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【みんな生きている】渡辺秀子さん[拉致問題を神戸から発信する8.22集会]/FTB

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※渡辺秀子さんの二人の子供が福井県小浜市の岡津海岸から連れ去られています。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!神戸集会で渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関して決議》

(以下は、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のブログからの転載です)

8月22日に開催された「拉致問題を神戸から発信する8.22集会」にご参加頂いた皆様、YouTubeライブで視聴下さった皆様、ありがとうございました。アーカイブではご覧になれますのでご覧になっていない方はぜひご視聴下さい。

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

https://youtu.be/N0aOugnyXFE

集会では以下の通り決議が行われました。

今後国会など様々な方面からはたらきかけ実現させていこうと思いますが、皆様にはあらためてご協力をお願いします。

なお、集会で配布した資料は決議の後に詳細な資料がついています。それについては私のブログでご覧になれます。

■渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関する対応について

昭和49年(1974)6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から連れ去られた高敬美(こうきよみ)・剛(つよし)姉弟について、警察は平成19年(2007)4月12日に拉致被害者として断定しています。二人の母親であり、工作員と知らずに高大基(コ・デキ)と結婚した渡辺秀子さんは行方が分からないままです。殺害されたという情報もありますが、証拠が確認されたわけではなく、北朝鮮に拉致されたという説もあります。特定失踪者問題調査会では拉致濃厚の特定失踪者としています。

警察による高姉弟の拉致断定の後、渡辺秀子さんの妹・鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんは調査会役員とともに内閣府拉致対策本部を訪れました。当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と変わらぬ対応をすると約束しました。

しかし、現実には他の認定拉致被害者とは明確に区別されており、「拉致被害者17人」という言葉が常にくり返されています。法律上の拉致認定が日本国籍者に限定されている現状も変えるべきですが、少なくとも政府の公式見解としての拉致被害者は「19人」とすべきであると思います。国籍を理由に排除するならばそれこそが在日朝鮮人差別であると言わざるを得ません。しかも母親は日本人なのですから。なお、警察断定より4年遡る平成15年(2003)1月に鳥海さんは警視庁に被疑者不詳で殺人及び国外移送目的略取の罪名にて告訴しています。

以上の点から私たちは政府に対して次のことを求めます。

【集会決議】

1.拉致被害者の数を「19人」として明らかにすること。

2.拉致被害者支援法の国籍条項を撤廃し、日本国内で拉致された人及び国外で拉致された日本人全てを対象とすること(特定失踪者でも台湾人の沈静玉さんのように外国人で日本で失踪した人もいます)。

3.渡辺秀子さんの消息に関して政府の立場を明らかにすること。

4.総理大臣が面会するのが認定被害者家族に限定されるなら高姉弟の親族もその対象とすること。

令和3年8月22日

拉致問題を神戸から発信する8.22集会参加者一同

特定失踪者問題調査会

救う会兵庫

■本件資料

1.渡辺秀子さん・敬美・剛姉弟

渡辺秀子さんは昭和16年(1941)6月5日釧路生まれ。

中学生のとき帯広に転居。

市立大谷高校中退。

実家の中華料理店に勤務。その後友人を頼って網走、雄武町を転々とする。

紋別市の飲食店勤務当時高大基(コ・デキ)と出会う。昭和42年(1967)3月1日結婚し、東京へ。中野区に居住。その後、埼玉県入間郡、続いて埼玉県上福岡市に転居。同年4月10日長女・敬美さんを出産。昭和45年(1970)6月29日長男・剛さんを出産。

昭和48年(1973)8月帯広市に一時帰省。その後東京に戻る。10月、ユニバーストレーディング社(ユニトレ社)周辺で突然失踪した夫・高大基の行方を捜す。12月「大阪の友人宅にいる」と電話を両親にした後、失踪。

ユニトレ社の活動実態の発覚を恐れた工作員木下陽子(当時は日本国籍。朝鮮名・洪寿惠=ホン・スヘ)は、後述のドミトルグループに身柄の拘束を指示、母子3人を都内のマンションに連れ去ったとみられている。

渡辺さんはユニトレ社の男子用アジトとして使用されていた目黒区のマンションに、2児は工作員の都内の実家を転々とし、最終的に品川区の女性用アジトのマンションで監視されたという。昭和49(1974)年1月~2月、渡辺さんを目黒のマンションで目撃した元社員は「渡辺さんは、縛られているような状態ではなかった。子供は一緒にいなかった」と証言している。工作員グループは3月ごろ、母子3人を北朝鮮に連れ去ることを計画するが天候などの原因で工作船との接触に失敗する。

