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【みんな生きている】福留貴美子さん[拉致問題を神戸から発信する8.22集会]/KSS

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※福留貴美子さんは高知県出身です。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!神戸集会で渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関して決議》

(以下は、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のブログからの転載です)

8月22日に開催された「拉致問題を神戸から発信する8.22集会」にご参加頂いた皆様、YouTubeライブで視聴下さった皆様、ありがとうございました。アーカイブではご覧になれますのでご覧になっていない方はぜひご視聴下さい。

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

https://youtu.be/N0aOugnyXFE

集会では以下の通り決議が行われました。

今後国会など様々な方面からはたらきかけ実現させていこうと思いますが、皆様にはあらためてご協力をお願いします。

なお、集会で配布した資料は決議の後に詳細な資料がついています。それについては私のブログでご覧になれます。

■渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関する対応について

昭和49年(1974)6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から連れ去られた高敬美(こうきよみ)・剛(つよし)姉弟について、警察は平成19年(2007)4月12日に拉致被害者として断定しています。二人の母親であり、工作員と知らずに高大基(コ・デキ)と結婚した渡辺秀子さんは行方が分からないままです。殺害されたという情報もありますが、証拠が確認されたわけではなく、北朝鮮に拉致されたという説もあります。特定失踪者問題調査会では拉致濃厚の特定失踪者としています。

警察による高姉弟の拉致断定の後、渡辺秀子さんの妹・鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんは調査会役員とともに内閣府拉致対策本部を訪れました。当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と変わらぬ対応をすると約束しました。

しかし、現実には他の認定拉致被害者とは明確に区別されており、「拉致被害者17人」という言葉が常にくり返されています。法律上の拉致認定が日本国籍者に限定されている現状も変えるべきですが、少なくとも政府の公式見解としての拉致被害者は「19人」とすべきであると思います。国籍を理由に排除するならばそれこそが在日朝鮮人差別であると言わざるを得ません。しかも母親は日本人なのですから。なお、警察断定より4年遡る平成15年(2003)1月に鳥海さんは警視庁に被疑者不詳で殺人及び国外移送目的略取の罪名にて告訴しています。

以上の点から私たちは政府に対して次のことを求めます。

【集会決議】

1.拉致被害者の数を「19人」として明らかにすること。

2.拉致被害者支援法の国籍条項を撤廃し、日本国内で拉致された人及び国外で拉致された日本人全てを対象とすること(特定失踪者でも台湾人の沈静玉さんのように外国人で日本で失踪した人もいます)。

3.渡辺秀子さんの消息に関して政府の立場を明らかにすること。

4.総理大臣が面会するのが認定被害者家族に限定されるなら高姉弟の親族もその対象とすること。

令和3年8月22日

拉致問題を神戸から発信する8.22集会参加者一同

特定失踪者問題調査会

救う会兵庫

■本件資料

1.渡辺秀子さん・敬美・剛姉弟

渡辺秀子さんは昭和16年(1941)6月5日釧路生まれ。

中学生のとき帯広に転居。

市立大谷高校中退。

実家の中華料理店に勤務。その後友人を頼って網走、雄武町を転々とする。

紋別市の飲食店勤務当時高大基(コ・デキ)と出会う。昭和42年(1967)3月1日結婚し、東京へ。中野区に居住。その後、埼玉県入間郡、続いて埼玉県上福岡市に転居。同年4月10日長女・敬美さんを出産。昭和45年(1970)6月29日長男・剛さんを出産。

昭和48年(1973)8月帯広市に一時帰省。その後東京に戻る。10月、ユニバーストレーディング社(ユニトレ社)周辺で突然失踪した夫・高大基の行方を捜す。12月「大阪の友人宅にいる」と電話を両親にした後、失踪。

ユニトレ社の活動実態の発覚を恐れた工作員木下陽子(当時は日本国籍。朝鮮名・洪寿惠=ホン・スヘ)は、後述のドミトルグループに身柄の拘束を指示、母子3人を都内のマンションに連れ去ったとみられている。

渡辺さんはユニトレ社の男子用アジトとして使用されていた目黒区のマンションに、2児は工作員の都内の実家を転々とし、最終的に品川区の女性用アジトのマンションで監視されたという。昭和49(1974)年1月~2月、渡辺さんを目黒のマンションで目撃した元社員は「渡辺さんは、縛られているような状態ではなかった。子供は一緒にいなかった」と証言している。工作員グループは3月ごろ、母子3人を北朝鮮に連れ去ることを計画するが天候などの原因で工作船との接触に失敗する。

