もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/FTB

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

■北陸3県有志の会ブログ

http://koudousuruhokuriku.seesaa.net/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和53(1978)年7月7日

アベック拉致容疑事案

被害者:地村保志さん(Yasushi Chimura)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:地村富貴惠さん(Fukie Chimura)

(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。

2人は昭和54年に結婚。

平成14年10月に日本に帰国。

娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。

捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)階段を一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」

(地村富貴恵さんの証言)

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

[July 7, 1978: Couple abducted]

Abductees: Yasushi Chimura (23, male, Fukui Prefecture), Fukie Chimura (nee Hamamoto, 23, female, Fukui Prefecture)

Disappeared after saying they were going out on a date.

The two married in 1979 and returned to Japan in October 2002. Their daughter and two sons arrived in Japan in May 2004.

In February 2006, the Japanese authorities issued an arrest warrant for Sin Kwang-Su, the North Korean agent believed to be responsible for their abductions, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan.

《特定失踪者・河合美智愛さんについて》

◆氏名:河合 美智愛

(かわいみちえ)

(Michie Kawai)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年4月2日

◆生年月日:昭和38(1963)年12月18日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:福井県越前市

◆当時の身分:繊維会社会社員

◆身長:169cm

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)おでこが広い

2)口元に小さなホクロ

3)丸顔

4)髪の毛は柔らかくて多くない

5)右膝外側に10cm程度のあざ

6)趣味はドライブ

◆失踪場所:福井県武生市(現・越前市

【失踪状況】

失踪前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。

昼食のために会社から一旦帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。

職場から「午後は休みだった」と連絡が来て会社に着いていないことが分かった。

自室の鏡台の上に財布を置いたままだった。

乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。

失踪後、1~2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。

平成6年頃、宮城県内で目撃情報があります。

宮城県警HP

http://www.police.pref.miyagi.jp/

《特定失踪者・高木茂久さんについて》

◆氏名:高木 茂久

(たかぎしげひさ)

(Shigehisa Takagi)

◆失踪年月日:昭和36(1961)年8月10日

◆生年月日:昭和15(1940)年3月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:同志社大学商学部3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)似顔絵を書いたり絵を描くのが上手

2)煙草を吸う

3)野球が好き

4)ゴルフを始めた頃に失踪

◆失踪場所:福井県小浜市の海水浴場

【失踪状況】

友人の女性とよく福井県小浜の海水浴場に行っていた。

失踪前日にその彼女と遊びに行くと言って、特に大金や所持品も持たず大阪の自宅を車で出かけたが、女性とともに行方がわからなくなった。

友達の女性と大阪市内の自宅から小浜の方によく泳ぎに行ったりしていた。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・田中浩史さんについて》

◆氏名:田中 浩史

(たなかひろし)

(Hiroshi Tanaka)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月5日

◆生年月日:昭和35(1960)年6月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:ビルメンテナンス(排水管清掃等)

◆身長:170cm~172cm

◆体重:50kg

◆血液型:B型

◆特徴:

1)痩せ型

2)顔色浅黒

3)実年齢より若く見える

4)飲酒・喫煙をする

5)腰痛持ちのためやや足を引きずり加減で歩く

6)料理が得意

7)手先が器用

◆持病:肩こり、腰痛、喘息性気管支炎の持病あり

◆失踪場所:福井県丹生郡河野村

【失踪状況】

当日朝7時半、いつもと同じ時間に出勤のため車で京都市山科区の家を出る。

同日昼過ぎに勤務先(京都市山科区)から欠勤していると連絡あり。ポケベルで呼び出すが連絡なし。

翌6日捜索願を出す。

10日福井県警丹生警察署から「丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見した」との報があり、丹生郡河野村の海岸沿いに車が発見された。

夕方確認に出向くと車の中に本人のバッグ、ポケベル、免許証があったが、財布は発見できず。海も捜したが見つからなかった。

所持金は2万円~3万円だったと思われる。

同年6月に福井県警より4月5日午前中に福井県内の道でスピード違反をして本人署名のある納付書が送付された。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》

◆氏名:林 雅俊

(はやしまさとし)

(Masatoshi Hayashi)

◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日

◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町

◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)

◆身長:169cm

◆体重:50kg

◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】

午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。

この日の夜は帰宅しなかった。

それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。

5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。

車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。

ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。

パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ

少し道をはずしてしまったような気がする

何も考えずにここまできてしまった

このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません

修論も考えるとぞっとします

今までさんざんわがまま言ってごめんね

先生にもよろしく

このパソコンは○○さんにあげます

本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。

その後無言電話が1~2カ月間続いた。

1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。

車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所(通称・よびかけ地蔵)から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。

また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

《特定失踪者・濱端俊和さんについて》

◆氏名:濱端 俊和

(はまばたとしかず)

(Toshikazu Hamabata)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年4月10日

◆生年月日:昭和34(1959)年9月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:会社員(原子力発電所の定修工事)

沖縄県うるま市出身

◆身長:155cm

◆体重:50kg

◆特徴:左顎下にアザ

◆失踪場所:福井県敦賀市敦賀駅

【失踪状況】

沖縄県出身で地元の会社から横浜の建設会社に研修生として派遣されていた。

昭和58年3月末に大飯原発の定修工事が完了し、美浜原発の定修工事に転出するため、3月30日に横浜の本社に到着。

工事の機材を積み込んで4月2日に美浜に向け出発、3日着。

4日から美浜原発定修工事作業準備。

9日同じ沖縄出身の同僚と日帰りでアメ横まで洋服を買いに行く。

10日その同僚をパチンコに誘うが同僚が行かなかったので一人でタクシーを呼び、当時宿泊していた敦賀市内の寮を出たまま失踪(タクシーは敦賀駅前で降りたことが確認されている)。

ジャンパー姿で出掛けており、免許証、貯金通帳、保険証などの荷物すべて置いたまま。

広島に友人に預けた車があったがそれもそのまま。

10月23日Yという女性から沖縄の実家に電話があり、9月末にご主人が行方不明になった。行方が分からないかとの問い合わせがあった。

濱端さんとは神奈川県内にある自動車工場で知り合ったとのこと(濱端さんは昭和55年4月から10月までここに季節工として勤務)。

お母さんが電話を受け、息子も行方不明になっていると伝え、電話番号を聞いたが教えてもらえなかったという。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・藤原英二さんについて》

◆氏名:藤原 英二

(ふじわらえいじ)

(Eiji Fujiwara

◆失踪年月日:昭和50(1975)年1月

◆生年月日:昭和24(1949)年7月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の身分:調理師。東京の弁当工場に勤務

◆当時の住所:東京都新宿区

◆身長:168cm

◆特徴:

1)中肉

2)色弱と乱視あり

3)趣味は釣り

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

昭和50年正月の1日か2日頃の夜(19時頃)、突然広島の実家に電話をしてきて、家族に「いま福井に釣りに来ている」と語る。

その後一切の連絡がなく行方不明となる。

同年3月、母がみかんを送ろうと東京の勤め先に電話すると、前年末から出勤していないとのこと。

その春、姉が東京の居候先である友人宅へ行くと、衣類、釣り道具など荷物はそのままで免許証もあった。

昭和50年1月の1日か2日頃(夜7時頃)、突然家族に「今、福井に釣りに来ている」と電話をしてきた。

しかしその後一切の連絡なく今日まで音沙汰がない状態。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・古川文夫さんについて》

◆氏名:古川 文夫

(ふるかわふみお)

(Fumio Furukawa)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月

◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工見習い

◆身長:160cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)髪型は七三分け

3)喘息の発作で時々息ができなくなる

4)酒は少々飲む

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。

出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。

さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。

質物件は本人のカメラなどだった。

その他、家出するような心当たりはなし。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・松永正樹さんについて》

◆氏名:松永 正樹

(まつながまさき)

(Masaki Matsunaga)

◆失踪年月日:平成7(1995)年8月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年1月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:香川県

◆当時の身分:無職(以前は運送会社などに勤めていた)

◆身長:170cmくらい

◆失踪場所:香川県善通寺市~福井~北海道か?

【失踪状況】

1995(平成7)年8月28日未明、「福井へ10日から2週間、仕事で行ってくる」とメモを残して車で香川県善通寺市の自宅を出たまま行方不明となる。

クレジットカードの支払い明細から8月28日に福井県三方五湖でガソリン34リットル給油。

9月1日以降網走、阿寒湖などで給油。

9日に足寄で29リットルを給油。

同月14日北海道の消印で、本人が本人宛に書いた封書が届く。

本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。

9月12日、青森で預金5万円が引き出されている。

同年12月19日、北海道苫小牧市の会社所有地に車が放置されているのが発見される。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

香川県警HP

http://www.pref.kagawa.jp/police/

《特定失踪者・丸山善昭さんについて》

◆氏名:丸山 善昭

(まるやまよしあき)

(Yoshiaki Maruyama)

◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日

◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:石川県加賀市

◆当時の下宿先:福井県坂井郡三国町

◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)

◆身長:160cm

◆特徴:

1)面長

2)優しい人柄

3)酒好き

◆失踪当時の服装:当日は背広上下で裸足で下駄履きの格好

◆失踪場所:福井県坂井郡三国町三国漁港周辺

【失踪状況】

三国町の下宿に「加賀の実家に行ってくる」と伝言して出かけたまま行方不明となる。

当日は月末の給料日で、天気が良くても出港をしないことになっていた。

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・山下春夫さんについて》

◆氏名:山下 春夫

(やましたはるお)

(Haruo Yamashita)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年8月17日

◆生年月日:昭和21(1946)年3月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:福井県小浜市

◆当時の身分:会社員。造船会社に住み込み勤務

◆身長:160cm

◆特徴:

1)色白

2)角張った顔

3)水泳が得意

◆失踪場所:福井県小浜市一番町

【失踪状況】

朝8時の会社の始業時間前に同居の大工から「山下さんが昨夜夜釣りに出かけたまま戻らない」と連絡がある。

会社前の岸壁に本人の作業靴を発見。

港内、湾内を捜索するが手がかりなし。

8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。

失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。

山下 貢さん、林 雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。

兄の長男が後継者となるはずだったが急死したので、末弟の春夫さんを大阪から帰省させ、その年の6月から親戚が経営する地元の造船会社に就職させた。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・山下 貢さんについて》

◆氏名:山下 貢

(やましたみつぐ)

(Mitsugu Yamashita)

◆失踪年月日:平成元(1989)年12月27日

◆生年月日:昭和25(1950)年7月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:作業員

◆特徴:

1)くせ毛

2)右利き

3)腰部に縦20cmの手術痕

◆失踪場所:福井県越前町

【失踪状況】

失踪当日早朝4時頃、釣り道具を持って「魚を釣ってくる」と実家を出て失踪。

越前町午房が平の国道305号線沿い(通称・よびかけ地蔵)に車が発見される。

岩場に餌箱が残されていたが、遺体はもちろん釣り竿、その他の遺留品も未発見。

車は鍵がかかっており、車内に長靴・食べかけのおにぎり・免許証等が残される。

当時海は穏やか、浜育ちの本人は泳ぎ達者。

当時の所轄だった丹生警察署の調べでは

1)交通事故の可能性はない

2)自殺する動機は見当たらない

3)岩場から転落した形跡は認められない

4)付近一帯の検分・捜索の結果何も見つからず

失踪後数年経った頃、本人の自宅や実家などに無言電話や不審な電話がかかる。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

【みんな生きている】秋田美輪さん[国連スピーチ]/KTV

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、秋田美輪さんを返せ!吉見美保さん国連スピーチ全文》

すでに報道されているように5月10日、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣も参加してニューヨークの国連本部で開催された日本政府主催のシンポジウムには特定失踪者家族会から幹事で秋田美輪さんのお姉さん、吉見美保さんが参加しました。

以下、吉見さんのスピーチをお知らせします。この音声は後日「しおかぜ」でも北朝鮮に向けて放送されます。

[以下、スピーチ全文]

国連でのシンポジウムへお招きいただきありがとうございます。私は特定失踪者・秋田美輪の姉・吉見美保と申します。

特定失踪者とは北朝鮮による拉致の可能性の排除できない失踪者のことです。1997年2月、ここにいらっしゃる横田拓也さんの姉・めぐみさんが拉致されていることが国会の質問と報道によって明らかになりました。それがきっかけとなって救出のための国民運動が始まり、2002年9月に訪朝した小泉総理に当時の金正日キム・ジョンイル労働党総書記が拉致を認めるに至りました。めぐみさんについて北朝鮮は死亡したとの嘘の情報を伝えてきましたが、一方で5人の拉致被害者を帰国させました。

その中に日本政府が拉致と思っていなかった曽我ひとみさんがいたため、原因不明の失踪者をかかえる多くのご家族から「私の家族も北朝鮮に拉致されたのではないか?」との声が上がりました。2003年にそれらの失踪者を調査するための民間団体、特定失踪者問題調査会が設立されましたが、現在同会にある特定失踪者のリストは約470人に上ります。さらに日本警察は特定失踪者の数を約900人と発表しています。