都内に連れ戻された渡辺さんは、さらに別の目黒区のマンションに移されたが、その後については北朝鮮に連れて行かれたという説と殺害された説の二つがある。2児については元の品川区のマンションに戻されて、その後6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から北朝鮮に連れ去られた。

平成19年(2007)に入って、警視庁から数名が福井県小浜市を訪れ、地区の世話役立会いの下、岡津海岸に鎮座する南宮神社社務所を検証する。大木に覆われ、道路からは見通せない場所にあり、当時は無人・無施錠で普段は人も寄り付かず、数人の宿泊も可能の場所であった。同年4月12日に警察庁が子供2人の拉致を断定するが、その決め手が元ユニトレ社社員(Nの妻)による「私が子供たちの世話をし、岡津海岸まで送りました」との供述にある。

警察庁は国会において、「論点はたくさんあるが、我々はまだ時効になっていないものとして」と答弁している。となれば、この元社員はすぐにも逮捕されねばならない。

2.高大基(コ・デキ。通称/高山大基、渡辺大基)

昭和2年(1927)9月5日愛媛県西宇和郡生まれ。

両親とも在日朝鮮人

九州大学大阪外語大学ロシア語学科卒業。

朝鮮総聯傘下の朝鮮問題研究所資料室長。

後述の金炳植(キム・ビョンシク)から受けた最初の赴任地(工作員としての)が北海道だったと言われる(時期は不明。場所は十勝地方という説とオホーツク海沿岸という説がある)。

昭和42年(1967)3月1日渡辺秀子さんと結婚。その後ユニバース・トレーディング社設立(この間高大基自身が腹心であった北朝鮮第1副議長金炳植が平壌で幽閉される)。

昭和48年(1973)6月頃 北朝鮮へ突然召還。1970年代後半に音信途絶える。金炳植との関係から政治犯収容所に入れられたとされている。

3.ユニバーストレーディング社

同社は昭和46年(1971)6月30日東京都品川区に資本金4,000万円で設立される。

設立者は当時の朝鮮総聯で韓徳銖(ハン・ドクス)議長に次ぐ権力を振るった金炳植第1副議長であり、「責任は取らせないので名前だけ貸してほしい」との約束で都立板橋高校夜間部時代の恩師を社長の椅子に座らせ、北朝鮮工作組織であることをカモフラージュする。

通常の貿易業務をする約20人の社員と、ドミトルグループと呼ばれる朝鮮高校卒業生、在日本朝鮮留学生同盟(留学同・朝鮮学校以外の学校の在日学生で組織した団体)を中心として集めた工作員グループ10人とで構成された。その多くは、高校・大学卒業直前、「就職先について説明がある」と朝鮮総聯に呼び出されて面接を受け、総聯関連の施設に数ヶ月通ったあと社員となった。この中にも工作員になった者がいるという。

このユニトレ社のリーダーが「専務」と呼ばれた金炳植の腹心、高大基である。金炳植は当時朝鮮総聯の実権の全てを掌握していた韓徳銖の姪婿で、韓徳銖に取り入ることにより勢力を拡大していく。昭和34年(1959)総聯人事部長、昭和38年(1963)1月人事部を廃し組織部長に就任、昭和41年(1966)10月副議長に就任。昭和46年(1971)1月第一副議長ポストを創設して就任し、韓徳銖を凌ぐほどの勢力を誇示する。ユニトレ社設立時はまさに絶頂期である。ちなみに同社の入っていたのは現在も五反田にあるTOCビルの4階だが、警備会社の社員としてその階の受付をしていたのが昭和51年(1976)モンゴルに行くと言って出国したまま失踪し、その後よど号ハイジャック事件(昭和45年)の犯人の1人である岡本 武の妻になっていたことが分かった福留貴美子さんである。福留さんは渡辺秀子さん・敬美さん・剛さん事件の実行犯リーダー・木下陽子に個人的に可愛がられており、ユニトレ社の飲み会等に参加していた等の話がある。

