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【みんな生きている】渡辺秀子さん[拉致問題を神戸から発信する8.22集会]/THK〈愛知〉

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北朝鮮工作員・洪寿恵の元夫の愛知県豊橋市の実家が警察の捜索を受けています。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!神戸集会で渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関して決議》

(以下は、荒木和博・特定失踪者問題調査会代表のブログからの転載です)

8月22日に開催された「拉致問題を神戸から発信する8.22集会」にご参加頂いた皆様、YouTubeライブで視聴下さった皆様、ありがとうございました。アーカイブではご覧になれますのでご覧になっていない方はぜひご視聴下さい。

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

https://youtu.be/N0aOugnyXFE

集会では以下の通り決議が行われました。

今後国会など様々な方面からはたらきかけ実現させていこうと思いますが、皆様にはあらためてご協力をお願いします。

なお、集会で配布した資料は決議の後に詳細な資料がついています。それについては私のブログでご覧になれます。

■渡辺秀子さん・敬美さん・剛さんに関する対応について

昭和49年(1974)6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から連れ去られた高敬美(こうきよみ)・剛(つよし)姉弟について、警察は平成19年(2007)4月12日に拉致被害者として断定しています。二人の母親であり、工作員と知らずに高大基(コ・デキ)と結婚した渡辺秀子さんは行方が分からないままです。殺害されたという情報もありますが、証拠が確認されたわけではなく、北朝鮮に拉致されたという説もあります。特定失踪者問題調査会では拉致濃厚の特定失踪者としています。

警察による高姉弟の拉致断定の後、渡辺秀子さんの妹・鳥海冏子(とりうみ・けいこ)さんは調査会役員とともに内閣府拉致対策本部を訪れました。当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と変わらぬ対応をすると約束しました。

しかし、現実には他の認定拉致被害者とは明確に区別されており、「拉致被害者17人」という言葉が常にくり返されています。法律上の拉致認定が日本国籍者に限定されている現状も変えるべきですが、少なくとも政府の公式見解としての拉致被害者は「19人」とすべきであると思います。国籍を理由に排除するならばそれこそが在日朝鮮人差別であると言わざるを得ません。しかも母親は日本人なのですから。なお、警察断定より4年遡る平成15年(2003)1月に鳥海さんは警視庁に被疑者不詳で殺人及び国外移送目的略取の罪名にて告訴しています。

以上の点から私たちは政府に対して次のことを求めます。

【集会決議】

1.拉致被害者の数を「19人」として明らかにすること。

2.拉致被害者支援法の国籍条項を撤廃し、日本国内で拉致された人及び国外で拉致された日本人全てを対象とすること(特定失踪者でも台湾人の沈静玉さんのように外国人で日本で失踪した人もいます)。

3.渡辺秀子さんの消息に関して政府の立場を明らかにすること。

4.総理大臣が面会するのが認定被害者家族に限定されるなら高姉弟の親族もその対象とすること。

令和3年8月22日

拉致問題を神戸から発信する8.22集会参加者一同

特定失踪者問題調査会

救う会兵庫

■本件資料

1.渡辺秀子さん・敬美・剛姉弟

渡辺秀子さんは昭和16年(1941)6月5日釧路生まれ。

中学生のとき帯広に転居。

市立大谷高校中退。

実家の中華料理店に勤務。その後友人を頼って網走、雄武町を転々とする。

紋別市の飲食店勤務当時高大基(コ・デキ)と出会う。昭和42年(1967)3月1日結婚し、東京へ。中野区に居住。その後、埼玉県入間郡、続いて埼玉県上福岡市に転居。同年4月10日長女・敬美さんを出産。昭和45年(1970)6月29日長男・剛さんを出産。

昭和48年(1973)8月帯広市に一時帰省。その後東京に戻る。10月、ユニバーストレーディング社(ユニトレ社)周辺で突然失踪した夫・高大基の行方を捜す。12月「大阪の友人宅にいる」と電話を両親にした後、失踪。