特定失踪者の事件を調べて行くと偶然とはいえない共通点が浮かび上がってきます。

・埼玉県川口市や神戸市灘区のように同じ地域に関係した多数の失踪者がいる。

・1960年代には中学生や高校生が多く、1970年代にはカップルや親子での失踪が多い。

・1980年代中頃と1990年代初めに全国で不審な若い女性の失踪が集中する。

・職業的には看護師や衣服関係、電話に関わる仕事をしていた人の失踪者が多い。

これは一部にすぎませんが、場所も時間も異なる失踪者に不思議な共通点があるのです。そしてそれらの中には北朝鮮での目撃情報や写真が出てきた人も少なくありません。

私達特定失踪者の家族の願いは、「北朝鮮にいる家族を取り戻したい」それだけです。そのためにニューヨークまで参りました。どうぞ、北朝鮮に今も救いを求めて待っている拉致被害者の一例として私の妹の話を聞いてください。

私の妹は1985年12月4日13時ころ、通っていた兵庫県神戸市にある大学の門前で友人と別れてから、行方不明です。21歳でした。12月5日朝8時に家に警察から電話が入り、同じ兵庫県ですが、180km離れた日本海側の海岸で靴と鞄が見つかったと連絡がありました。妹はこの海岸へ行った事はありません。ここは、当時地元の人しか知らない浜でした。

3日間、警察、海上保安庁、地元の漁師の方々が船を出して下さり、ダイバーもCの字形の湾内を潜って遺体を探しましたが、見つかりませんでした。その入江では、入水自殺した人がいても、遺体が外海へ出るまでには、半年かかると地元の方達は当時おっしゃいました。

捜索は打ち切られ、新聞には「自殺か?」と報じられました。

しかしながら、この弁天浜へ行くための大阪からの急行券が浜で見つかった鞄に残されていましたが、ひとつ手前の急行停車駅までの券でした。距離が足りません。また、靴と鞄は発見された時濡れていませんでしたが、12月5日の早朝には雨が降っていたのです。

この3つの事実は、本人がそこに行ったのではなく何者かによって、捜査の撹乱のため作為的に靴と鞄が浜に置かれていた可能性を示しています。同様の捜査の撹乱と思われる事件は特定失踪者で多数起きています。特定失踪者問題調査会では美輪を拉致の可能性の高い失踪者としており、私達家族はきっと北朝鮮で生きている、と信じています。

妹は、読書と料理の好きな女の子でした。机の周りには、アンデルセン大賞をとった児童文学や、日本の古典がおかれ、母の持っていた料理本の目的の料理のレシピが載っているページを覚えているくらい料理も好きでした。北朝鮮には何の関係もなく、興味を持っていたわけでもありません。自ら望んで北朝鮮へ行くとも思えません。先程述べた偽装工作から考えて無理矢理北朝鮮に連れていかれたとしか考えられません。

もう13年前になりますが、父は北朝鮮へ向けた短波放送「しおかぜ」の最初の録音で以下のように訴えています。

[以下、しおかぜ録音]

美輪ちゃん、貴女は今どこにいるの?私はお父さんだよ。秋田正一郎だよ。

急にいなくなってびっくりしています。もう20年になりますね。

お母さんも始めは何があったのかと放心状態でしたが、いまは何とか元気で私と一緒に貴女といつ会えるかと首を長くして待っています。早く貴女のコーヒーを飲みたい。

1985年12月4日の夜川西の家でお母さんが貴女からの電話で「今晩、Kさんのところで泊まる」との声を聞いています。そして翌12月5日朝、貴女の靴とバッグが竹野町の弁天浜海岸で発見され、バッグの中から大阪駅発行の150kmまでの急行券と貴女の学生証等が発見されています。Kさんは「12月4日昼1時ごろ学校の校門付近で美輪さんと別れてから一度も会っていません」と言っております。私たち両親には何が何だかわからないのです。

もし返事をもらえるなら居場所だけでも、また元気かどうかも教えてください。待っています。

このメッセージは、ここへ来る事の出来ない特定失踪者の親世代全員の気持ちです。

とはいえ、特定失踪者の親は、いなくなった子供を思い、日本が子供を取り返してくれると信じながら、年月とともに亡くなられています。特定失踪者のご家族にお会いするたび、今も北朝鮮に残された拉致被害者だけでなく、日本にいる多くのご家族の生活を変えてしまった拉致に憤りを覚えます。

現在の父は認知症を患い、人との会話さえ難しくなりました。妹に会っても分かるでしょうか。父は今年3月87歳になりました。母もあと数日で85歳になります。両親が生きているうちに妹が日本へ帰国し、両親と会えたら、両親はどんなに喜ぶ事でしょう。

日本が拉致された日本人を取り戻すため、各国の皆様のご協力をさらに続けていただけますようにお願い致します。

2019年5月10日

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■吉見美保さんfacebook

https://facebook.com/profile.php?id=100011647367180&fref=nf&pn_ref=story

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》

◆氏名:秋田 美輪

(あきたみわ)

(Miwa Akita)

◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日

◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台

◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生

◆身長:155cm

◆体重:43kg

◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2

◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】

大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。

夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。

翌日朝8時15分兵庫県城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。

当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。

バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。

発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。

地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。

竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。

平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。

秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。

まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。

この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。

この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。

そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。

これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。

この男は北朝鮮工作員とみられる。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■秋田美輪さんの早期帰国を願う会HP

http://save-akitamiwa.com/top.html

◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

《特定失踪者・稲田裕次郎さんについて》

◆氏名:稲田 裕次郎

(いなだゆうじろう)

(Yu-jirou Inada)

◆失踪年月日:平成14(2002)年2月25日

◆生年月日:昭和56(1981)年4月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:熊本県熊本市帯山

◆当時の身分:熊本学園大学商学部経営学科2年

◆身長:162cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)髪の毛多い

2)水泳が得意

3)考え事をするときに耳を触る癖

4)ある程度パソコンの知識がある

5)関西弁で話すことがある

◆失踪場所:熊本県熊本市の自宅から

【失踪状況】

2月21日「高校水泳部の友人とたまたま会ったので一緒に食事をして帰る」との電話。

夜12時頃帰宅(後に確認したところ元水泳部の友人は誰も会っていないことが判明)。

25日朝9時半頃、自宅にいるのを父親が確認。

夜11時頃バイト先から「無断欠勤している」との電話がある。本人の預金通帳は16日から25日の間に4回に分けてほとんど全額引き出していることが分かる。

大学で出席状況を調べると2001年5月頃からずっと欠席している。

学内のパソコン室はよく利用していたらしく、失踪当日午後6時頃パソコン室の利用カード返却の記録があった。

3月21日夜以来無言電話や不審な電話が何度かかかっている。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

《特定失踪者・尾崎隆生さんについて》

◆氏名:尾崎 隆生

(おざきたかお)

(Takao Ozaki)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年11月3日

◆生年月日:昭和8(1933)年4月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:ネクタイ製造会社の経理

◆身長:169cm

◆体重:60kg

◆特徴:左手の指が事故で曲がらないが、手先は器用

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

11月2日、カメラを持って「遊びに行く」と言って神戸市の自宅を出かけたまま戻らず。

翌日、会社から連絡があり、失踪が分かった。

《特定失踪者・加藤小百合さんについて》

◆氏名:加藤 小百合

(かとうさゆり)

Sayuri Katou)

◆失踪年月日:平成9(1997)年8月18日

◆生年月日:昭和39(1964)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:会社員

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

自宅をいつもと同じように軽装で出たまま行方不明。

その後、ある男性が突然家族のもとに現れ、「8月18日から、1週間ほど自分の家にいた。小百合さんは元気です」と家族に伝えるものの、その経歴などは偽りであり、架空の話ということが判明する。

北朝鮮にいる」との情報がある。

《特定失踪者・金 姫順さんについて》

◆氏名:金 姫順

(キム・ヒスン)

(Hi-sung Kim)

◆別名:金村 英子

(かねむらえいこ)

Eiko Kanemura)

◆失踪年月日:昭和37(1962)年1月

◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市中央区元町通

◆当時の身分:専門学校生

◆身長:156cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)目は細い

2)交通事故の後遺症で右か左の足が伸びない(見た目ではわからない)

◆失踪場所:

1)新潟県

2)富山県

3)長野県

【失踪状況】

友人2人と神戸市内の自宅から家出した。その後友人2人は帰ってきた。

新潟もしくは富山にいたようだ。そこで「良い仕事があるので一緒に行かないか」と誘われ、友人たちは断って帰ったが、英子さんはついていったという。

仕事の内容は不明。

過去に一度家出したことがある。

山田英子と名乗っていたこともある。

失踪から1~2年の間は無言電話があった。「英子」と呼びかけても返答が無かった。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

富山県警HP

http://police.pref.toyama.jp/

長野県警HP

http://www.pref.nagano.lg.jp/police/

《特定失踪者・清崎公正さんについて》

◆氏名:清崎 公正

(きよさききみまさ)

(Kimimasa Kiyosaki)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年6月14日

◆生年月日:昭和7(1932)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:41歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工で建設会社経営

◆身長:172cm

◆体重:60kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左足に10cmくらいの手術の後

2)髪はオールバック

3)タバコはショートホープかハイライト

4)スポーツ万能

5)性格は優しく子供好き

◆失踪場所:兵庫県尼崎市

【失踪状況】

当日午前9時頃、通常と同じように妻の作った弁当を持って近くの銀行に歩いていくのを見送ったのが最後。

支払いのため銀行で下ろした50万円を、自宅から歩いて10分の事務所に置いたまま、電気もつけたまま失踪。なくなったものはなく、朝出勤したまま。

失踪後2、3カ月して近所の人の通報で乗っていた軽トラックが尼崎市内で発見された。

経営は普通で借り入れはあったが、その時点で8件現場をかかえ、新しい仕事のため建機も2台購入したところだった。

失踪後何度か無言電話があった。

平成16年9月28日、兵庫県警に告発状提出。

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》

◆氏名:佐藤 益一

(さとうますいち)

(Masuichi Satou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日

◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮

◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)

◆身長:163cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)縮毛

3)山歩きが好き

◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】

6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。

背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。

この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。

6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。

警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。

池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・島脇文内さんについて》

◆氏名:島脇 文内

(しまわきぶんない)

(Bun-nai Shimawaki)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月

◆生年月日:昭和25(1950)年5月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:兵庫県津名郡北淡町富島

◆当時の身分:会社員

◆身長:176cm

◆特徴:

1)中肉

2)性格的におとなしいほう

3)趣味はレコード鑑賞

◆失踪場所:兵庫県垂水区の会社寮から外出

【失踪状況】

朝いつのものように時間どおりに寮から出勤したが、以後行方不明。

自室に普段どおりミカンがおいてあり、所持金等も残されていて変わったところなし。

部屋に残された背広の内ポケットに現金30万円残っていた。

以後一切連絡、情報なし。

《特定失踪者・高見 到さんについて》

◆氏名:高見 到

(たかみいたる)

(Itaru Takami)

◆失踪年月日:平成15(2003)年10月5日

◆生年月日:昭和34(1959)年10月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:43歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:地方公務員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:眼鏡、コンタクトレンズ使用

◆失踪場所:兵庫県尼崎市

【失踪状況】

平成15年10月6日、職場を無断欠勤。自宅マンションの部屋は日常生活そのままで、今にも帰ってくるような状態であった。

銀行通帳、キャッシュカード、運転免許証、健康保険証、印鑑、全て室内に置かれたまま。持って行ったのは通常使用している、財布、私用の手帳、通勤定期券のみ。

外出、通勤時は必ずコンタクトレンズを使用していたが、それも置いたまま。室内で日常使用する眼鏡はなかった。

5日に阪急塚口駅前のりそな銀行塚口支店で15時14分に現金21万円を引き出していたことが後に分かった。

10月下旬には父親が自宅マンションを訪ねる予定だった。

母親の13回忌を12月に行うことになっており、本人は必ず東京に来ると言っていた。

静岡県警HP

http://www.pref.shizuoka.jp/police/

《特定失踪者・竹屋恵美子さんについて》

◆氏名:竹屋 恵美子

(たけやえみこ)

(Emiko Takeya)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年9月27日

◆生年月日:昭和31(1956)年9月8日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県加古川市

◆当時の身分:無職。大手電機メーカーを退職後で、神戸のパン屋で働く予定だった

◆身長:155cmくらい

◆特徴:左足が若干不自由

◆失踪場所:兵庫県加古川市の自宅を出てから

【失踪状況】

電機メーカーに勤めていたが、失踪前の1ヶ月ほど前に「神戸の六甲山付近のパン屋で働く」ということで会社を辞めた。

当日母から10万円を貰い、とりあえずバッグ一つを持って出て行った。

数日後、母に「着替えをとりにいくから」とだけ母に電話があり、それ以来連絡がない。

《特定失踪者・仲村克己さんについて》

◆氏名:仲村 克己

(なかむらかつみ)

