もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】奄美大島沖海戦編/FNN

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!「奄美大島沖海戦」―九州南西海域不審船事件―》

特定失踪者問題調査会副幹事長 杉野正治

奄美大島沖海戦

平成13(2001)年12月22日、鹿児島県奄美大島沖で北朝鮮工作船海上保安庁の巡視船が銃撃戦を行い、最終的には工作船が自爆して沈没したという事件を覚えておられる方も多いでしょう。この銃撃戦の模様は映像で公開され、日本中に衝撃と戦慄が走りました。北朝鮮の一部のナラズ者が大量の覚醒剤を日本国内に持ち込もうとした…当時はそんなイメージだったように思います。しかし平成14(2002)年9月11日に船体を引き揚げた直後の17日、小泉総理が訪朝して北朝鮮による日本人拉致が大きく報道されました。北朝鮮がナラズ者国家であることが公然と語られるようになったのです。

■3日前から発見されていた

この不審船を最初に発見したのは在日米軍です。12月18日に「不審船あり」の情報が防衛庁(当時)に通報され、哨戒機を飛ばして船を撮影・分析を行った結果、北朝鮮工作船の可能性が大きいと見て、海上自衛隊の哨戒機や護衛艦を現地に急行させています。さらに海上保安庁に伝達し、22日の深夜1時過ぎに海保の第十、第十一管区保安本部から巡視船「あまみ」「いなさ」「きりしま」「みずき」が九州各地から現場に急行し、航空機とともに不審船を補足・追尾。中国とのEEZ境界線を前にして、漁業法に基づいて検査をするため停船命令を出しました。そして巡視船数隻で停戦させようとしたところ、突然不審船からは銃撃を開始し、ロケットランチャーで砲撃を行ったのです。巡視船側も応戦しましたが、不審船は自爆して沈没。乗組員(推定15名)は全員死亡したものと思われます。後に8名の遺体が引き揚げられました。

自爆して沈没する直前、この船から乗組員が海中に何かを投げ入れていたことが確認されています。大量の覚醒剤や暗号を送受信する際の乱数表などだと思われます。後に回収されたこの船の乗組員の携帯電話の通信履歴から、在日韓国人(のちに別の犯罪で逮捕)との通信が頻繁に行われていたことがわかりました。この携帯電話は岐阜県で契約されたものでした。

船自体も、水上こそは漁船を偽装していますが、水面下は特殊なつくりになっていました。高速で航行できるように深く切り立った船底の形、ハイテン鋼(強くて薄く、軽い)でできた船体、後部を観音開きにして内部には小型の船を収納するなど、工作活動に特化したものと言えます。漁船の改造などではなく、最初から工作船として造られたものです。船首に「長漁3705」と書いたり中国国旗らしき旗を振ったりして中国漁船のフリをしましたが、北朝鮮工作船であることは明らかです。

それにしても米軍の通報から海保の着手までおよそ3~4日。その間に専門家の分析やら省庁間のややこしい手順を踏んでいたのでしょうか。これだけ時間があれば、余裕で日本の近海から逃れることができそうです。もしかすると撃ってきたり自爆したりしなければ、日本のEEZ(経済水域)を出るまで「粘り強く」追跡を続けていって…なんて考えすぎでしょうか。

■「犯罪」ではなく「戦争」

この工作船は、単なる「ヤクの運び屋」ではありません。北朝鮮は国を挙げて覚醒剤を製造していますし、日本国内で売り捌けば莫大な資金を得ることができます。北朝鮮の経済事情を考えると、覚醒剤の運搬も工作活動の一環です。人(工作員や拉致した日本人)やモノ(無線機などのハイテク機器や麻薬類などの)など、おおっぴらに運べないものをこの船で運んでいたと思われます。日本海の取り締まりが厳しくなったら九州南部や太平洋側に回っていく新たなルートを築いていったことも考えられます。さらにはこうした侵攻に対する海保や海自、米軍の反応も探っていたかもしれません。

船体の中にはゴムボートや水中スクーターなど上陸に使われるものや、無線機、金日成(キム・イルソン)バッジ、毛布、タバコなどの遺留品もありました。なかで目を引くのは防水加工をした鹿児島県薩摩半島先端の2枚の地図です。昭和46(1971)年には、北朝鮮工作員が上陸した事件(馬渡事件)があった場所です。この地点での上陸・脱出が数十年にわたって恒常的に行われていたことが伺えます。

引き揚げられたものの中で最も眼を見張るのは、多数の武器類が搭載されていたことです。自動小銃4丁、軽機関銃2丁、手榴弾、ロケットランチャー、無反動砲、さらには二連装機銃も備えられていました。こうなるともう殺傷能力云々の次元ではありません。航空機や船舶など、当たったらイチコロです。「あまみ」に対して発射されたロケット弾(2発)が命中しなかったのは、奇跡というほかありません。つまりこの船、単にウラ社会の人間が金儲けのために覚醒剤を運んでいたのとはワケが違うのです。

もちろん自衛隊も上空などから海保と連携をとって、いつでもこれをサポートする態勢にありました。ただし迂闊に射撃することはできません。あくまで「犯罪」ですし、銃撃でもしようものなら「海上警備行動」(=戦闘行為)となってしまいます。日本には犯罪行為と戦闘行為の間にはとてつもなく強大な「壁」が存在するのです(ちなみに英語ではBattle of Amami-Oshima=奄美大島沖海戦と呼ばれるそうです)。

