もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】小久保稔史さん[拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会]/THK〈三重〉

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-人を拉致することは、悪いこと。大の大人に、言うことじゃないよな-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会 特定失踪者・小久保稔史さんの従兄弟・石川孝一さんの訴え》

■石川孝一さんの発言趣旨

拉致問題横田めぐみさんに田口八重子さん、有本恵子さんを加えた3人の問題だと大多数の人に理解されているような気がします。

不謹慎ですが2002年、小泉訪朝で帰国を果たすのがこの3名だったら、人々の関心も遠ざかり安倍政権の誕生もなかったかも知れないとさえ思います。

特定失踪者問題調査会で公開する特定失踪者は270名、非公開は200名に上ると聞きます。

政府の「拉致の可能性を排除できない行方不明者」880名も半数近くが非公開です。公開を望まないご家族が半数に迫る実態からも肉親の失踪がいかに多様で複雑な問題であるかが窺えます。

家族がこの理不尽な別離とどう向き合ってきたのか、封じ込めた思いは察するに余りあります。そんな特定失踪者家族の1人の考えとしてお話しさせていただきます。

拉致問題の解決が「国の最重要課題」とされてから15年が過ぎました。拉致問題で総理になれたと揶揄される安倍元総理ですが、功績は政権が変わっても外す事ができない「最重要課題」の呪文とブルーリボンバッジを閣僚の襟に付けさせた事だけだったように思います。

1年のお勤めでしたが、菅総理が「拉致問題にはあらゆる機会を捉え、自ら先頭に立って取り組む」と所信表明演説するや、北朝鮮は「拉致問題に未練を持ち、あちこちに取り入る理解し難い振る舞いをしている」と批判、その上で「拉致問題は我々の誠意と努力ですでに引き戻せないほど完全無欠に解決された」とつれなく反応してきました。

見えすいたポーズだけの日本政府、対話に応じる素振りも見せない金正恩キム・ジョンウン)、拉致問題の解決は20年前に逆戻りしてしまったかとも思える、この頃です。

決して忘れたり、諦めた訳ではないが、期待もしていない…これが特定失踪者家族の現在の心境ではないかと思います。

アメリカのポーリン・ボス博士が研究する「曖昧な喪失」は彼女が接したベトナム戦争での行方不明兵士や9.11同時多発テロで家族を失ったものの遺体の帰ってこない家族が抱える特徴的な精神状態を研究し論文発表されたもので、3.11東日本大震災の行方不明者を抱える家族の支援プロジェクトでも注目されていました。

家族の死をリアルに経験する事なく曖昧なまま如何に死を受け入れるか、また認知症精神疾患などにより別人のようになってしまった家族とどう向き合うか「さよならのない別れ、別れのないさよなら」がもたらすアンビバレントな家族の心模様とその対処法、サポートのあり方を提言している。失踪者を抱える家族はこの「曖昧な喪失」がもたらす、迷路・迷宮に取り込まれ真相が明らかになるまで自問自責を繰り返します。

貨物船の機関長をしていた私の従兄弟・小久保稔史は当時、島根県の温泉津(ゆのつ)と舞鶴の間をピストン輸送していました。

1980年1月13日夜、舞鶴の行きつけのスナックで足取りが途絶えます。警察や消防、海上保安庁も動員して、捜索したものの消息はつかめず、以後は住所のある鳥羽警察署が担当する事になります。失踪者家族は「家出人捜索願」を提出し、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」に従って捜索が行われます。

拉致の可能性を排除できない行方不明者880名は失踪者が「家出人」ではなく「特異行方不明者」であり警察はもっと深入りすべき事案であったことを認めて公表したものと推測されます。

確証のない推察ですが、公安当局が失踪事案に北朝鮮による拉致の可能性を感じ取ったのは1970年代で「失踪事案が北朝鮮による日本国民の略取であれば、警察の捜査が戦争行為を摘発することになる、深入りは謹まねばならない」のような神の声が発せられ、声の主もその声に従った公安幹部もその時の判断がこれ程大きな問題になるとは考えもしなかったに違いありません。