(Katsumi Nakamura)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年8月2日

◆生年月日:昭和18(1943)年5月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県西宮市

◆当時の身分:牛乳販売

沖縄県那覇市出身

◆身長:160cm

◆特徴:

1)眼鏡使用

2)痩せ型

3)色白

◆失踪場所:兵庫県西宮駅

【失踪状況】

下宿していた部屋のテーブルの上に「8月2日神戸へ行く」のメモがあった。

9月に家主から1ヶ月家に帰っていないと電話があり、9月か10月に兵庫県警西宮警察署に失踪届を出す。

本人から一度も連絡がない。

部屋からパスポートがなくなっていた。

また、会社へ給料の問い合わせがあったが取りに来なかった。

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・萩本喜彦さんについて》

◆氏名:萩本 喜彦

(はぎもとよしひこ)

(Yoshihiko Hagimoto)

◆失踪年月日:昭和50(1975)年4月4日

◆生年月日:昭和15(1940)年1月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の身分:製鉄会社勤務(電気保全係)

◆身長:165cm

◆特徴:右眉に小さな傷跡

◆失踪場所:兵庫県高砂市

【失踪状況】

夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。

お金も持たず仕事着のまま失踪。

失踪後無言電話や不審な電話があり不審なはがきが届く。

北朝鮮工作員・金東赫(キム・ドンヒョク)氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。

《特定失踪者・広田公一さんについて》

◆氏名:広田 公一

ひろたこういち)

Kouichi Hirota)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日

◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市武庫元町

◆当時の身分:日本自動車連盟(JAF)兵庫支部勤務

◆身長:173cm

◆失踪場所:鳥取県大山

【失踪状況】

車で兵庫県尼崎市の自宅を出発し、鳥取県大山への登山に1人で出かけたが行方不明に。

車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。

車に午後6時20分到着のメモを残す。

車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。

警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

《特定失踪者・福本勝利さんについて》

◆氏名:福本 勝利

(ふくもとかつとし)

(Katsutoshi Fukumoto)

◆失踪年月日:平成7(1995)年5月11日

◆生年月日:昭和47(1972)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:滋賀県長浜市神照町

◆当時の身分:会社員

◆身長:172cm

◆体重:52kg

◆特徴:頭の後ろに10cm角の傷

◆失踪場所:滋賀県虎姫町の会社から

【失踪状況】

兵庫県高砂市の家の仕事(漁業)を手伝っていたが、手術をして、休むことも多かった。

そのため本人が求人広告を見て京都に出向き、そこで紹介され滋賀の会社へ行く。

出勤初日の昼にいなくなった。会社のロッカーにかばんの中身がそのままに残っている。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

滋賀県警HP

http://www.pref.shiga.lg.jp/police/

《特定失踪者・古川文夫さんについて》

◆氏名:古川 文夫

(ふるかわふみお)

(Fumio Furukawa)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月

◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工見習い

◆身長:160cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)髪型は七三分け

3)喘息の発作で時々息ができなくなる

4)酒は少々飲む

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。

出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。

さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。

質物件は本人のカメラなどだった。

その他、家出するような心当たりはなし。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・森本規容子さんについて》

◆氏名:森本 規容子

(もりもときよこ)

(Kiyoko Morimoto)

◆失踪年月日:平成3(1991)年9月22日

◆生年月日:昭和47(1972)年11月25日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県西宮市

◆当時の身分:会社員

◆身長:160cm

◆体重:43kg~45kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)色白

◆失踪場所:兵庫県西宮市から大阪市にかけて

【失踪状況】

大阪市梅田の本屋に行くと自宅を出て失踪。

家での心当たりなし。

失踪前日の21日夜に友人と電話で29日に映画を観る約束をしている。

当時の所持金少々。金銭トラブル、人間関係のトラブルなし。

失踪後連絡なし。

失踪状況は福山ちあきさん(大阪府で失踪)と類似している。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

兵庫県警公開特定失踪者・桑村一二三さんについて》

◆氏名:桑村 一二三

(くわむら ひふみ)

(Hifumi Kuwamura)

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳(昭和50年当時)

◆当時の住所:兵庫県姫路市

◆当時の職業:元飲食店店員

兵庫県丹波市氷上町出身

◆身長:162cmくらい

◆特徴:痩せ型

【失踪状況】

昭和50年9月、桑村一二三さんは、勤務先を出た後、行方不明となっています。

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

【みんな生きている】田中 実さん[意見交換会・記者会見]/KTV

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、田中 実さんを返せ!北朝鮮人権人道ネットワークが田中 実さん拉致事件意見交換会後に記者会見》

■「記者会見をご覧ください」

国連人権理事会普遍的定期審査(UPR) 北朝鮮審査に向けての要請と拉致被害者・田中 実氏の生存情報に対する記者会見の動画です。

3月18日の政府関係省庁との後に開いた、北朝鮮人権人道ネットワークの記者会見の様子を、インターネットニューステレビ局のユープランさんがアップしてくれましたので、是非、ご覧ください。

■記者会見動画

https://youtu.be/wZZ5vBBWbVY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

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救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

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[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

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◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

兵庫県警HP

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救う会兵庫HP

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救う会兵庫facebook

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[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・秋田美輪さんについて》

◆氏名:秋田 美輪

(あきたみわ)

(Miwa Akita)

◆失踪年月日:昭和60(1985)年12月4日

◆生年月日:昭和39(1964)年1月29日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県川西市湯山台

◆当時の身分:神戸松陰女子大学文学部国文科4回生

◆身長:155cm

◆体重:43kg

◆特徴:両眼とも眼鏡をかけて視力1.2

◆失踪場所:兵庫県神戸市神戸松陰女子大学校門(阪急神戸線六甲)

【失踪状況】

大学で午前の授業を受けた後、1時過ぎに学食で友人と食事をとり校門近くで友人と別れた。

夜8時過ぎに「友人宅へ泊まる」との電話が家にある(実際には泊まっていない)。

翌日朝8時15分兵庫県城之崎署から竹野町弁天浜で本人のバッグ発見との連絡。

当時は自殺とされたが、何も見つかっていない。

バックの置いてあったところから海岸に10メートル位足跡があった。

発見される前に雨が降ったがバックも近くにあった本人の靴も濡れていなかったという。

地形や潮の流れから入水自殺であれば遺体が上がるはず。

竹野浜、竹野駅、城崎駅で目撃者がいなかった。

平成15年11月13日、兵庫県警に告発状提出。

秋田美輪さんをただ単に行方不明者とするには、あまりにも不自然ないくつかの疑問点が残されている。

まず、残された美輪さんのバッグの中には急行券があった。

この急行券の使用距離範囲は大阪駅から150km。これではせいぜい城之崎までしか行けず、弁天浜までは30km程度足りない。

この急行券は、当時の改札口を通過したことを示す入挟・押印が無く、未使用のままだった。また、財布の中には定期代の1万8千円がそのまま残っていた。

そして、神戸松蔭女子学院大学内の美輪さんのロッカーの中から、失踪日の数日後に提出することになっていたレポートが発見される。

これらは状況証拠に過ぎないが、それでも単なる行方不明者として考えるには疑問を持たざるを得ない。さらに、美輪さんが行方不明になった前後、現場付近の浜辺でスーツ姿の男が無線機のような機器を使って朝鮮語で交信していたことが『産経新聞』の記事で明らかになっている。

この男は北朝鮮工作員とみられる。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■秋田美輪さんの早期帰国を願う会HP

http://save-akitamiwa.com/top.html

《特定失踪者・稲田裕次郎さんについて》

◆氏名:稲田 裕次郎

(いなだゆうじろう)

(Yu-jirou Inada)

◆失踪年月日:平成14(2002)年2月25日

◆生年月日:昭和56(1981)年4月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:熊本県熊本市帯山

◆当時の身分:熊本学園大学商学部経営学科2年

◆身長:162cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)髪の毛多い

2)水泳が得意

3)考え事をするときに耳を触る癖

4)ある程度パソコンの知識がある

5)関西弁で話すことがある

◆失踪場所:熊本県熊本市の自宅から

【失踪状況】

2月21日「高校水泳部の友人とたまたま会ったので一緒に食事をして帰る」との電話。

夜12時頃帰宅(後に確認したところ元水泳部の友人は誰も会っていないことが判明)。

25日朝9時半頃、自宅にいるのを父親が確認。

夜11時頃バイト先から「無断欠勤している」との電話がある。本人の預金通帳は16日から25日の間に4回に分けてほとんど全額引き出していることが分かる。

大学で出席状況を調べると2001年5月頃からずっと欠席している。

学内のパソコン室はよく利用していたらしく、失踪当日午後6時頃パソコン室の利用カード返却の記録があった。

3月21日夜以来無言電話や不審な電話が何度かかかっている。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

《特定失踪者・尾崎隆生さんについて》

◆氏名:尾崎 隆生

(おざきたかお)

(Takao Ozaki)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年11月3日

◆生年月日:昭和8(1933)年4月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:ネクタイ製造会社の経理

◆身長:169cm

◆体重:60kg

◆特徴:左手の指が事故で曲がらないが、手先は器用

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

11月2日、カメラを持って「遊びに行く」と言って神戸市の自宅を出かけたまま戻らず。

翌日、会社から連絡があり、失踪が分かった。

《特定失踪者・加藤小百合さんについて》

◆氏名:加藤 小百合

(かとうさゆり)

Sayuri Katou)

◆失踪年月日:平成9(1997)年8月18日

◆生年月日:昭和39(1964)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:会社員

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

自宅をいつもと同じように軽装で出たまま行方不明。

その後、ある男性が突然家族のもとに現れ、「8月18日から、1週間ほど自分の家にいた。小百合さんは元気です」と家族に伝えるものの、その経歴などは偽りであり、架空の話ということが判明する。

北朝鮮にいる」との情報がある。

《特定失踪者・金 姫順さんについて》

◆氏名:金 姫順

(キム・ヒスン)

(Hi-sung Kim)

◆別名:金村 英子

(かねむらえいこ)

Eiko Kanemura)

◆失踪年月日:昭和37(1962)年1月

◆生年月日:昭和17(1942)年10月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市中央区元町通

◆当時の身分:専門学校生

◆身長:156cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)目は細い

2)交通事故の後遺症で右か左の足が伸びない(見た目ではわからない)

◆失踪場所:

1)新潟県

2)富山県

3)長野県

【失踪状況】

友人2人と神戸市内の自宅から家出した。その後友人2人は帰ってきた。

新潟もしくは富山にいたようだ。そこで「良い仕事があるので一緒に行かないか」と誘われ、友人たちは断って帰ったが、英子さんはついていったという。

仕事の内容は不明。

過去に一度家出したことがある。

山田英子と名乗っていたこともある。

失踪から1~2年の間は無言電話があった。「英子」と呼びかけても返答が無かった。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

富山県警HP

http://police.pref.toyama.jp/

長野県警HP

http://www.pref.nagano.lg.jp/police/

《特定失踪者・清崎公正さんについて》

◆氏名:清崎 公正

(きよさききみまさ)

(Kimimasa Kiyosaki)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年6月14日

◆生年月日:昭和7(1932)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:41歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工で建設会社経営

◆身長:172cm

◆体重:60kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左足に10cmくらいの手術の後

2)髪はオールバック

3)タバコはショートホープかハイライト

4)スポーツ万能

5)性格は優しく子供好き

◆失踪場所:兵庫県尼崎市

【失踪状況】

当日午前9時頃、通常と同じように妻の作った弁当を持って近くの銀行に歩いていくのを見送ったのが最後。

支払いのため銀行で下ろした50万円を、自宅から歩いて10分の事務所に置いたまま、電気もつけたまま失踪。なくなったものはなく、朝出勤したまま。

失踪後2、3カ月して近所の人の通報で乗っていた軽トラックが尼崎市内で発見された。

経営は普通で借り入れはあったが、その時点で8件現場をかかえ、新しい仕事のため建機も2台購入したところだった。

失踪後何度か無言電話があった。

平成16年9月28日、兵庫県警に告発状提出。

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》

◆氏名:佐藤 益一

(さとうますいち)

(Masuichi Satou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日

◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮

◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)

◆身長:163cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)縮毛

3)山歩きが好き

◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】

6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。

背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。

この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。

6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。

警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。

池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・島脇文内さんについて》

◆氏名:島脇 文内

(しまわきぶんない)

(Bun-nai Shimawaki)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月

◆生年月日:昭和25(1950)年5月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:兵庫県津名郡北淡町富島

◆当時の身分:会社員

◆身長:176cm

◆特徴:

1)中肉

2)性格的におとなしいほう

3)趣味はレコード鑑賞

◆失踪場所:兵庫県垂水区の会社寮から外出

【失踪状況】

朝いつのものように時間どおりに寮から出勤したが、以後行方不明。

自室に普段どおりミカンがおいてあり、所持金等も残されていて変わったところなし。

部屋に残された背広の内ポケットに現金30万円残っていた。

以後一切連絡、情報なし。

《特定失踪者・高見 到さんについて》

◆氏名:高見 到

(たかみいたる)