金炳植が行ったのは韓徳銖権力の絶対化であり、在日運動のすべてを韓徳銖が指導してきたとする在日運動史の捏造である。このやり方は金正日キム・ジョンイル)が父・金日成(キム・イルソン)を絶対化することによって自分の権力を確立していったやり方と同じだが組織内部での反発も激しいものがあった。それを封殺するための手足となったのが半分地下組織であった「学習組」である。その後、「学習組」の中でも特に金炳植に対する忠誠心の強い者を選んで作られたのが「ふくろう部隊」であり、反主流派を徹底的に監視し攻撃材料を集め、組織から追放した。

これら金炳植の一連の行動を韓徳銖や北朝鮮本国は黙認してきたが昭和46年(1971)後半に入り「金炳植の言うことは金日成の言うことと同じである」として、自分の意思を金日成の教示として「学習組」に伝達するまでとなり、昭和47年(1972)10月南北赤十字会談の代表として平壌に入った際、「反党反革命宗派分子」としてそのまま北朝鮮に幽閉された。

金炳植は平成5年(1993)12月の最高人民会議(国会)で国家副主席に就任するが、その目的は朝鮮総聯が帰国事業の際に帰国者から預かった資産を回収するのに金炳植の名前が必要であったからとされる。ちなみにこの最高人民会議の時期は金日成金正日の対立が顕在化したときであり、約20年間金正日によって僻地に幽閉されていた金日成の弟・金英柱(キム・ヨンジュ)も国家副主席になっている。北朝鮮内部の権力闘争とも何らかの関係があるものと思われる。

以上のようにユニトレ社は1970年代前半、日本国内での北朝鮮工作活動の重要な役割を担った組織ゆえ、会社解散後も関係者は徹底的にマークされた。警察は頻繁に外国を往来するユニトレ社元社員Nの弟を不審に思い、新宿で職質し指紋を照合したところ、Nの弟ではなく「よど号」犯柴田泰弘であった。柴田逮捕後、「よど号」犯妻が日本に入国し、様々な活動を行っていることが明らかになっていく。また、実質的な会社設立者金炳植の金庫番と呼ばれていた男の親戚に「よど号」犯妻がおり、この男の妻は元ユニトレ社員との噂がある。

4.3人の失踪についての対処

◆平成15年(2003)2月7日付『夕刊フジ』に「秀子さんの殺害現場にいたが、別の工作員2人が殺害した。遺体を秋田、山形両県境の海岸で捨てた」との工作員証言を警察当局情報として報じられるが、翌平成16年4月発刊の川邊克朗著『拉致はなぜ防げなかったか』(ちくま新書)では、兵庫県警の調べで渡辺さんは失踪直後に殺害されたといわれていたものの、実際は一年後も生きていたことが判明。公安当局も「ご主人に会わせるからと言われて北朝鮮に渡り、今も北朝鮮で生きている可能性も捨てきれない」と書かれている。

◆平成16年(2004)9月には調査会代表荒木・同常務理事(当時)岡田の連名で兵庫県警に「渡辺秀子さんに関する質問書」を提出。約1か月後に兵庫県警外事課から岡田に口頭で「生死の両面から捜査している」との返答があった。証言をもとに兵庫県警は遺体の捜索を行ったが発見できず、これ以上の捜査は困難との判断で一度は迷宮入りした事件であったという。

◆平成19年(2007)4月20日、調査会役員と帯広から上京した鳥海さんで内閣府拉致対策本部事務局を訪ね、国籍条項など一刻も早い現行法の改正を要請した。席上、当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と実質的に違いのない対応をすることを約束したが、現在でも拉致被害者は支援法の対象の17名としかしておらず、現実には政府はほとんど対応していない。

◆平成19年(2007)4月25日、警視庁公安部は工作員の人材を集める役割を担ったとして朝鮮総聯傘下の在日本朝鮮留学生同盟、高大基が室長をつとめた同じく総聯傘下の朝鮮文化研究所、2児の世話役として工作船に同乗して北朝鮮に送り届けたとされる女性工作員の東京都荒川区内の自宅、また、木下陽子の元夫の愛知県豊橋市内の実家を一斉に家宅捜索した。翌26日には木下陽子の逮捕状をとり、国際手配した。

※以上は石高健次・元朝日放送プロデューサーや、岡田和典・特定失踪者問題調査会常任顧問の論文などをもとに作成。

(8月23日)

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

■北陸3県有志の会ブログ

http://koudousuruhokuriku.seesaa.net/

小浜市岡津海岸ライブ

https://youtube.com/watch?v=XDhW8At8WSA

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定した2児の母親

◆氏名:渡辺 秀子

(わたなべひでこ)