こうして拉致の可能性が排除できない事案はことごとく「家出人」として放置されたと考えないと、警察が全ての拉致事件を見逃した説明はつきません。

従兄弟が失踪した当時の国家公安委員長はカミソリの異名を持つ実力者でした。1969年から警察庁長官を務め、1970年のよど号ハイジャック事件楯の会三島由紀夫割腹事件、1972年の連合赤軍あさま山荘事件など歴史的な公安事件にトップとして対処し、その後政界入りし官房長官など要職を務めています。公安のカリスマであった時代に拉致事件が多発しているのに著書や時事対談の記録には拉致や北朝鮮の話がほとんど出てきません。私は彼こそが「神の声」の主だったのではないかと勝手に思い込んでいます。

覚醒剤、偽ドル札、偽タバコなど北朝鮮ならず者国家らしく外交官まで動員して禁制品の密輸で外貨を獲得しており、取引相手である日本の暴力団との取引を拡大、円滑化するため、日本の港湾施設や航路を知り尽くした日本人の船乗りを必要としていました。

2001年12月、「奄美沖海戦」と呼ばれる北朝鮮工作船海上保安庁の複数の巡視船による銃撃戦が発生、工作船は追い詰められ覚醒剤と見られる積み荷を投棄し、最後は自爆装置を起動させて沈没します。銃撃の最中、工作船からは日本語で「コッチエクルナ」「アッチエイケ」との叫び声を何度も聞いたと巡視船の乗組員が証言しています。

工作船の乗組員は15名(20名説もある)、回収された遺体は沈没時3体、引き揚げ時5体の合わせて8体と記録され、DNA鑑定で日本人は含まれていないと判断、遺骨は鹿児島の寺が保管、供養していると聞きます。

EEZの外、数百メートルの海底に沈んだ工作船は19年前の今日9月11日に引き揚げられ、6日後の9月17日小泉訪朝が実現する事になります。引き揚げられた工作船は現在、横浜みなとみらいにある海上保安庁の資料館に展示されています。 無数に銃弾の跡が残り錆の浮く鉄の塊、グロテスクな工作船を間近に見ると、戦争の遺品としか思えません。

北朝鮮にとって日本は併合の屈辱とともに、朝鮮戦争では厚木や嘉手納が空爆の基地になっており、紛れもなく敵国と考えていた。彼らの戦争は終結しておらず、戦時にゲリラ戦で金品や人質を取るのは有効な作戦の一つと捉えていたとしても不思議はありません。

私の従兄弟、特定失踪者の小久保稔史は舞鶴の在日が経営するスナックで経験豊かな日本人船乗りを得る目的で拉致され、工作船に乗り込み航路の案内や瀬渡しの連絡役をさせられ、任務を遂行してきた、拉致されて20年が経過した2001年、救助されるべき母国の公安により銃撃を受け、非業極まる最後を迎えた---。家族はこんな結末を望まないけど、限られた事実のパーツを並べ、余白を空想で埋めると、現れた絵柄はこんなものです、家族や仕事を無責任に捨てた「家出人」よりは多少マシな気がします。

「拉致は悪魔の仕業です、解決をみんなで祈りましょう」政府もメデイアの訴えや世論の声さえ私たちにはこんな風に聞こえます。北朝鮮の状況や対応に関係なく日本政府、当局が独自にできる事、対処すべき事があるのに誰も掛け違えたボタンを正す勇気を持っていなかった。

■以下は、政府に対する要請

1、「拉致の可能性を排除できない行方不明者」などと第三者のような言い方をやめ、「拉致」が北朝鮮の犯行を連想させると言うなら「強制失踪」と言い換え「強制失踪されたものとして警察が捜査している行方不明者」と言い直し、政府や警察は国民の命を守る当事者であることを明言してもらいたい。

2、国家公安委員会が制定する「行方不明者発見活動に関する規則」の中で特異行方不明者の判断基準が曖昧で、家族にも警察の判断や見解は開示されない、家族に「家出人捜索願」(当時)を出させて、犯罪の被害者である「強制失踪者」を十分な捜索もせず「家出人」扱いしている。人命に関わる捜索とは思えない杜撰な規則は直ちに見直してほしい。

3、強制失踪を疑っていたとするなら、当時の捜査資料(廃棄してない資料もあると聞く)を家族に開示する。また6年前、北朝鮮が再調査の途中報告として提示または打診してきた内容がどんなものだったのか情報開示してもらいたい。