(Itaru Takami)

◆失踪年月日:平成15(2003)年10月5日

◆生年月日:昭和34(1959)年10月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:43歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:地方公務員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:眼鏡、コンタクトレンズ使用

◆失踪場所:兵庫県尼崎市

【失踪状況】

平成15年10月6日、職場を無断欠勤。自宅マンションの部屋は日常生活そのままで、今にも帰ってくるような状態であった。

銀行通帳、キャッシュカード、運転免許証、健康保険証、印鑑、全て室内に置かれたまま。持って行ったのは通常使用している、財布、私用の手帳、通勤定期券のみ。

外出、通勤時は必ずコンタクトレンズを使用していたが、それも置いたまま。室内で日常使用する眼鏡はなかった。

5日に阪急塚口駅前のりそな銀行塚口支店で15時14分に現金21万円を引き出していたことが後に分かった。

10月下旬には父親が自宅マンションを訪ねる予定だった。

母親の13回忌を12月に行うことになっており、本人は必ず東京に来ると言っていた。

静岡県警HP

http://www.pref.shizuoka.jp/police/

《特定失踪者・竹屋恵美子さんについて》

◆氏名:竹屋 恵美子

(たけやえみこ)

(Emiko Takeya)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年9月27日

◆生年月日:昭和31(1956)年9月8日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県加古川市

◆当時の身分:無職。大手電機メーカーを退職後で、神戸のパン屋で働く予定だった

◆身長:155cmくらい

◆特徴:左足が若干不自由

◆失踪場所:兵庫県加古川市の自宅を出てから

【失踪状況】

電機メーカーに勤めていたが、失踪前の1ヶ月ほど前に「神戸の六甲山付近のパン屋で働く」ということで会社を辞めた。

当日母から10万円を貰い、とりあえずバッグ一つを持って出て行った。

数日後、母に「着替えをとりにいくから」とだけ母に電話があり、それ以来連絡がない。

《特定失踪者・仲村克己さんについて》

◆氏名:仲村 克己

(なかむらかつみ)

(Katsumi Nakamura)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年8月2日

◆生年月日:昭和18(1943)年5月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県西宮市

◆当時の身分:牛乳販売

◆身長:160cm

◆特徴:

1)眼鏡使用

2)痩せ型

3)色白

◆失踪場所:兵庫県西宮駅

【失踪状況】

下宿していた部屋のテーブルの上に「8月2日神戸へ行く」のメモがあった。

9月に家主から1ヶ月家に帰っていないと電話があり、9月か10月に兵庫県警西宮警察署に失踪届を出す。

本人から一度も連絡がない。

部屋からパスポートがなくなっていた。

また、会社へ給料の問い合わせがあったが取りに来なかった。

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・萩本喜彦さんについて》

◆氏名:萩本 喜彦

(はぎもとよしひこ)

(Yoshihiko Hagimoto)

◆失踪年月日:昭和50(1975)年4月4日

◆生年月日:昭和15(1940)年1月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の身分:製鉄会社勤務(電気保全係)

◆身長:165cm

◆特徴:右眉に小さな傷跡

◆失踪場所:兵庫県高砂市

【失踪状況】

夜勤で自宅から会社へ自転車で向かう途中失踪。

お金も持たず仕事着のまま失踪。

失踪後無言電話や不審な電話があり不審なはがきが届く。

北朝鮮工作員・金東赫(キム・ドンヒョク)氏が昭和50年8月に平壌サーカス劇場で目撃したとの証言をしている。

《特定失踪者・広田公一さんについて》

◆氏名:広田 公一

ひろたこういち)

Kouichi Hirota)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日

◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市武庫元町

◆当時の身分:日本自動車連盟(JAF)兵庫支部勤務

◆身長:173cm

◆失踪場所:鳥取県大山

【失踪状況】

車で兵庫県尼崎市の自宅を出発し、鳥取県大山への登山に1人で出かけたが行方不明に。

車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。

車に午後6時20分到着のメモを残す。

車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。

警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

《特定失踪者・福本勝利さんについて》

◆氏名:福本 勝利

(ふくもとかつとし)

(Katsutoshi Fukumoto)

◆失踪年月日:平成7(1995)年5月11日

◆生年月日:昭和47(1972)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:滋賀県長浜市神照町

◆当時の身分:会社員

◆身長:172cm

◆体重:52kg

◆特徴:頭の後ろに10cm角の傷

◆失踪場所:滋賀県虎姫町の会社から

【失踪状況】

兵庫県高砂市の家の仕事(漁業)を手伝っていたが、手術をして、休むことも多かった。

そのため本人が求人広告を見て京都に出向き、そこで紹介され滋賀の会社へ行く。

出勤初日の昼にいなくなった。会社のロッカーにかばんの中身がそのままに残っている。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

滋賀県警HP

http://www.pref.shiga.lg.jp/police/

《特定失踪者・古川文夫さんについて》

◆氏名:古川 文夫

(ふるかわふみお)

(Fumio Furukawa)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月

◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工見習い

◆身長:160cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)髪型は七三分け

3)喘息の発作で時々息ができなくなる

4)酒は少々飲む

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。

出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。

さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。

質物件は本人のカメラなどだった。

その他、家出するような心当たりはなし。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・森本規容子さんについて》

◆氏名:森本 規容子

(もりもときよこ)

(Kiyoko Morimoto)

◆失踪年月日:平成3(1991)年9月22日

◆生年月日:昭和47(1972)年11月25日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県西宮市

◆当時の身分:会社員

◆身長:160cm

◆体重:43kg~45kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)色白

◆失踪場所:兵庫県西宮市から大阪市にかけて

【失踪状況】

大阪市梅田の本屋に行くと自宅を出て失踪。

家での心当たりなし。

失踪前日の21日夜に友人と電話で29日に映画を観る約束をしている。

当時の所持金少々。金銭トラブル、人間関係のトラブルなし。

失踪後連絡なし。

失踪状況は福山ちあきさん(大阪府で失踪)と類似している。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

兵庫県警公開特定失踪者・桑村一二三さんについて》

◆氏名:桑村 一二三

(くわむら ひふみ)

(Hifumi Kuwamura)

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳(昭和50年当時)

◆当時の住所:兵庫県姫路市

◆当時の職業:元飲食店店員

兵庫県丹波市氷上町出身

◆身長:162cmくらい

◆特徴:痩せ型

【失踪状況】

昭和50年9月、桑村一二三さんは、勤務先を出た後、行方不明となっています。

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/KTV

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■大阪拉致議連公式HP

https://sites.google.com/site/rachigirenhp/home

■大阪ブルーリボンの会HP

http://osaka-blueribbon.org/

■大阪ブルーリボンの会facebook

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■大阪ブルーリボンの会クラブユースfacebook

http://fr-fr.facebook.com/obr.clubyouth/

救う会大阪HP

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/top.html

滋賀県警HP

http://www.pref.shiga.lg.jp/police/

救う会滋賀HP

http://sukuushiga.fc2web.com/

和歌山県警HP

http://www.police.pref.wakayama.lg.jp/

奈良県警HP

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京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

◆昭和55(1980)年6月中旬

辛光洙シン・グァンス)事件

被害者:原 敕晁さん(Tada-aki Hara)

(拉致被害時43歳)

※This person was Abduction by North Korea

宮崎県内で発生。

本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。

捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。

北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。

また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。

北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」

(石高健次さん)

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による原 敕晁さん拉致事件の解説】

昭和55年(1980)年6月中旬、当時大阪市天王寺区の中華料理店『宝海楼』に勤めていた原 敕晁(はら・ただあき)さん(当時49歳)が北朝鮮工作員辛光洙の主導により、『宝海楼』店主の李三俊らによって宮崎市青島の橘ホテルで飲食させられた後、海岸まで誘い出されて拉致された。

辛光洙北朝鮮に帰国して工作員の再教育を受けていた際、指導部の幹部から「日本人を拉致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、李吉炳(在日朝鮮人大阪府商工会長)、李三俊(在日朝鮮人大阪府商工会元理事長)らと計画を練り、李三俊が経営する中国料理店『宝海楼』のコックとして勤務していた原さんに対し「良い職場を世話する」とだまして宮崎県日南市の青島海岸まで連れ出し、橘ホテルで飲食させて酔わせ、海岸に連れ出した後、「こどもの国」付近の海岸で工作員らに引き渡し、辛光洙も同行して北朝鮮に拉致していった。

このあと辛は、原さんを監禁した招待所で原さんから本人の経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして同年11月、再び日本に密入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ渡航するなどしてスパイ活動を続けていた。

辛は昭和60年(1985)2月26日ソウルで逮捕された。同年6月28日付『朝日新聞』の記事には次のように記載されている。

[以下、記事引用]

(国家安全企画部)の発表によると、主犯の辛は北朝鮮の最高首脳から「日本人をら致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、八〇年四月、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会元理事長らと計画を練り、李氏が経営する中国料理店「宝海楼」=大阪市天王寺区下味原=に勤める日本人コック原 敕晃(ただあき)さん(四九)が独身で身寄りの少ないことに目をつけた。八〇年六月、原さんを「良い職場を世話する」とだまして宮崎県青島にある李吉炳・在日朝鮮人大阪府商工会長所有の別荘に連れ込んだ。さらに青島海水浴場の児童公園に誘い出したうえ、ここで待ち構えていた北朝鮮工作員四人と力ずくで口をふさぎ、手足をしばった後、袋に入れて八人乗りゴムボートで五百メートル沖に待機していた北朝鮮工作船に移し、辛が同行して北朝鮮へ連れ去ったという。このあと辛は、原さんの経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして、八〇年十一月、日本に不法入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ来るなどしてスパイ活動を続けていたという。

[Mid-June 1980: Sin Kwang-Su case]

Abductee: Tadaaki Hara (43, male, Miyazaki Prefecture)

Disappeared in Miyazaki Prefecture.

North Korean agent Sin Kwang-Su has confessed to authorities in the Republic of Korea that he was responsible for the abduction of Mr. Hara. Japanese authorities issued an arrest warrant for Sin Kwang-Su as the person responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ has demanded that Sin Kwang-Su be extradited to Japan, and in April 2006 issued a new arrest warrant that names him as the main suspect in this abduction case. Showing no willingness to extradite him to Japan, North Korea has instead honored Sin Kwang-Su as a hero. Japanese authorities have also issued an arrest warrant for Kim Kil-Uk, believed to be a co-conspirator in the abduction of Mr. Hara, and are working on the steps necessary to list him with Interpol.

North Korea asserts that Mr. Hara married Yaeko Taguchi in 1984 and that he died of hepatic cirrhosis in 1986. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・安達恵美子さんについて》

◆氏名:安達 恵美子

(あだちえみこ)

(Emiko Adachi)

◆失踪年月日:昭和34(1959)年5月4日

◆生年月日:昭和11(1936)年1月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市北区

◆当時の身分:准看護師

◆血液型:B型

◆身長:150cmくらい

◆体重:42kg

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

5月2日、病院の慰安旅行(行先は不明・1泊2日程度)に参加する予定だったが、当日になって急に「行かない」と言い出す。

同僚の看護婦によると、神戸の方に行くようなことを言っていたという。

外出の衣服で荷物はボストンバック1個程度。2日午後2時に外出した記録あり。

普段着など身の周りのものは残っていた。

北朝鮮興南で出生、終戦まで大連で生活。

昭和22年1月引き揚げ。島根県平田町の叔母宅で暮らし、昭和30年頃京都に行く。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・井尻恵子さんについて》

◆氏名:井尻 恵子

(いじりけいこ)

(Keiko Ijiri)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年3月16日

◆生年月日:昭和35(1960)年10月23日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市中京区

◆当時の身分:母親の経営するスナック手伝い

◆身長:157cmくらい

◆特徴:両頬に粟粒大のほくろ

◆失踪場所:京都市内の自宅前

【失踪状況】

母親が経営するスナックを深夜に退勤後、同僚と飲みに出かけた。

3月15日夜、同僚と京都市内に飲みに出かけ、翌16日午前4時頃、自宅前でタクシーを降り、その後行方不明。

現場は終夜人通りの絶えない繁華街。

失踪後、運転免許の更新も行っていない。

結婚が決まっていて家具を見に行くなど準備をしていた。

数百万の預金が残されたまま。

《特定失踪者・上田英司さんについて》

◆氏名:上田 英司

(うえだえいじ)

(Eiji Ueda)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日

◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:予備校生(大学受験生)。ホテルのフロントや喫茶店でアルバイトをしていた

◆身長:175cm

鳥取県西伯郡伯耆町出身

◆特徴:

1)読書が趣味

2)目立つのを嫌がる地味な性格

3)実直で親思い

◆失踪当時の服装:黒いコートに紙袋1つ

◆失踪場所:東京都渋谷区または京都府

【失踪状況】

失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。

黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。

11月初めに実家の荷物を実家の鳥取県から送ったが、いつもは来るはずの「受け取った」という手紙が来ないので不審に思い、電話してみる。

20日頃いなくなったことを知る。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》

◆氏名:尾方 晃

(おがたあきら)

