もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(22)/大澤孝司さん

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大澤昭一(特定失踪者家族会会長)

《特定失踪者についても理解してほしい》

■特定失踪者も拉致被害者

皆さん、こんにちは。

私の弟は44年前、佐渡の新穂で失踪しました。

弟の拉致の状況は、全く拉致被害者と同様で、当時から拉致に間違いないと言われながら、今日まで認定されていません。

今回、私たち特定失踪者家族会は10家族で参加していますが、この人たちも皆ほとんど拉致被害者と同じような状態で行方不明になっています。しかし、残念ながら認定はされていません。

この家族の人たちは皆各々で運動を続けてきましたが、一向に世間では認められませんでした。それで私たちも、昨年5月に特定失踪者家族会を結成し、現在65家族71名で運動をしています。

私は新潟県在住で、新潟県内の集会には、横田さん、蓮池さん、曽我さんと一緒に、特定失踪者家族として呼んでいただき、特定失踪者とは拉致の疑いのある行方不明者で、家族は救出のために運動を続けているとの理解をいただいています。県内で署名等のお願いの際には、多くの皆様より支援をいただいてきました。

■ICCに提訴

しかし一方で、「特定失踪者とは何だ」、「拉致被害者は17人以外にもいるのか」と言われます。各県で開かれる拉致の集会の場でも、特定失踪者については発言の場もなく、ただ認知もしてもらえない状況でした。

この状況を打破するために、世界中の人たちに日本人拉致の現状を理解してもらうべく、本年1月オランダのハーグで、国際刑事裁判所(ICC)に、日本人拉致は17人だけでなく警察庁調査で880人、調査会調査で540人、国連の調査でも100人に拉致の可能性があると言われています。

私たちは多くの人の名簿を携えて、この人たちの救出を裁判所に申し立てしました。告発は裁判所の発足及び日本の加盟が2007年のため、それ以前の事例には関与できないと、受理はされませんでした。

しかしその時作成した、昭和30年からの発生年順で、年齢、県別、現場別の記載された名簿を全国都道府県知事及び議員連盟、関係各所に配布して状況の把握をお願いしています。

■来年大阪で特定失踪者家族会に発言の場

ここにきて私たち特定失踪者家族会がちょっと理解されたとみえて、大阪府がまず理解を示してくださり、来年1月に大阪で開催する集会では、特定失踪者家族会にも発言の機会をいただき、大阪在住の家族には会場で長年の思いを叫んでもらいます。

本当に私たちが今一番望んでいるのは、特定失踪者について皆様から理解してもらうことです。本日会場に参加の皆さんも、特定失踪者を理解され、各地の集会等でも地元の特定失踪者家族にも呼びかけていただき、今後救出につながっていけるようお願いいたします。

今も北朝鮮には、帰国を夢見て耐え続けている日本人が数十人いると言われています。被害者家族以外の特定失踪者も必死に暮らしています。この長年頑張った彼らの安否状況を一刻も早く集めていただき、私たち家族会にも説明をいただきたいと思います。

■総理は特定失踪者家族とも面会を

私たち家族会は昨年来総理に面会を要請していますが、まだ実現はされていません。しかし、拉致問題の解決は安倍総理の責務だと思いますし、安倍総理にしか解決はできません。

私たちも総理の、「認定未認定に関わらずすべての日本人が帰るまでは拉致問題の解決はない」との言葉を信じます。また先般来、米・韓、米・朝と動きが出てきました。今後はあの国との交渉です。難関が予想されますが、機会を逃さず、また騙されることなく、慎重に、強い交渉を進めてください。

救出に当たっては、拉致被害者、特定失踪者一緒に、生存している日本人すべてを見捨てることなく、一人からでも、一人でも多く、一刻も早く連れ戻してください。私たち特定失踪者家族の願いです。

多くの日本人の帰国があれば、すべての日本人が喜んでくれます。家族も被害者も、残された時間は多くはありません。私たち特定失踪者家族にももう1回抱き合う場面を作ってください。

今後特定失踪者について皆様のご理解をお願いいたします。

本日はありがとうございました。

■大澤孝司さんと再会を果たす会HP

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》

◆氏名:大澤 孝司

(おおさわたかし)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日

◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:新潟県佐渡市

◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務

◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。

当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。

失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。

事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。

元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。

北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。

平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

■大澤孝司さんと再会を果たす会HP

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP

http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.