もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】奄美大島沖海戦編/KTS

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!「奄美大島沖海戦」―九州南西海域不審船事件―》

特定失踪者問題調査会副幹事長 杉野正治

奄美大島沖海戦

平成13(2001)年12月22日、鹿児島県奄美大島沖で北朝鮮工作船海上保安庁の巡視船が銃撃戦を行い、最終的には工作船が自爆して沈没したという事件を覚えておられる方も多いでしょう。この銃撃戦の模様は映像で公開され、日本中に衝撃と戦慄が走りました。北朝鮮の一部のナラズ者が大量の覚醒剤を日本国内に持ち込もうとした…当時はそんなイメージだったように思います。しかし平成14(2002)年9月11日に船体を引き揚げた直後の17日、小泉総理が訪朝して北朝鮮による日本人拉致が大きく報道されました。北朝鮮がナラズ者国家であることが公然と語られるようになったのです。

■3日前から発見されていた

この不審船を最初に発見したのは在日米軍です。12月18日に「不審船あり」の情報が防衛庁(当時)に通報され、哨戒機を飛ばして船を撮影・分析を行った結果、北朝鮮工作船の可能性が大きいと見て、海上自衛隊の哨戒機や護衛艦を現地に急行させています。さらに海上保安庁に伝達し、22日の深夜1時過ぎに海保の第十、第十一管区保安本部から巡視船「あまみ」「いなさ」「きりしま」「みずき」が九州各地から現場に急行し、航空機とともに不審船を補足・追尾。中国とのEEZ境界線を前にして、漁業法に基づいて検査をするため停船命令を出しました。そして巡視船数隻で停戦させようとしたところ、突然不審船からは銃撃を開始し、ロケットランチャーで砲撃を行ったのです。巡視船側も応戦しましたが、不審船は自爆して沈没。乗組員(推定15名)は全員死亡したものと思われます。後に8名の遺体が引き揚げられました。

自爆して沈没する直前、この船から乗組員が海中に何かを投げ入れていたことが確認されています。大量の覚醒剤や暗号を送受信する際の乱数表などだと思われます。後に回収されたこの船の乗組員の携帯電話の通信履歴から、在日韓国人(のちに別の犯罪で逮捕)との通信が頻繁に行われていたことがわかりました。この携帯電話は岐阜県で契約されたものでした。

船自体も、水上こそは漁船を偽装していますが、水面下は特殊なつくりになっていました。高速で航行できるように深く切り立った船底の形、ハイテン鋼(強くて薄く、軽い)でできた船体、後部を観音開きにして内部には小型の船を収納するなど、工作活動に特化したものと言えます。漁船の改造などではなく、最初から工作船として造られたものです。船首に「長漁3705」と書いたり中国国旗らしき旗を振ったりして中国漁船のフリをしましたが、北朝鮮工作船であることは明らかです。

それにしても米軍の通報から海保の着手までおよそ3~4日。その間に専門家の分析やら省庁間のややこしい手順を踏んでいたのでしょうか。これだけ時間があれば、余裕で日本の近海から逃れることができそうです。もしかすると撃ってきたり自爆したりしなければ、日本のEEZ(経済水域)を出るまで「粘り強く」追跡を続けていって…なんて考えすぎでしょうか。

■「犯罪」ではなく「戦争」

この工作船は、単なる「ヤクの運び屋」ではありません。北朝鮮は国を挙げて覚醒剤を製造していますし、日本国内で売り捌けば莫大な資金を得ることができます。北朝鮮の経済事情を考えると、覚醒剤の運搬も工作活動の一環です。人(工作員や拉致した日本人)やモノ(無線機などのハイテク機器や麻薬類などの)など、おおっぴらに運べないものをこの船で運んでいたと思われます。日本海の取り締まりが厳しくなったら九州南部や太平洋側に回っていく新たなルートを築いていったことも考えられます。さらにはこうした侵攻に対する海保や海自、米軍の反応も探っていたかもしれません。

船体の中にはゴムボートや水中スクーターなど上陸に使われるものや、無線機、金日成(キム・イルソン)バッジ、毛布、タバコなどの遺留品もありました。なかで目を引くのは防水加工をした鹿児島県薩摩半島先端の2枚の地図です。昭和46(1971)年には、北朝鮮工作員が上陸した事件(馬渡事件)があった場所です。この地点での上陸・脱出が数十年にわたって恒常的に行われていたことが伺えます。