ユニトレ社の活動実態の発覚を恐れた工作員木下陽子(当時は日本国籍。朝鮮名・洪寿惠=ホン・スヘ)は、後述のドミトルグループに身柄の拘束を指示、母子3人を都内のマンションに連れ去ったとみられている。

渡辺さんはユニトレ社の男子用アジトとして使用されていた目黒区のマンションに、2児は工作員の都内の実家を転々とし、最終的に品川区の女性用アジトのマンションで監視されたという。昭和49(1974)年1月~2月、渡辺さんを目黒のマンションで目撃した元社員は「渡辺さんは、縛られているような状態ではなかった。子供は一緒にいなかった」と証言している。工作員グループは3月ごろ、母子3人を北朝鮮に連れ去ることを計画するが天候などの原因で工作船との接触に失敗する。

都内に連れ戻された渡辺さんは、さらに別の目黒区のマンションに移されたが、その後については北朝鮮に連れて行かれたという説と殺害された説の二つがある。2児については元の品川区のマンションに戻されて、その後6月に福井県小浜市の岡津(おこづ)海岸から北朝鮮に連れ去られた。

平成19年(2007)に入って、警視庁から数名が福井県小浜市を訪れ、地区の世話役立会いの下、岡津海岸に鎮座する南宮神社社務所を検証する。大木に覆われ、道路からは見通せない場所にあり、当時は無人・無施錠で普段は人も寄り付かず、数人の宿泊も可能の場所であった。同年4月12日に警察庁が子供2人の拉致を断定するが、その決め手が元ユニトレ社社員(Nの妻)による「私が子供たちの世話をし、岡津海岸まで送りました」との供述にある。

警察庁は国会において、「論点はたくさんあるが、我々はまだ時効になっていないものとして」と答弁している。となれば、この元社員はすぐにも逮捕されねばならない。

2.高大基(コ・デキ。通称/高山大基、渡辺大基)

昭和2年(1927)9月5日愛媛県西宇和郡生まれ。

両親とも在日朝鮮人

九州大学大阪外語大学ロシア語学科卒業。

朝鮮総聯傘下の朝鮮問題研究所資料室長。

後述の金炳植(キム・ビョンシク)から受けた最初の赴任地(工作員としての)が北海道だったと言われる(時期は不明。場所は十勝地方という説とオホーツク海沿岸という説がある)。

昭和42年(1967)3月1日渡辺秀子さんと結婚。その後ユニバース・トレーディング社設立(この間高大基自身が腹心であった北朝鮮第1副議長金炳植が平壌で幽閉される)。

昭和48年(1973)6月頃 北朝鮮へ突然召還。1970年代後半に音信途絶える。金炳植との関係から政治犯収容所に入れられたとされている。

3.ユニバーストレーディング社

同社は昭和46年(1971)6月30日東京都品川区に資本金4,000万円で設立される。

設立者は当時の朝鮮総聯で韓徳銖(ハン・ドクス)議長に次ぐ権力を振るった金炳植第1副議長であり、「責任は取らせないので名前だけ貸してほしい」との約束で都立板橋高校夜間部時代の恩師を社長の椅子に座らせ、北朝鮮工作組織であることをカモフラージュする。

通常の貿易業務をする約20人の社員と、ドミトルグループと呼ばれる朝鮮高校卒業生、在日本朝鮮留学生同盟(留学同・朝鮮学校以外の学校の在日学生で組織した団体)を中心として集めた工作員グループ10人とで構成された。その多くは、高校・大学卒業直前、「就職先について説明がある」と朝鮮総聯に呼び出されて面接を受け、総聯関連の施設に数ヶ月通ったあと社員となった。この中にも工作員になった者がいるという。