(Hideko Watanabe)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市

◆当時の身分:主婦

◆北海道帯広市出身

◆身長:169cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。

子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■北海道と拉致

https://youtube.com/watch?v=56QbUzeWuHA

■帯広現地ライブ

https://youtube.com/watch?v=30UWDJXyJho

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ(稲川版)

https://youtube.com/watch?v=8rHzxJCx3bM&feature=youtu.be

《特定失踪者・高 敬美さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 敬美

(こう きよみ)

(Kiyomi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:6歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

弟の高 剛さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・高 剛さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 剛

(こう つよし)

(Tsuyoshi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日

◆性別:男

◆当時の年齢:3歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

姉の高 敬美さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

◆昭和53(1978)年7月7日

アベック拉致容疑事案

被害者:地村保志さん(Yasushi Chimura)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:地村富貴惠さん(Fukie Chimura)

(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。

2人は昭和54年に結婚。

平成14年10月に日本に帰国。

娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。

捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)階段を一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」

(地村富貴恵さんの証言)

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

■地村保志さん・富貴恵さんについてのエピソード

https://youtube.com/watch?v=a7Aiiwi7se4&feature=emb_imp_woyt

救う会TV「条件拉致 地村さん夫妻事件」

https://youtube.com/watch?v=HmlEpOLwtQk&feature=youtu.be

[July 7, 1978: Couple abducted]

Abductees: Yasushi Chimura (23, male, Fukui Prefecture), Fukie Chimura (nee Hamamoto, 23, female, Fukui Prefecture)

Disappeared after saying they were going out on a date.

The two married in 1979 and returned to Japan in October 2002. Their daughter and two sons arrived in Japan in May 2004.

In February 2006, the Japanese authorities issued an arrest warrant for Sin Kwang-Su, the North Korean agent believed to be responsible for their abductions, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan.

《特定失踪者・河合美智愛さんについて》

◆氏名:河合 美智愛

(かわいみちえ)

(Michie Kawai)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年4月2日

◆生年月日:昭和38(1963)年12月18日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:福井県越前市

◆当時の身分:繊維会社会社員

◆身長:169cm

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)おでこが広い

2)口元に小さなホクロ

3)丸顔

4)髪の毛は柔らかくて多くない

5)右膝外側に10cm程度のあざ

6)趣味はドライブ

◆失踪場所:福井県武生市(現・越前市

【失踪状況】

失踪前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。

昼食のために会社から一旦帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。

職場から「午後は休みだった」と連絡が来て会社に着いていないことが分かった。

自室の鏡台の上に財布を置いたままだった。

乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。

失踪後、1~2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。

平成6年頃、宮城県内で目撃情報があります。

宮城県警HP

http://www.police.pref.miyagi.jp/

《特定失踪者・高木茂久さんについて》

◆氏名:高木 茂久

(たかぎしげひさ)

(Shigehisa Takagi)

◆失踪年月日:昭和36(1961)年8月10日

◆生年月日:昭和15(1940)年3月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:同志社大学商学部3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)似顔絵を書いたり絵を描くのが上手

2)煙草を吸う

3)野球が好き

4)ゴルフを始めた頃に失踪

◆失踪場所:福井県小浜市の海水浴場

【失踪状況】

友人の女性とよく福井県小浜の海水浴場に行っていた。

失踪前日にその彼女と遊びに行くと言って、特に大金や所持品も持たず大阪の自宅を車で出かけたが、女性とともに行方がわからなくなった。

友達の女性と大阪市内の自宅から小浜の方によく泳ぎに行ったりしていた。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・田中浩史さんについて》

◆氏名:田中 浩史

(たなかひろし)

(Hiroshi Tanaka)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月5日

◆生年月日:昭和35(1960)年6月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:ビルメンテナンス(排水管清掃等)

◆身長:170cm~172cm

◆体重:50kg

◆血液型:B型

◆特徴:

1)痩せ型

2)顔色浅黒

3)実年齢より若く見える

4)飲酒・喫煙をする

5)腰痛持ちのためやや足を引きずり加減で歩く

6)料理が得意

7)手先が器用

◆持病:肩こり、腰痛、喘息性気管支炎の持病あり

◆失踪場所:福井県丹生郡河野村

【失踪状況】

当日朝7時半、いつもと同じ時間に出勤のため車で京都市山科区の家を出る。

同日昼過ぎに勤務先(京都市山科区)から欠勤していると連絡あり。ポケベルで呼び出すが連絡なし。

翌6日捜索願を出す。

10日福井県警丹生警察署から「丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見した」との報があり、丹生郡河野村の海岸沿いに車が発見された。

