もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2019(16)/荒木和博編

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(令和元年9月16日)

荒木和博(特定失踪者問題調査会代表)

《10月12日に神戸でデモと集会を》

■もっと厳しい目で見なければならない

本日はたくさんの皆様、ありがとうございます。

先ほど大澤さんが今井さんに交代になるという話がありましたが、昨日の三役会と、今日の懇談会で決まりました。正式には10月1日付で会長になっていただきます。併せて、副会長に先ほど紹介された吉見美保さんと植村照光さんが就任されます。

一つ宣伝ですが、これはパンフレットですが、特定失踪者、政府認定被害者も含めてですが、それぞれの簡単な失踪状況、年齢を書いたものが一冊200円で、外で売っていますので帰りがけにお求めください。

次の話はここにおられる方々の63%くらいから嫌われるんじゃないかと思いますが、このパンフレットを作りました直後に警察は、山形県出身で昭和58年に失踪した斎藤 武さん、横浜で失踪されていますが、「見つかった」と発表しました。ニュースでご覧になった方もいると思います。そこで顔写真にシールを貼って修正をしてあります。

だいたい我々がこういうパンフレットを作ったり、集会をやるぞという時になると警察は「見つかりました」と発表します。斎藤さんの件で悪質なのは、実は見つかったのは去年の4月なんです。1年半前に遺体で見つかっています。

遺体で見つかって誰だか分からない場合は、行旅死亡人、つまり行方不明遺体ということで官報に掲示して、各自治体が出すことになっているんですが、私たちの特別調査班で官報を全部、該当する時期についてコピーして調べました。しかしこの中にありません。

行旅死亡人でなかったということは、発見されてからまもなく、本人と特定できたということです。にも関わらず1年半もかけて出してくるというのはどういう意味があるのか。

しかも警察はご家族に話をしたと言われているようですが、我々が知ってる限りのご家族は、それについては聞いていない。先ほど何人もの方が、「一致団結して、一丸となって」という話をされました。私もそうだと思いますが、そういうのを警察が邪魔してたらどうしようもないでしょう。そんなことは今までも山ほどある。

山本美保さんのDNAの事件でもそうですが、色々な特定失踪者の事件でそれを拉致だというふうにすることをいかに邪魔されてきたか。それどころか、様々な所で、今日来られているご家族にもおられるかどうか分かりませんが、裏で、「あれは女ができた」とか、「男ができた」という変な噂を流して、そういう方々の動きを妨害することを公的機関がやっているのが、残念ながら現状です。こんなことで一致団結などできるわけがない。

昔、今の内閣官房の拉致関係の部局で、そこの責任者の方とお話をしていて、その方が「政府は一丸となって拉致問題に取り組んでいます」と言われました。

私は聞いていて、「どう考えてもそうは見えないんですけど」と言ったら、隣にいた次席の方が深く頷いていましたので、おそらく一丸となっていないんだろうと思います。

その点は、我々はもっと厳しく物を見ていかなければいけないのではないかと思います。

憲法変えなくても拉致被害者は救出出来る

先ほど、立憲民主党の村上さんのご発言に対して、櫻井さんが憲法改正のことをおっしゃいました。私はほかのことは分かりませんが、私が考えている限りでは、今の安倍総理がやろうとしている憲法改正拉致被害者の救出とは、何の関係もないと思います。

今のこの状況で憲法を改正しても拉致被害者を取り返せるわけがない。逆に言えば、今の憲法だってその気になれば、いくらでも取り返すことができると思います。

金正恩の母親は大阪の鶴橋出身で、父親は日本陸軍の工場勤務だった

我々は10月12日に神戸でデモと集会を行います。関西地区の集会は初めてですが、金正恩キム・ジョンウン)、先ほど横田早紀江さんはお友だちのようにと言われましたが、金正恩の母親はご存知のように大阪の鶴橋出身です。父親は帝国陸軍の軍事工場で仕事をしていた。

まさに文在寅ムン・ジェイン)が聞いたら憤死しそうな人なんですが、そういう関係があるんだから、日本出身の人間の息子なんだからちゃんと日本と話し合いをしろということを、できるだけ嫌味たらしくアピールして向こう側に意思を伝えようと思っています。神戸の集会に参加いただける方は是非ご一緒に参加してください。

以上お願いして、私からのご挨拶とさせていただきます。

※文中の集会は台風の影響により令和2年3月1日に変更になりました。

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(拉致被害時28歳)

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.