もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2021(18)/西岡 力編

令和3年11月3日、東京都千代田区のシェーンバッハ・サボーで、1年ぶりに「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」が開催されました。主催は、家族会、救う会拉致議連、知事の会、地方議連で、全国各地から800名が大集会に集合しました。

北朝鮮では今、経済危機が深化、軍人の食糧が枯渇、党と政府の最高幹部らへの物資供給が止まり、中央銀行は国内で紙幣が刷れなくなり、これらの動揺を抑えるためミサイル発射などで挑発を続けています。

しかし、国際社会は最高度の制裁を維持しており、「先圧力、後交渉」に基づき、なんとしてもこの厳しい制裁を背景にして日・朝首脳会談を開かせなければならないという立場から国民大集会が開催されました。

また、12月の北朝鮮人権週間中に、閣僚、国会議員、地方自治体首長、地方議員の全員、また多くの国民が救出のシンボルであるブルーリボンをつけて救出への意思を示そうと呼びかけました。

司会/西岡 力(救う会全国協議会会長)

■1年1か月ぶりの国民大集会

皆さん、こんにちは。

「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」を始めたいと思います。

1年1か月ぶりになります。去年ここで横田 滋さんの「お別れ会」をさせていただきました。その時安倍総理がお辞めになり、新しい総理大臣として菅総理にここに来ていただいたのですが、1年経って新しい総理をお迎えすることになりました。

しかし、新総理がまた日程を取ってくださって、官房長官と一緒に来て下さっています。誰が総理になろうと、「この問題は日本国の最優先課題だ。全拉致被害者の即時一括帰国なしには日本は国家ではない」と、そういう覚悟で、また誰がやるかではなく国民全部で一緒に声を挙げたいと思います。怒りの声を挙げてください。平壌に届くように。特にこの1年間、被害者に申し訳ないという気持ちでいっぱいです。

少しだけお話ししますが、今北朝鮮経済は苦しいです。90年代後半に大変苦しい時がありましたが、帰国した被害者に、「その時そういう状況でしたか」と聞きました。そうしたら、「食料の配給はちゃんとあった。肉も食べていた。

しかし、停電で暖房が切れて、ものすごく寒かった。石油でオンドルを使っていますが、オンドルは暖房が切れるとすごく冷えるんです。それで家中の布団と服を全部かぶってがたがたと震えていた」ということでした。

北朝鮮の被害者の皆さんがどういう状況なのか。そして私たちの力不足のために、(救出が)1年延びてしまったと思うと、本当にやり切れない気持ちです。

しかし、何もしなければ絶対に解決しないのです。そして何かをしていけば絶対に突破口が開ける。思いを一つにして穴を開けようではありませんか。そんな気持ちで今日の集会を進めさせていただきたいと思います。

拉致被害者家族の高齢化

飯塚さんは2代目の家族会代表ですが、家族でも親の世代ではなく兄弟の世代です。それでも、こういう言葉を使って申し訳ないんですが、薬をたくさん飲みながら頑張って、今日も何としても来るということで来ていただき、「結果を出してほしい」とおっしゃいました。家族の人たちも健康が心配な、後がない状況です。

■以前は拉致問題担当大臣はいなかった

私たちが運動を始めたのは1997年からです。その時は政府に拉致問題対策本部はありませんでした。拉致問題担当大臣もいませんでした。

それが2006年にできたのです。めぐみさんが拉致されてだいたい45年経っているのですが、最後の15年なんです。この15年は体制ができていたから、総理大臣が代わっても全閣僚が参加する対策本部があり、総理大臣が本部長になってくださって、そして今内閣を調整する官房長官が担当大臣になってくださっています。

最後の局面で調整が必要です。担当大臣を官房長官に就けてくださった岸田総理は本気で、自分の任期中に解決する意思があるんだなと、私はこの人事を見て感じました。

私たちは当初政府に、拉致問題の専門部署を作ってほしいと国民大集会でやったのです。そして毎回総理が来てくださるようになった。少しずつですが、先ほど言ったように、何もしなかったら拉致問題を解決するための体制もなかったのです。小泉訪朝の後もなかったんですよ。ここまでやってきました。絶対諦めめるわけにはいかない。

■実名公表、横田 滋さん「日本国民を信じよう」

家族会結成の時から、結成するにあたって名前を出すかどうかで最初に決断されたのが横田家で、ずっと運動の中心にあられたのが滋さんと早紀江さんでしたが、滋さんが去年天国に行かれた後、今ここに早紀江さんが来てくださっています。

97年にめぐみさんが北朝鮮にいるということが分かった時、「周りの専門家は実名を出して、写真を出したら、北朝鮮に殺されるかもしれない」等のたくさんのアドバイスがあったのですが、滋さんが、「日本国民を信じよう。だから訴えよう」と決意されて、早紀江さんと拓也さん、哲也さんが記者会見されました。

そしてここにいる家族会の皆さんがそこに合流して家族会ができたのですが、来年の3月で25年になります。

■日本中の声を発信

今日はオールジャパンでみんなの声を発信したいと思います。各党にそれぞれ拉致問題の専門の部署があります。

その代表の先生方に来ていただきました。

また全国に拉致の知事の会があります。北朝鮮による拉致被害者救出する知事の会で、全知事が入っておられます。その代表にきていただきました。また、全国に地方議員の拉致議連があります。その代表にも来ていただきました。そして特定失踪者家族会の方にも登壇していただいています。

日本中の声をここで発信したいと思います。

■国会の主要政党全部が、「全被害者の即時一括帰国に賛成」

ここに来ていただいた党は、内部に拉致問題専門の部署がある党です。また今回の選挙で、『産経新聞』が、各党にアンケートを取りました。「家族会・救う会が主張している全被害者の即時一括帰国に賛成するか」と。ここに来ていらっしゃる方々はすべて賛成の方々です。共産党は拉致の部署を持っていないのでここには呼んでいませんが、その共産党も賛成しました。つまり国会の主要政党全部が、「全被害者の即時一括帰国に賛成」しているという事実が今回の選挙で確認されたのです。その代表が今日ここに全員来てくださいました。

■12月の北朝鮮人権週間中にブルーリボン

知事の会からは47都道府県から50名の代表の方が参加されています。

東京都からは黒沼副知事、神奈川県から小板橋副知事、新潟県からは佐久間副知事が来られています。ありがとうございました。

実はこの集会が始まる前に、家族会・救う会から平井知事に要請文をお渡ししました。それは今日の決議の3にあるんですが、12月に北朝鮮人権週間があるのですが、その週に、知事の会の皆様や関係者の皆様に、ブルーリボンをつけてもらいたいと要請しました。「赤い羽根」運動があるように、ブルーリボンをつけようというものです。

九州のある市では課長以上が服務中にバッジをつけます。議会の答弁で、「このバッジは政治的な問題でなく人権問題だから服務中につけてもいい」という発言があったと聞いています。是非、北朝鮮人権週間の時にみんなでバッジをつけていただきたい。そして我々は忘れていないということを発信したいと思います。

知事の会にもお願いしました。

宜しくお願いいたします。

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.