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【みんな生きている】渡辺秀子さん[拉致問題を神戸から発信する8.22集会]/KTV〈大阪〉

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※渡辺秀子さんは両親に「大阪へ行く」と電話連絡したあと、失踪しています。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!神戸集会で渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関して決議》

(以下は、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のブログからの転載です)

8月22日に開催された「拉致問題を神戸から発信する8.22集会」にご参加頂いた皆様、YouTubeライブで視聴下さった皆様、ありがとうございました。アーカイブではご覧になれますのでご覧になっていない方はぜひご視聴下さい。

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

https://youtu.be/N0aOugnyXFE

集会では以下の通り決議が行われました。

今後国会など様々な方面からはたらきかけ実現させていこうと思いますが、皆様にはあらためてご協力をお願いします。

なお、集会で配布した資料は決議の後に詳細な資料がついています。それについては私のブログでご覧になれます。

■渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関する対応について

昭和49年(1974)6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から連れ去られた高敬美(こうきよみ)・剛(つよし)姉弟について、警察は平成19年(2007)4月12日に拉致被害者として断定しています。二人の母親であり、工作員と知らずに高大基(コ・デキ)と結婚した渡辺秀子さんは行方が分からないままです。殺害されたという情報もありますが、証拠が確認されたわけではなく、北朝鮮に拉致されたという説もあります。特定失踪者問題調査会では拉致濃厚の特定失踪者としています。

警察による高姉弟の拉致断定の後、渡辺秀子さんの妹・鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんは調査会役員とともに内閣府拉致対策本部を訪れました。当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と変わらぬ対応をすると約束しました。

しかし、現実には他の認定拉致被害者とは明確に区別されており、「拉致被害者17人」という言葉が常にくり返されています。法律上の拉致認定が日本国籍者に限定されている現状も変えるべきですが、少なくとも政府の公式見解としての拉致被害者は「19人」とすべきであると思います。国籍を理由に排除するならばそれこそが在日朝鮮人差別であると言わざるを得ません。しかも母親は日本人なのですから。なお、警察断定より4年遡る平成15年(2003)1月に鳥海さんは警視庁に被疑者不詳で殺人及び国外移送目的略取の罪名にて告訴しています。

以上の点から私たちは政府に対して次のことを求めます。

【集会決議】

1.拉致被害者の数を「19人」として明らかにすること。

2.拉致被害者支援法の国籍条項を撤廃し、日本国内で拉致された人及び国外で拉致された日本人全てを対象とすること(特定失踪者でも台湾人の沈静玉さんのように外国人で日本で失踪した人もいます)。

3.渡辺秀子さんの消息に関して政府の立場を明らかにすること。

4.総理大臣が面会するのが認定被害者家族に限定されるなら高姉弟の親族もその対象とすること。

令和3年8月22日

拉致問題を神戸から発信する8.22集会参加者一同

特定失踪者問題調査会

救う会兵庫

■本件資料

1.渡辺秀子さん・敬美・剛姉弟

渡辺秀子さんは昭和16年(1941)6月5日釧路生まれ。

中学生のとき帯広に転居。

市立大谷高校中退。

実家の中華料理店に勤務。その後友人を頼って網走、雄武町を転々とする。

紋別市の飲食店勤務当時高大基(コ・デキ)と出会う。昭和42年(1967)3月1日結婚し、東京へ。中野区に居住。その後、埼玉県入間郡、続いて埼玉県上福岡市に転居。同年4月10日長女・敬美さんを出産。昭和45年(1970)6月29日長男・剛さんを出産。

昭和48年(1973)8月帯広市に一時帰省。その後東京に戻る。10月、ユニバーストレーディング社(ユニトレ社)周辺で突然失踪した夫・高大基の行方を捜す。12月「大阪の友人宅にいる」と電話を両親にした後、失踪。

ユニトレ社の活動実態の発覚を恐れた工作員木下陽子(当時は日本国籍。朝鮮名・洪寿惠=ホン・スヘ)は、後述のドミトルグループに身柄の拘束を指示、母子3人を都内のマンションに連れ去ったとみられている。

渡辺さんはユニトレ社の男子用アジトとして使用されていた目黒区のマンションに、2児は工作員の都内の実家を転々とし、最終的に品川区の女性用アジトのマンションで監視されたという。昭和49(1974)年1月~2月、渡辺さんを目黒のマンションで目撃した元社員は「渡辺さんは、縛られているような状態ではなかった。子供は一緒にいなかった」と証言している。工作員グループは3月ごろ、母子3人を北朝鮮に連れ去ることを計画するが天候などの原因で工作船との接触に失敗する。

都内に連れ戻された渡辺さんは、さらに別の目黒区のマンションに移されたが、その後については北朝鮮に連れて行かれたという説と殺害された説の二つがある。2児については元の品川区のマンションに戻されて、その後6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から北朝鮮に連れ去られた。

平成19年(2007)に入って、警視庁から数名が福井県小浜市を訪れ、地区の世話役立会いの下、岡津海岸に鎮座する南宮神社社務所を検証する。大木に覆われ、道路からは見通せない場所にあり、当時は無人・無施錠で普段は人も寄り付かず、数人の宿泊も可能の場所であった。同年4月12日に警察庁が子供2人の拉致を断定するが、その決め手が元ユニトレ社社員(Nの妻)による「私が子供たちの世話をし、岡津海岸まで送りました」との供述にある。

