もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2021(14)/今井 裕さん

今井英輝(特定失踪者家族会会長。今井 裕さんの兄)

■国民はもっと怒らなけらばならない

国民大集会に参加できましたことに感謝いたします。

本日は皆さんとはちょっと違った見方で拉致問題を紹介させていただきます。

警察の決まり文句に、「もし一人でも拉致でなかった人を認定したら北朝鮮から大変な反撃をくらう。だから絶対に間違いがあってはならない」というのがあります。

私たちは拉致の認定について分かりません。私の弟、今井 裕は2004年、日弁連の先生方の支援を受けて弘前警察署を告発しました。以来、弘前警察署の外事課のお役人が2か月に1回、「何か情報はありませんか」と土産を持ってきます。警察は人事が早く2年に1回くらいです。「何か情報はありませんか」と。

実は、私の弟の場合は、部屋を失踪したままにしてあったので、情報がたくさんあります。転勤の際、こういうことを言ったお役人がいました。「上司に情報報告書を提出すると申し出たところ、上の承認が出ていないので勝手な行動をするなと言われて残念だね」と。

県警の外事が承認するのか警察庁の本庁なのか私たちには分かりません。科学捜査研究所まで行ったものもあります。50年秋に発見された、日本海から拉致されたと思われる地図も見つかりました。千葉から48年7月7日、失踪した古川了子さんは4月に三井造船に入社しています。平成14年に北朝鮮から脱出した工作員安明進(アン・ミョンジン)氏は、「病院で了子さんに似た人を見た」と証言しています。

また昭和51年2月7日、東京学芸大生の藤田 進さんは、「新宿の警備会社にアルバイトに行く」と言ったまま失踪しました。15年前、北朝鮮脱北者が持ち出した写真が藤田 進さんだと言われ、鑑定した結果本人であることが判明しました。

これ以外にも拉致の可能性を否定できない、認定されない被害者がたくさんいるということを知ってもらいたい。もし、「古川了子さん、藤田 進さんが拉致と認定されました」と発表された場合、では40年、45年経って、なぜ今まで隠していたのか、と。「分かりませんでした」、「認定しても北朝鮮が返すことはしない。だから認定しない」。

「絶対間違った認定はしない」というのが政府の方針ですから、2002年に帰ってきた人は19年間誰一人認定されない。そして「死亡」したとされる12名についても一人も帰ってきていません。

2002年の9月、小泉首相金正日キム・ジョンイル)氏が会見し、初めて日本人の拉致を認め謝罪しました。では拉致を求める前はどうだったか。「わが国は一人も拉致していない」と言っていました。「拉致は日本の武力反動のでっち上げで、ずっと前から拉致はしていない」と言っていながら、5人を返した。つまり北朝鮮の言っていることは全部嘘なんです。

北朝鮮の謝罪に日本はどのような反撃をしたか。反撃は何もしていません。むしろ、「5人を返してもらってありがとう」と。カネを払ったかどうかは知りませんが、食糧支援を25万tしています。こんな北朝鮮の扱いに国民はおとなしすぎるのです。国民はもっと怒らなけらばならないと思います。

2002年9月17日に5人が帰って19年経ちました。残りの12名についても、死亡診断書は嘘でした。今まで北朝鮮が言ったことについては全部嘘です。

先日岸田総理が就任のメッセージを発信しました。この時の北朝鮮外務省の動きについて日本は、「北朝鮮に侵略、日本は謝罪と賠償をしていない」とのメッセージを発しています。

北朝鮮は国連の経済制裁により、またコロナにより、いよいよ苦しくなったと思われます。今こそ拉致被害者救出のチャンスと思われます。まずは両国のトップ会談の実現と早期解決を望みます。

■今井英輝さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter10.html

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

《特定失踪者・今井 裕さんについて》

◆氏名:今井 裕

(いまいゆたか)

(Yutaka Imai)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月2日

◆生年月日:昭和25(1950)年12月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:青森県弘前市

◆当時の身分:青森県弘前工業高校3年生

◆身長:170cmくらい

◆体重:62kg~63kg

◆5人兄弟の末っ子

◆特徴:

1)眼鏡着用

2)右の頬に子どものとき木に登ってついた傷が残っている

◆失踪場所:青森県弘前市

【失踪状況】

3月4日の卒業式で答辞を読むことになっていたので「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たが、午後10時を過ぎても帰宅しないので兄弟2人が市内を捜す。

午後11時過ぎ、弘前警察署に捜索願提出。

翌日、警察、消防署、学校関係者で捜すが見つからず。

東京の営団地下鉄(現・東京メトロ)で就職が決まっていた。

失踪2~3日前に家の隣にある物置小屋の脇で書類(紙類)らしいものを燃やしていた。

平成16年1月29日、青森県弘前署に告発状提出。

青森県深浦町艫作(へなし)現地ライブ 今井裕さんの謎の地図の意味は?

https://youtu.be/1E5bwvtHrEg

■生徒手帳の地図/青森テレビ(ATV)

https://www.facebook.com/100010108449598/videos/821202538226687

■生徒手帳の地図/NHK青森放送

https://www.facebook.com/100010108449598/videos/821177514895856

■今井 裕さんの兄・英輝さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第20回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=C3mFEx37lKc

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.