都内に連れ戻された渡辺さんは、さらに別の目黒区のマンションに移されたが、その後については北朝鮮に連れて行かれたという説と殺害された説の二つがある。2児については元の品川区のマンションに戻されて、その後6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から北朝鮮に連れ去られた。

平成19年(2007)に入って、警視庁から数名が福井県小浜市を訪れ、地区の世話役立会いの下、岡津海岸に鎮座する南宮神社社務所を検証する。大木に覆われ、道路からは見通せない場所にあり、当時は無人・無施錠で普段は人も寄り付かず、数人の宿泊も可能の場所であった。同年4月12日に警察庁が子供2人の拉致を断定するが、その決め手が元ユニトレ社社員(Nの妻)による「私が子供たちの世話をし、岡津海岸まで送りました」との供述にある。

警察庁は国会において、「論点はたくさんあるが、我々はまだ時効になっていないものとして」と答弁している。となれば、この元社員はすぐにも逮捕されねばならない。

2.高大基(コ・デキ。通称/高山大基、渡辺大基)

昭和2年(1927)9月5日愛媛県西宇和郡生まれ。

両親とも在日朝鮮人

九州大学大阪外語大学ロシア語学科卒業。

朝鮮総聯傘下の朝鮮問題研究所資料室長。

後述の金炳植(キム・ビョンシク)から受けた最初の赴任地(工作員としての)が北海道だったと言われる(時期は不明。場所は十勝地方という説とオホーツク海沿岸という説がある)。

昭和42年(1967)3月1日渡辺秀子さんと結婚。その後ユニバース・トレーディング社設立(この間高大基自身が腹心であった北朝鮮第1副議長金炳植が平壌で幽閉される)。

昭和48年(1973)6月頃 北朝鮮へ突然召還。1970年代後半に音信途絶える。金炳植との関係から政治犯収容所に入れられたとされている。

3.ユニバーストレーディング社

同社は昭和46年(1971)6月30日東京都品川区に資本金4,000万円で設立される。

設立者は当時の朝鮮総聯で韓徳銖(ハン・ドクス)議長に次ぐ権力を振るった金炳植第1副議長であり、「責任は取らせないので名前だけ貸してほしい」との約束で都立板橋高校夜間部時代の恩師を社長の椅子に座らせ、北朝鮮工作組織であることをカモフラージュする。

通常の貿易業務をする約20人の社員と、ドミトルグループと呼ばれる朝鮮高校卒業生、在日本朝鮮留学生同盟(留学同・朝鮮学校以外の学校の在日学生で組織した団体)を中心として集めた工作員グループ10人とで構成された。その多くは、高校・大学卒業直前、「就職先について説明がある」と朝鮮総聯に呼び出されて面接を受け、総聯関連の施設に数ヶ月通ったあと社員となった。この中にも工作員になった者がいるという。

このユニトレ社のリーダーが「専務」と呼ばれた金炳植の腹心、高大基である。金炳植は当時朝鮮総聯の実権の全てを掌握していた韓徳銖の姪婿で、韓徳銖に取り入ることにより勢力を拡大していく。昭和34年(1959)総聯人事部長、昭和38年(1963)1月人事部を廃し組織部長に就任、昭和41年(1966)10月副議長に就任。昭和46年(1971)1月第一副議長ポストを創設して就任し、韓徳銖を凌ぐほどの勢力を誇示する。ユニトレ社設立時はまさに絶頂期である。ちなみに同社の入っていたのは現在も五反田にあるTOCビルの4階だが、警備会社の社員としてその階の受付をしていたのが昭和51年(1976)モンゴルに行くと言って出国したまま失踪し、その後よど号ハイジャック事件(昭和45年)の犯人の1人である岡本 武の妻になっていたことが分かった福留貴美子さんである。福留さんは渡辺秀子さん・敬美さん・剛さん事件の実行犯リーダー・木下陽子に個人的に可愛がられており、ユニトレ社の飲み会等に参加していた等の話がある。

金炳植が行ったのは韓徳銖権力の絶対化であり、在日運動のすべてを韓徳銖が指導してきたとする在日運動史の捏造である。このやり方は金正日キム・ジョンイル)が父・金日成(キム・イルソン)を絶対化することによって自分の権力を確立していったやり方と同じだが組織内部での反発も激しいものがあった。それを封殺するための手足となったのが半分地下組織であった「学習組」である。その後、「学習組」の中でも特に金炳植に対する忠誠心の強い者を選んで作られたのが「ふくろう部隊」であり、反主流派を徹底的に監視し攻撃材料を集め、組織から追放した。