Akira Ogata)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日

◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都市北区衣笠西馬場町

◆当時の身分:立命館大学学生。レストランでアルバイトをしていた

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆特徴:

1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり

2)右手中指第3関節の骨が突起している

◆失踪場所:京都府京都市北区

【失踪状況】

京都市北区の下宿先から失踪。

直前の年末には岐阜の実家に帰省した。

翌年1月、京都市内のアルバイト先から「アルバイト代を払いたいが実家に帰っていないか」と連絡があった。

家族がアパートに行くが、荷物、お金はそのまま残っていた。

家賃は1年間支払っていなかった。

2月13日に預金を引き出した形跡がある。

3月30日に叔父が死去し、本人に電話したが連絡つかず。

また、名古屋の妹に縁談があり、会社を退職する前に京都を案内してほしいと手紙を出したが返事がなかった。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・尾崎隆生さんについて》

◆氏名:尾崎 隆生

(おざきたかお)

(Takao Ozaki)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年11月3日

◆生年月日:昭和8(1933)年4月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:ネクタイ製造会社の経理

◆身長:169cm

◆体重:60kg

◆特徴:左手の指が事故で曲がらないが、手先は器用

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

11月2日、カメラを持って「遊びに行く」と言って神戸市の自宅を出かけたまま戻らず。

翌日、会社から連絡があり、失踪が分かった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

《特定失踪者・甲斐一志さんについて》

◆氏名:甲斐 一志

(かいかずし)

(Kazushi Kai)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年5月6日

◆生年月日:昭和28(1953)年2月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:京都府京都市東山区の会社寮

◆当時の身分:調理師

◆身長:178cm

◆体重:72kg

◆特徴:右足首上に500円玉位の火傷痕。

◆失踪場所:京都府京都市東山区

【失踪状況】

うどん屋の寮に2~3人で住んでいた。

当日近くのコーヒーショップに出かけ、そのまま失踪。免許証も財布も置いたままだった。

寮の中の1人と思われる人物から九州の実家に電話があり、母が出ると「一志君は家に帰っていませんか」との問い合わせで1日1回昼頃に4~5回かかってきた。

名前を答えないので「あなたが殺したんじゃないか?」と問い詰めると、それっきりかかってこなくなった。

《特定失踪者・樹下秋男さんについて》

◆氏名:樹下 秋男

(きのしたあきお)

(Akio Kinoshia)

◆失踪年月日:昭和30(1955)年4月7日

◆生年月日:昭和11(1936)年10月8日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:京都市下京区

◆当時の身分:住み込み店員(製麺所)

◆身長:164cm~165cmくらい

◆特徴:人当たりがよい陽気な性格。

◆失踪場所:京都府

【失踪状況】

勤務先に「実家に行ってくる」との書き置きを残して失踪。

実際には実家には行っていない。

以後全く情報なし。

《特定失踪者・木村秋男さんについて》

◆氏名:木村 秋男

(きむらあきお)

(Akio Kimura)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年頃

◆生年月日:昭和23(1948)年12月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府堺市南島町

◆当時の身分:無職(運輸会社退職直後)

◆身長:167cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)やや細い

2)片足に骨折痕

3)原付バイク免許あり

◆失踪場所:大阪府堺市

【失踪状況】

昭和46年頃、姉が京都にいたとき友人とともにやってきたのが家族の会った最後。

堺市の会社を友人3人と一緒に辞めたようで、社員寮を出てアパートで生活していた。

その後消息がない。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》

◆氏名:小久保 稔史

(こくぼとしひと)

(Toshihito Kokubo)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日

◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町

◆当時の身分:船員(機関長)

◆身長:163cm

◆体重:57kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)浅黒

3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ

4)盲腸の手術痕あり

5)話し方ややうけ口

6)歌が上手で演歌を好む

7)手先は器用だった

◆失踪場所:京都府舞鶴市のスナックを出たあと

【失踪状況】

島根県温泉津港を出発し、1月13日朝、舞鶴港へ入港。

その日は日曜日で作業がなかったため、午後7時に東舞鶴のスナックを一人で出て、家族に「パチンコ屋の横から」と言って三重県鳥羽市の自宅に電話をした。

電話では長女の入学準備の話など普通の口調で話をしたが、その後消息不明。

スナックを出た時点で船の同僚と別れている。

船室もそのまま、コートも置いてあった。

舞鶴海上保安部、東舞鶴警察署、鳥羽警察署に捜索依頼をする。

また、家族親戚が舞鶴を捜したが見つからず。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・小丸勝義さんについて》

◆氏名:小丸 勝義

(こまるかつよし)

(Katsuyoshi Komaru)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年4月10日

◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:造船会社社員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)右肩の中心に縫った痕がある

2)子供の頃のけがで左眉の中心に縫った跡が残っている

3)細面

4)浅黒

◆失踪場所:東京都または京都府舞鶴市

【失踪状況】

大阪の大学を卒業して舞鶴の造船会社に就職が決まり、東京本社で研修を終えて赴任地舞鶴までの切符をもらって以後行方不明。

汽車に乗ったのかどうかも分からない。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・酒井秀俊さんについて》

◆氏名:酒井 秀俊

(さかいひでとし)

(Hidetoshi Sakai)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月16日?

◆生年月日:昭和27(1952)年1月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:京都市右京区

◆当時の身分:立命館大学経済学部4年生

◆身長:170cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)盲腸の手術跡

3)酒はつきあい程度

4)趣味は絵画、スキー

◆失踪場所:不祥(当時京都市右京区に下宿)

【失踪状況】

当時両親は転勤族で山形在住、姉は結婚し祖母と実家の愛知県一宮市に住んでいたので、本人の失踪時期は正確にはわからない。

就職は岐阜県大垣市内に内定し、卒論に追われていた。

正月に母や姉の住む山形にも一宮市にも帰省しなかった。

下宿していた部屋はたった今まで生活していたような感じだった。

失踪前の11月、海外旅行で一人でアムステルダムに2~3週間に行っていた。

山形県警HP

http://www.pref.yamagata.jp/police/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・澤辺和也さんについて》

◆氏名:澤辺 和也

(さわべかずや)

(Kazuya Sawabe)

◆失踪年月日:平成13(2001)年12月3日

◆生年月日:昭和42(1967)年5月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府網野町(現・京丹後市

◆当時の身分:料理師

◆身長:178cm

◆体重:65kg~70kg

◆特徴:

1)左胸に傷

2)顔の右に大きなほくろ

3)がに股歩き

4)細身

5)酒は何でも飲める

6)煙草はホープを吸う

7)剣道、柔道をしていた

◆失踪場所:京都府宮津市の勤務先から帰宅途中

【失踪状況】

12月3日午後5時半頃、宮津市日置の職場から「6時には帰宅する」と電話をかけてきたが、夜になっても自宅に戻らずその後行方不明。

20日経った12月23日夜、京都府宮津警察署より宮津市内の山中で炎上した跡のある車発見の報。

付近住民が午前2時頃車が立ち去っていく音と、その後の爆発音を聞いている。

本人の姿はなく、雪解けを待って翌年4月に捜索が行われたが、焼けた車から100mほど離れた位置で本人の財布が発見されたのみであった。

《特定失踪者・田中浩史さんについて》

◆氏名:田中 浩史

(たなかひろし)

(Hiroshi Tanaka)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月5日

◆生年月日:昭和35(1960)年6月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:ビルメンテナンス(排水管清掃等)

◆身長:170cm~172cm

◆体重:50kg

◆血液型:B型

◆特徴:

1)痩せ型

2)顔色浅黒

3)実年齢より若く見える

4)飲酒・喫煙をする

5)腰痛持ちのためやや足を引きずり加減で歩く

6)料理が得意

7)手先が器用

◆持病:肩こり、腰痛、喘息性気管支炎の持病あり

◆失踪場所:福井県丹生郡河野村

【失踪状況】

当日朝7時半、いつもと同じ時間に出勤のため車で京都市山科区の家を出る。

同日昼過ぎに勤務先(京都市山科区)から欠勤していると連絡あり。ポケベルで呼び出すが連絡なし。

翌6日捜索願を出す。

10日福井県警丹生警察署から「丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見した」との報があり、丹生郡河野村の海岸沿いに車が発見された。

夕方確認に出向くと車の中に本人のバッグ、ポケベル、免許証があったが、財布は発見できず。海も捜したが見つからなかった。

所持金は2万円~3万円だったと思われる。

同年6月に福井県警より4月5日午前中に福井県内の道でスピード違反をして本人署名のある納付書が送付された。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・種田 誠さんについて》

◆氏名:種田 誠

(たねだまこと)

(Makoto Taneda)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月

◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:焼肉料理店チーフ

◆特徴:盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

京都市内のアパートから失踪。

「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。

以来何の連絡もない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・古川 龍さんについて》

◆氏名:古川 龍

(ふるかわりょう)

(Ryou Furukawa)

◆失踪年月日:昭和62年(1987)3月以降

◆生年月日:昭和39年(1964)11月4日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:イギリスのデヴォン(Devon)州エクセター(Exeter)市

◆日本国内の住所:京都府京都市

◆当時の身分:留学生

◆身長:167cmくらい

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:エクセター市ないしスペイン

【失踪状況】

大学(英文科)在学時に英語の勉強をするため私費でイギリス・エクセター市に滞在中、スペインに向かった後、行方不明となった。

エクセター市の滞在先だった部屋には荷物が置かれたままだった。

古川 龍さんの失踪について、現時点で北朝鮮との直接の結びつきは見つかっていないが、政府認定拉致被害者有本恵子さんの拉致はイギリスを、松木 薫さんと石岡 亨さんの拉致はスペインを舞台に行われていることもあり、公開をきっかけに新たな情報が出てくることを期待している。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・別役佳子さんについて》

◆氏名:別役 佳子

(べっちゃくけいこ)

(Keiko Betchaku)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年2月

◆生年月日:昭和16(1941)年8月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:京都府京都市

◆当時の身分:スナック店長

◆身長:155cm~156cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)色白

2)飲酒、喫煙する

3)スポーツは何でもやる

◆失踪場所:京都府京都市北区紫野西野町

【失踪状況】

昭和44年(1969)2月、京都市北区紫野西野町に所在したスナック「ダンヒル」(現在は存在しない)に雇われママとして勤務していた当時、高知県香美郡香我美町(現・香南市)の実家に一時帰省の意味で帰ると連絡してきたのを最後に行方不明となった。

実家に子どもを預けていた。

日時は不明だが、当時北海道に居住していた弟に家賃とミシンの支払いを依頼する手紙が送られてきた。

本件については別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がおり、それらが関与した拉致の可能性が考えられる。

また、飲食店勤務等の職業で幼い子供がいたという意味では渡辺秀子さんや田口八重子さんらとも類似の点がある。

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・前上昌輝さんについて》

◆氏名:前上 昌輝

(まえがみまさてる)

(Masateru Maegami)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月22日

◆生年月日:昭和32(1957)年7月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:京都市左京区北白川

◆当時の身分:大学受験準備中のため無職。直前まで北海道富良野の牧場で働く。

◆身長:173cm

◆特徴:

1)筋肉質の体格

2)大けがのため左目がやや小さい

3)絵画、書道が得意

4)写真に興味がある

◆失踪場所:北海道旭川駅

【失踪状況】

高校卒業後、美大を志望して東京で受験するも失敗。

1浪して地元京都を中心に受験するが再び失敗した。「人生修業のために北海道に行きたい」と言って、4月に京都の自宅を出発し、2ヶ月ほど横浜で当面の資金を稼いで、母に「お金が貯まったので、いよいよ北海道へ行く」と電話をしてきた。

北海道に渡り、道庁で紹介を受けた富良野の牧場で4ヶ月ほど働く。

8月下旬に母に電話で「大学受験を決意した」と話し、9月20日に牧場を退職。

国鉄旭川駅前のホテルに2泊宿泊し、22日午前10時頃、旭川駅の荷物一時預りにザックを預け、「3日間お願いします」と言って出かけたのが最後で行方不明になった。

北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。

後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。

同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。

電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。

以来手がかりは全くない。

平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

■前上昌輝さんの同窓生によるHP

http://www.ja3yaq.ampr.org/%7Ejh3txp/kitashirakawa/maegami.html

《特定失踪者・松本重行さんについて》

◆氏名:松本 重行

(まつもとしげゆき)

(Shigeyuki Matsumoto)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月17日

◆生年月日:昭和10(1935)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:48歳

◆当時の住所:京都府舞鶴市

◆当時の身分:漁師。漁業協同組合職員

◆身長:165cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)喫煙する

2)酒は飲まない

3)コーヒーが好き

4)カラオケが好き

5)囲碁・将棋が好き

◆失踪場所:京都府舞鶴市小橋の海上

【失踪状況】

漁船「照和丸」で刺し網漁業中に行方不明。

船は同日無人の状態で漂泊していたのを発見される。

べた凪、転落しにくい船の構造、ベテラン漁師であることを考えると、転落は有り得ない。

たとえ転落しても、水温も高く自力で船に戻れるはずであり、遭難しても大掛かりな捜索から遺体が発見されたはずである。

出港直後、不審な船が接近している。

京都府の東端に位置し、北朝鮮絡みの事件が多発する地域に隣接する。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・水嶋弥寿志さんについて》