このユニトレ社のリーダーが「専務」と呼ばれた金炳植の腹心、高大基である。金炳植は当時朝鮮総聯の実権の全てを掌握していた韓徳銖の姪婿で、韓徳銖に取り入ることにより勢力を拡大していく。昭和34年(1959)総聯人事部長、昭和38年(1963)1月人事部を廃し組織部長に就任、昭和41年(1966)10月副議長に就任。昭和46年(1971)1月第一副議長ポストを創設して就任し、韓徳銖を凌ぐほどの勢力を誇示する。ユニトレ社設立時はまさに絶頂期である。ちなみに同社の入っていたのは現在も五反田にあるTOCビルの4階だが、警備会社の社員としてその階の受付をしていたのが昭和51年(1976)モンゴルに行くと言って出国したまま失踪し、その後よど号ハイジャック事件(昭和45年)の犯人の1人である岡本 武の妻になっていたことが分かった福留貴美子さんである。福留さんは渡辺秀子さん・敬美さん・剛さん事件の実行犯リーダー・木下陽子に個人的に可愛がられており、ユニトレ社の飲み会等に参加していた等の話がある。

金炳植が行ったのは韓徳銖権力の絶対化であり、在日運動のすべてを韓徳銖が指導してきたとする在日運動史の捏造である。このやり方は金正日キム・ジョンイル)が父・金日成(キム・イルソン)を絶対化することによって自分の権力を確立していったやり方と同じだが組織内部での反発も激しいものがあった。それを封殺するための手足となったのが半分地下組織であった「学習組」である。その後、「学習組」の中でも特に金炳植に対する忠誠心の強い者を選んで作られたのが「ふくろう部隊」であり、反主流派を徹底的に監視し攻撃材料を集め、組織から追放した。

これら金炳植の一連の行動を韓徳銖や北朝鮮本国は黙認してきたが昭和46年(1971)後半に入り「金炳植の言うことは金日成の言うことと同じである」として、自分の意思を金日成の教示として「学習組」に伝達するまでとなり、昭和47年(1972)10月南北赤十字会談の代表として平壌に入った際、「反党反革命宗派分子」としてそのまま北朝鮮に幽閉された。

金炳植は平成5年(1993)12月の最高人民会議(国会)で国家副主席に就任するが、その目的は朝鮮総聯が帰国事業の際に帰国者から預かった資産を回収するのに金炳植の名前が必要であったからとされる。ちなみにこの最高人民会議の時期は金日成金正日の対立が顕在化したときであり、約20年間金正日によって僻地に幽閉されていた金日成の弟・金英柱(キム・ヨンジュ)も国家副主席になっている。北朝鮮内部の権力闘争とも何らかの関係があるものと思われる。

以上のようにユニトレ社は1970年代前半、日本国内での北朝鮮工作活動の重要な役割を担った組織ゆえ、会社解散後も関係者は徹底的にマークされた。警察は頻繁に外国を往来するユニトレ社元社員Nの弟を不審に思い、新宿で職質し指紋を照合したところ、Nの弟ではなく「よど号」犯柴田泰弘であった。柴田逮捕後、「よど号」犯妻が日本に入国し、様々な活動を行っていることが明らかになっていく。また、実質的な会社設立者金炳植の金庫番と呼ばれていた男の親戚に「よど号」犯妻がおり、この男の妻は元ユニトレ社員との噂がある。

4.3人の失踪についての対処

◆平成15年(2003)2月7日付『夕刊フジ』に「秀子さんの殺害現場にいたが、別の工作員2人が殺害した。遺体を秋田、山形両県境の海岸で捨てた」との工作員証言を警察当局情報として報じられるが、翌平成16年4月発刊の川邊克朗著『拉致はなぜ防げなかったか』(ちくま新書)では、兵庫県警の調べで渡辺さんは失踪直後に殺害されたといわれていたものの、実際は一年後も生きていたことが判明。公安当局も「ご主人に会わせるからと言われて北朝鮮に渡り、今も北朝鮮で生きている可能性も捨てきれない」と書かれている。

◆平成16年(2004)9月には調査会代表荒木・同常務理事(当時)岡田の連名で兵庫県警に「渡辺秀子さんに関する質問書」を提出。約1か月後に兵庫県警外事課から岡田に口頭で「生死の両面から捜査している」との返答があった。証言をもとに兵庫県警は遺体の捜索を行ったが発見できず、これ以上の捜査は困難との判断で一度は迷宮入りした事件であったという。