引き揚げられたものの中で最も眼を見張るのは、多数の武器類が搭載されていたことです。自動小銃4丁、軽機関銃2丁、手榴弾、ロケットランチャー、無反動砲、さらには二連装機銃も備えられていました。こうなるともう殺傷能力云々の次元ではありません。航空機や船舶など、当たったらイチコロです。「あまみ」に対して発射されたロケット弾(2発)が命中しなかったのは、奇跡というほかありません。つまりこの船、単にウラ社会の人間が金儲けのために覚醒剤を運んでいたのとはワケが違うのです。

もちろん自衛隊も上空などから海保と連携をとって、いつでもこれをサポートする態勢にありました。ただし迂闊に射撃することはできません。あくまで「犯罪」ですし、銃撃でもしようものなら「海上警備行動」(=戦闘行為)となってしまいます。日本には犯罪行為と戦闘行為の間にはとてつもなく強大な「壁」が存在するのです(ちなみに英語ではBattle of Amami-Oshima=奄美大島沖海戦と呼ばれるそうです)。

これらの武器などから考えると、もはや「犯罪」ではなく「戦争」です。海上での警察権しかない海上保安庁工作船の対処を委ねてしまうのも、何だか気の毒な感じがします。13~20ミリの機関砲、小銃、拳銃しか備えておらず、防弾処理がなされていない船が、漁業法違反を根拠に武装化した船を停船させようとしていたのですから。(実際に防弾化されていなかった巡視船「あまみ」は、100発を超える銃撃を受け、銃弾が船体を貫通してレーダーやエンジンのうちの一つも破壊されました。また銃撃戦で乗組員3名が負傷しました)。

この件をきっかけに巡視船の防弾化や機関砲の搭載などが図られることになりました。装備などが向上するのは結構なことですが、海上防衛の意識がどこまで高まったかということがより大事になってくるでしょう。この件を「覚醒剤密輸」という犯罪の次元で判断しないことです。

この工作船、搭載されていた武器などとともに横浜みなとみらいにある海上保安庁の資料館に展示されています。赤レンガ倉庫のすぐとなり、無料で見ることができます。観光の際はぜひ足を運んでみてください。

(6月17日)

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html

■市川修一さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html

■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html

吹上浜/市川修一さん・増元るみ子さん拉致現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=VWMh1hN3LB8

■昭和53年8月12日前後の拉致事件集中について

https://youtube.com/watch?v=raw15b2M1sU&feature=share

増元照明さんFacebook

https://facebook.com/people/%E5%A2%97%E5%85%83%E7%85%A7%E6%98%8E/1xxx-xxx-xxxxx0

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和53(1978)年8月12日

アベック拉致容疑事案

被害者:増元るみ子さん(Rumiko Masumoto)

(拉致被害時24歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:市川修一さん(Shu-ichi Ichikawa)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。

北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

吹上浜/市川修一さん・増元るみ子さん拉致現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=VWMh1hN3LB8

■昭和53年8月12日前後の拉致事件集中について

https://youtube.com/watch?v=raw15b2M1sU&feature=share

■「その後」を考える集い31

https://youtu.be/tnw-Tl9kWXA

■「その後」を考える集い31(稲川版)

https://youtube.com/watch?v=6Gg8ByYRdsA&feature=emb_imp_woyt

[August 12, 1978: Couple abducted]

Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)

Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.

North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・田中正道さんについて》

◆氏名:田中 正道

(たなかまさみち)

(Masamichi Tanaka)

◆失踪年月日:平成5(1993)年6月7日

◆生年月日:昭和23(1948)年6月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:44歳

◆当時の住所:茨城県久慈郡金砂郷村

◆当時の身分:建設業(鍛冶工、鳶職)

◆身長:168cm

◆体重:55kg

◆特徴:痩せ型

◆特技:測量、ガス、足場、玉掛の技術を持っている

◆失踪場所:千葉県習志野市

【失踪状況】

5月16日、「急性アルコール中毒になり入院した」との連絡が千葉県の病院から鹿児島に住む家族にあった。

入院中病院より連絡があり「身内が近くにいないので、他の人より長く入院させるから」と言われ、6月3日まで入院した。

退院前に主治医から鹿児島の妹に電話があり「そろそろ退院する。妹の世話にはなりたくないと言っているので、病院の方で仕事を紹介します」と言われた(後に主治医は「そういう話はしていない」と言っている)。