◆氏名:水嶋 弥寿志

(みずしまやすし)

(Yasushi Mizushima)

◆失踪年月日:平成15(2003)年9月8日

◆生年月日:昭和39(1964)年4月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:埼玉県蕨市

◆当時の身分:会社員

◆身長:169cm

◆体重:66kg

◆特徴:

1)前髪を右手と首を上にむけてあげる

2)煙草吸わない

3)酒は付き合い程度

4)大またでゆったり歩く

◆趣味:読書、映画、スポーツ(テニス)

◆特技:コンピューター

◆失踪場所:埼玉県蕨市の自宅

【失踪状況】

平成15年9月4日午前7時30分頃、自宅から勤務先に体調不良で休むと電話連絡。

失踪前に体調を崩し1週間休みをとっていた。

9月8日に出社せず連絡も無くなったことで行方不明が判明。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・渡邊晃佐さんについて》

◆氏名:渡邊 晃佐

(わたなべこうすけ

(Kousuke Watanabe)

◆失踪年月日:昭和27(1952)年10月27日

◆生年月日:昭和7(1932)年1月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:京都府京都市右京区上桂三宮町

◆当時の身分:立命館大学学生

◆身長:163cm

◆体重:56kg

◆趣味:ダンス、登山

◆失踪場所:京都府京都市右京区上桂三宮町

【失踪状況】

当日自宅を出て行方不明。

その後連絡なし。

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/OHK

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

岡山県警HP

http://www.pref.okayama.jp/kenkei/kenkei.htm

香川県警HP

http://www.pref.kagawa.jp/police/

■特定失踪者の帰国実現をめざす会・中国ブロックfacebook

https://facebook.com/groups/131092523902398?src=email_notif

■瀬戸内しおかぜの会ブログ

http://setouchishiokaze.blog.fc2.com/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・清水桂子さんについて》

◆氏名:清水 桂子

(しみずけいこ)

(Keiko Shimizu)

◆失踪年月日:平成2(1990)年12月13日

◆生年月日:昭和43(1968)年12月9日

◆性別:女性

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:岡山県芳井町(現・井原市

◆当時の身分:芳井農協本所総務課職員(現在は岡山県西部農協芳井支店に名称変更)

◆身長:160cm

◆体重:40kg

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)前歯が差し歯

2)書道の免許を持っている

3)趣味はお茶とバレーボール

◆失踪場所:岡山県井原市

【失踪状況】

勤務終了後、職場を出て失踪。

途中に農協の共和支所があり、自宅への帰途立ち寄ることになっていたがそこに本人から「午後6時には少し遅れる」と電話している。

日中、職場に電話があった。

誰なのかどういう内容なのかわからないが、話は短かった。

本人の車は当日夜10時頃に井原町の書店駐車場にあるのを母が発見。

車内は荒らされていなかった。

近所の人の年末調整の証明書など頼まれたものが車の中に残っていた。

免許証、財布、ハンカチなどの入った小さなバッグだけが車内になかった。

運転の時は黒いズックを使っていて、普段履いていたハイヒールは車の中に残っていた。

また、キャッシュカードが四つ折りにして井原の小田川の土手に投げ捨ててあったのを近所の人が見つけた。

翌年3月31日には結婚が決まっていて、休日には楽しく準備していた。

帰りが遅くなるときはいつも何の用事で遅くなると電話を入れてくるが、この日はなかった。

《特定失踪者・松村哲史さんについて》

◆氏名:松村 哲史

(まつむらさとし)

(Satoshi Matsumura)

◆失踪年月日:平成13(2001)年2月14日

◆生年月日:昭和53(1978)年1月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:岡山県岡山市

◆当時の身分:会社員(建築会社)

◆身長:171cm

◆体重:52kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)温和でおとなしくまじめ

◆失踪場所:岡山市の自宅

【失踪状況】

2月12、13日会社を休んでいた。

13日の夜11時過ぎ頃「遊びに言ってくる」と徒歩で家を出て12時前に帰宅した。

その際家の鍵を忘れて出ていたらしく玄関を開けてやった。

その後両親が12時過ぎ就寝後の12時過ぎ、再度家を出て以来消息不明。

部屋に財布、預金通帳を残し、財布の中には現金、免許証、キャッシュカードが入ったまま。

無言電話は2001年12月頃から翌年2月までに3回あったが、いずれもこちらが「もしもし」と言ったらすぐ切れてしまった。

《特定失踪者・坂本秀興さんについて》

◆氏名:坂本 秀興

(さかもとひでおき)

(Hideoki Sakamoto)

◆失踪年月日:平成元(1989)年6月22日

◆生年月日:昭和36(1961)年7月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:東京都世田谷区の会社寮

◆当時の身分:会社員(研究開発部門?)

岡山県倉敷市出身

◆身長:170cm

◆体重:75kg~80kg

◆特徴:

1)右(?)大腿部に乳児の時の注射痕がある

2)趣味は将棋・スキー

◆失踪場所:東京都港区新橋

【失踪状況】

仕事上の書類等を提出して午後5時40分に退社後、銀行で預金10万円を引き出したあと行方不明。

25日に出張で愛媛県新居浜工場に出勤する予定だったが出勤していないとの連絡で失踪が判明した。

世田谷の寮の部屋には運転免許証や保険証、旅行バック、スキー用品、衣料品等が残っていた。

失踪の約1ヶ月前、岡山県倉敷市の実家に帰省したとき「出勤時に二人の女性に会社の玄関まで後をつけられたことあった」と言っていた。

その後、出張帰りに倉敷に帰省した際に「僕は岡山には帰らん」と一言言った言葉が最後となった。

無言電話はよくあるが応対に出るとすぐ切れるため、いたずらかどうか判断できない。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

愛媛県警HP

http://www.police.pref.ehime.jp/

《神奈川県警公開特定失踪者・浅尾賢子さんについて》

◆氏名:浅尾 賢子

(あさおまさこ)

(Masako Asao)

◆当時の年齢:20歳(昭和42年当時)

◆当時の住所:岡山県倉敷市

◆当時の職業:浪人生

◆身長:155cmくらい

◆体重:45kgくらい

【失踪状況】

昭和42年12月、法事で親戚一同が集まっている中、行方不明になっています。

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・正木冽子さんについて》

◆氏名:正木 冽子

(まさきれつこ)

(Retsuko Masaki)

◆失踪年月日:昭和36(1961)年9月24日

◆生年月日:昭和17(1942)年12月23日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:徳島県大内町

◆当時の身分:香川県の耳鼻科の看護婦

◆身長:157cm

◆特徴:丸ぽちゃ

◆失踪場所:徳島県徳島市眉山公園山頂

【失踪状況】

徳島市眉山公園山頂で行方不明。

家族に「大阪にいい仕事が見つかった」と言い残して自宅を出て失踪。

眉山公園でタクシー運転手が目撃したのが最後。

前日の9月23日夜、香川県大川郡引田町のバーで友人が目撃。

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・山下綾子さんについて》

◆氏名:山下 綾子

(やましたあやこ)

(Ayako Yamashita)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年4月

◆生年月日:昭和17(1942)年9月20日

◆性別:女性

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:愛媛県今治市石井町

◆当時の身分:看護師

◆身長:157cm

◆体重:50kgくらい

◆特徴:

1)内向的な性格

2)飲酒を少々する

◆失踪場所:愛媛県今治市

【失踪状況】

4月のある日、自宅から普段着姿で自転車で出たまま行方不明となった。

翌々日、国鉄今治駅(当時)に自転車が置いたままになっているのが発見される。

自宅から勤務先の病院には自転車で通勤しており、鉄道は使っていなかった。

また、その病院も失踪一週間前に自ら辞めていたことがあとからわかった。

自転車の前カゴに桜の小枝が一本入っていた。

家には預金通帳・印鑑・看護師の証明書などがそのまま残っていた。

香川県看護学校を卒業し就職。

その後病院に勤めたが、1年前に結婚するためにその病院を退職し、愛媛県今治市内の病院に自転車で通勤していた。

愛媛県警HP

http://www.police.pref.ehime.jp/

救う会愛媛HP

http://www.iyo.ne.jp/sukuukaiehime/

《特定失踪者・岡内正三さんについて》

◆氏名:岡内 正三

(おかうちまさみ)

(Masami Okauchi)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年12月下旬

◆生年月日:昭和16(1941)年12月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:香川県高松市。勤務地の近くのアパートで独り暮らし

◆当時の身分:香川県高松市の実兄が経営する焼肉店従業員

◆身長:165cm

◆体重:65kg

◆特徴:眼鏡着用

◆失踪当時の服装:白い割烹着

◆失踪場所:香川県高松市

【失踪状況】

勤務していた焼肉店から失踪。

仕事着(白い割烹着)で所持金も免許証も持っていなかった。

皆近くへでも行っているものと思っていた。

高校卒業後、静岡でセールスマンをしていた。

静岡県警HP

http://www.pref.shizuoka.jp/police/

《特定失踪者・松永正樹さんについて》

◆氏名:松永 正樹

(まつながまさき)

(Masaki Matsunaga)

◆失踪年月日:平成7(1995)年8月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年1月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:香川県

◆当時の身分:無職(以前は運送会社などに勤めていた)

◆身長:170cmくらい

◆失踪場所:香川県善通寺市~福井~北海道か?

【失踪状況】

1995(平成7)年8月28日未明、「福井へ10日から2週間、仕事で行ってくる」とメモを残して車で香川県善通寺市の自宅を出たまま行方不明となる。

クレジットカードの支払い明細から8月28日に福井県三方五湖でガソリン34リットル給油。

9月1日以降網走、阿寒湖などで給油。

9日に足寄で29リットルを給油。

同月14日北海道の消印で、本人が本人宛に書いた封書が届く。

本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。

9月12日、青森で預金5万円が引き出されている。

同年12月19日、北海道苫小牧市の会社所有地に車が放置されているのが発見される。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

香川県警HP

http://www.pref.kagawa.jp/police/

香川県警公開特定失踪者・前田友秀さんについて》

◆氏名:前田 友秀

(まえだともひで)

(Tomohide Maeda)

◆当時の年齢:56歳(昭和60年当時)

◆当時の住所:福岡県行橋市

◆当時の職業:調理師

◆身長:170cmくらい

【失踪状況】

昭和60年10月、香川県高松市のフェリー乗場で親族が見送った後、行方不明となっています。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/TSS

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題を考える国民のつどいin広島(1)

https://www.youtube.com/watch?v=4vMSqq3uZLs&list

拉致問題を考える国民のつどいin広島(2)

https://www.youtube.com/watch?v=4vMSqq3uZLs

拉致問題を考える国民のつどいin広島(3)

https://www.youtube.com/watch?v=xLrpuJO8Py0

拉致問題を考える国民のつどいin広島(4)

https://www.youtube.com/watch?v=hEzbmCW42Ow

拉致問題を考える国民のつどいin広島(5)

https://www.youtube.com/watch?v=b4F3tOPMgDg

拉致問題を考える国民のつどいin広島(6)

https://www.youtube.com/watch?v=qzfJwVE1L2E

拉致問題を考える国民のつどいin広島(7)

https://www.youtube.com/watch?v=GIIZOiZ09kM

拉致問題を考える国民のつどいin広島(8)

https://www.youtube.com/watch?v=jMWjHaVS_OM

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

■特定失踪者の帰国実現をめざす会・中国ブロックfacebook

https://facebook.com/groups/131092523902398?src=email_notif

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・佐々木 薫さんについて》

◆氏名:佐々木 薫

ささきかおる

Kaoru Sasaki)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月12日

◆生年月日:昭和25(1950)年10月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:広島県広島市中区

◆当時の身分:調理師

◆身長:167cmくらい

◆特徴:

1)中肉

2)喫煙する

3)歌が好きで、美和健治という芸名を名乗っていたこともあった

◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】

当時、広島市在住。

1972(昭和42)年11月11日、祭りで広島の実家に帰省。

翌12日、広島市に帰る。

広島市に帰った2~3日後、知人女性に「急に京都に行かなければならなくなった」と電話をかける。

また何日後かに知人女性に「京都から帰れなくなった」と電話を掛けた後、所在不明となる。

1~2ヵ月後、知人女性から実家に女性から「薫さんから『京都から戻れんようになった』と連絡がありましたが広島(三和町)に帰りましたか?」と実家に電話があった。

1984(昭和59)年、女性から実家に「薫さんは居られますか?」との電話がある。

1991(平成3)年正月、差出人が薫さんになっている年賀状が兵庫県相生市在住の叔父宅に届くが、年賀状は印刷されたもので、記載されていた愛媛県今治市の住所(消印も今治市)は実在の住所だが別人が住んでいた。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

