もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】新型コロナウイルス編[医師インタビュー]/MBS〈大阪〉

f:id:Hanzoandmozu:20200405183825j:plain

新型コロナウイルスに打ち勝って、安心安全に拉致被害者を迎えよう!-

《ウイルスじゃなくて、拉致被害者を返せ!【最前線】新型コロナ“感染者治療”行う医師が語る『1か月での状況変化』『日本の医療崩壊の可能性は?』『人工呼吸器等の増産効果は?』》

【4月4日土曜日】

感染拡大が続く新型コロナウイルス

実際に“感染者の治療”にもあたっている大阪市総合医療センター・感染症内科の白野倫徳医師に、新型コロナウイルス対応の最前線について解説して頂きました。

■すでに現場ではキャパシティオーバーで受け入れられないケースも

MBS(以下・Q):直近1か月間で状況はどのように変わりましたか?

白野倫徳医師(以下・A):まず、大阪でのライブハウスのクラスターで患者さんが一気に急増して、ライブハウスのクラスターはだいたい経過を終えて落ち着いてきたが、最近はどこで感染したのかわからないケースが増えている。海外帰りだったり、ニュースになっている大阪の飲食店だったり。ある程度推測できるケースもあるが、本当にどこで感染したかわからないものが増えている。

Q:4月1日の専門家会議で東京と大阪の感染拡大が指摘されましたが?

A:東京より人口規模は少ないが、(大阪も)同じように、じわじわ増えている印象。このままいくと、東京と同じ状況になる。いったん増え始めると、単純に増えるのではなく、倍々で増えていくので、4から8、8から16、16から32という感じなので、そこがすごく心配。

Q:イタリアやアメリカ・ニューヨークの映像は衝撃的ですが、日本もそうなりかねない危惧を?

A:イタリアと比べると医療機能などはいくぶんマシだと思うが、それに近い状況になるんじゃないかという懸念はある。

Q:病院のキャパシティはどのような状況?

A:病棟としては常に満床に近い状況で、何とか患者さんを割り振ってやりくりしているが、入院の依頼を断ったりしないといけない状況。軽い人は他の病院に行ってもらったり。重症の場合でも、集中治療室で治療している人がいると、次の重症の人が受けられない。心苦しいが、他の機関にあたってもらっているケースもある。

■急激な悪化の“サイン”

Q:志村けんさんの感染と急死で驚いた人も多いですが、急に悪化するというのはこの1か月でわかってきた?

A:実感としては最近かもしれないが、元々は中国の報告を見て予想していたことで、一見軽症に見えても、いったん悪くなると数時間単位で悪くなるというのはやはり経験していた。ただ、高齢の方・持病のある方・ヘビースモーカー・血圧が高い方に限られるのかという印象だったが、最近は若くて元気な人でもそういうケースも出ていて、ますます危機感を強めている。

Q:ヨーロッパで若い人でも亡くなったニュースが出ていますが、中国が発表している“40歳以下の死亡率=1%未満”を一概にあてはめることはできない?

A:中国の中でも武漢を含む湖北省とそれ以外ではだいぶ差があるし、医療機能とか、人々の病院に行くハードルの高さも違うので、一概に比較できないが、ある程度参考になる。中国で武漢があんなことになって、それ以外の地域ではそこまで死亡率が高くないというのは、医療崩壊というのは全国で一斉に起きるものではなく、局地的に起こるものなのかなと。イタリアもそうですし。

Q:医療崩壊を起こさせないためには?

A:新たな感染者を出さないこと。それは政府も東京・大阪の知事も言っているが、人混みを避ける。いわゆる「3密」。新たな感染者を出さないことが1つ。それでも一定の割合で重症になる人もいるので、適切に医療を受けられるように、まず病床・人工呼吸器・「ECMO」の配分などが大事。そして、病床と機械があればなんとかなるものではなく、管理する集中治療に詳しい医師や看護師が適切に配分されることが何より大事。

Q:軽症者の急激な悪化はどうやってわかる?

A:ほとんどは肺炎なので、呼吸の症状が出て、最初は熱・せきが出て、体はしんどくなくて。ご飯をしっかり食べていたが、動くのが嫌になって。ぐったりしてしんどくて、動いたら息が苦しいというのが危険なサインで…報道で見ただけだが、志村けんさんもそういうタイミングがあったのではないかと。収録もできずに帰ったというが、今思えばその時が重症化した時点なのかな。

Q:それまでは自覚がなくても、例えば急に呼吸の回数が多くなったりすることが1つのサイン?

A:そうですね。

Q:軽症の人を入院ではなく隔離するという選択も検討されているが、重症者を見つけていくこととは逆行するような印象もありますが?

A:重症化するかもしれないから軽症の人を全て病院でというのは難しい。軽症の人は、自宅待機なり施設隔離でもいいが常に連絡が取れる状況にしておいて、自宅待機の人でも保健所に一日一回連絡を取るなり、もし持病などがあってかかりつけ医がいるなら連絡をとったり、常に何かあった時にすぐに対応できる体制にしておく必要がある。

Q:ヨーロッパで亡くなった若い人は持病がなかったという報道もあるが、重症化するメカニズムはわかってきている?

A:わかっていることとわかっていないことがある。糖尿病は悪化しやすいと言われているが、それまで糖尿病とわかっていなくて、若くて元気だから病院にも行っていなくて、今回初めて病院に行ったら実は血糖値が前から高かったのではないか、というケースはある。持病に気付いていない人も一定の割合でいるのも事実。

Q:若くして重症になった人の中には危険因子に気付いていなかったことも否定できない?

A:その可能性はある。ただそれを考慮しても、本当に何も持病がない人も一定の割合でいる。

Q:山梨で0歳の乳児の感染が見つかりましたが?

A:中国では新生児の感染も報告はあったので不思議ではなかった。ただ圧倒的に多いのは高齢者。

Q:人工呼吸器の管理など、スタッフの皆さんはどのように仕事をしている?

A:今のところは通常のシフト通りだが、多少該当する部署には応援で人を増やしてもらったりして対応している。

Q:医師に注目が集まりがちですが、看護師など相当数のスタッフが必要?