これら金炳植の一連の行動を韓徳銖や北朝鮮本国は黙認してきたが昭和46年(1971)後半に入り「金炳植の言うことは金日成の言うことと同じである」として、自分の意思を金日成の教示として「学習組」に伝達するまでとなり、昭和47年(1972)10月南北赤十字会談の代表として平壌に入った際、「反党反革命宗派分子」としてそのまま北朝鮮に幽閉された。

金炳植は平成5年(1993)12月の最高人民会議(国会)で国家副主席に就任するが、その目的は朝鮮総聯が帰国事業の際に帰国者から預かった資産を回収するのに金炳植の名前が必要であったからとされる。ちなみにこの最高人民会議の時期は金日成金正日の対立が顕在化したときであり、約20年間金正日によって僻地に幽閉されていた金日成の弟・金英柱(キム・ヨンジュ)も国家副主席になっている。北朝鮮内部の権力闘争とも何らかの関係があるものと思われる。

以上のようにユニトレ社は1970年代前半、日本国内での北朝鮮工作活動の重要な役割を担った組織ゆえ、会社解散後も関係者は徹底的にマークされた。警察は頻繁に外国を往来するユニトレ社元社員Nの弟を不審に思い、新宿で職質し指紋を照合したところ、Nの弟ではなく「よど号」犯柴田泰弘であった。柴田逮捕後、「よど号」犯妻が日本に入国し、様々な活動を行っていることが明らかになっていく。また、実質的な会社設立者金炳植の金庫番と呼ばれていた男の親戚に「よど号」犯妻がおり、この男の妻は元ユニトレ社員との噂がある。

4.3人の失踪についての対処

◆平成15年(2003)2月7日付『夕刊フジ』に「秀子さんの殺害現場にいたが、別の工作員2人が殺害した。遺体を秋田、山形両県境の海岸で捨てた」との工作員証言を警察当局情報として報じられるが、翌平成16年4月発刊の川邊克朗著『拉致はなぜ防げなかったか』(ちくま新書)では、兵庫県警の調べで渡辺さんは失踪直後に殺害されたといわれていたものの、実際は一年後も生きていたことが判明。公安当局も「ご主人に会わせるからと言われて北朝鮮に渡り、今も北朝鮮で生きている可能性も捨てきれない」と書かれている。

◆平成16年(2004)9月には調査会代表荒木・同常務理事(当時)岡田の連名で兵庫県警に「渡辺秀子さんに関する質問書」を提出。約1か月後に兵庫県警外事課から岡田に口頭で「生死の両面から捜査している」との返答があった。証言をもとに兵庫県警は遺体の捜索を行ったが発見できず、これ以上の捜査は困難との判断で一度は迷宮入りした事件であったという。

◆平成19年(2007)4月20日、調査会役員と帯広から上京した鳥海さんで内閣府拉致対策本部事務局を訪ね、国籍条項など一刻も早い現行法の改正を要請した。席上、当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と実質的に違いのない対応をすることを約束したが、現在でも拉致被害者は支援法の対象の17名としかしておらず、現実には政府はほとんど対応していない。

◆平成19年(2007)4月25日、警視庁公安部は工作員の人材を集める役割を担ったとして朝鮮総聯傘下の在日本朝鮮留学生同盟、高大基が室長をつとめた同じく総聯傘下の朝鮮文化研究所、2児の世話役として工作船に同乗して北朝鮮に送り届けたとされる女性工作員の東京都荒川区内の自宅、また、木下陽子の元夫の愛知県豊橋市内の実家を一斉に家宅捜索した。翌26日には木下陽子の逮捕状をとり、国際手配した。

※以上は石高健次・元朝日放送プロデューサーや、岡田和典・特定失踪者問題調査会常任顧問の論文などをもとに作成。

(8月23日)

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》

◆氏名:福留 貴美子

(ふくとめきみこ)

(Kimiko Fukutome)

◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日

◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日

◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿

◆当時の身分:アルバイト

高知県香美郡香北町出身

◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】

1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。

1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。

1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

《特定失踪者・別役佳子さんについて》

◆氏名:別役 佳子

(べっちゃくけいこ)

(Keiko Betchaku)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年2月

◆生年月日:昭和16(1941)年8月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:京都府京都市

◆当時の身分:スナック店長

◆身長:155cm~156cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)色白

2)飲酒、喫煙する

3)スポーツは何でもやる

◆失踪場所:京都府京都市北区紫野西野町

【失踪状況】

昭和44年(1969)2月、京都市北区紫野西野町に所在したスナック「ダンヒル」(現在は存在しない)に雇われママとして勤務していた当時、高知県香美郡香我美町(現・香南市)の実家に一時帰省の意味で帰ると連絡してきたのを最後に行方不明となった。