愛媛県警HP

http://www.police.pref.ehime.jp/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による佐々木 薫さん失踪事件の解説】

◆年賀状は拉致実行犯の偽装

「遺留品」という言い方が適当かどうか分かりませんが、失踪後親戚に佐々木 薫さんの名前で届いた年賀状で、差し出し人は薫さんなのですが、薫という字が間違っており筆跡も本人のものではありません。住所もそこに住んでいるのは別人でした。誰かが何かの目的で送ったとしか考えられません。

拉致であれば攪乱を狙ったものと思われます。少なくとも本人の意図と異なる第三者の意志が加わったことは間違いありません。他にも同様のケースは多数あり、あらためてこれらのパターンについても見直しが必要だと思います。

《特定失踪者・古川 龍さんについて》

◆氏名:古川 龍

(ふるかわりょう)

(Ryou Furukawa)

◆失踪年月日:昭和62年(1987)3月以降

◆生年月日:昭和39年(1964)11月4日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:イギリスのデヴォン(Devon)州エクセター(Exeter)市

◆日本国内の住所:京都府京都市

◆当時の身分:留学生

◆身長:167cmくらい

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:エクセター市ないしスペイン

【失踪状況】

大学(英文科)在学時に英語の勉強をするため私費でイギリス・エクセター市に滞在中、スペインに向かった後、行方不明となった。

エクセター市の滞在先だった部屋には荷物が置かれたままだった。

古川 龍さんの失踪について、現時点で北朝鮮との直接の結びつきは見つかっていないが、政府認定拉致被害者有本恵子さんの拉致はイギリスを、松木 薫さんと石岡 亨さんの拉致はスペインを舞台に行われていることもあり、公開をきっかけに新たな情報が出てくることを期待している。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・和田吉正さんについて》

◆氏名:和田 吉正

(わだよしまさ)

(Yoshimasa Wada)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年4月14日

◆生年月日:昭和27(1952)年11月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:広島県府中市

◆当時の身分:無職

◆直近の職業:失踪直前まで広島県府中市のスーパーに勤務

◆身長:168cm

◆体重:55kg~58kgくらい

◆血液型:O型

◆特徴:

1)人さし指を事故で1cm弱切断。ただし爪が少々残っている

2)趣味はヘラブナ釣り

3)たばこ、ビールはたしなむ程度

4)高校時代柔道初段

5)髪の毛が少々癖毛

6)つま先を前にこする様に歩く癖がある

◆失踪場所:東京都新宿区

【失踪状況】

勤務先のスーパーで人間関係がうまくいかず退職しようかと悩んでいるとき交通事故を起こし、軽い怪我で3日入院。

退院したが精神的に行き詰まり昭和54年3月に退職。

4月12日免許証、時計など家に置いたまま広島県の実家を出る。

母親が午後3時頃に家を出るときは家にいたが、帰ってくると姿が見えなかった。

現金15,000円がなくなっていた。

家族がメモ帳を頼りに電話したところ、同日東京都新宿区四谷1丁目の知人宅に上京し1泊して翌早朝荷物を置いたまま出て行き帰って来ていないとの返事だった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・花田昭博さんについて》

◆氏名:花田 昭博

(はなだあきひろ)

(Akihiro Hanada)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年9月24日

◆生年月日:昭和41(1966)年4月5日

◆性別:男性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:広島県大竹市

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:169cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)左眉毛上に米粒大のほくろ

3)一重瞼

◆失踪場所:当時居住していた自宅から

【失踪状況】

失踪当日自宅テーブルの上に「釣りに行きます」との書置きを残し、朝5時~6時頃家を出たまま行方不明となる。

本人は留守にするときには必ず書き置きをしていた。

当日は学校は休みだった。

1週間後、自宅から33km離れた山口県大島大橋山口県柳井市と大島郡周防大島町間の大畠瀬戸に架かる橋)の中央近く車道部分に本人の自転車と釣り竿が放置されていた。

釣りが趣味だったが、通常はほとんど1人で出かけており、たまに2歳年上の友人と行ったこともあった。通常行く先は自転車で行ける範囲の大竹海岸だった。

本人が小学生のとき、お父さんとお父さんの知人、その子供たちで大島大橋を渡って島内に入り釣りをしたことが何度かあるが1人で大島まで釣りに行ったことはなかった。

自宅には小遣い7,000円~8,000円が残されていた。

間違い電話の可能性はあるが失踪後何度か無言電話はあった。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

《特定失踪者・田辺真理子さんについて》

◆氏名:田辺 真理子

(たなべまりこ)

(Mariko Tanabe)

◆失踪年月日:平成8(1996)年9月27日

◆生年月日:昭和43(1968)年11月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:広島県広島市中区

◆当時の身分:販売員(ブティック)

◆身長:155cm

◆体重:55kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)髪は染めていないが少し赤茶けている

2)コンタクトレンズ使用

◆失踪場所:広島県広島市中区

【失踪状況】

勤務先のあった広島市中区本通りから自宅までの間の道で行方不明となる。

自宅と勤務先まで徒歩で15分~20分を通勤していた。

平成8年9月27日午後8時頃、勤務先のブティック閉店後、同僚に売り上げ等のメールを発信し帰宅したものと思われるが、翌日から出勤しないまま行方不明となる。

田辺さんが1人で店にいることが月の半分くらいあり、失踪当日も1人だった。

母親が毎朝モーニングコールをしていたが、28日はいくらしても出なかった。

家族が29日に下宿に行ったが、ハンドバックなどが残っていなかったことから勤めから帰った様子はなかった。

また、部屋の箪笥の上に現金50万円が置かれていた。

住所の変更、運転免許証の更新はされていない。

《特定失踪者・酒井勇夫さんについて》

◆氏名:酒井 勇夫

(さかいいさお)

Isao Sakai)

◆失踪年月日:平成11(1999)年12月23日

◆生年月日:昭和45(1970)年5月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:千葉県鴨川市成川

◆当時の身分:会社員(食品関係機械製造業)

◆身長:170cm

◆体重:90kg

◆血液型:B型

◆失踪場所:広島県広島市

【失踪状況】

平成11年12月18日より同僚2名と広島市の食品会社に出張(牛乳製造ラインの移設作業)。

本人が責任者で作業を行う。

20日に主たる工事が終了したので同僚2名は帰京、以後1名で22日まで微調整作業のため勤務。

23日午前4時46分ホテルをチェックアウトしたが食品会社には出社せず。

同日12時35分にホテルより北東方向17km先の広島県安芸高田市のATMコーナーで1万円、5万円の2回に分けて本人名義の口座から現金が引き出されている(本人かどうかは確認できず)。

以後消息なし。

なお、早朝のチェックアウトはそれまでも同じ(工場ラインの稼働にあわせるため)。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・藤倉紀代さんについて》

◆氏名:藤倉 紀代

(ふじくらきよ)

(Kiyo Fujikura)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日

◆生年月日:昭和42(1967)年4月29日

◆性別:女性

◆当時の年齢:12歳

◆当時の住所:広島県広島市

◆当時の身分:中学校入学直前

◆身長:150cm

◆体重:38kg

◆特徴:

1)痩せ形で面長

2)色黒

3)髪の毛を腰まで伸ばしていた

4)内向的な性格

◆失踪時の服装:フード付の紺色スモッグに白色セーター

◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】

失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。

仕事に出る母親を姉弟で玄関で送り出した。

母親が深夜2時ごろに帰宅すると、二人の姿がなかった。

玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食を摂って食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。

二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。

同夜は雨だったが、傘は置いてあった。

所持金は小遣い程度で、自分たちだけで遠出したことはなかった。

紀代さんは失踪翌日に友達と遊ぶ約束を電話でしていた。

当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・藤倉靖浩さんについて》

◆氏名:藤倉 靖浩

(ふじくらやすひろ)

(Yasuhiro Fujikura)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年3月29日

◆生年月日:昭和44(1969)年3月13日

◆性別:男

◆当時の年齢:11歳

◆当時の住所:広島県広島市

◆当時の身分:小学校5年生(進級直前)

◆身長:140cm

◆体重:30kg

◆特徴:

1)中肉で丸顔

2)色黒

3)坊主頭

◆失踪時の服装:プロ野球の阪急の帽子をかぶり紺色ビニールのヤッケに同色のジーパン、白ズック姿

◆失踪場所:広島県広島市南区

【失踪状況】

失踪当日、母親はいつも通り夕刻5時か6時頃、子供たちの夕食を用意して自宅アパートから仕事に出かける。

仕事に出る母親を姉弟で玄関で送り出した。

母親が深夜2時ごろに帰宅すると、二人の姿がなかった。

玄関には鍵がかかっており(鍵は子供たちも持っている)、母親の布団が敷かれ、夕食を摂って食器が流しに運ばれているなど、いつもと変わった様子はなかった。

二人とも特別に何かを持ち出したような形跡はなく、服装も普段外出する時の服装。

同夜は雨だったが、傘は置いてあった。

所持金は小遣い程度で、自分たちだけで遠出したことはなかった。

当時警察は誘拐や事故などの線からも200人態勢で捜索を行ったが、全く手掛かりがなかった。

《特定失踪者・和田佑介さんについて》

◆氏名:和田 佑介

(わだゆうすけ)

(Yu-suke Wada)

◆失踪年月日:平成14(2002)年5月7日

◆生年月日:昭和52(1977)年1月30日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:広島県広島市佐伯区

◆当時の身分:会社員

◆身長:172cm

◆体重:80kg

◆失踪場所:広島県広島市佐伯区

【失踪状況】

5月7日、会社から無断欠勤していると連絡がある。

その後行方が分からず。

アパートは、冷蔵庫湯沸しポットなど、全て電気も入れてあり、普通どおりの生活感があり、ちょっと外へ出ると言ったような様子。携帯電話、銀行通帳、キャッシュカード、ガソリンカード、免許証、タバコ入れは無かった。

失踪前日まで、全く変わった様子はなかった。

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(松江市

https://www.youtube.com/watch?v=APKS5m0plLs

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会(大田市

https://youtube.com/watch?v=T5NLto6vx1M

《特定失踪者・平本敏昭さんについて》

◆氏名:平本 敏昭

(ひらもととしあき

(Toshiaki Hiramoto)

◆失踪年月日:昭和25(1950)年9月21日

◆生年月日:昭和4(1929)年6月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:広島県安芸郡音戸町

◆当時の身分:昭和25年4月から広島市二保町の青崎小学校教諭

◆身長:180cm

◆体重:65kgくらい

◆特徴:

1)八重歯

2)足のひざに手術痕

3)喫煙する

4)酒は少々飲む

◆失踪場所:大分県中津市

【失踪状況】

北朝鮮からの引き揚げ者家族。

咸鏡南道咸興に居住。

昭和21年5月に南に脱出、以後日本に引き上げ。

夏休みになり広島より帰省。

8月16日長女・差知子を連れて盆踊りに参加。

翌朝10時頃「学校へ行く」といって出かけ行方がわからなくなる。

家族は9月7日〜8日頃学校から電話で出勤していないことを知る。

急ぎ広島に行くも手がかりなく。間借り先もそのまま。

九州の知人・井上利之さん宅(大分県中津市本町464井上利之方)に9月21日頃まで逗留していたとしばらくして判明。

兄・和丸(昭和23年失踪)を探していたとのこと。

母親の墓が北朝鮮にあったので遺骨を持ち帰るために何らかの方法で北朝鮮に渡った可能性もある。

大分県警HP

http://www.pref.oita.jp/keisatu/

《特定失踪者・藤原英二さんについて》

◆氏名:藤原 英二

(ふじわらえいじ)

(Eiji Fujiwara

◆失踪年月日:昭和50(1975)年1月

◆生年月日:昭和24(1949)年7月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の身分:調理師。東京の弁当工場に勤務

◆当時の住所:東京都新宿区

◆身長:168cm

◆特徴:

1)中肉

2)色弱と乱視あり

3)趣味は釣り

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

昭和50年正月の1日か2日頃の夜(19時頃)、突然広島の実家に電話をしてきて、家族に「いま福井に釣りに来ている」と語る。

その後一切の連絡がなく行方不明となる。

同年3月、母がみかんを送ろうと東京の勤め先に電話すると、前年末から出勤していないとのこと。

その春、姉が東京の居候先である友人宅へ行くと、衣類、釣り道具など荷物はそのままで免許証もあった。

昭和50年1月の1日か2日頃(夜7時頃)、突然家族に「今、福井に釣りに来ている」と電話をしてきた。

しかしその後一切の連絡なく今日まで音沙汰がない状態。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・和智 博さんについて》

◆氏名:和智 博

(わちひろし)

(Hiroshi Wachi)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年

◆生年月日:昭和13(1938)年8月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:福岡県朝倉郡朝倉町(現・朝倉市

◆当時の身分:建設作業員

◆身長:158cmくらい

◆体重:55kgくらい

◆特徴:

1)盲腸炎の傷跡

2)犬歯(左上、プラチナ)

◆失踪場所:福岡市内

【失踪状況】

福岡市内に住む姉が急死したあと、行方不明となる。

当時住み込みで福岡県内の建設作業員として働いていた。

最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたいと」言い残して失踪。

行き先は不明。

昭和41年~44年まで4年間、広島市内に母と一緒に住んで工員として働いていた。

44年、母の死後福岡市に住んでいた姉のところを数回たずねていたが、姉も52年に死亡。最後に病院に姉を見舞った折に「遠くなるけどお金になるので行きたい」と言い置いてその後行方不明。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regim.