A:重症患者を1人受け入れると、人工呼吸器やECMOという人工肺装置も使うが、常に機械を扱うのは臨床工学技士だったりするし、患者さんの日々のケアは看護師なので、場合によっては痰がたまると吸引しないといけなかったりするし、ずっと寝ていたら褥瘡(じょくそう)ができるので体位を変えないといけないし、リハビリの理学療法士がサポートしたり。寝たきりの人の場合、筋力が弱るので、とにかく多くのスタッフが関わります。

Q:ECMOや人工呼吸器の増産で対処できるもの?

A:機械がないと始まらないので増産はありがたいが、扱うのは難しいので、それなりに訓練を受けた集中治療の専門医や経験のある看護師が要る。人の配分も同時に考えないといけない。2009年の新型インフルエンザが流行った時に、ECMOが良いらしいと聞いて、ECMOの使用経験がないところまで一斉に使って、不適切な使用に繋がった事案もあったと聞いている。扱いに慣れたスタッフがいるのも最低条件。

Q:いつ終わるかわからない状況についてどのような印象?

A:それが辛いところ。災害だと今までに経験があるし、このインフラが回復したらどうなるとか、だんだん終わりが見えてくるが、この感染症は人類が経験したことのないような状況で、いつまで続くのか見えないのが気持ち的には辛いところがある。

Q:医療者の二次感染も非常に心配ですね。

A:ここのスタッフは心配を常に抱えながら細心の注意を払ってやっているし、恐らくかなり高いレベルで感染対策はしているが、どんなにしっかりしていても穴はある。特に患者さんが増えて忙しくなると、どうしても隙が出てくるので、そこで感染が起きてしまうのが一番怖い。ひとたび職員が感染すると、一緒に休憩室にいたりカンファレンスをしたり、そういった人達も濃厚接触として自宅待機になると現場が回らなくなる。今も多くの病院が外来や入院を閉鎖しているが、当院のように重症の新型コロナ陽性患者を受けているところがそういうことになると、他に受け入れるところがなくなるので懸念している。

Q:公的な病院として普段以上に患者受け入れ要請が行政からあるが、他の市中の病院が治療にもっと手をあげて欲しいと思いますか?

A:大阪府が工夫して、今まで休んでいた病棟を開けたりしているので、大阪府は公的病院以外でも割と受け入れてもらえていると聞いている。今のところ、そこは大阪府が始めたフォローアップセンターの機能が上手くいっていると思う。ただ、これから東京都みたいに感染者が増えた時に、キャパオーバーになるとどうなるのかという懸念はある。大阪はライブハウスのクラスターから始まったところがあるので比較的若い人が多かった。東京の10人の患者さんが出ている総合病院だったり、他の県でも高齢者や障がい者施設でも出ているが、高齢者や障がい者が集まるところでクラスターが発生すると対応が難しくなると思う。

■模索が続く治療方法

Q:重症者の治療薬の模索が続いていますが、治療方針はどのように?

A:今、「アビガン」(ファビピラビル)というインフルエンザの薬を臨床試験という形で使用している。原則は国立国際医療研究センターが出している治療薬の手引きに応じて、酸素を吸う必要があるような中等度以上に限って使っている状況。今後、軽症の人にも使う臨床試験も予定されているが、今、当院では中くらいの症状の人に薬を飲んでもらっている。

Q:手ごたえは?

A:良くなっている人もいるが、正直薬が効いたのか、たまたま本人が元気になっただけなのか、わからない。実感としては効く人には効くなと。効かない人には何をやっても効かない。急激に悪くなる人は適切なタイミングで薬を飲んでもらっても食い止めることはできないような感じです。

Q:「アビガン」をはじめとする薬の効果の結果はいつ頃出る?

A:直接は把握していないが、数か月はかかる。今から患者さんが来て、使って、割り振って、データをまとめるので。

Q:現時点で患者さんの治療は、人工呼吸管理かアビガンか支持療法かという状況?

A:一概に選ぶものというか、全部まとめて行うこともある。方針は(1か月前と)大きく変わっていなくて、軽症の人は経過観察か必要に応じて症状を抑える薬。中等度以上は「アビガン」。「デムデシベル」(エボラ出血熱の薬)というのは日本では承認されていない薬で、アメリカでインフルエンザ治療薬として開発されたもの。それを臨床試験として使用する動きは出ている。当院でも試験に参加するかは保留中。あと、他の薬剤でも効果あるのではと。マラリア薬の「クロロキン」とか、抗凝固剤やBCGがいいのではとあるが、もう少しデータが集まるのを見ながら慎重にと思っていて、(候補の薬が)出たからすぐに飛びつくわけではない。ぜんそく薬も言われたが、在庫が少ないので積極的には使っていないが、ケースバイケースで使ってもいいのでは。

Q:特効薬がない中、どの薬を使うかは難しい判断?

A:よくインフルエンザと比較することが多いが、インフルも重症化する時はするし毎年冬に流行っているが、インフルは治療薬もあるしワクチンもあるしすぐに診断できるキットもあるので、トータルで考えるとマネジメントしやすい。コロナは確実な薬もないしワクチンもない。迅速診断キットもいろいろ開発されてきて徐々に使えるが、まだ十分とは言えない。どうしても診断も治療も手探りになる。しかもワクチンもないので、自分達を守ることができないので、不安の中で治療しているのが実態。

Q:4月2日時点で、病院で最大で何人の患者を診ている?

A:のべでいうと30人以上です。

Q:重症化の人も?

A:そうですね。大体2割くらいの人が重症で。退院された人もいる。

Q:中国で抗体の話も出ていて、取り寄せるなどいろいろ言われているが?

A:抗体は他人の血液なので、HIVB型肝炎などなんらかの感染症もゼロではない。何らかのアレルギー反応が起こることもあるので、そこは賛否両論。積極的に是非みんなで使うものではないと思っている。

■「感染防御」と「共存」

Q:コロナについて、最初に出てきた情報から今に至るまで、感染症の専門家としてどんな印象?

我々は2002年などのSARSや2013年のMARSを経験していたので、当初はあんなものかと思っていたが、はるか想像の上をいく広がり、重症度。今、改めて1月くらいのニュースで自分達を含む専門家が何を言っていたのか検証してみたりするが、「インフルに毛が生えた程度」と言われていた。間違いではないし、確かに当時ではそうだったが、多くの人にとって想像以上の社会へのインパクトだった。

Q:かつての様々なウイルスのように人類が打ち勝つことができる?