◆平成19年(2007)4月20日、調査会役員と帯広から上京した鳥海さんで内閣府拉致対策本部事務局を訪ね、国籍条項など一刻も早い現行法の改正を要請した。席上、当時の総合調整室長は、拉致認定被害者と実質的に違いのない対応をすることを約束したが、現在でも拉致被害者は支援法の対象の17名としかしておらず、現実には政府はほとんど対応していない。

◆平成19年(2007)4月25日、警視庁公安部は工作員の人材を集める役割を担ったとして朝鮮総聯傘下の在日本朝鮮留学生同盟、高大基が室長をつとめた同じく総聯傘下の朝鮮文化研究所、2児の世話役として工作船に同乗して北朝鮮に送り届けたとされる女性工作員の東京都荒川区内の自宅、また、木下陽子の元夫の愛知県豊橋市内の実家を一斉に家宅捜索した。翌26日には木下陽子の逮捕状をとり、国際手配した。

※以上は石高健次・元朝日放送プロデューサーや、岡田和典・特定失踪者問題調査会常任顧問の論文などをもとに作成。

(8月23日)

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

救う会愛知ブログ

http://sukuukai-aichi.at.webry.info/

ブルーリボン豊橋HP

http://teramotoh.net/kusanonesyuukai.html

ブルーリボン豊川・どすごいネット

https://dosugoi-net.jp/group-detail.php?id=6393

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定した2児の母親

◆氏名:渡辺 秀子

(わたなべひでこ)

(Hideko Watanabe)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市

◆当時の身分:主婦

◆北海道帯広市出身

◆身長:169cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。

子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■北海道と拉致

https://youtube.com/watch?v=56QbUzeWuHA

■帯広現地ライブ

https://youtube.com/watch?v=30UWDJXyJho

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ

https://youtube.com/watch?v=N0aOugnyXFE&feature=youtu.be

拉致問題を神戸から発信する8.22集会ライブ(稲川版)

https://youtube.com/watch?v=8rHzxJCx3bM&feature=youtu.be

《特定失踪者・高 敬美さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 敬美

(こう きよみ)

(Kiyomi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:6歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

弟の高 剛さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・高 剛さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 剛

(こう つよし)

(Tsuyoshi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日

◆性別:男

◆当時の年齢:3歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

姉の高 敬美さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》

◆氏名:川満 敏弘

(かわみつとしひろ)

(Toshihiro Kawamitsu)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月

◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市港区

◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者

沖縄県城部町出身

◆身長:160cmくらい

◆特徴:

1)痩せ型

2)四角顔

3)浅黒

4)左右いずれかの目頭に切り傷有り

5)世話好きの性格だった

◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て

【失踪状況】

妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。

季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。

同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。

愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・加藤鈴勝さんについて》

◆氏名:加藤 鈴勝

(かとうすずかつ)

(Suzukatsu Katou)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月

◆生年月日:大正11(1922)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:55歳

◆身長:170cm

◆体重:56kg

◆当時の身分:設計技師

◆当時の住所:愛知県名古屋市中村区

◆特徴:

1)背中に7cmくらいのお灸の跡が2つ

2)1日1箱くらい喫煙する

3)趣味は釣り。川釣り道具は特注で、小物は自分で作り楽しんでいた

◆失踪場所:愛知県名古屋市の自宅から

【失踪状況】

失踪した年の秋、加藤さんから次女・京子さんに朝8時頃本人から電話があり、弾んだ声で何か伝えたいという感じだったが、仕事で出なければならないと伝えると、「そうか。頑張れよ」と言って電話を切った。

弾んだ声で電話があったが、その1~2ヶ月後に長男から「父がいない」と連絡を受けた。

次女が事件ではないかと警察に届けを出した結果、空き巣に何度も入られており、3人分ほど土足の跡があったが、車、免許証、実印、通帳、鍵が机の上に残されていて、衣服、履物も残されていた。

数日後、警察と再度室内の確認をすると、玄関のドアの金具のねじが外されており、鍵付きの箪笥がこじ開けられていた。

そして中にあるはずの株券がすべて無くなっていた。

《特定失踪者・加藤悦子さんについて》

◆氏名:加藤 悦子

(かとうえつこ)