警察庁は国会において、「論点はたくさんあるが、我々はまだ時効になっていないものとして」と答弁している。となれば、この元社員はすぐにも逮捕されねばならない。

2.高大基(コ・デキ。通称/高山大基、渡辺大基)

昭和2年(1927)9月5日愛媛県西宇和郡生まれ。

両親とも在日朝鮮人

九州大学大阪外語大学ロシア語学科卒業。

朝鮮総聯傘下の朝鮮問題研究所資料室長。

後述の金炳植(キム・ビョンシク)から受けた最初の赴任地(工作員としての)が北海道だったと言われる(時期は不明。場所は十勝地方という説とオホーツク海沿岸という説がある)。

昭和42年(1967)3月1日渡辺秀子さんと結婚。その後ユニバース・トレーディング社設立(この間高大基自身が腹心であった北朝鮮第1副議長金炳植が平壌で幽閉される)。

昭和48年(1973)6月頃 北朝鮮へ突然召還。1970年代後半に音信途絶える。金炳植との関係から政治犯収容所に入れられたとされている。

3.ユニバーストレーディング社

同社は昭和46年(1971)6月30日東京都品川区に資本金4,000万円で設立される。

設立者は当時の朝鮮総聯で韓徳銖(ハン・ドクス)議長に次ぐ権力を振るった金炳植第1副議長であり、「責任は取らせないので名前だけ貸してほしい」との約束で都立板橋高校夜間部時代の恩師を社長の椅子に座らせ、北朝鮮工作組織であることをカモフラージュする。

通常の貿易業務をする約20人の社員と、ドミトルグループと呼ばれる朝鮮高校卒業生、在日本朝鮮留学生同盟(留学同・朝鮮学校以外の学校の在日学生で組織した団体)を中心として集めた工作員グループ10人とで構成された。その多くは、高校・大学卒業直前、「就職先について説明がある」と朝鮮総聯に呼び出されて面接を受け、総聯関連の施設に数ヶ月通ったあと社員となった。この中にも工作員になった者がいるという。

このユニトレ社のリーダーが「専務」と呼ばれた金炳植の腹心、高大基である。金炳植は当時朝鮮総聯の実権の全てを掌握していた韓徳銖の姪婿で、韓徳銖に取り入ることにより勢力を拡大していく。昭和34年(1959)総聯人事部長、昭和38年(1963)1月人事部を廃し組織部長に就任、昭和41年(1966)10月副議長に就任。昭和46年(1971)1月第一副議長ポストを創設して就任し、韓徳銖を凌ぐほどの勢力を誇示する。ユニトレ社設立時はまさに絶頂期である。ちなみに同社の入っていたのは現在も五反田にあるTOCビルの4階だが、警備会社の社員としてその階の受付をしていたのが昭和51年(1976)モンゴルに行くと言って出国したまま失踪し、その後よど号ハイジャック事件(昭和45年)の犯人の1人である岡本 武の妻になっていたことが分かった福留貴美子さんである。福留さんは渡辺秀子さん・敬美さん・剛さん事件の実行犯リーダー・木下陽子に個人的に可愛がられており、ユニトレ社の飲み会等に参加していた等の話がある。

金炳植が行ったのは韓徳銖権力の絶対化であり、在日運動のすべてを韓徳銖が指導してきたとする在日運動史の捏造である。このやり方は金正日キム・ジョンイル)が父・金日成(キム・イルソン)を絶対化することによって自分の権力を確立していったやり方と同じだが組織内部での反発も激しいものがあった。それを封殺するための手足となったのが半分地下組織であった「学習組」である。その後、「学習組」の中でも特に金炳植に対する忠誠心の強い者を選んで作られたのが「ふくろう部隊」であり、反主流派を徹底的に監視し攻撃材料を集め、組織から追放した。

これら金炳植の一連の行動を韓徳銖や北朝鮮本国は黙認してきたが昭和46年(1971)後半に入り「金炳植の言うことは金日成の言うことと同じである」として、自分の意思を金日成の教示として「学習組」に伝達するまでとなり、昭和47年(1972)10月南北赤十字会談の代表として平壌に入った際、「反党反革命宗派分子」としてそのまま北朝鮮に幽閉された。

金炳植は平成5年(1993)12月の最高人民会議(国会)で国家副主席に就任するが、その目的は朝鮮総聯が帰国事業の際に帰国者から預かった資産を回収するのに金炳植の名前が必要であったからとされる。ちなみにこの最高人民会議の時期は金日成金正日の対立が顕在化したときであり、約20年間金正日によって僻地に幽閉されていた金日成の弟・金英柱(キム・ヨンジュ)も国家副主席になっている。北朝鮮内部の権力闘争とも何らかの関係があるものと思われる。

以上のようにユニトレ社は1970年代前半、日本国内での北朝鮮工作活動の重要な役割を担った組織ゆえ、会社解散後も関係者は徹底的にマークされた。警察は頻繁に外国を往来するユニトレ社元社員Nの弟を不審に思い、新宿で職質し指紋を照合したところ、Nの弟ではなく「よど号」犯柴田泰弘であった。柴田逮捕後、「よど号」犯妻が日本に入国し、様々な活動を行っていることが明らかになっていく。また、実質的な会社設立者金炳植の金庫番と呼ばれていた男の親戚に「よど号」犯妻がおり、この男の妻は元ユニトレ社員との噂がある。