A:打ち勝つというより、ある程度共存する方なのかなと。新型インフルエンザでも、ある程度まで封じ込めて、もう無理となったらどこの医療機関でもみられるし、入院しなくてもいいし。当時新型だったH1N1のものが毎年のように流行るが、誰も大騒ぎしない、そんなふうになるのかなと。ただ、持病がある人や高齢者が重症化するのは間違いないので、これまで以上に個人個人の「感染防御」という考え方を強く意識する必要があると思う。そういった中で共存していく。当時のインフルと違うのは、薬もないしワクチンもないしすぐに診断できるものもない。当時はそれが全て揃っていた。新型とはいってもインフルAなので、診断キットもある程度有効だったし、タミフルなどの抗インフルエンザ薬も効くとわかっていたし。ワクチンも開発の目処が立っていたので、早い段階で共存しようとなった。しかし、新型コロナは諦めるには早い段階。少しでも抑えつつ、ワクチンや薬が出てくるのを待つというフェーズだと思う。

Q:薬やワクチンはできる?

A:そうですね。開発は詳しくはないので何とも言えないが、ウイルスの薬は基本的に難しい。細菌は抗生物質が効くが、ウイルスは効かない。昔から風邪に効く薬はないというが、ウイルスは単純だから、単純だからこそ容易に変異するので。なかなか薬の開発は難しい。

Q:政府の布マスク配布についての印象は?

A:不織布のマスクに比べると良くはないが、仕方がないのかなと。洗って使えるし。2枚というのはどうなのかなと。家族いるところはどうするんだと突っ込みも入る。

■周囲の人が亡くなる危機感を強く持って

Q:このウイルスとの闘いについて思うことは?

A:いつかそういう日が来ると思っていて、ここまで大きいとは思っていなかったが、それなりに感染症に忙殺される時期は、SARS・新型インフル・エボラとか、社会を揺るがす感染症は一定の割合で襲ってくる。今起こっていることは史上初のことばかりで。センバツが中止っていう時点でそんなことが起こるんだと思ったが、オリンピック延期も。2月くらいから、このままだと考えなくてはと思っていたが、現実になると歴史の中で無かったことが起こる。恐怖としてとらえている。それだけの凄いことが起きている。

Q:ここまで感染が広がっている中、行動を変えられない人がいるが?

A:若い人の多くは、なったとしても症状が軽いし、そもそもならないことも多いので、実感としてわからないとは思う。確かに志村さんが亡くなられたことは凄いインパクトがあって、ちょっと前まで元気だった両親やおじいちゃんおばあちゃんが急に亡くなるかしれないということを強く感じるエピソードだったと思う。自分の周りの人が新型コロナで亡くなることも十分にある。そう考えたら、必要な外出はいいが、それ以外の外出は控えないと。もっと強く危機感を持っていただきたい。

Q:そうしないと都市封鎖になりかねない?

A:経済の専門ではないので迂闊なことは言えないが、経済活動がこれ以上停滞するのは問題だと思うし、気持ちはわかるが、でもここで封じ込めないともっと大変なことになる。都市封鎖になるともっと経済は停滞するし、長引けば長引くほどそれが続く。今我慢して封じ込めるしかないのかなと思う。

Q:公的な総合病院のジレンマもあると聞きますが?

A:風評被害というか、公立病院なのである程度受けないといけないが、ここにコロナの患者が来ていると言われると、他の患者さんが不安になったりとか外来に行くのが嫌だと受診を渋ったりするケースが出てくる。不安だと。「病院に入院しているんでしょ」「エレベーターで一緒になるのでは」と心配する声があるが、そんなことはない。こういう病院だからこそ動線を分けているし、熱が出て病院に来た人もすぐに振り分けて、大勢の所に行かないシステムになっているし、もし感染がわかったら一般の人とは違うエレベーターを使うなどの体制はできている。院内感染の可能性は極めて低い。対策はしっかりやっていると強調したい。

Q:終息の目処はいつ頃だと?

A:終息はないんじゃないか。ある程度抑えられたところがその時。別の報告では、今までのコロナのパターンをみると、夏場に減って冬場に増える。コロナは低温と乾燥の状況を好むので冬の方が多い。まただらだらと減って、また増えてというのが続くのではないかと。

※このインタビューは2020年4月2日に行ったものです。

厚生労働省HP-新型コロナウイルス感染症について-

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000164708_00001.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■大阪拉致議連HP

https://sites.google.com/site/rachigirenhp/

■大阪ブルーリボンの会HP

http://osaka-blueribbon.org/

■大阪ブルーリボンの会facebook

https://facebook.com/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AE%E4%BC%9A-1426622447605623/

■大阪ブルーリボンの会クラブユースfacebook

http://fr-fr.facebook.com/obr.clubyouth/

救う会大阪HP

http://mid.parfe.jp/kannyo/sukuukai/top.html

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■荒木和博BLOG

http://araki.way-nifty.com/araki/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

◆昭和55(1980)年6月中旬

辛光洙シン・グァンス)事件

被害者:原 敕晁さん(Tada-aki Hara)

(拉致被害時43歳)

※This person was Abduction by North Korea

宮崎県内で発生。

本件については、北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)が韓国当局に対し、原さん拉致を認める証言をしている。

捜査当局は辛光洙について、これまで原さんに成りかわった容疑で逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求してきたが、平成18年4月には、新たに拉致容疑の主犯として逮捕状が発付されている。

北朝鮮側は身柄の引渡しに応じていないどころか、同人を「英雄」として称えている。

また、捜査当局は原さん拉致容疑の共犯者である金吉旭(キム・キルウク)についても逮捕状の発付を得ており、国際手配を行うなどの所要の措置を講じている。

北朝鮮側は、原さんは1984(昭和59)年に田口八重子さんと結婚し、1986(昭和61)年に肝硬変で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

※「辛光洙は原 敕晁さんになりすますために、原さんについてのあらゆることを調べあげた。それこそ、チャーハンの作り方まで調べあげた」

(石高健次さん)

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

宮崎県警HP

http://www.pref.miyazaki.lg.jp/police/

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による原 敕晁さん拉致事件の解説】

昭和55年(1980)年6月中旬、当時大阪市天王寺区の中華料理店『宝海楼』に勤めていた原 敕晁(はら・ただあき)さん(当時49歳)が北朝鮮工作員辛光洙の主導により、『宝海楼』店主の李三俊らによって宮崎市青島の橘ホテルで飲食させられた後、海岸まで誘い出されて拉致された。