(Etsuko Katou)

◆失踪年月日:平成元(1989)年8月23日

◆生年月日:昭和23(1948)年1月3日

◆性別:女性

◆当時の年齢:41歳

◆当時の住所:愛知県尾張旭市

◆当時の身分:看護師

◆身長:160cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:趣味は畑仕事、農作業

◆失踪場所:愛知県尾張旭市の自宅

【失踪状況】

家族を送り出し、午前中勤務先の医院を無断欠勤。

夕方自宅に「ご飯を作って食べていてくれる?」との電話。

当日夜、夫が鏡台内から「これから旅に出る」という手紙を発見。

翌日には鹿児島の実家、兄弟姉妹、当時から過去の交友関係などすべて調べるが手がかりなし。

いつも持ち歩いていたバックも家にある。

通帳印鑑も同様。

現金を引き出した痕跡なし。

給料前だったので所持金はほとんどない。

看護婦免許も家に置いたまま。

服も持ち出した形跡なし。

性格上自殺は考えにくい。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・保泉泰子さんについて》

◆氏名:保泉 泰子

(ほいずみやすこ)

(Yasuko Hoizumi)

◆失踪年月日:平成3(1991)年11月10日

◆生年月日:昭和11(1936)年8月25日

◆性別:女性

◆当時の年齢:55歳

◆当時の住所:愛知県日進市

◆当時の身分:主婦(元看護師)

◆身長:143cm

◆体重:43kg

◆血液型:O型

◆失踪場所:愛知県日進市

【失踪状況】

自宅から400m~500m先のコンビニにお茶の葉を購入に行く途中行方不明。

失踪時、家を建て替え中で、コンクリート工事の人に出すお茶が切れていたため、午後5時頃、家を出て近くのコンビニエンス・ストアーに行ったまま帰らず。

新しい家ができることを誰よりも楽しみにしていた。

所持品は財布と買い物手提げ程度。

所持金も小額で、普段着だった。

失踪後、自宅に無言電話が月に2~3回あった。

《特定失踪者・山口美好さんについて》

◆氏名:山口 美好

(やまぐちみよし)

(Miyoshi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月3日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:大阪府守口市

◆当時の身分:無職(国鉄職員を退職し、仕事を探していた)

◆身長:170cm

◆特徴:

1)細身だががっしりした体格

2)野球をしていた

3)生真面目でうまく立ち回れないタイプ

4)喫煙する

5)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府守口市

【失踪状況】

職場の同僚が事故で死亡し、その現場を見たショックから「国鉄にいたくない」と言い出した。

別の仕事を始めると言い出し、失踪前日の夜遅く、その仕事を紹介した人物と兄の家を訪れた。

兄は反対し喧嘩になったが、翌日の朝、心配して守口市の下宿先を訪ねると、一切の荷物が整理され、本人はいなくなっていた。

身分証明書や現金等が机の上に残されていた。

失踪後、家族が守口市役所を訪問して住民票を確認しようとしたが、原本が見当たらず、市の助役が謝罪するという出来事があった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・布施範行さんについて》

◆氏名:布施 範行

(ふせのりゆき)

(Noriyuki Fuse

◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月

◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市北区

◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)

◆身長:180cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)寡黙でおとなしい

◆失踪場所:

1)愛知県

2)沖縄県

【失踪状況】

前年に大学卒業後、愛知県名古屋市の会社に入社後、研修を経て岐阜支店に勤務したが、その年の12月に退社。

失踪当時は名古屋のプレハブ工事現場で働く。

3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。

3ヶ月前に実家で会ったときとは別人の様相。

「2ヶ月で帰る」とあったがその後連絡なし。

預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。

家財、布団など全て処分していた。

昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。

失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。

平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。

山形県警HP

http://www.pref.yamagata.jp/police/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・佐藤正行さんについて》

◆氏名:佐藤 正行

(さとうまさゆき)

(Masayuki Satou)