【みんな生きている】安倍晋三・橋下 徹編[参議院選挙]/TSK〈鳥取〉

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!どうなる令和の日本 自民・安倍総裁に生直撃》

自民党安倍晋三総裁に参院選の結果について、大阪のスタジオにいる橋下 徹氏とともに中継で質問を行いました。

■衆参ダブル選挙、やっときゃよかった?

橋下 徹氏:「まず自民党公明党の圧勝おめでとうございます。僕は正直、衆議院参議院のダブル選挙を期待していました。やはり、安倍さんの総理の任期中に絶対に憲法改正国民投票憲法改正の発議をやっていただきたかったんです。それはやっぱり、国民の大きなうねりを起こさなければ絶対できないと。背水の陣で、総理が、これはもう憲法改正をやるんだと、負けか勝つか、いちかばちかでやるんだというエネルギーが、国民のうねりを起こしたと思うんですが、今、この結果を受けて、圧勝ですけど、衆参ダブルにしておけばよかったなという悔いはありませんか」

安倍晋三総裁:「迷わなかったと言えばうそになるわけですが、すでに、衆議院においては3分の2の多数を与党でもいただいています。基本的には、参議院においては、安定した多数を得たうえにおいて、そのうえで維新の会の皆さんにもご協力いただきながら、国民民主党の皆さんの中にも、憲法議論をしっかりしたいと言っている方もおられるんだろうと思います。街頭演説においては、ほとんどの会場で、議論する政党か候補者か、あるいは、議論すら拒否する政党か候補者かということを訴えてきました。結果としては、国民の皆様は、ちゃんと議論せよということだったんだろうと思います。私の使命として、残された任期の中で憲法改正に挑んでいきたいと考えています」

改憲議論をしようじゃないか

橋下 徹氏:「僕がいちかばちかの政治をずっとやってきた時に、菅 義偉官房長官拉致問題担当大臣)にも、『橋下さん、もうちょっと大人の政治をやったら』なんていうことも言われたことがあるんです。やっぱり今回は、総理は大人の政治をされたと思いますが、今回の選挙結果を受けて、衆議院憲法調査会を、全会一致の原則を外して、自民党改憲勢力の多数決で衆議院憲法調査会を動かしていかれるということですか」

安倍晋三総裁:「共産党は、党首討論でも明らかになったように議論すらしないという姿勢を明らかにしています。それでは、全員が一致しない限り議論すらしないということであったら、国会議員としての職責を果たせないじゃないですか。参議院でこの1年間、たった3分ですからね、憲法審査会。これでわたしたちは、責任を果たしているとは言えないと思います。この選挙の結果を受けて、野党の皆さんにも真摯(しんし)に対応していただきたいと思います」

橋下 徹氏:「共産党は初めから“議論しない”と言っているのと同じく、立憲民主党も“安倍政権中には議論しない”と言っています。これは共産党だけじゃなく、立憲民主党もある意味、職務放棄とみなして、そこの同意がなくても憲法調査会は進めていくということですか」

安倍晋三総裁:「立憲民主党の皆さんが、安倍政権の間は議論しないと。これはおかしな議論なんですが、この選挙結果を受けて真摯に受け止めて、やっぱり、国会議員は議論するのが仕事ですから、その責任を果たしてもらいたい。まずは、立憲民主党の方がどう考えるかということを見ていきたいと思っています」

■消費税10年10%は本当?

安倍晋三総裁:「まず、私の任期は再来年までですから、完全に約束できるわけではないということは申し上げています。すでに安倍政権で2回上げております。5%上げているんですが、今度上げていけばですね10月に、上げていく予定ですが。安倍政権の間は上げないとお約束できますが、同時に今年、税収は過去最高、バブル期を抜いています。2025年の黒字化の見通しも立ちつつありますから、私は今のまま、今の経済政策を進めていけば、上げる必要ないだろうと考えています」

■安倍総裁が野党なら安倍自民の何を批判した?

安倍晋三総裁:「それは非常に難しい問題で、批判するところはないと答えたいんですが。野党として、安倍政権に対する批判というのは難しい質問なんですが、野党は、今の野党らしい批判をしているんだろうなと思います。私、野党だったら、もうちょっと建設的な議論をして、そのうえにおいて、自民党を支持している支持者の票を取っていくという戦略を考えるだろうと思います」

拉致問題・日露の問題は任期中どう解決するのか見通しは?

安倍総裁:「神戸における演説会の街頭においてですね、有本恵子さんのお父さん(有本明弘さん)も90歳になられるんですが来ておられました。大変、私も総理になりながら解決できない。本当に痛恨の極みでありますが、その中で、あらゆるチャンスを逃さずに、行動する時には果敢に行動していきたいと考えています。また、日・露の平和条約、何十年間解決できなかった問題ですから、そう簡単に解決できる問題ではもちろんないんですが、やっと新しいアプローチにおいて、具体的な可能性が出てきたと思っておりますので、なんとか、任期中に平和条約を前進させたい。締結に向けて、しっかり進んでいきたいと思っています」

■最後に橋本氏が聞きたいことは?

橋下 徹氏:「僕は、やっぱり日本にまだ積み重なっているいろんな課題、大きな課題があると思います。やっぱり靖国参拝ですね。日本のリーダー、また陛下に靖国は絶対に参拝に行っていただきたい。僕は、それをやろうと思えば、戦争指導者の分祀(ぶんし)しかない、これは僕の持論ですけど。北方領土に関しても、4島返還が無理なのであれば、やっぱり2島返還の方向性も決めなければいけないと思う。こういうことを動かすのが選挙だと思っていまして、ぜひ、任期中の次の衆議院の解散・総選挙。ここでは令和の時代に向けて、大きな課題を解決する道筋をつけるための選挙をもう1回やってもらいたいと思います」

安倍晋三総裁:「今回は令和の時代初めての選挙だったわけであります。衆議院の選挙については、衆議院議員というのは常に緊張感を持たなければいけないと思いますし、衆議院の解散、これは選択肢から外しているわけではありませんが、われわれも常に緊張感を持って、政治を前に進めていきたい。また、さまざまな大きな課題に挑戦していきたいと思っております」

松本京子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_4.html

松本京子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_4en.html

松本京子さん拉致事件マンガダウンロードはコチラ↓

https://www.pref.tottori.lg.jp/149594.htm

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題の早期解決を願う国民のつどいin米子(1)

https://www.youtube.com/watch?v=bEMOOJ6a8PY

拉致問題の早期解決を願う国民のつどいin米子(2)

https://www.youtube.com/watch?v=xDyU6TxSdIg

拉致問題の早期解決を願う国民のつどいin米子(3)

https://www.youtube.com/watch?v=MFpMx9b3iy8

拉致問題の早期解決を願う国民のつどいin米子(4)

https://www.youtube.com/watch?v=adGSP46pUIo

拉致問題の早期解決を願う国民のつどいin米子(5)

https://www.youtube.com/watch?v=f1ReTB3Zw1c

拉致問題の早期解決を願う国民のつどいin米子(6)

https://www.youtube.com/watch?v=G8DzytenlGs

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

■特定失踪者の帰国実現をめざす会・中国ブロックfacebook

https://facebook.com/groups/131092523902398?src=email_notif

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

松本京子さん生存情報]

北朝鮮による拉致被害者松本京子さんが、平壌ピョンヤン)の病院に入院しているという情報があることがわかりました。

これは、韓国の拉致被害者家族会の崔成龍チェ・ソンヨン)代表が、消息筋から聞いた話として明らかにしたもので、松本京子さんは病気で視力が極端に低下し、平壌にある朝鮮赤十字総合病院に入院しているとしています。

1977年に拉致された松本さんについて、崔代表は以前、当初住んでいたとされる北朝鮮北東部の清津(チョンジン)から、2011年ごろに平壌に移されたという情報を明らかにし、その後、韓国の情報機関も同様の情報を確認していました。

◆昭和52(1977)年10月21日

女性拉致容疑事案

被害者:松本京子さん(Kyouko Matsumoto)

(拉致被害時29歳)

※This person was Abduction by North Korea

自宅近くの編み物教室に向かったまま失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において、我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において、北朝鮮側より、北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成18年11月に松本京子さんが拉致認定されて以降政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

[October 21, 1977: Woman abducted]

Abductee: Kyoko Matsumoto (29, female, Tottori Prefecture)

Disappeared on her way to knitting class near her home.

The GoJ requested that North Korea provide information on her case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and at all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Ms. Matsumoto had ever entered North Korean territory.

Since November 2006, when the GoJ officially identified Kyoko Matsumoto as an abductee, the GoJ has repeatedly demanded that North Korea immediately allow her to return to Japan and provide a full accounting of her case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・古都瑞子さんについて》

◆氏名:古都 瑞子

ふるいちみずこ)

(Mizuko Furuichi)

◆通称:古都 洋子

ふるいちようこ)

(Youko Furuichi)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年11月14日

◆生年月日:昭和5(1930)年4月8日

◆性別:女性

◆当時の年齢:47歳

◆当時の住所:鳥取県米子市

◆当時の身分:皆生温泉の中居

◆身長:148cm

◆体重:45kg

◆特徴:色白で面長

◆靴のサイズ:23.5cm

◆失踪場所:鳥取県米子市皆生温泉街またはその周辺

【失踪状況】

通称名は洋子(ようこ)。

午後9時に旅館での仕事を終え、一時帰宅。

その後普段着に着替え出かけるが、その後消息不明。

歌や踊りに長け、地元ではよく知られている。

自宅には近く東京へ行くための切符や、ハンドバッグ、現金、常に持ち歩くポケベルも置いたまま。

北朝鮮から脱北した元踊子による目撃証言がある。

平成19年8月21日、米子警察署に告発状を提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

拉致被害者を必ず救出するぞ!島根県民大会

https://www.youtube.com/watch?v=APKS5m0plLs

《特定失踪者・広田公一さんについて》

◆氏名:広田 公一

ひろたこういち)

Kouichi Hirota)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年7月21日

◆生年月日:昭和29(1954)年1月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市武庫元町

◆当時の身分:日本自動車連盟(JAF)兵庫支部勤務

◆身長:173cm

◆失踪場所:鳥取県大山

【失踪状況】

車で兵庫県尼崎市の自宅を出発し、鳥取県大山への登山に1人で出かけたが行方不明に。

車は大山登山口南川原駐車場に停めたまま失踪。

車に午後6時20分到着のメモを残す。

車内で仮眠したものとして米子警察遭難救助隊が捜索を1週間続けるが手がかりなし。

警察犬は大山寺経堂まで行くがそこからは進まなかった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

《特定失踪者・矢倉富康さんについて》

◆氏名:矢倉 富康

(やくらとみやす)

(Tomiyasu Yakura)

◆失踪年月日:昭和63(1988)年8月2日

◆生年月日:昭和26(1951)年11月23日

◆性別:男

◆当時の年齢:36歳

◆当時の住所:鳥取県米子市

◆当時の身分:漁師。前職はマニシングセンターで国内トップの企業(昭和59年倒産)に勤務し、優秀な技術者だった

◆身長:165cm~170cmくらい

◆失踪場所:鳥取県から島根県の間。美保関と隠岐島の中間地点で漁をする予定だった

【失踪状況】

一人で漁に出発して翌3日朝6時に帰港する予定だったが行方不明。

海上保安庁と漁業組合全員が操業を中止して操業海域を捜索したが手がかりなし。

8月10日に海上保安庁竹島沖南南東25kmで漁船を発見したが、本人の姿はなかった。

左舷前方に他の船と衝突した痕跡があり、青い塗料が付着していた。

失踪3年前まで勤めていた会社は金属精密工作機械を製作する国内トップメーカーで、軍事転用可能な精密工作機械を製作していた優秀なエンジニアだった矢倉さんは、技術指導のために韓国や東欧を含む欧米などへも頻繁に出張していた。

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・上田英司さんについて》

◆氏名:上田 英司

(うえだえいじ)

(Eiji Ueda)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日

◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:予備校生(大学受験生)。ホテルのフロントや喫茶店でアルバイトをしていた

◆身長:175cm

鳥取県西伯郡伯耆町出身

◆特徴:

1)読書が趣味

2)目立つのを嫌がる地味な性格

3)実直で親思い

◆失踪当時の服装:黒いコートに紙袋1つ

◆失踪場所:東京都渋谷区または京都府

【失踪状況】

失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。

黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。

11月初めに実家の荷物を実家の鳥取県から送ったが、いつもは来るはずの「受け取った」という手紙が来ないので不審に思い、電話してみる。

20日頃いなくなったことを知る。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.