4.3人の失踪についての対処

◆平成15年(2003)2月7日付『夕刊フジ』に「秀子さんの殺害現場にいたが、別の工作員2人が殺害した。遺体を秋田、山形両県境の海岸で捨てた」との工作員証言を警察当局情報として報じられるが、翌平成16年4月発刊の川邊克朗著『拉致はなぜ防げなかったか』(ちくま新書)では、兵庫県警の調べで渡辺さんは失踪直後に殺害されたといわれていたものの、実際は一年後も生きていたことが判明。公安当局も「ご主人に会わせるからと言われて北朝鮮に渡り、今も北朝鮮で生きている可能性も捨てきれない」と書かれている。

◆平成16年(2004)9月には調査会代表荒木・同常務理事(当時)岡田の連名で兵庫県警に「渡辺秀子さんに関する質問書」を提出。約1か月後に兵庫県警外事課から岡田に口頭で「生死の両面から捜査している」との返答があった。証言をもとに兵庫県警は遺体の捜索を行ったが発見できず、これ以上の捜査は困難との判断で一度は迷宮入りした事件であったという。

◆平成19年(2007)4月20日、調査会役員と帯広から上京した鳥海さんで内閣府拉致対策本部事務局を訪ね、国籍条項など一刻も早い現行法の改正を要請した。席上、当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と実質的に違いのない対応をすることを約束したが、現在でも拉致被害者は支援法の対象の17名としかしておらず、現実には政府はほとんど対応していない。

◆平成19年(2007)4月25日、警視庁公安部は工作員の人材を集める役割を担ったとして朝鮮総聯傘下の在日本朝鮮留学生同盟、高大基が室長をつとめた同じく総聯傘下の朝鮮文化研究所、2児の世話役として工作船に同乗して北朝鮮に送り届けたとされる女性工作員の東京都荒川区内の自宅、また、木下陽子の元夫の愛知県豊橋市内の実家を一斉に家宅捜索した。翌26日には木下陽子の逮捕状をとり、国際手配した。

※以上は石高健次・元朝日放送プロデューサーや、岡田和典・特定失踪者問題調査会常任顧問の論文などをもとに作成。

(8月23日)

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■大阪拉致議連HP

https://sites.google.com/site/rachigirenhp/

■大阪ブルーリボンの会HP

http://osaka-blueribbon.org/

■大阪ブルーリボンの会facebook

https://facebook.com/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BC%9A-1426622447605623/

■大阪ブルーリボンの会クラブユースfacebook

http://fr-fr.facebook.com/obr.clubyouth/

救う会大阪HP

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/top.html

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定した2児の母親

◆氏名:渡辺 秀子

(わたなべひでこ)

(Hideko Watanabe)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市

◆当時の身分:主婦

◆北海道帯広市出身

◆身長:169cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。

子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■北海道と拉致

https://youtube.com/watch?v=56QbUzeWuHA

■帯広現地ライブ

https://youtube.com/watch?v=30UWDJXyJho

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ(稲川版)

https://youtube.com/watch?v=8rHzxJCx3bM&feature=youtu.be

《特定失踪者・高 敬美さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 敬美

(こう きよみ)

(Kiyomi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:6歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

弟の高 剛さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・高 剛さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 剛

(こう つよし)

(Tsuyoshi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日

◆性別:男

◆当時の年齢:3歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

姉の高 敬美さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

有本恵子さんの母・嘉代子さんの肉声

https://youtube.com/watch?v=u-TQn2F3UK4

有本恵子さんたちヨーロッパ拉致について

https://youtube.com/watch?v=oYynHkWWoXU&feature=emb_imp_woyt

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

◆昭和55(1980)年6月中旬

辛光洙シン・グァンス)事件

被害者:原 敕晁さん(Tada-aki Hara)

(拉致被害時43歳)

※This person was Abduction by North Korea

宮崎県内で発生。

本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。

捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。

北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。

また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。

北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」

(石高健次さん)

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

■原 敕晁さんは背乗りされた-北朝鮮工作員の背乗りについて-

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=MS6jRVZmqqU

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による原 敕晁さん拉致事件の解説】

昭和55年(1980)年6月中旬、当時大阪市天王寺区の中華料理店『宝海楼』に勤めていた原 敕晁(はら・ただあき)さん(当時49歳)が北朝鮮工作員辛光洙の主導により、『宝海楼』店主の李三俊らによって宮崎市青島の橘ホテルで飲食させられた後、海岸まで誘い出されて拉致された。

辛光洙北朝鮮に帰国して工作員の再教育を受けていた際、指導部の幹部から「日本人を拉致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、李吉炳(在日朝鮮人大阪府商工会長)、李三俊(在日朝鮮人大阪府商工会元理事長)らと計画を練り、李三俊が経営する中国料理店『宝海楼』のコックとして勤務していた原さんに対し「良い職場を世話する」とだまして宮崎県日南市の青島海岸まで連れ出し、橘ホテルで飲食させて酔わせ、海岸に連れ出した後、「こどもの国」付近の海岸で工作員らに引き渡し、辛光洙も同行して北朝鮮に拉致していった。

このあと辛は、原さんを監禁した招待所で原さんから本人の経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして同年11月、再び日本に密入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ渡航するなどしてスパイ活動を続けていた。

辛は昭和60年(1985)2月26日ソウルで逮捕された。同年6月28日付『朝日新聞』の記事には次のように記載されている。

[以下、記事引用]