◆失踪年月日:昭和61(1986)年10月29日

◆生年月日:昭和33(1958)年12月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市千種区

◆当時の身分:製薬会社勤務

秋田県秋田市新屋出身

◆身長:170cm

◆体重:60cm

◆特徴:

1)やや面長

2)眼鏡とコンタクトレンズを併用

◆失踪場所:愛知県名古屋市千種区の自宅マンション

【失踪状況】

外食店で買い求めた弁当をアパート自室で食事中、部屋着の軽装で外出したまま行方不明。

部屋には財布、自動車免許など一切の身の回りのものは残されていた。

秋田県警HP

http://www.police.pref.akita.jp/

《特定失踪者・安西正博さんについて》

◆氏名:安西 正博

(あんざいまさひろ)

(Masahiro Anzai)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月14日

◆生年月日:昭和43(1948)年9月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市名東区

◆当時の身分:会社員(荏原製作所

◆栃木県小山市出身

◆身長:173cm

◆特徴:

1)色白

2)笑うと八重歯

3)髪はくせ毛

4)近視で眼鏡をかけている

◆失踪場所:愛知県名古屋市

【失踪状況】

会社の寮から車で出かけ、そのまま行方不明になる。

最後に姿を見たのは寮の管理人。

日曜日だったので、寮の玄関で「安西君、食事はどうする?」と声をかけたら「食べます」と答え、近所に買い物に行くような感じで車で出かけた。

前日買った単行本3冊が机の上に置いたまま。レシートも挟んであった。

前に実家に電話、「4月下旬に大学時代の友人の結婚式が九州であり、それに出席してから帰省するのでゴールデンウィーク後半に帰る、お土産を買っていく」と話していた。

3ヶ月後、寮を引き揚げるとき礼服の内ポケットに祝儀袋が入っていた。

自ら消息を絶つとは考えられない。

■栃木県警HP

http://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》

◆氏名:尾方 晃

(おがたあきら)

Akira Ogata)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日

◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都市北区衣笠西馬場町

◆当時の身分:立命館大学学生。レストランでアルバイトをしていた

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆特徴:

1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり

2)右手中指第3関節の骨が突起している

◆失踪場所:京都府京都市北区

【失踪状況】

京都市北区の下宿先から失踪。

直前の年末には岐阜の実家に帰省した。

翌年1月、京都市内のアルバイト先から「アルバイト代を払いたいが実家に帰っていないか」と連絡があった。

家族がアパートに行くが、荷物、お金はそのまま残っていた。

家賃は1年間支払っていなかった。

2月13日に預金を引き出した形跡がある。

3月30日に叔父が死去し、本人に電話したが連絡つかず。

また、名古屋の妹に縁談があり、会社を退職する前に京都を案内してほしいと手紙を出したが返事がなかった。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・辻 與一さんについて》

◆氏名:辻 與一

(つじよいち)

(Yoichi Tsuji)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年12月5日

◆生年月日:昭和24(1949)年2月6日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の身分:工業高校英語教諭

◆当時の住所:三重県桑名市大字上野

◆身長:170cm

◆特徴:

1)メガネ(近視用)をかけている

2)時々顎をはずすことがある

◆失踪場所:三重県桑名市のアパート

【失踪状況】

勤務校では同和地区の生徒の指導を担当。

下宿で洗濯機を回している時、生徒に呼び出され出て行き、白い車に乗せられて行った。

部屋には朝鮮関係の本がたくさんあった。

12月4日から7日まで休暇を取っていたが、8日に勤務している学校に来ないので、校長が家族に連絡してきた。

アパートの部屋はそのままの状態で、食べかけのパンとコーヒーがあった。

また、貯金箱のお金が散らばっており、預金通帳も残っていた。金が引出された痕跡もなかった。

19日に愛知県名古屋市で開催予定のクラシック・コンサートのチケットが残っていた。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》

◆氏名:渡邉 浩成

(わたなべひろまさ)

(Hiromasa Watanabe)

◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)

◆当時の住所:愛知県名古屋市中区

新潟県三条市出身

◆当時の職業:郵便局員

◆身長:170cmくらい

【失踪状況】

昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.