4、日朝ピョンヤン宣言に「『拉致』と『工作船』は今後行いません」。と金正日キム・ジョンイル)が宣誓したことで、安全・安心は確保されたと考えていないか。ストックホルム合意はすでに白紙化し、日朝ピョンヤン宣言もいつ無効化を宣言するとも限らない。

拉致は朝鮮総連在日朝鮮人の協力者(土台人)なしにはなしえなかった。主権や人権侵害の抑止を目的とした法制化などの対策が講じられたとは思えない。国民の生命と財産を守るという原点に立って、政治の役割を果たせなかったのは不作為というより、不正義に加担する結果になった事を重く受け止めて、今からでも対策を講じてもらいたい。

拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会

https://youtube.com/watch?v=MsRFYBJvzwc&feature=emb_imp_woyt

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

救う会三重HP

http://www7.cty-net.ne.jp/~mie/sukuukai/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》

◆氏名:小久保 稔史

(こくぼとしひと)

(Toshihito Kokubo)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日

◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町

◆当時の身分:船員(機関長)

◆身長:163cm

◆体重:57kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)浅黒

3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ

4)盲腸の手術痕あり

5)話し方ややうけ口

6)歌が上手で演歌を好む

7)手先は器用だった

◆失踪場所:京都府舞鶴市のスナックを出たあと

【失踪状況】

島根県温泉津港を出発し、1月13日朝、舞鶴港へ入港。

その日は日曜日で作業がなかったため、午後7時に東舞鶴のスナックを一人で出て、家族に「パチンコ屋の横から」と言って三重県鳥羽市の自宅に電話をした。

電話では長女の入学準備の話など普通の口調で話をしたが、その後消息不明。

スナックを出た時点で船の同僚と別れている。

船室もそのまま、コートも置いてあった。

舞鶴海上保安部、東舞鶴警察署、鳥羽警察署に捜索依頼をする。

また、家族親戚が舞鶴を捜したが見つからず。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・川合健二さんについて》

◆氏名:川合 健二

(かわいけんじ)

Kenji Kawai)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年4月4日

◆生年月日:昭和22(1947)年2月6日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:山梨県中巨摩郡竜王町(現・山梨県甲斐市

◆当時の身分:会社員

三重県津市出身

◆身長:167cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左利き

2)趣味は魚釣り

3)たばこはショートホープを吸っていた

◆失踪場所:山梨県中巨摩郡

【失踪状況】

夕方、山梨県内の路上で母子2名に対する人身事故を起こし(被害者は生命に別状なし)、被害者を病院に送り届けたあと自宅に戻ってきた。

自宅に「警察が来る」との連絡を受けたあとに家を出て行き行方不明となる。

車(ナンバー/山梨55 は7111号)も見つかっていない。

失踪直前、10万円くらい小分けにして300万円が引き出されていた。

山梨県警HP

http://www.pref.yamanashi.jp/police/

【調査会による川合健二さん失踪の調査結果】

川合健二さんは昭和54(1979)年4月4日夕刻、中巨摩郡内で運転中接触事故を起こし、被害者を病院に送り届けてから一旦自宅に戻ったが、すぐに車で家を出て所在不明となる。車も見つかっていない。失踪直前、10万円くらいずつ小分けにして300万円が引き出されていた。

川合さんには当時、「山ちゃん」と呼ばれる在日の友人がおり、川合さんが留守でも自宅に上り込み、借金を申し込むような人物であった。

家族の話では、川合さんの失踪後に北朝鮮に渡ったと聞いており、実際川合さんの失踪後は自宅に顔を見せなくなった。

家族が知らぬ間に合計で300万円の預金を引き出していたこと、川合さんの失踪後に顔を見せなくなった在日の人物が川合さんの失踪の謎を知っているのかについてさらに今後の調査が必要である。

《特定失踪者・平山政子さんについて》

◆氏名:平山 政子

(ひらやままさこ)