(国家安全企画部)の発表によると、主犯の辛は北朝鮮の最高首脳から「日本人をら致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、八〇年四月、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会元理事長らと計画を練り、李氏が経営する中国料理店「宝海楼」=大阪市天王寺区下味原=に勤める日本人コック原 敕晃(ただあき)さん(四九)が独身で身寄りの少ないことに目をつけた。八〇年六月、原さんを「良い職場を世話する」とだまして宮崎県青島にある李吉炳・在日朝鮮人大阪府商工会長所有の別荘に連れ込んだ。さらに青島海水浴場の児童公園に誘い出したうえ、ここで待ち構えていた北朝鮮工作員四人と力ずくで口をふさぎ、手足をしばった後、袋に入れて八人乗りゴムボートで五百メートル沖に待機していた北朝鮮工作船に移し、辛が同行して北朝鮮へ連れ去ったという。このあと辛は、原さんの経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして、八〇年十一月、日本に不法入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ来るなどしてスパイ活動を続けていたという。

[Mid-June 1980: Sin Kwang-Su case]

Abductee: Tadaaki Hara (43, male, Miyazaki Prefecture)

Disappeared in Miyazaki Prefecture.

North Korean agent Sin Kwang-Su has confessed to authorities in the Republic of Korea that he was responsible for the abduction of Mr. Hara. Japanese authorities issued an arrest warrant for Sin Kwang-Su as the person responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ has demanded that Sin Kwang-Su be extradited to Japan, and in April 2006 issued a new arrest warrant that names him as the main suspect in this abduction case. Showing no willingness to extradite him to Japan, North Korea has instead honored Sin Kwang-Su as a hero. Japanese authorities have also issued an arrest warrant for Kim Kil-Uk, believed to be a co-conspirator in the abduction of Mr. Hara, and are working on the steps necessary to list him with Interpol.

North Korea asserts that Mr. Hara married Yaeko Taguchi in 1984 and that he died of hepatic cirrhosis in 1986. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・阿比留健次さんについて》

◆氏名:阿比留 健次

あびるけんじ)

Kenji Abiru)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月

◆生年月日:昭和20(1945)年2月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:大阪府大阪市港区

◆当時の身分:運送業(運送の仕事がないときは日雇いの仕事もしていた)

◆身長:165cm

◆体重:58kgくらい

◆特徴:

1)耳に黒いホクロ

2)大型・普通・自動二輪・牽引・高圧ガス移動監視者講習修了

3)飲酒・喫煙する

◆失踪場所:大阪府大阪市港区。大阪南港近く

【失踪状況】

車(トラック)持ち込みで働いていた。

昭和50年夏に弟が会って以来音信不通。

昭和52年頃、弟が電話をかけたが不通。

昭和55年1月に警察から家族に車が放置されているとの連絡があった。

父と妹が家に行くと、古い免許証があった。

以後行方不明。

《特定失踪者・植村留美さんについて》

◆氏名:植村 留美

(うえむらるみ)

(Rumi Uemura)

◆失踪年月日:平成7(1995)年3月26日

◆生年月日:昭和46(1971)年7月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府堺市美原区

◆当時の身分:無職

◆身長:165cm

◆体重:74kg

◆特徴:

1)近視

2)色白

3)小太り

◆靴のサイズ:24.5cm

◆失踪場所:大阪府南河内郡美原町の自宅付近

【失踪状況】

同日朝6時ごろ、散歩に出たまま行方不明。

昼頃、駅など心当たりを探したが見つからないので夕方に警察に届けを出す。

近所の人たち、父の会社の社員など30人で川、山、小屋、空き家などを10日ほど探すが手がかり、目撃者なし。

当時、軽装で遠出する服装でなく、財布、バックも持たない。

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

《特定失踪者・江藤健一さんについて》

◆氏名:江藤 健一

(えとうけんいち)

(Kenichi Etou)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年8月19日

◆生年月日:昭和28(1953)年5月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:千葉県千葉市幕張町(現・千葉県千葉市花見川区幕張町)

◆当時の身分:会社員・千葉大工業短期大学部印刷工学科2回生

◆身長:175cm

◆特徴:

1)面長

2)体型は普通

3)小指の片方が曲がっている

4)髪の毛は縮れ毛

5)瞼は一重

◆失踪場所:千葉県千葉市幕張町?

【失踪状況】

失踪当日朝8時、本人から東京都内の勤務先であるセントラル・プロセスに「明日から出社する」旨の電話を入れた後、行方不明となる。

8月29日に友人3人がアパートに来たが留守。

次の日の正午まで待つが帰らず。

直前の8月13日、大阪の実家に帰省している。

高校を卒業して就職。

入社後、会社勤務のかたわらで、千葉大工業短期大学部に入学した。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■千葉ライブ/古川了子さん・峰島秀雄さん・関谷俊子さん・遠山常子さん・江藤健一さん

https://youtube.com/watch?v=OgGoaFrIlV0

《特定失踪者・沖田徳喜さんについて》

◆氏名:沖田 徳喜

(おきたなるき)

(Naruki Okita)

◆失踪年月日:平成15(2003)年2月1日

◆生年月日:昭和35(1960)年4月14日

◆性別:男

◆当時の年齢 :42歳

◆当時の住所:広島県安芸郡倉橋町

◆当時の身分:海運業(自営で貨物船を所有し、乗組員は弟)