夕方確認に出向くと車の中に本人のバッグ、ポケベル、免許証があったが、財布は発見できず。海も捜したが見つからなかった。

所持金は2万円~3万円だったと思われる。

同年6月に福井県警より4月5日午前中に福井県内の道でスピード違反をして本人署名のある納付書が送付された。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

■越前海岸/山下 貢さん・田中浩史さん・林 雅俊さん失踪関連現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=v7CxRYIeRy0

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》

◆氏名:林 雅俊

(はやしまさとし)

(Masatoshi Hayashi)

◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日

◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町

◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)

◆身長:169cm

◆体重:50kg

◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】

午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。

この日の夜は帰宅しなかった。

それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。

5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。

車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。

ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。

パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ

少し道をはずしてしまったような気がする

何も考えずにここまできてしまった

このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません

修論も考えるとぞっとします

今までさんざんわがまま言ってごめんね

先生にもよろしく

このパソコンは○○さんにあげます

本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。

その後無言電話が1~2カ月間続いた。

1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。

車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所(通称・よびかけ地蔵)から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。

また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

■林 雅俊さんについて

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=l6OGEIofuoA

■越前海岸/山下 貢さん・田中浩史さん・林 雅俊さん失踪関連現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=v7CxRYIeRy0

■林 雅俊さんの父・俊雄さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第87回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=mdHBF_PdP7w

《特定失踪者・濱端俊和さんについて》

◆氏名:濱端 俊和

(はまばたとしかず)

(Toshikazu Hamabata)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年4月10日

◆生年月日:昭和34(1959)年9月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:会社員(原子力発電所の定修工事)

沖縄県うるま市出身

◆身長:155cm

◆体重:50kg

◆特徴:左顎下にアザ

◆失踪場所:福井県敦賀市敦賀駅

【失踪状況】

沖縄県出身で地元の会社から横浜の建設会社に研修生として派遣されていた。

昭和58年3月末に大飯原発の定修工事が完了し、美浜原発の定修工事に転出するため、3月30日に横浜の本社に到着。

工事の機材を積み込んで4月2日に美浜に向け出発、3日着。

4日から美浜原発定修工事作業準備。

9日同じ沖縄出身の同僚と日帰りでアメ横まで洋服を買いに行く。

10日その同僚をパチンコに誘うが同僚が行かなかったので一人でタクシーを呼び、当時宿泊していた敦賀市内の寮を出たまま失踪(タクシーは敦賀駅前で降りたことが確認されている)。

ジャンパー姿で出掛けており、免許証、貯金通帳、保険証などの荷物すべて置いたまま。

広島に友人に預けた車があったがそれもそのまま。

10月23日Yという女性から沖縄の実家に電話があり、9月末にご主人が行方不明になった。行方が分からないかとの問い合わせがあった。

濱端さんとは神奈川県内にある自動車工場で知り合ったとのこと(濱端さんは昭和55年4月から10月までここに季節工として勤務)。

お母さんが電話を受け、息子も行方不明になっていると伝え、電話番号を聞いたが教えてもらえなかったという。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・藤原英二さんについて》

◆氏名:藤原 英二

(ふじわらえいじ)

(Eiji Fujiwara

◆失踪年月日:昭和50(1975)年1月

◆生年月日:昭和24(1949)年7月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の身分:調理師。東京の弁当工場に勤務

◆当時の住所:東京都新宿区

◆身長:168cm

◆特徴:

1)中肉

2)色弱と乱視あり

3)趣味は釣り

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

昭和50年正月の1日か2日頃の夜(19時頃)、突然広島の実家に電話をしてきて、家族に「いま福井に釣りに来ている」と語る。

その後一切の連絡がなく行方不明となる。

同年3月、母がみかんを送ろうと東京の勤め先に電話すると、前年末から出勤していないとのこと。

その春、姉が東京の居候先である友人宅へ行くと、衣類、釣り道具など荷物はそのままで免許証もあった。

昭和50年1月の1日か2日頃(夜7時頃)、突然家族に「今、福井に釣りに来ている」と電話をしてきた。

しかしその後一切の連絡なく今日まで音沙汰がない状態。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・古川文夫さんについて》