(Masako Hirayama)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年3月24日

◆生年月日:昭和21(1946)年9月4日

◆性別:女性

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:青森県青森市

◆当時の身分:飲食店従業員。マジックショーのアシスタント

◆血液型:A型

◆失踪場所:青森県青森市

【失踪状況】

当日、絵を描いていた姉妹が入賞し、お祝いのために待ち合わせていたが現れず。

アパートを訪ねると、特に身辺整理した様子もなく、普段の生活状況のまま。

残されていた通帳には現金が挟んであった。

無断欠勤したことのない政子さんが丸2日も職場に連絡せず失踪。

趣味の手品のアシスタントとしてステージに立つこともあった。

同日、ハワイで行われるマジックの世界大会に参加するための打ち合わせがあった。

政子さんが使用していた車は自宅アパートから約1.6kmほど離れた場所に放置されていた。

青森県警HP

http://www.police.pref.aomori.jp/

《特定失踪者・辻 與一さんについて》

◆氏名:辻 與一

(つじよいち)

(Yoichi Tsuji)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年12月5日

◆生年月日:昭和24(1949)年2月6日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の身分:工業高校英語教諭

◆当時の住所:三重県桑名市大字上野

◆身長:170cm

◆特徴:

1)メガネ(近視用)をかけている

2)時々顎をはずすことがある

◆失踪場所:三重県桑名市のアパート

【失踪状況】

勤務校では同和地区の生徒の指導を担当。

下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行った。

部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

12月4日から7日まで休暇を取っていたが、8日に勤務している学校に来ないので、校長が家族に連絡してきた。

アパートの部屋はそのままの状態で、食べかけのパンとコーヒーがあった。

また、貯金箱のお金が散らばっており、預金通帳も残っていた。金が引出された痕跡もなかった。

19日に愛知県名古屋市で開催予定のクラシック・コンサートのチケットが残っていた。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・大政由美さんについて》

◆氏名:大政 由美

(おおまさゆみ)

(Yumi O'masa

◆失踪年月日:平成3(1991)年3月28日

◆生年月日:昭和42(1967)年4月5日

◆性別:女

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:三重県津市江戸橋1丁目

◆当時の身分:三重大学研究生

愛媛県伊予市出身

◆身長:150cm

◆血液型:A型

◆特徴:下唇の下に縫合跡(2歳6カ月の時に5針くらい)

◆失踪場所:韓国慶州市

【失踪状況】

同年3月に三重大を卒業。考古学専攻。

3月27日夜、慶州ユースホステルにチェックインし、翌朝10時に荷物を置いたまま外出し、その後消息不明。

現地、慶州警察署で捜索。

単身韓国を訪れていた。

4月からは研究生として同大学に通う予定だった。

1991年3月~1994年10月の間に数回無言電話。

正確な日付は不明だが、午後から夕方にかけてがほとんど。

受話器を取ると人の息、生活音も聞こえず受話器を置くまで一言も話さなかった。

また、失踪の約1ヶ月後、愛媛県の実家の近くに2、3人が乗った黒っぽい車が隣の家の前に日中長時間停まっていた。

北朝鮮にいるとの複数の不確定情報がある。

愛媛県警HP

http://www.police.pref.ehime.jp/

■「救け出す」大政由美さん

https://youtube.com/watch?v=GbuOMDshRWY

■大政由美さんの母・悦子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第31回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=N185daN1Crg

【調査会による大政由美さん失踪の調査結果】

今回は由美さんの失踪から約1ヶ月後の4月下旬に由美さんの実家前に停車していた不審車両について、母・悦子さんから聴取と現場での説明を受けた。

不審車両は黒っぽいセダンで男3名が乗車し、由美さんの実家前に長時間停車し、最初に発見したときから悦子さんは「異様な恐怖心を抱いた」という。周囲の状況や説明から、由美さんの実家を監視していたとも取れる状態は何を示唆するのか、今後も関連情報について調査してゆくこととなった。

《特定失踪者・辻出紀子さんについて》

◆氏名:辻出 紀子

(つじでのりこ)

(Noriko Tsujide)

◆失踪年月日:平成10(1998)年11月24日

◆生年月日:昭和49(1974)年11月3日

◆性別:女性

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:三重県津市

◆当時の身分:雑誌社記者(地域雑誌編集者)