◆5級海技士(航海と機関)と4級小型船舶士の資格あり

◆身長:167cm

◆体重:75kg

◆特徴:

1)中肉中背

2)左頬にほくろ

3)右こめかみに小豆大のイボ

4)目が二重で大きい

5)趣味はゴルフ、大工仕事、パソコン

6)喫煙する、酒はよく飲む

7)ゴルフの他、スポーツはバレー、ソフトボールをする

8)肩で風を切るような歩き方をする

◆失踪場所:大阪府大阪市大正区の大阪港

【失踪状況】

2月1日、大阪の泉北で荷物を半分揚げ、午後3時半頃大阪鉄鋼埠頭に入港。大阪で行きつけの居酒屋に2軒行き、車で岸壁の近くの水門の前まで送ってもらった。

翌々日の2月3日に残りの荷物を揚げる時間になっても姿を現さず。

当初、海に転落したと思い、2月4日から5日間ダイバーによって海中を探し、海上保安庁、水上警察、親類、知人がボートを出して付近を探したが見つからなかった。

その付近は表面は流れがあるが潮の流れがなく、ほとんど見つかるとのこと。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・尾上民公乃さんについて》

◆氏名:尾上 民公乃

(おのうえみこの)

(Mikono Onoue)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月6日

◆生年月日:昭和41(1966)年11月26日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:大阪府八尾市

◆当時の身分:スナックのアルバイト

◆身長:161cm

◆体重:49kg

◆血液型:O型

◆失踪場所:大阪府大阪市南区(現中央区)心斎橋

【失踪状況】

5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。

その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。

その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。

尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。

翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。

ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。

車内は無人で、遺体は発見されていない。

車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■尾上民公乃さんについて

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=25-QmTrh3eY

《特定失踪者・賀上大助さんについて》

◆氏名:賀上 大助

(かがみだいすけ)

(Daisuke Kagami)

◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日

◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮

◆当時の身分:会社員

◆身長:169cm

◆体重:64kg

◆特徴:

1)左目下に小さいほくろ

2)近眼

3)本来は左利きだが筆記と箸は右

4)虫垂炎の手術跡

5)音楽好きでピアノが弾ける

◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

【失踪状況】

22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。

午後9時に電子メールを出している。

午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。

夜出歩くタイプではない。

眼鏡、携帯充電器が残されている。

財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。

預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。

友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。

帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

■賀上大介さんの母・文代さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第74回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=QobtLqWPngA

《特定失踪者・金田祐司さんについて》

◆氏名:金田 祐司

(かなたゆうじ)

(Yu-ji Kanata)

◆失踪年月日:平成8(1996)年8月22日

◆生年月日:昭和35(1960)年7月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:36歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:学生

◆直近の職業:直前まで大阪府職員

◆身長:164cm

◆体重:55kg

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

平成8年7月、MBA資格取得のため関西空港から渡米。

8月14日に留学先のロサンゼルス着の電話が実家にあったが、24日に「病気になったので帰国して治療する」との手紙(19日付)が堺市の実家に届く。

入管、関空に問い合わせると、20日に関空に帰国していることが分かった。

帰国後、大阪など数カ所のATMで現金を引き出し、防犯カメラの記録映像から本人と確認されているが、堺市の実家に帰らず、連絡もなかった。

《特定失踪者・亀谷博昭さんについて》

◆氏名:亀谷 博昭

(かめたにひろあき)

(Hiroaki Kametani)

◆失踪年月日:昭和61(1986)年1月11日

◆生年月日:昭和37(1962)年7月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:会社員・精密機器組み立て

◆身長:168cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左頬口下に直径2mmくらいのほくろ

2)差し歯がある

3)趣味は旅行、マラソン

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

失踪前日の深夜12時頃、自宅に遅くなる旨の電話があり、午前2時(失踪当日にあたる)に帰宅した。

翌朝、いつもと全く変わった様子なく、いつも通り7時20分の電車に乗るべく家を出たが、会社から出勤していないとの連絡が自宅に入り、以後消息不明。

それまでは無遅刻・無欠勤であった。

4月以降数年間、無言電話があった。

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》

◆氏名:川満 敏弘

(かわみつとしひろ)

(Toshihiro Kawamitsu)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月

◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市港区

◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者

沖縄県出身

◆身長:160cmくらい

◆特徴:

1)痩せ型

2)四角顔

3)浅黒

4)左右いずれかの目頭に切り傷有り

5)世話好きの性格だった

◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て

【失踪状況】

妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。

季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。

同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。

愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・小丸勝義さんについて》

◆氏名:小丸 勝義

(こまるかつよし)

(Katsuyoshi Komaru)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年4月10日

◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:造船会社社員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)右肩の中心に縫った痕がある

2)子供の頃のけがで左眉の中心に縫った跡が残っている

3)細面

4)浅黒

◆失踪場所:東京都または京都府舞鶴市

【失踪状況】

大阪の大学を卒業して舞鶴の造船会社に就職が決まり、東京本社で研修を終えて赴任地舞鶴までの切符をもらって以後行方不明。

汽車に乗ったのかどうかも分からない。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・坂本英明さんについて》

◆氏名:坂本 英明

(さかもとひであき)

(Hideaki Sakamoto)

◆失踪年月日:昭和42(1967)年11月20日

◆生年月日:昭和10(1935)年11月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:大阪府大阪市西区の社員寮

◆当時の身分:会社員。その前は航空自衛隊に6年勤務。

◆身長:165cm

◆体重:50kg

◆特徴:

1)たばこを1日10本くらい吸う

2)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府大阪市西区立売堀

【失踪状況】

免許の更新に行くと言って会社の独身寮から外出したまま外出したまま戻らず。

更新の手続きはされていなかった。

高校卒業後、山口県防府市航空自衛隊に6年勤務し、その後運送会社に務める。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

《特定失踪者・崎山 実さんについて》

◆氏名:崎山 実

(さきやまみのる)

(Minoru Sakiyama)

◆失踪年月日:平成元年(1989)年11月24日

◆生年月日:昭和39(1964)年5月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区

◆当時の身分:会社員

沖縄県名護市出身

◆身長:165cm

◆血液型:O型

◆足のサイズ:25.5cm

◆特徴:

1)小柄

2)猫背ぎみ

3)八重歯

4)近視

5)飲酒する

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

突然家族との連絡がとれなくなった。

勤務先の会社から「無断欠勤している」と沖縄の家族に連絡があった。

大阪のアパートを見に行くと、洗濯機は途中で、カバンや眼鏡も部屋の中に残っていた。

荷物はそのままだった。

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》

◆氏名:佐藤 益一

(さとうますいち)

(Masuichi Satou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日

◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮

◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)

◆身長:163cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)縮毛

3)山歩きが好き

◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】

6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。

背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。

この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。

6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。

警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。

池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・高木茂久さんについて》

◆氏名:高木 茂久

(たかぎしげひさ)

(Shigehisa Takagi)

◆失踪年月日:昭和36(1961)年8月10日

◆生年月日:昭和15(1940)年3月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:同志社大学商学部3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)似顔絵を書いたり絵を描くのが上手

2)煙草を吸う

3)野球が好き

4)ゴルフを始めた頃に失踪

◆失踪場所:福井県小浜市の海水浴場

【失踪状況】

友人の女性とよく福井県小浜の海水浴場に行っていた。

失踪前日にその彼女と遊びに行くと言って、特に大金や所持品も持たず大阪の自宅を車で出かけたが、女性とともに行方がわからなくなった。

友達の女性と大阪市内の自宅から小浜の方によく泳ぎに行ったりしていた。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・高見 到さんについて》

◆氏名:高見 到

(たかみいたる)

(Itaru Takami)

◆失踪年月日:平成15(2003)年10月5日

◆生年月日:昭和34(1959)年10月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:43歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大阪府商工労働部・産業デザインセンター勤務のデザイン技師(地方公務員)

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆血液型:B型

◆虫歯は1本もない

◆特徴:

1)視力は0.2程度で眼鏡、コンタクトレンズ使用

2)飲酒する

3)無口で物静かだが仲間の集まりでは明るくふるまっていた

4)趣味はオーディオで、オーディオアンプも組み立てる

5)レアレコード等の収集や旅行も趣味

◆失踪場所:兵庫県尼崎市

【失踪状況】

平成15年10月6日、職場を無断欠勤。自宅マンションの部屋は日常生活そのままで、今にも帰ってくるような状態であった。

銀行通帳、キャッシュカード、運転免許証、健康保険証、印鑑、全て室内に置かれたまま。持って行ったのは通常使用している、財布、私用の手帳、通勤定期券のみ。

外出、通勤時は必ずコンタクトレンズを使用していたが、それも置いたまま。室内で日常使用する眼鏡はなかった。

5日に阪急塚口駅前のりそな銀行塚口支店で15時14分に現金21万円を引き出していたことが後に分かった。

10月下旬には父親が自宅マンションを訪ねる予定だった。

母親の13回忌を12月に行うことになっており、本人は必ず東京に来ると言っていた。

平成14年頃から大阪市立大学の教授と研究を行い、平成15年に大阪府の商工労働部の事業で採用された。

4月から準備を始め、10月にスタートしたとき失踪。

静岡県警HP

http://www.pref.shizuoka.jp/police/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・竹内久美子さんについて》

◆氏名:竹内 久美子

(たけうちくみこ)

(Kumiko Takeuchi)

◆失踪年月日:昭和50(1975)年3月23日

◆生年月日:昭和37(1942)年2月25日

◆性別:女性

◆当時の年齢:13歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区

◆当時の身分:小学校卒業直後

◆身長:158cm

◆血液型:B型

◆特徴:右足ふくらはぎに5cmの薄い火傷痕

◆失踪場所:大阪市住吉区

【失踪状況】

当日15:20頃「靴下を履き替える」と言った。

その後貯金箱を揺らす音がした。

それ以後行方不明。

2カ月程前から「私に誰かから電話がなかった?」と何度も聞いた。

自宅の電話料金が1月から急に高くなった。

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・武内 卓さんについて》

◆氏名:武内 卓

(たけうちたかし)

(Takashi Takeuchi)

◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日

◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:38歳

◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区

◆当時の身分:警備員

◆身長:179cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)近視

3)髪が薄い

4)車が大好き

5)移動式クレーン免許保有

6)特殊無線技士

7)趣味は音楽

◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園

【失踪状況】

平成7年9月1日にアメリカより帰国し、11月29日に横浜市鶴見の寮に入り12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。

翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。

14日の夜からは夜勤があった。

レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。

1月23日朝に勤務先から高知県の実家に電話があって失踪したことがわかった。

寮の部屋に変わったことはなかった。

車は神奈川県の大山の麓のガソリンスタンドから1時間ほどのところに置いてあり、レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があった。