辛光洙北朝鮮に帰国して工作員の再教育を受けていた際、指導部の幹部から「日本人を拉致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、李吉炳(在日朝鮮人大阪府商工会長)、李三俊(在日朝鮮人大阪府商工会元理事長)らと計画を練り、李三俊が経営する中国料理店『宝海楼』のコックとして勤務していた原さんに対し「良い職場を世話する」とだまして宮崎県日南市の青島海岸まで連れ出し、橘ホテルで飲食させて酔わせ、海岸に連れ出した後、「こどもの国」付近の海岸で工作員らに引き渡し、辛光洙も同行して北朝鮮に拉致していった。

このあと辛は、原さんを監禁した招待所で原さんから本人の経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして同年11月、再び日本に密入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ渡航するなどしてスパイ活動を続けていた。

辛は昭和60年(1985)2月26日ソウルで逮捕された。同年6月28日付『朝日新聞』の記事には次のように記載されている。

[以下、記事引用]

(国家安全企画部)の発表によると、主犯の辛は北朝鮮の最高首脳から「日本人をら致し、本人になりすまして在日工作を続けよ」との指令を受け、八〇年四月、李三俊・在日朝鮮人大阪府商工会元理事長らと計画を練り、李氏が経営する中国料理店「宝海楼」=大阪市天王寺区下味原=に勤める日本人コック原 敕晃(ただあき)さん(四九)が独身で身寄りの少ないことに目をつけた。八〇年六月、原さんを「良い職場を世話する」とだまして宮崎県青島にある李吉炳・在日朝鮮人大阪府商工会長所有の別荘に連れ込んだ。さらに青島海水浴場の児童公園に誘い出したうえ、ここで待ち構えていた北朝鮮工作員四人と力ずくで口をふさぎ、手足をしばった後、袋に入れて八人乗りゴムボートで五百メートル沖に待機していた北朝鮮工作船に移し、辛が同行して北朝鮮へ連れ去ったという。このあと辛は、原さんの経歴、家族の構成、過去の生活から中国料理法までマスター、完全に本人になりすまして、八〇年十一月、日本に不法入国し、原さん名義の旅券、運転免許証、国民保険証などの発給を受け、韓国へ来るなどしてスパイ活動を続けていたという。

[Mid-June 1980: Sin Kwang-Su case]

Abductee: Tadaaki Hara (43, male, Miyazaki Prefecture)

Disappeared in Miyazaki Prefecture.

North Korean agent Sin Kwang-Su has confessed to authorities in the Republic of Korea that he was responsible for the abduction of Mr. Hara. Japanese authorities issued an arrest warrant for Sin Kwang-Su as the person responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ has demanded that Sin Kwang-Su be extradited to Japan, and in April 2006 issued a new arrest warrant that names him as the main suspect in this abduction case. Showing no willingness to extradite him to Japan, North Korea has instead honored Sin Kwang-Su as a hero. Japanese authorities have also issued an arrest warrant for Kim Kil-Uk, believed to be a co-conspirator in the abduction of Mr. Hara, and are working on the steps necessary to list him with Interpol.

North Korea asserts that Mr. Hara married Yaeko Taguchi in 1984 and that he died of hepatic cirrhosis in 1986. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・阿比留健次さんについて》

◆氏名:阿比留 健次

あびるけんじ)

Kenji Abiru)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月

◆生年月日:昭和20(1945)年2月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:大阪府大阪市港区

◆当時の身分:運送業(運送の仕事がないときは日雇いの仕事もしていた)

◆身長:165cm

◆体重:58kgくらい

◆特徴:

1)耳に黒いホクロ

2)大型・普通・自動二輪・牽引・高圧ガス移動監視者講習修了

3)飲酒・喫煙する

◆失踪場所:大阪府大阪市港区。大阪南港近く

【失踪状況】

車(トラック)持ち込みで働いていた。

昭和50年夏に弟が会って以来音信不通。

昭和52年頃、弟が電話をかけたが不通。

昭和55年1月に警察から家族に車が放置されているとの連絡があった。

父と妹が家に行くと、古い免許証があった。

以後行方不明。

《特定失踪者・植村留美さんについて》

◆氏名:植村 留美

(うえむらるみ)

(Rumi Uemura)

◆失踪年月日:平成7(1995)年3月26日

◆生年月日:昭和46(1971)年7月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府堺市美原区

◆当時の身分:無職

◆身長:165cm

◆体重:74kg

◆特徴:

1)近視

2)色白

3)小太り

◆靴のサイズ:24.5cm

◆失踪場所:大阪府南河内郡美原町の自宅付近

【失踪状況】

同日朝6時ごろ、散歩に出たまま行方不明。

昼頃、駅など心当たりを探したが見つからないので夕方に警察に届けを出す。

近所の人たち、父の会社の社員など30人で川、山、小屋、空き家などを10日ほど探すが手がかり、目撃者なし。

当時、軽装で遠出する服装でなく、財布、バックも持たない。

《特定失踪者・江藤健一さんについて》

◆氏名:江藤 健一

(えとうけんいち)

(Kenichi Etou)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年8月19日

◆生年月日:昭和28(1953)年5月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:千葉県千葉市幕張町(現・千葉県千葉市花見川区幕張町)

◆当時の身分:会社員・千葉大工業短期大学部印刷工学科2回生

◆身長:175cm

◆特徴:

1)面長

2)体型は普通

3)小指の片方が曲がっている

4)髪の毛は縮れ毛

5)瞼は一重

◆失踪場所:千葉県千葉市幕張町?

