯金箱のお金が散らばっており、預金通帳も残っていた。金が引出された痕跡もなかった。

19日に愛知県名古屋市で開催予定のクラシック・コンサートのチケットが残っていた。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》

◆氏名:渡邉 浩成

(わたなべひろまさ)

(Hiromasa Watanabe)

◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)

◆当時の住所:愛知県名古屋市中区

新潟県三条市出身

◆当時の職業:郵便局員

◆身長:170cmくらい

【失踪状況】

昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.