また、14日朝8時に丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タン給油したレシートもあった。

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

《特定失踪者・巽 敏一さんについて》

◆氏名:巽 敏一

(たつみとしかず)

(Toshikazu Tatsumi)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年7月3日

◆生年月日:昭和18(1943)年8月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:16歳

◆当時の住所:大阪府大阪市城東区

◆当時の身分:工業高校機械科

◆身長:170cmくらい

◆特徴:

1)がっちりした体格、太ってはいない

2)顔は柔和な感じ

3)スポーツはしていなかったが、野球観戦が好きだった

◆失踪場所:大阪市城東区の自宅を出て

【失踪状況】

日曜日の昼頃、梅田で行われる高校の映画鑑賞会に行くために大阪市内の自宅を出たと思われたが、映画館には姿を見せなかった。

京橋へ出るのに京阪電車で行くかバスで行くか迷っていたので、姉はバスを勧めた。

当時学生服姿で財布くらいしか持っていなかった。

自宅からその映画館へ向かったと思っていたが、そこへは現れず、そのまま失踪。

《特定失踪者・種子雅也さんについて》

◆氏名:種子 雅也

(たねこまさや)

(Masaya Taneko)

◆失踪年月日:昭和63(1988)年3月6日

◆生年月日:昭和36(1961)年1月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:大阪府大阪市西淀川区の会社の独身寮

◆当時の身分:会社員(金属会社の経理課)

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)趣味は鉄道・航空で、航空機と交信できるトランシーバーを持つ

2)剣道、スキー、テニスもやる

3)酒は少々飲む

4)爪を噛むためいつも爪が短い

◆失踪場所:大阪府大阪市

【失踪状況】

3月7日(月曜日)に会社を無断欠勤したので、会社の人が部屋に様子を見に行く。

次の日も欠勤したので、東京の家に「実家に帰っていないか」と連絡がくる。

両親が本人の部屋を見たところ、洗濯物が干してあり、自家用車、免許証、銀行預金通帳、印鑑、会社の預金通帳がそのまま残されていた。

前日(日曜日)は夕食を摂り、部屋にいたことを隣の部屋の人が確認している。

失踪2日後に歯医者の予約をしており、1週間後には会社の友人とのスキーへ行く予定だった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・沈 静玉さんについて》

◆氏名:沈 静玉

(ちんせいぎょく)

(Seigyoku Chin)

◆生年月日:昭和38年(1963)5月12日

◆失踪年月日:昭和62年(1987)2月

◆性別:女性

◆国籍:台湾

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の職業:不明

◆身長:163cm

◆体重:43kg

◆血液型:A型

◆最終失踪関連地点:大阪府堺市(失踪当時の住所)

【失踪状況】

昭和59年(1984)に台湾から来日し、同年4月から昭和60年(1985)3月まで大阪市内の日本語学校、昭和60年4月から昭和61年(1986)3月まで同じく大阪市内の短大に在学していた。

昭和62年(1987)2月、前月に亡くなった祖父の葬儀に帰国しなかったことから家族が日本の身元引受人に連絡し、部屋を見に行ってもらったところ、部屋は食事(弁当)をしたままの状態で身の回り品はそのまま残されていた。

失踪前の2月12日には査証の延長手続きのため大阪市亜東関係協会大阪事務所(台湾の領事館)を訪れていたことが判明しており、失踪はこの日以降と思われる。

調査会では設立間もなくの平成15年(2003)春に関係者を通じて台湾のご家族から調査の依頼を受け、これまで非公開で調査を実施してきたが今回、ご家族の了承が得られたことから公開することとなった。

調査会としては、沈静玉さんが失踪した年代(昭和60年前後)に各地で若い女性が多数失踪していることを始めいくつかの要素から拉致の可能性を排除できないと考えるものである。

《特定失踪者・永田 進さんについて》

◆氏名:永田 進

(ながたすすむ)

Susumu Nagata)

◆失踪年月日:昭和39(1964)年8月25日

◆生年月日:昭和18(1943)年2月13日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区の会社の寮

◆当時の身分:会社員

◆身長 170cm~172cm

◆特徴:

1)右足に3歳のときの火傷痕

2)おとなしく、口数は少ない

◆失踪場所:大阪市住吉区長居東

【失踪状況】

近くの銭湯に行くと言って1人で寮を出たまま行方不明。

1967年9月~10月頃、本人のペンフレンドの女性(関西方面在住)の手紙を見つけ、状況をしたためたが、返事なし。

《特定失踪者・福山ちあきさんについて》

◆氏名:福山 ちあき

(ふくやまちあき)

(Chiaki Fukuyama)

◆失踪年月日:平成3(1991)年11月3日

◆生年月日:昭和48(1973)年9月16日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府大阪市浪速区

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:156cm

◆体重:45kg~46kg

◆特徴:

1)右の目の上のまぶたの上に子供の時ベッドから落ちたときの傷がかすかにある

2)前歯は2本少し大きい

◆失踪場所:大阪市

【失踪状況】

失踪当日午前6時頃、キャラクター・ショーのアルバイトのため、大阪市浪速区の自宅を出かけ、自転車で地下鉄御堂筋線大国町駅まで行って奈良のあやめ池遊園地へ向かった。

仕事が終わり、いったん淀川区の会社に寄って、アルバイト先の友人と御堂筋線で帰途についた。

午後6時20分に大国町の一つ先の動物園前で友人と別れている。以降行方不明。

その時「(ショーのときに着用する)スパッツを買いに行こうかな」と言っていた。

午後10時半頃、ボーイフレンドから自宅に電話があった。

ちあきさんと電話をする約束をしていたが、本人は帰宅せず。

自転車は大国町の駅近くの自転車置き場に残されていた。

就職も決まっていた。

生活道具は一切そのまま。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・藤山恭郎さんについて》

◆氏名:藤山 恭郎

(ふじやまやすろう)