【失踪状況】

失踪当日朝8時、本人から東京都内の勤務先であるセントラル・プロセスに「明日から出社する」旨の電話を入れた後、行方不明となる。

8月29日に友人3人がアパートに来たが留守。

次の日の正午まで待つが帰らず。

直前の8月13日、大阪の実家に帰省している。

高校を卒業して就職。

入社後、会社勤務のかたわらで、千葉大工業短期大学部に入学した。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・沖田徳喜さんについて》

◆氏名:沖田 徳喜

(おきたなるき)

(Naruki Okita)

◆失踪年月日:平成15(2003)年2月1日

◆生年月日:昭和35(1960)年4月14日

◆性別:男

◆当時の年齢 :42歳

◆当時の住所:広島県安芸郡倉橋町

◆当時の身分:海運業(自営で貨物船を所有し、乗組員は弟)

◆5級海技士(航海と機関)と4級小型船舶士の資格あり

◆身長:167cm

◆体重:75kg

◆特徴:

1)中肉中背

2)左頬にほくろ

3)右こめかみに小豆大のイボ

4)目が二重で大きい

5)趣味はゴルフ、大工仕事、パソコン

6)喫煙する、酒はよく飲む

7)ゴルフの他、スポーツはバレー、ソフトボールをする

8)肩で風を切るような歩き方をする

◆失踪場所:大阪府大阪市大正区の大阪港

【失踪状況】

2月1日、大阪の泉北で荷物を半分揚げ、午後3時半頃大阪鉄鋼埠頭に入港。大阪で行きつけの居酒屋に2軒行き、車で岸壁の近くの水門の前まで送ってもらった。

翌々日の2月3日に残りの荷物を揚げる時間になっても姿を現さず。

当初、海に転落したと思い、2月4日から5日間ダイバーによって海中を探し、海上保安庁、水上警察、親類、知人がボートを出して付近を探したが見つからなかった。

その付近は表面は流れがあるが潮の流れがなく、ほとんど見つかるとのこと。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・尾上民公乃さんについて》

◆氏名:尾上 民公乃

(おのうえみこの)

(Mikono Onoue)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月6日

◆生年月日:昭和41(1966)年11月26日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:大阪府八尾市

◆当時の身分:スナックのアルバイト

◆身長:161cm

◆体重:49kg

◆血液型:O型

◆失踪場所:大阪府大阪市南区(現中央区)心斎橋

【失踪状況】

5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。

その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。

その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。

尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。

翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。

ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。

車内は無人で、遺体は発見されていない。

車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

《特定失踪者・賀上大助さんについて》

◆氏名:賀上 大助

(かがみだいすけ)

(Daisuke Kagami)

◆失踪年月日:平成13(2001)年12月22日

◆生年月日:昭和53(1978)年8月17日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府大阪市淀川区、阪急十三駅近くの社員寮

◆当時の身分:会社員

◆身長:169cm

◆体重:64kg

◆特徴:

1)左目下に小さいほくろ

2)近眼

3)本来は左利きだが筆記と箸は右

4)虫垂炎の手術跡

5)音楽好きでピアノが弾ける

◆失踪場所:大阪府大阪市の会社の寮

【失踪状況】

22日午後2時頃帰寮したのを防犯カメラで確認。

午後9時に電子メールを出している。

午後10時18分、部屋のドアを施錠したあと、足取り不明。

夜出歩くタイプではない。

眼鏡、携帯充電器が残されている。

財布、携帯電話くらいしか持って出ていない。

預金も手つかず、携帯からの発信は22日午前零時以降なし。

友人との約束、上司との会話から年末は徳島県の実家に帰るつもりでいたことが窺える。

帰省に備え預金5万円を別の銀行に移している。

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

《特定失踪者・金田祐司さんについて》

◆氏名:金田 祐司

(かなたゆうじ)

(Yu-ji Kanata)

◆失踪年月日:平成8(1996)年8月22日

◆生年月日:昭和35(1960)年7月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:36歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:学生

◆直近の職業:直前まで大阪府職員

◆身長:164cm

◆体重:55kg

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

平成8年7月、MBA資格取得のため関西空港から渡米。

8月14日に留学先のロサンゼルス着の電話が実家にあったが、24日に「病気になったので帰国して治療する」との手紙(19日付)が堺市の実家に届く。

入管、関空に問い合わせると、20日に関空に帰国していることが分かった。

帰国後、大阪など数カ所のATMで現金を引き出し、防犯カメラの記録映像から本人と確認されているが、堺市の実家に帰らず、連絡もなかった。

《特定失踪者・亀谷博昭さんについて》

◆氏名:亀谷 博昭

(かめたにひろあき)

(Hiroaki Kametani)

◆失踪年月日:昭和61(1986)年1月11日

◆生年月日:昭和37(1962)年7月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:会社員・精密機器組み立て

◆身長:168cm

◆体重:55kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左頬口下に直径2mmくらいのほくろ

2)差し歯がある

3)趣味は旅行、マラソン

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

失踪前日の深夜12時頃、自宅に遅くなる旨の電話があり、午前2時(失踪当日にあたる)に帰宅した。

翌朝、いつもと全く変わった様子なく、いつも通り7時20分の電車に乗るべく家を出たが、会社から出勤していないとの連絡が自宅に入り、以後消息不明。

それまでは無遅刻・無欠勤であった。

4月以降数年間、無言電話があった。

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

《特定失踪者・川満敏弘さんについて》

◆氏名:川満 敏弘

(かわみつとしひろ)

(Toshihiro Kawamitsu)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年5月

◆生年月日:昭和13(1948)年11月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:33歳

◆当時の住所:愛知県名古屋市港区

◆当時の身分:車両メーカーの荷役。その前は神奈川県座間市で自動車メーカーの季節労働者

沖縄県出身

◆身長:160cmくらい

◆特徴:

1)痩せ型

2)四角顔

3)浅黒

4)左右いずれかの目頭に切り傷有り

5)世話好きの性格だった

◆失踪場所:大阪府寝屋川市の妹宅を出て

【失踪状況】

妹の出産見舞いで大阪府寝屋川市に来た時は明るかったが、それを最後に失踪した。

季節工の他に名古屋市内で荷役の仕事をしていた。

同じ沖縄出身の人が複数いたが仕事が終わって皆沖縄に帰り、川満さんだけが残った(残った理由は不明)。

愛知県名古屋市か神奈川県で働くと言い残し失踪。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・木村秋男さんについて》

◆氏名:木村 秋男

(きむらあきお)

(Akio Kimura)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年頃

◆生年月日:昭和23(1948)年12月19日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府堺市南島町

◆当時の身分:無職(運輸会社退職直後)

◆身長:167cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)やや細い

2)片足に骨折痕

3)原付バイク免許あり

◆失踪場所:大阪府堺市

【失踪状況】

昭和46年頃、姉が京都にいたとき友人とともにやってきたのが家族の会った最後。

堺市の会社を友人3人と一緒に辞めたようで、社員寮を出てアパートで生活していた。

その後消息がない。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・小丸勝義さんについて》

◆氏名:小丸 勝義

(こまるかつよし)