◆身長:161cm

◆体重:46kg

◆特徴:大学では写真部に所属していた

◆失踪場所:三重県伊勢市

【失踪状況】

1998年(平成10年)11月24日午後11時頃、勤務先の三重県伊勢市神田久志本町の出版社「伊勢文化舎」を出た後、行方不明。

翌日、会社近くの損保会社の駐車場(当時。現在は自動車会社)で本人の車が発見された。車は荒らされた様子はなかったが、所持品などは残されていなかった。

ただし、

1)車内にタバコが一本残っていたこと(本人はタバコを吸わない)

2)車の座席が後ろになっていたこと(本人の身長と合致しない)

3)カーステレオのスイッチが切られていたこと(本人はいつもスイッチをつけっぱなしだった)

以上3点から、本人ではない第三者が車を移動した可能性がある。また、前日までタイに旅行に行っており、帰国したばかりだった。

失踪の直前、取材で知り合った尾鷲市在住の男性から数度本人に電話があり、その男性と駐車場で待ち合わせをしたと推測されている。

同男性によれば、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」というものだった。

三重県警は、同男性を被疑者として別件(別の女性の拉致監禁容疑)で逮捕したものの、裁判で無罪となった。

同男性は「無罪になれば全てを話す」と語っていたが、その後一切の証言を拒否している。

■辻出紀子さんの母のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第99回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=k-4uL3yXca8

■辻出紀子さん写真展-旅のあしあと-

http://www.tsujidenoriko.jp/top.html

《特定失踪者・和田佑介さんについて》

◆氏名:和田 佑介

(わだゆうすけ)

(Yu-suke Wada)

◆失踪年月日:平成14(2002)年5月7日

◆生年月日:昭和52(1977)年1月30日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:広島県広島市佐伯区

◆当時の身分:会社員

◆身長:172cm

◆体重:80kg

◆失踪場所:広島県広島市佐伯区

和田佑介さんは失踪時期に三重県桑名市に来ていたことが確認されています

【失踪状況】

5月7日、会社から無断欠勤していると連絡がある。

その後行方が分からず。

アパートは、冷蔵庫湯沸しポットなど、全て電気も入れてあり、普通どおりの生活感があり、ちょっと外へ出ると言ったような様子。携帯電話、銀行通帳、キャッシュカード、ガソリンカード、免許証、タバコ入れは無かった。

失踪前日まで、全く変わった様子はなかった。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市

https://www.youtube.com/watch?v=APKS5m0plLs

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市

https://youtube.com/watch?v=T5NLto6vx1M

【調査会による和田佑介さん失踪の調査結果】

《足取り》

お母さんが持参した出光興産のカードの記録で5月6日以降の和田さんの足取りを辿ると以下のようになる(同一日の中の順序は異なっている可能性あり)。

[5月6日]

◆出光興産江津給油所で34.51リッター給油(4,348円)

◆五日市料金所(広島市佐伯区)で1,300円支払い

[5月7日]

◆出光興産エアポート石見給油所(島根県益田市)で32.1リッター給油(3,877円)

中国自動車道戸河内料金所(広島県山県郡安芸太田町)で2,450円支払い

[5月8日]

広島銀行東城支店(広島県庄原市東城町)で8時40分に現金40万円引き出し(監視カメラで本人と確認)

◆出光興産帝釈峡パーキングエリア給油所(東城町・中国自動車道上り線)で30.8リッター給油(3,590円)

◆出光興産名四新桑名給油所(三重県桑名市小貝須)で37リッター給油(4,079円-1,222円割引)

日本道路公団関西支社(場所不明)で6,400円支払い

◆東城料金所(広島県庄原市)で4,700円支払い

※三重に行ったのは鈴鹿サーキットで何らかのイベントがありそこに参加したとも考えられたが、この時期鈴鹿サーキットでは行事は行われていなかった。

《失踪前に組んでいた予定》

和田さんは車が好きで整備士になり、入っていたレグナムのサークルの集まりを5月12日に予定しており、本人が幹事をしていた。その準備のやりとりのメールにも自らの意志による失踪を思わせるものはない。

《室内》

なぜか包丁(お母さんが買ったもの)がユニットバスに置かれていた。またテーブルに雑巾があり若干血液が付いていた。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》

◆氏名:渡邉 浩成

(わたなべひろまさ)

(Hiromasa Watanabe)

◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)

◆当時の住所:愛知県名古屋市中区

新潟県三条市出身

◆当時の職業:郵便局員

◆身長:170cmくらい

【失踪状況】

昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.