(Yasurou Fujiyama)

◆失踪年月日:昭和57(1982)年12月14日

◆生年月日:昭和35(1960)年1月13日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府大阪市東淀川区

◆当時の身分:大学中退直後

◆血液型:B型

◆身長:170cmくらい

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:大阪府大阪市

【失踪状況】

昭和57(1982)年12月14日、本人から実家に荷物と手紙が来てそれ以来、音信不通。

親子関係は良好だったが、昭和57年夏、帰省中に大学を中退したい、郵政省の試験を受けたいなどと話す。

昭和57年12月9日大学に中退届け。

失踪後約1年間、毎月15日前後に呼び鈴が2~3回なりすぐ切れる電話があった。

一度、父親が出ると声が聞き取れずにすぐに切れた。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

《特定失踪者・山内和弘さんについて》

◆氏名:山内 和弘

(やまうちかずひろ)

(Kazuhiro Yamauchi)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年12月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年10月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼のため度の強いメガネを使用

2)髪がやや縮れている

3)趣味は野球

◆失踪場所:大阪府堺市の自宅

【失踪状況】

12月28日の夜か早朝家を出た模様。

机の中には大学受験の共通一次の受験票や二次の受験用申し込み書がカッターで切ってあった。

《特定失踪者・山口浩一さんについて》

◆氏名:山口 浩一

(やまぐちこういち)

Kouichi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年5月

◆生年月日:昭和29(1954)年9月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府東大阪市

◆当時の身分:高校生

◆身長:168cm

◆体重:60kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左利き

2)どちらかの肩に10円から500円玉大のアザがある

3)中学生の頃からスキーを始め、高校時代はインターハイに出場した

◆失踪場所:青森県十和田湖か?

【失踪状況】

交際相手の女性(非公開)と、それぞれの家族に「友達の家に泊まりに行く」と言って家を出かけた。

その後、青森県十和田湖のホテルから「お金が足りない」と連絡してきたのを最後に、女性とともに行方不明となる。

青森県警HP

http://www.police.pref.aomori.jp/

《特定失踪者・山口美好さんについて》

◆氏名:山口 美好

(やまぐちみよし)

(Miyoshi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月3日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:大阪府守口市

◆当時の身分:無職(国鉄職員を退職し、仕事を探していた)

◆身長:170cm

◆特徴:

1)細身だががっしりした体格

2)野球をしていた

3)生真面目でうまく立ち回れないタイプ

4)喫煙する

5)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府守口市

【失踪状況】

職場の同僚が事故で死亡し、その現場を見たショックから「国鉄にいたくない」と言い出した。

別の仕事を始めると言い出し、失踪前日の夜遅く、その仕事を紹介した人物と兄の家を訪れた。

兄は反対し喧嘩になったが、翌日の朝、心配して守口市の下宿先を訪ねると、一切の荷物が整理され、本人はいなくなっていた。

身分証明書や現金等が机の上に残されていた。

失踪後、家族が守口市役所を訪問して住民票を確認しようとしたが、原本が見当たらず、市の助役が謝罪するという出来事があった。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・山下春夫さんについて》

◆氏名:山下 春夫

(やましたはるお)

(Haruo Yamashita)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年8月17日

◆生年月日:昭和21(1946)年3月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:福井県小浜市

◆当時の身分:会社員。造船会社に住み込み勤務

◆身長:160cm

◆特徴:

1)色白

2)角張った顔

3)水泳が得意

◆失踪場所:福井県小浜市一番町

【失踪状況】

朝8時の会社の始業時間前に同居の大工から「山下さんが昨夜夜釣りに出かけたまま戻らない」と連絡がある。

会社前の岸壁に本人の作業靴を発見。

港内、湾内を捜索するが手がかりなし。

8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。

失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。

山下 貢さん、林 雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。

兄の長男が後継者となるはずだったが急死したので、末弟の春夫さんを大阪から帰省させ、その年の6月から親戚が経営する地元の造船会社に就職させた。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・山本正樹さんについて》

◆氏名:山本 正樹

(やまもとまさき)

(Masaki Yamamoto)

◆失踪年月日:昭和41(1966)年7月11日

◆生年月日:昭和12(1942)年6月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:大阪府枚岡市(現・東大阪市

◆当時の身分:不動産会社社員

◆身長:160cm

◆特徴:

1)宅地建物取引主任資格保有

2)大工の心得あり

3)少林寺拳法の心得あり

◆失踪場所:大阪府枚岡市(現・東大阪市

【失踪状況】

その年の3月、自動車で自転車を相手にした軽い人身事故を起こした。

7月13日に家族が自宅へ行くと「数日友達の所へ行く。誰が訪ねてきても行方不明と言ってくれ」というメモがあり、隣室の人に聞くと「2日前にスーツケースを持って出て行くのを見た」と言っていた。

その後消息なし。

交通事故の裁判があったがそれにも出てこなかった。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.