◆氏名:古川 文夫

(ふるかわふみお)

(Fumio Furukawa)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月

◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工見習い

◆身長:160cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)髪型は七三分け

3)喘息の発作で時々息ができなくなる

4)酒は少々飲む

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。

出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。

さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。

質物件は本人のカメラなどだった。

その他、家出するような心当たりはなし。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・松永正樹さんについて》

◆氏名:松永 正樹

(まつながまさき)

(Masaki Matsunaga)

◆失踪年月日:平成7(1995)年8月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年1月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:香川県

◆当時の身分:無職(以前は運送会社などに勤めていた)

◆身長:170cmくらい

◆失踪場所:香川県善通寺市~福井~北海道か?

【失踪状況】

1995(平成7)年8月28日未明、「福井へ10日から2週間、仕事で行ってくる」とメモを残して車で香川県善通寺市の自宅を出たまま行方不明となる。

クレジットカードの支払い明細から8月28日に福井県三方五湖でガソリン34リットル給油。

9月1日以降網走、阿寒湖などで給油。

9日に足寄で29リットルを給油。

同月14日北海道の消印で、本人が本人宛に書いた封書が届く。

本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。

9月12日、青森で預金5万円が引き出されている。

同年12月19日、北海道苫小牧市の会社所有地に車が放置されているのが発見される。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

香川県警HP

http://www.pref.kagawa.jp/police/

《特定失踪者・丸山善昭さんについて》

◆氏名:丸山 善昭

(まるやまよしあき)

(Yoshiaki Maruyama)

◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日

◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:石川県加賀市

◆当時の下宿先:福井県坂井郡三国町

◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)

◆身長:160cm

◆特徴:

1)面長

2)優しい人柄

3)酒好き

◆失踪当時の服装:当日は背広上下で裸足で下駄履きの格好

◆失踪場所:福井県坂井郡三国町三国漁港周辺

【失踪状況】

三国町の下宿に「加賀の実家に行ってくる」と伝言して出かけたまま行方不明となる。

当日は月末の給料日で、天気が良くても出港をしないことになっていた。

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・山下春夫さんについて》

◆氏名:山下 春夫

(やましたはるお)

(Haruo Yamashita)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年8月17日

◆生年月日:昭和21(1946)年3月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:福井県小浜市

◆当時の身分:会社員。造船会社に住み込み勤務

◆身長:160cm

◆特徴:

1)色白

2)角張った顔

3)水泳が得意

◆失踪場所:福井県小浜市一番町

【失踪状況】

朝8時の会社の始業時間前に同居の大工から「山下さんが昨夜夜釣りに出かけたまま戻らない」と連絡がある。

会社前の岸壁に本人の作業靴を発見。

港内、湾内を捜索するが手がかりなし。

8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。

失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。

山下 貢さん、林 雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。

兄の長男が後継者となるはずだったが急死したので、末弟の春夫さんを大阪から帰省させ、その年の6月から親戚が経営する地元の造船会社に就職させた。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・山下 貢さんについて》

◆氏名:山下 貢

(やましたみつぐ)

(Mitsugu Yamashita)

◆失踪年月日:平成元(1989)年12月27日

◆生年月日:昭和25(1950)年7月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:作業員

◆特徴:

1)くせ毛

2)右利き

3)腰部に縦20cmの手術痕

◆失踪場所:福井県越前町

【失踪状況】

失踪当日早朝4時頃、釣り道具を持って「魚を釣ってくる」と実家を出て失踪。

越前町午房が平の国道305号線沿い(通称・よびかけ地蔵)に車が発見される。

岩場に餌箱が残されていたが、遺体はもちろん釣り竿、その他の遺留品も未発見。

車は鍵がかかっており、車内に長靴・食べかけのおにぎり・免許証等が残される。

当時海は穏やか、浜育ちの本人は泳ぎ達者。

当時の所轄だった丹生警察署の調べでは

1)交通事故の可能性はない

2)自殺する動機は見当たらない

3)岩場から転落した形跡は認められない

4)付近一帯の検分・捜索の結果何も見つからず

失踪後数年経った頃、本人の自宅や実家などに無言電話や不審な電話がかかる。

■越前海岸/山下 貢さん・田中浩史さん・林 雅俊さん失踪関連現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=v7CxRYIeRy0

■山下 貢さんの母・きよ子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第22回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=aDWI_CsYirQ&t=540s

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.