これらの武器などから考えると、もはや「犯罪」ではなく「戦争」です。海上での警察権しかない海上保安庁工作船の対処を委ねてしまうのも、何だか気の毒な感じがします。13~20ミリの機関砲、小銃、拳銃しか備えておらず、防弾処理がなされていない船が、漁業法違反を根拠に武装化した船を停船させようとしていたのですから。(実際に防弾化されていなかった巡視船「あまみ」は、100発を超える銃撃を受け、銃弾が船体を貫通してレーダーやエンジンのうちの一つも破壊されました。また銃撃戦で乗組員3名が負傷しました)。

この件をきっかけに巡視船の防弾化や機関砲の搭載などが図られることになりました。装備などが向上するのは結構なことですが、海上防衛の意識がどこまで高まったかということがより大事になってくるでしょう。この件を「覚醒剤密輸」という犯罪の次元で判断しないことです。

この工作船、搭載されていた武器などとともに横浜みなとみらいにある海上保安庁の資料館に展示されています。赤レンガ倉庫のすぐとなり、無料で見ることができます。観光の際はぜひ足を運んでみてください。

(6月17日)

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

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北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

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■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

Susumu Fujita)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《特定失踪者・藤田 慎さんについて》

※藤田 進さん・隆司さん兄弟の叔父

◆氏名:藤田 慎

(ふじたしん)

(Shin Fujita)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年

◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:東京都大田区蒲田

◆当時の身分:三菱重工業石川島播磨重工業のどちらかに勤務

◆身長:165cmくらい

◆体重:65kg〜70kg

◆特徴:

1)柔道をやっていてがっしりした体格

2)川に潜って魚獲りをするのが好きだった

3)長兄(藤田 進さんの父)と顔が似ている

◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)

【失踪状況】

長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。

次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。

また、弟にお金を借りに来る。

その後音信不通。

失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。

字体は達筆(本人の字体に似ていた)。

差出人の名前がなかった。

消印は世田谷だったようである。

昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

《特定失踪者・古川了子さんについて》

◆氏名:古川 了子

(ふるかわのりこ)

(Noriko Furukawa)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日

◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:千葉県市原市菊間

◆当時の身分:三井造船社員(経理

◆身長:157cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。

2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。

3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。

4)左眉に途切れたような傷がある。

◆失踪場所:千葉県市原市の自宅を出てから

【失踪状況】

当日は土曜日で会社が休みだったので、午前中に美容院に行って午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。

午前中、了子さんは母親が知らない間に家を出ていたが、美容院に了子さんから電話で「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができたので母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。

母親は美容院の人から電話を貰い、友達にでも会うことになったのだろうと気にはしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。

7月に初めて貰ったボーナスは手付かずだし預金通帳も置いたまま。

持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。

その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。

北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。

平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。

平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

救う会千葉ブログ

http://sukuukaichiba.blog.fc2.com/

■古川了子さんを救う会HP

http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

■古川了子さんの姉・竹下珠路さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第28回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=ATXuHCD6BCI

《特定失踪者・関谷俊子さんについて》

◆氏名:関谷 俊子

(せきやとしこ)

(Toshiko Sekiya)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市徳氏

◆当時の身分:薬品会社(千葉薬品)勤務。定時制高校在学中

◆身長:160cm

◆体重:50kgくらい

◆血液型:A型またはO型

◆特徴:

1)痩せ型

2)ソフトボールをやっていて、実業団に入るのを勧められた

3)スポーツは得意

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

親類の峰島英雄さんと幼馴染の同級生・遠山常子さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。

古川事件の1年後の同じ7月の失踪。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

■関谷俊子さんの姉・栄子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第46回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=6AJQzmF0voo

《特定失踪者・遠山常子さんについて》

◆氏名:遠山 常子

(とおやまつねこ)

(Tsuneko To'yama)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年6月22日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市田淵

◆当時の身分:県立高校学生(夜間部)

◆当時の勤務先:千葉市内のスーパーマーケット

◆身長:158cm~160cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中肉中背で、関谷俊子さんより背がやや低い2)ポッチャリしていた

3)左右どちらかは不明だが眉の上にホクロの切除痕有り

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

幼馴染の同級生・関谷俊子さんとその親類の峰島英雄さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

■遠山常子さんの姉・正子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第46回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=6AJQzmF0voo

《特定失踪者・峰島英雄さんについて》

◆氏名:峰島 英雄

(みねしまひでお)

(Hideo Mineshima)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和27(1952)年9月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:千葉市稲毛区)轟町

◆当時の身分:千葉市内の電話工事会社社員(下請け)

◆身長:170cm

◆血液型:B型またはO型

◆特徴:

1)ガッチリした体型

2)少し空手を習っていた

3)飲酒・喫煙をする

4)軽装

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

当日夜、遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、英雄さんの兄が店長を務め妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。

数時間店に滞在。英雄さんが「二人を車で家に送ってくる。おなかも空いたので、戻ってくるからおにぎりを作っておいてくれ」と言って店を出たが戻って来なかった。

その後三人からの連絡は一切無し。

車(赤いマーク2)も発見されていない。

失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。

失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.