6月2日、本人より「明日退院するので、免許の更新に茨城に行ってくる」と連絡があった。

6月6日、茨城県交通協会で講習を受けたことは免許証にて確認。

6月7日千葉市内の友人宅に寄り、「今から仕事に行く」と言って出ていったのが最後。

同年6月11日、本人の車が習志野市内の路上に放置してあるとの連絡があった。車は慌てたように斜めに放置、キーがついたまま、ドアの鍵も開いており、後輪がパンクしていた。

車内には免許証、保険証、預金通帳印鑑、入院時の下着類、仕事着、アドレス帳があった。車が置かれたのは10日夜半か11日早朝と思われる。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

茨城県警HP

http://www.pref.ibaraki.jp/kenkei/

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・園田 一さんについて》

◆氏名:園田 一

(そのだはじめ)

(Hajime Sonoda)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日

◆生年月日:大正7(1918)年2月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:53歳

◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町

◆当時の身分:養鶏場勤務(管理人)

◆身長:160cm

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中

【失踪状況】

当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。

出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。

失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。

平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。

失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町北朝鮮工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。

同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

■鹿児島県東岸大隅半島と園田 一さん・トシ子さん失踪について

https://youtube.com/watch?v=6mZxFGpWIhI

■園田 一さん・トシ子さん失踪現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=aS0A0cVM4jA

《特定失踪者・園田トシ子さんについて》

◆氏名:園田 トシ子

(そのだとしこ)

(Toshiko Sonoda)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月30日

◆生年月日:昭和4(1929)年9月7日

◆性別:女性

◆当時の年齢:42歳

◆当時の住所:鹿児島県曽於郡大崎町

◆当時の身分:養鶏場勤務

◆身長:155cm

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:鹿児島県曽於郡大崎町の自宅から宮崎空港へ向かう途中

【失踪状況】

当日午前11時頃、正月に大阪の伊丹空港から帰省する次女を迎えに夫婦で自家用車(白色のマツダファミリア)で自宅(管理人宿舎)から宮崎空港へ向かう途中、ガソリンスタンドに寄った後、消息を絶つ。

出発時に助手に「ガソリンスタンドへ寄ってから国道269号線を走って行く」また「都城に寄って三女の成人式の晴れ着を見てくる」と言っていた。

失踪後、警察や近所総出で大規模な捜索を行ったが、車の破片さえ発見できなかった。

平成16年9月28日、鹿児島県警に告発状提出。

失踪2ヶ月前の10月2日、同県頴娃町北朝鮮工作員が上陸し、警察・消防団員が捜索したところ2人(朝鮮総連役員)を発見し、残る4人は逃走した(馬渡事件)。

同日国籍不明の小型船舶が馬渡海岸沖にいるのを海上保安庁のビーチクラフト機が発見、巡視船が追尾したが領海外に逃走した。

「トシ子」が戸籍名だが、「敏子」を使うこともある。

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

■鹿児島県東岸大隅半島と園田 一さん・トシ子さん失踪について

https://youtube.com/watch?v=6mZxFGpWIhI

■園田 一さん・トシ子さん失踪現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=aS0A0cVM4jA

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による園田さん夫妻失踪事件の解説】

大隅半島は意外と目立たないものの北朝鮮の工作機関には重要な意味があったと思われます。その大隅半島の付け根のあたり、大崎町から車で宮崎空港に向かう途中失踪したのが園田 一・敏子夫妻。昭和46年(1971)12月30日のことです。

《特定失踪者・種田 誠さんについて》

◆氏名:種田 誠

(たねだまこと)

(Makoto Taneda)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月

◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:焼肉料理店チーフ

◆特徴:盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

京都市内のアパートから失踪。

「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。

以来何の連絡もない。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・日高満男さんについて》

◆氏名:日高 満男

(ひだかみつお)

(Mitsuo Hidaka)

◆失踪年月日:平成元(1989)年2月23日

◆生年月日:昭和33(1958)年8月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:鹿児島県鹿児島郡三島村(鹿児島県十島村諏訪瀬島の知人宅に居候中だった)

◆当時の身分:港湾土木作業員・漁船員

◆身長:171cm

◆体重:50kg

◆特徴:

1)中肉

2)面長

◆失踪場所:鹿児島県鹿児島郡十島村諏訪瀬島周辺海域

【失踪状況】

建設会社の仕事で鹿児島県諏訪之瀬島に赴き、男性と意気投合。

再度諏訪之瀬島に渡り、男性が所有する小型漁船・大昭丸に1人で乗り込み、元浦港南西漁場で操業。1人でトローリング漁に出かけた。

その日出漁したのは15~16隻。

14時ごろ、他の漁船が日高さんの船が海上に停泊し、「釣れたか?」と声をかけると日高さんは「ダメだ」と答えた。

目撃されたのはこれが最後。

日没後も帰港しないため、漁船、海上保安部巡視船、航空機により捜索。

翌日、諏訪之瀬島切石港沖合で船が発見されたが、日高さんの姿がなかった。

トローリングをしていた状態で釣り糸は垂れたまま、船は燃料切れで漂流していた。

失踪後1~2年、父の家に無言電話が1ヶ月ほど続いた。

毎夜0時~1時ごろで、テレビのノイズのような雑音とともに、ツー、ツーという音(モールス信号のような音)が聞こえてきた。

■日高満男さんの姉のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第70回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=HT8vXdCY9WQ

《特定失踪者・加藤義美さんについて》

◆氏名:加藤 義美

(かとうよしみ)

(Yoshimi Katou)

◆失踪年月日:平成7(1995)年2月15日

◆生年月日:昭和18(1943)年11月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:50歳

◆当時の住所:鹿児島県鹿児島市喜入町

◆当時の身分:船員

◆身長:164cm

◆体重:56kg

◆特徴:歩行時に左足を引きずる

◆失踪当時の服装:グレーの作業ズボン、グレーのハイネック

◆失踪場所:鹿児島県熊毛郡上屋久宮之浦港

【失踪状況】

港湾工事のため、屋久島に作業台船で来ていた。

2月14日午後7時30分頃から船内で焼酎1~2杯を飲み、午後8時前、他の船員3名と4人で宮の浦のスナックで午後10時頃まで飲む。本人が酒に酔ったため、午後11時頃仲間の1人がタクシーで船まで送る。

本人が岸壁から船へかけてある木の橋を渡って船に入るところまで見届けられたのが最後。

翌朝午前8時頃、本人が起きてこないので、部屋を見たが部屋にいなかった。

1階食堂に本人が外出時来ていたジャンパーと履いていた靴だけが残っていた。

《特定失踪者・羽生弘行さんについて》

◆氏名:羽生 弘行

(はぶひろゆき

(Hiroyuki Habu)

◆失踪年月日: 昭和30(1955)年10月23日

◆生年月日:大正6(1917)年11月5日

◆性別:男

◆当時の年齢: 37歳

◆当時の住所:鹿児島県熊毛郡屋久

◆当時の身分:漁師(半農半漁)

◆身長:165cm

◆血液型:A型

◆特徴:

1)色黒

2)左目の視力なし

3)痩せ型

4)喫煙する、酒は少々

◆失踪場所: 鹿児島県熊毛郡屋久

【失踪状況】

所有する「なには丸」に他6名とともに屋久島の栗生川河口から口永良部島に向かうが戻らず。

後に口永良部島に入港していないことが判明。

■羽生弘行さんの母、叔母、息子のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第70回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=HT8vXdCY9WQ

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・加藤悦子さんについて》

◆氏名:加藤 悦子

(かとうえつこ)

(Etsuko Katou)

◆失踪年月日:平成元(1989)年8月23日

◆生年月日:昭和23(1948)年1月3日

◆性別:女性

◆当時の年齢:41歳

◆当時の住所:愛知県尾張旭市

◆当時の身分:看護師

◆身長:160cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:趣味は畑仕事、農作業

◆失踪場所:愛知県尾張旭市の自宅

【失踪状況】

家族を送り出し、午前中勤務先の医院を無断欠勤。

夕方自宅に「ご飯を作って食べていてくれる?」との電話。

当日夜、夫が鏡台内から「これから旅に出る」という手紙を発見。

翌日には鹿児島の実家、兄弟姉妹、当時から過去の交友関係などすべて調べるが手がかりなし。

いつも持ち歩いていたバックも家にある。

通帳印鑑も同様。

現金を引き出した痕跡なし。

給料前だったので所持金はほとんどない。

看護婦免許も家に置いたまま。

服も持ち出した形跡なし。

性格上自殺は考えにくい。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》

◆氏名:佐藤 益一

(さとうますいち)

(Masuichi Satou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日

◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮

◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)

◆身長:163cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)縮毛

3)山歩きが好き

◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】

6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。

背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。

この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。

6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。

警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。

池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

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救う会兵庫HP

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■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.