(Katsuyoshi Komaru)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年4月10日

◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:造船会社社員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)右肩の中心に縫った痕がある

2)子供の頃のけがで左眉の中心に縫った跡が残っている

3)細面

4)浅黒

◆失踪場所:東京都または京都府舞鶴市

【失踪状況】

大阪の大学を卒業して舞鶴の造船会社に就職が決まり、東京本社で研修を終えて赴任地舞鶴までの切符をもらって以後行方不明。

汽車に乗ったのかどうかも分からない。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・坂本英明さんについて》

◆氏名:坂本 英明

(さかもとひであき)

(Hideaki Sakamoto)

◆失踪年月日:昭和42(1967)年11月20日

◆生年月日:昭和10(1935)年11月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:大阪府大阪市西区の社員寮

◆当時の身分:会社員。その前は航空自衛隊に6年勤務。

◆身長:165cm

◆体重:50kg

◆特徴:

1)たばこを1日10本くらい吸う

2)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府大阪市西区立売堀

【失踪状況】

免許の更新に行くと言って会社の独身寮から外出したまま外出したまま戻らず。

更新の手続きはされていなかった。

高校卒業後、山口県防府市航空自衛隊に6年勤務し、その後運送会社に務める。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

《特定失踪者・崎山 実さんについて》

◆氏名:崎山 実

(さきやまみのる)

(Minoru Sakiyama)

◆失踪年月日:平成元年(1989)年11月24日

◆生年月日:昭和39(1964)年5月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区

◆当時の身分:会社員

沖縄県名護市出身

◆身長:165cm

◆血液型:O型

◆足のサイズ:25.5cm

◆特徴:

1)小柄

2)猫背ぎみ

3)八重歯

4)近視

5)飲酒する

◆失踪場所:大阪府

【失踪状況】

突然家族との連絡がとれなくなった。

勤務先の会社から「無断欠勤している」と沖縄の家族に連絡があった。

大阪のアパートを見に行くと、洗濯機は途中で、カバンや眼鏡も部屋の中に残っていた。

荷物はそのままだった。

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・佐藤益一さんについて》

◆氏名:佐藤 益一

(さとうますいち)

(Masuichi Satou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年6月15日

◆生年月日:昭和20(1945)年3月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:大阪府池田市の社員寮

◆当時の身分:会社員(日立製作所勤務)

◆身長:163cm

◆特徴:

1)痩せ型

2)縮毛

3)山歩きが好き

◆失踪場所:大阪府池田市か?

【失踪状況】

6月13日、電話で守口市の姉に「友達に誘われて淡路島に行く。ボーナス支給日の前で銀行預金に手を付けたくないので」と言って金を借りた。

背広のポケットから同日付のフェリー切符が見つかる。

この後淡路に行ったのか、一度寮に帰って14日に行ったのか、14日に一旦戻ってきてから失踪したのかは不明。

6月15日、会社から実家に「出社していない。勤務態度が真面目だったので無断欠勤するはずがない」と電話があって失踪が判明。

警察、会社も探したが足取りが掴めなかった。

池田警察署で付近の川・池・沼を捜索、親族で箕面公園一帯を捜したが見つからず。

その後会社には「益一さんはもう会社には行かない」という電話があり、名前を名乗ったがその苗字の人は会社にも高校にもいなかった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・高木茂久さんについて》

◆氏名:高木 茂久

(たかぎしげひさ)

(Shigehisa Takagi)

◆失踪年月日:昭和36(1961)年8月10日

◆生年月日:昭和15(1940)年3月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:同志社大学商学部3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)似顔絵を書いたり絵を描くのが上手

2)煙草を吸う

3)野球が好き

4)ゴルフを始めた頃に失踪

◆失踪場所:福井県小浜市の海水浴場

【失踪状況】

友人の女性とよく福井県小浜の海水浴場に行っていた。

失踪前日にその彼女と遊びに行くと言って、特に大金や所持品も持たず大阪の自宅を車で出かけたが、女性とともに行方がわからなくなった。

友達の女性と大阪市内の自宅から小浜の方によく泳ぎに行ったりしていた。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・高見 到さんについて》

◆氏名:高見 到

(たかみいたる)

(Itaru Takami)

◆失踪年月日:平成15(2003)年10月5日

◆生年月日:昭和34(1959)年10月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:43歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大阪府商工労働部・産業デザインセンター勤務のデザイン技師(地方公務員)

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆血液型:B型

◆虫歯は1本もない

◆特徴:

1)視力は0.2程度で眼鏡、コンタクトレンズ使用

2)飲酒する

3)無口で物静かだが仲間の集まりでは明るくふるまっていた

4)趣味はオーディオで、オーディオアンプも組み立てる

5)レアレコード等の収集や旅行も趣味

◆失踪場所:兵庫県尼崎市

【失踪状況】

平成15年10月6日、職場を無断欠勤。自宅マンションの部屋は日常生活そのままで、今にも帰ってくるような状態であった。

銀行通帳、キャッシュカード、運転免許証、健康保険証、印鑑、全て室内に置かれたまま。持って行ったのは通常使用している、財布、私用の手帳、通勤定期券のみ。

外出、通勤時は必ずコンタクトレンズを使用していたが、それも置いたまま。室内で日常使用する眼鏡はなかった。

5日に阪急塚口駅前のりそな銀行塚口支店で15時14分に現金21万円を引き出していたことが後に分かった。

10月下旬には父親が自宅マンションを訪ねる予定だった。

母親の13回忌を12月に行うことになっており、本人は必ず東京に来ると言っていた。

平成14年頃から大阪市立大学の教授と研究を行い、平成15年に大阪府の商工労働部の事業で採用された。

4月から準備を始め、10月にスタートしたとき失踪。

静岡県警HP

http://www.pref.shizuoka.jp/police/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・竹内久美子さんについて》

◆氏名:竹内 久美子

(たけうちくみこ)

(Kumiko Takeuchi)