実家に子どもを預けていた。

日時は不明だが、当時北海道に居住していた弟に家賃とミシンの支払いを依頼する手紙が送られてきた。

本件については別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がおり、それらが関与した拉致の可能性が考えられる。

また、飲食店勤務等の職業で幼い子供がいたという意味では渡辺秀子さんや田口八重子さんらとも類似の点がある。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・永本憲子さんについて》

◆氏名:永本 憲子

(ながもとのりこ)

(Noriko Nagamoto)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年5月10日

◆生年月日:昭和39(1964)10月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:16歳

◆当時の住所:高知県宿毛市

◆当時の身分:高校2年生

◆身長:160cm

◆体重:50kg

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)中肉

2)近眼で眼鏡使用

3)剣道をやっていた

◆失踪場所:高知県宿毛市の片島公民館前バス停から

【失踪状況】

5月10日の午前10時30分頃、自宅近くの片島公民館前のバス停で、本人の伯父が見かけて声をかけたところ「もうすぐバスが来る。母の日だから宿毛に買い物に行く」と言っていた。

所持金は、現金2万円と、郵便貯金通帳(残高約5万円)のようだったが、その通帳から現金を下ろした形跡はなかった。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による永本憲子さんの親族に対する不審行動の紹介】

昭和56年高知県で失踪した永本憲子さんの従姉妹・牧野由美さんから次のようなメールをいただきました。正直なところちょっとぞっとしました。

(以下、牧野さんからのメール)

1985(昭和60)年から1992(平成4)年の間のことと記憶しています。当時、私は20代から30代になる年齢でした。

当時住んでいたアパートから最寄りの東急東横線日吉駅に向かう途中で車から声をかけられました。男性でした。勤めていた呉服店が倒産し、呉服の在庫を抱えて困っている、安くするので見てみないかというのです。

バンタイプの車で、中は確認しなかったと思いますが、後ろに何か荷物を載せているような雰囲気はありました。声をかけられた場所は角を曲がれば駅まで一直線。人通りもずいぶんと違います。なぜ、この場所なんだろう。ふと思ったのは駅前には交番(当時)があるからかという疑いでした。

加えて、いくら横浜とはいえ、車で道端で声をかけて呉服を売るというのは、あまりにずさんな売り方ではないかとすぐに断りました。

人ごみを歩けばうさんくさい勧誘を受ける都会で、数多くそんな疑いを持つ機会はありましたが、なぜか日吉でのそのシーンはよく覚えています。(調査会から)いただいたメールの中、自分の記憶と重なる部分がありました。警察関係者の方のご意見も読みまして、念のためにお知らせしようと思いました。

■呉服(反物)販売不審事案についてのビデオメッセージ

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=w-9rbnZtV3U

《特定失踪者・亀谷博昭さんについて》

◆氏名:亀谷 博昭

(かめたにひろあき)

(Hiroaki Kametani)

◆失踪年月日:昭和61(1986)年1月11日

◆生年月日:昭和37(1962)年7月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:会社員・精密機器組み立て

◆身長:168cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左頬口下に直径2mmくらいのほくろ

2)差し歯がある

3)趣味は旅行、マラソン

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

失踪前日の深夜12時頃、自宅に遅くなる旨の電話があり、午前2時(失踪当日にあたる)に帰宅した。

翌朝、いつもと全く変わった様子なく、いつも通り7時20分の電車に乗るべく家を出たが、会社から出勤していないとの連絡が自宅に入り、以後消息不明。

それまでは無遅刻・無欠勤であった。

4月以降数年間、無言電話があった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・武内 卓さんについて》

◆氏名:武内 卓

(たけうちたかし)

(Takashi Takeuchi)

◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日

◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:38歳

◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区

◆当時の身分:警備員

◆身長:179cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)近視

3)髪が薄い

4)車が大好き

5)移動式クレーン免許保有

6)特殊無線技士

7)趣味は音楽

◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園

【失踪状況】

平成7年9月1日にアメリカより帰国し、11月29日に横浜市鶴見の寮に入り12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。

翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。

14日の夜からは夜勤があった。

レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。

1月23日朝に勤務先から高知県の実家に電話があって失踪したことがわかった。

寮の部屋に変わったことはなかった。

車は神奈川県の大山の麓のガソリンスタンドから1時間ほどのところに置いてあり、レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があった。

また、14日朝8時に丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タン給油したレシートもあった。

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.