◆失踪年月日:昭和50(1975)年3月23日

◆生年月日:昭和37(1942)年2月25日

◆性別:女性

◆当時の年齢:13歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区

◆当時の身分:小学校卒業直後

◆身長:158cm

◆血液型:B型

◆特徴:右足ふくらはぎに5cmの薄い火傷痕

◆失踪場所:大阪市住吉区

【失踪状況】

当日15:20頃「靴下を履き替える」と言った。

その後貯金箱を揺らす音がした。

それ以後行方不明。

2カ月程前から「私に誰かから電話がなかった?」と何度も聞いた。

自宅の電話料金が1月から急に高くなった。

《特定失踪者・武内 卓さんについて》

◆氏名:武内 卓

(たけうちたかし)

(Takashi Takeuchi)

◆失踪年月日:平成8(1996)年1月14日

◆生年月日:昭和32(1957)年1月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:38歳

◆当時の住所:神奈川県横浜市鶴見区

◆当時の身分:警備員

◆身長:179cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)近視

3)髪が薄い

4)車が大好き

5)移動式クレーン免許保有

6)特殊無線技士

7)趣味は音楽

◆失踪場所:神奈川県愛甲郡清川村丹沢大山国定公園

【失踪状況】

平成7年9月1日にアメリカより帰国し、11月29日に横浜市鶴見の寮に入り12月1日に横浜市で警備員の仕事に就く。

翌年1月12・13日の連休にレンタカーを借りて出かける。13日夕方に車を返す予定だったが、同日夕方に返却を1日延ばして欲しい旨の連絡がレンタカー会社に入るが翌日になっても戻らず。

14日の夜からは夜勤があった。

レンタカーは神奈川県の丹沢大山国定公園の駐車場で発見され、警察でも山を中心に捜索を行なった。

1月23日朝に勤務先から高知県の実家に電話があって失踪したことがわかった。

寮の部屋に変わったことはなかった。

車は神奈川県の大山の麓のガソリンスタンドから1時間ほどのところに置いてあり、レンタカーの中には本人のジャンパーと地図、パンなどを食べた包紙があった。

また、14日朝8時に丹沢の山麓のガソリンスタンドで満タン給油したレシートもあった。

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

《特定失踪者・巽 敏一さんについて》

◆氏名:巽 敏一

(たつみとしかず)

(Toshikazu Tatsumi)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年7月3日

◆生年月日:昭和18(1943)年8月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:16歳

◆当時の住所:大阪府大阪市城東区

◆当時の身分:工業高校機械科

◆身長:170cmくらい

◆特徴:

1)がっちりした体格、太ってはいない

2)顔は柔和な感じ

3)スポーツはしていなかったが、野球観戦が好きだった

◆失踪場所:大阪市城東区の自宅を出て

【失踪状況】

日曜日の昼頃、梅田で行われる高校の映画鑑賞会に行くために大阪市内の自宅を出たと思われたが、映画館には姿を見せなかった。

京橋へ出るのに京阪電車で行くかバスで行くか迷っていたので、姉はバスを勧めた。

当時学生服姿で財布くらいしか持っていなかった。

自宅からその映画館へ向かったと思っていたが、そこへは現れず、そのまま失踪。

《特定失踪者・種子雅也さんについて》

◆氏名:種子 雅也

(たねこまさや)

(Masaya Taneko)

◆失踪年月日:昭和63(1988)年3月6日

◆生年月日:昭和36(1961)年1月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:大阪府大阪市西淀川区の会社の独身寮

◆当時の身分:会社員(金属会社の経理課)

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)趣味は鉄道・航空で、航空機と交信できるトランシーバーを持つ

2)剣道、スキー、テニスもやる

3)酒は少々飲む

4)爪を噛むためいつも爪が短い

◆失踪場所:大阪府大阪市

【失踪状況】

3月7日(月曜日)に会社を無断欠勤したので、会社の人が部屋に様子を見に行く。

次の日も欠勤したので、東京の家に「実家に帰っていないか」と連絡がくる。

両親が本人の部屋を見たところ、洗濯物が干してあり、自家用車、免許証、銀行預金通帳、印鑑、会社の預金通帳がそのまま残されていた。

前日(日曜日)は夕食を摂り、部屋にいたことを隣の部屋の人が確認している。

失踪2日後に歯医者の予約をしており、1週間後には会社の友人とのスキーへ行く予定だった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・沈 静玉さんについて》

◆氏名:沈 静玉

(ちんせいぎょく)

(Seigyoku Chin)

◆生年月日:昭和38年(1963)5月12日

◆失踪年月日:昭和62年(1987)2月

◆性別:女性

◆国籍:台湾

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の職業:不明

◆身長:163cm

◆体重:43kg

◆血液型:A型

◆最終失踪関連地点:大阪府堺市(失踪当時の住所)

【失踪状況】

昭和59年(1984)に台湾から来日し、同年4月から昭和60年(1985)3月まで大阪市内の日本語学校、昭和60年4月から昭和61年(1986)3月まで同じく大阪市内の短大に在学していた。

昭和62年(1987)2月、前月に亡くなった祖父の葬儀に帰国しなかったことから家族が日本の身元引受人に連絡し、部屋を見に行ってもらったところ、部屋は食事(弁当)をしたままの状態で身の回り品はそのまま残されていた。

踪前の2月12日には査証の延長手続きのため大阪市亜東関係協会大阪事務所(台湾の領事館)を訪れていたことが判明しており、失踪はこの日以降と思われる。

調査会では設立間もなくの平成15年(2003)春に関係者を通じて台湾のご家族から調査の依頼を受け、これまで非公開で調査を実施してきたが今回、ご家族の了承が得られたことから公開することとなった。

調査会としては、沈静玉さんが失踪した年代(昭和60年前後)に各地で若い女性が多数失踪していることを始めいくつかの要素から拉致の可能性を排除できないと考えるものである。

《特定失踪者・永田 進さんについて》

◆氏名:永田 進

(ながたすすむ)

Susumu Nagata)

◆失踪年月日:昭和39(1964)年8月25日

◆生年月日:昭和18(1943)年2月13日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府大阪市住吉区の会社の寮

◆当時の身分:会社員

◆身長 170cm~172cm

◆特徴:

1)右足に3歳のときの火傷痕

2)おとなしく、口数は少ない

◆失踪場所:大阪市住吉区長居東

【失踪状況】

近くの銭湯に行くと言って1人で寮を出たまま行方不明。

1967年9月~10月頃、本人のペンフレンドの女性(関西方面在住)の手紙を見つけ、状況をしたためたが、返事なし。

《特定失踪者・福山ちあきさんについて》

◆氏名:福山 ちあき

(ふくやまちあき)

(Chiaki Fukuyama)

◆失踪年月日:平成3(1991)年11月3日

◆生年月日:昭和48(1973)年9月16日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府大阪市浪速区

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:156cm

◆体重:45kg~46kg

◆特徴:

1)右の目の上のまぶたの上に子供の時ベッドから落ちたときの傷がかすかにある

2)前歯は2本少し大きい

◆失踪場所:大阪市

【失踪状況】

失踪当日午前6時頃、キャラクター・ショーのアルバイトのため、大阪市浪速区の自宅を出かけ、自転車で地下鉄御堂筋線大国町駅まで行って奈良のあやめ池遊園地へ向かった。

仕事が終わり、いったん淀川区の会社に寄って、アルバイト先の友人と御堂筋線で帰途についた。

午後6時20分に大国町の一つ先の動物園前で友人と別れている。以降行方不明。

その時「(ショーのときに着用する)スパッツを買いに行こうかな」と言っていた。

午後10時半頃、ボーイフレンドから自宅に電話があった。

ちあきさんと電話をする約束をしていたが、本人は帰宅せず。

自転車は大国町の駅近くの自転車置き場に残されていた。

就職も決まっていた。

生活道具は一切そのまま。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・藤山恭郎さんについて》

◆氏名:藤山 恭郎

(ふじやまやすろう)

(Yasurou Fujiyama)

◆失踪年月日:昭和57(1982)年12月14日

◆生年月日:昭和35(1960)年1月13日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府大阪市東淀川区

◆当時の身分:大学中退直後

◆血液型:B型

◆身長:170cmくらい

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:大阪府大阪市

【失踪状況】

昭和57(1982)年12月14日、本人から実家に荷物と手紙が来てそれ以来、音信不通。

親子関係は良好だったが、昭和57年夏、帰省中に大学を中退したい、郵政省の試験を受けたいなどと話す。

昭和57年12月9日大学に中退届け。

失踪後約1年間、毎月15日前後に呼び鈴が2~3回なりすぐ切れる電話があった。

一度、父親が出ると声が聞き取れずにすぐに切れた。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

《特定失踪者・山内和弘さんについて》

◆氏名:山内 和弘

(やまうちかずひろ)

(Kazuhiro Yamauchi)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年12月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年10月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼のため度の強いメガネを使用

2)髪がやや縮れている

3)趣味は野球

◆失踪場所:大阪府堺市の自宅

【失踪状況】

12月28日の夜か早朝家を出た模様。

机の中には大学受験の共通一次の受験票や二次の受験用申し込み書がカッターで切ってあった。

《特定失踪者・山口浩一さんについて》

◆氏名:山口 浩一

(やまぐちこういち)

Kouichi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年5月

◆生年月日:昭和29(1954)年9月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:大阪府東大阪市

◆当時の身分:高校生

◆身長:168cm

◆体重:60kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左利き

2)どちらかの肩に10円から500円玉大のアザがある

3)中学生の頃からスキーを始め、高校時代はインターハイに出場した

◆失踪場所:青森県十和田湖か?

【失踪状況】

交際相手の女性(非公開)と、それぞれの家族に「友達の家に泊まりに行く」と言って家を出かけた。

その後、青森県十和田湖のホテルから「お金が足りない」と連絡してきたのを最後に、女性とともに行方不明となる。

青森県警HP

http://www.police.pref.aomori.jp/

《特定失踪者・山口美好さんについて》

◆氏名:山口 美好

(やまぐちみよし)

(Miyoshi Yamaguchi)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月3日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:大阪府守口市

◆当時の身分:無職(国鉄職員を退職し、仕事を探していた)

◆身長:170cm

◆特徴:

1)細身だががっしりした体格

2)野球をしていた

3)生真面目でうまく立ち回れないタイプ

4)喫煙する

5)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府守口市

【失踪状況】

職場の同僚が事故で死亡し、その現場を見たショックから「国鉄にいたくない」と言い出した。

別の仕事を始めると言い出し、失踪前日の夜遅く、その仕事を紹介した人物と兄の家を訪れた。

兄は反対し喧嘩になったが、翌日の朝、心配して守口市の下宿先を訪ねると、一切の荷物が整理され、本人はいなくなっていた。

身分証明書や現金等が机の上に残されていた。

失踪後、家族が守口市役所を訪問して住民票を確認しようとしたが、原本が見当たらず、市の助役が謝罪するという出来事があった。

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・山下春夫さんについて》

◆氏名:山下 春夫

(やましたはるお)

(Haruo Yamashita)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年8月17日

◆生年月日:昭和21(1946)年3月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:福井県小浜市

◆当時の身分:会社員。造船会社に住み込み勤務

◆身長:160cm

◆特徴:

1)色白

2)角張った顔

3)水泳が得意

◆失踪場所:福井県小浜市一番町

【失踪状況】

朝8時の会社の始業時間前に同居の大工から「山下さんが昨夜夜釣りに出かけたまま戻らない」と連絡がある。

会社前の岸壁に本人の作業靴を発見。

港内、湾内を捜索するが手がかりなし。

8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。

失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。

山下 貢さん、林 雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。

兄の長男が後継者となるはずだったが急死したので、末弟の春夫さんを大阪から帰省させ、その年の6月から親戚が経営する地元の造船会社に就職させた。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・山本正樹さんについて》

◆氏名:山本 正樹

(やまもとまさき)

(Masaki Yamamoto)

◆失踪年月日:昭和41(1966)年7月11日

◆生年月日:昭和12(1942)年6月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:大阪府枚岡市(現・東大阪市

◆当時の身分:不動産会社社員

◆身長:160cm

◆特徴:

1)宅地建物取引主任資格保有

2)大工の心得あり

3)少林寺拳法の心得あり

◆失踪場所:大阪府枚岡市(現・東大阪市

【失踪状況】

その年の3月、自動車で自転車を相手にした軽い人身事故を起こした。

7月13日に家族が自宅へ行くと「数日友達の所へ行く。誰が訪ねてきても行方不明と言ってくれ」というメモがあり、隣室の人に聞くと「2日前にスーツケースを持って出て行くのを見た」と言っていた。

その後消息なし。

交通事故の裁判があったがそれにも出てこなかった。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.