もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】長距離の移動と偽装工作編/NNN

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-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!長距離の移動と偽装工作》

特定失踪者問題調査会副幹事長 杉野正治

都道府県をまたぐと捜索は困難になる

[遠山文子さん]

遠山文子さんは昭和48(1973)年、交際中の男性(非公開)と東京の会社を退職し、北海道、福岡、山口、大阪、石川など日本国内の様々な場所を訪れ、そのときの写真や航空券、訪れた先の施設の入場券の領収証などをノートに貼り付け、遠山さんの友人に送ったまま行方がわからなくなっています。

[尾上民公乃さん]

尾上民公乃さんは昭和62(1987)年6月6日未明、大阪市で失踪。翌日の早朝、大阪府内の家族は「さっき車が博多湾の桟橋から海に落ちたのを釣り人が目撃した」との連絡を受けました。車は勤務先の同僚の女性のもので、その友人からの電話でした。

[松永正樹さん]

松永正樹さん(当時30歳)は香川県善通寺市に家族とともに住んでいました。平成7(1995)年8月28日の深夜、自室で誰かと電話で話をしていましたが、翌朝家族が自室に行くと「福井に10日から2週間仕事で行ってくる」とだけ書き置きが残されていました。9月15日、松永さんから本人宛で封筒が届き、中から車の番号、印鑑、車の鍵などが入っていました。そしてその年の12月、松永さんの車は北海道の苫小牧市で見つかったのです。

いずれも都道府県をまたいで長距離を移動した足跡を残していました。警察は親族等からの捜索願を受け、遺留品をもとにこれらの行方を追いかけていくことになります。

日本の警察は都道府県単位に分かれていて、さらにその下で警察署ごとに管轄が分かれています。複数の都道府県警察を跨ぐと、単独のそれと比べて情報の共有はどうしても弱くなり、時間もかかってしまいます。最後に訪れたと思われる場所を管轄する警察署は、照会をかけたり関係する場所に話を聞いたりなどして、それを遠く離れた家族が居住する警察署に知らせます。ここに挙げた3名のケースに限らず、ここで情報の共有や伝達には大きな時間を費やすことになるでしょう。

日本で出された捜索願の数は年間におよそ10万件近くにものぼります。これを受けるのは、各都道府県警察の生活安全課です。全国で保護した家出人や身元不明のご遺体があれば家族に確認をとりますが、積極的に捜索を行うことは物理的にも困難です。成人であれば家出や駆け落ちなど「本人の意志」が重視されることになります。

尾上さんのように事故や事件の可能性があれば警察もそれなりに調べますが、都道府県を跨げばその情報の共有は一段と稀薄となるでしょう。さらにはこれらの中で拉致の可能性を感じたときに、ようやく公安・警備など外事関係の捜査員が動き出すことになります。

■これが偽装工作だとしたら…

さて、松永正樹さんは、香川県の自宅に書き置きを残したまま、深夜にいなくなりました。クレジットカードの使用履歴を取り寄せると福井や北海道内で何度か給油をしたことが判明します。そして乗っていった車は北海道の苫小牧で発見ました。香川から福井まで陸路で行き、そこで給油して敦賀あたりからフェリーで北海道に渡ったと想像されます。香川、福井、北海道それぞれの警察が、残された痕跡をもとに一定の捜査をすることになります。

これを拉致の観点から調べていると、ある疑念が湧いてきます。

「松永さん本人は、車で苫小牧まで来たのだろうか? そもそも北陸まで行ったのだろうか?」

つまり松永さん本人ではなく、別の人物が車を苫小牧まで運んできたのではないだろうかということです。もしかしたら全く別の場所で拉致をされた可能性だって考えられる。北海道で車が発見されれば、当然北海道の警察が北海道を重点的に探すことになる。このことを見越した工作員が、例えば誰かに頼んで松永さんの車を敦賀からフェリーに乗せて苫小牧まで運んだかもしれません。もしかすると車を運んだ人物も自分が拉致に関わっている自覚はなかったかもしれない。これが偽装工作だと考えたら、松永さんの行方は最初から全く違う見方をしなければならなくなるのです。

例えば尾上民公乃さんは、博多湾まで行っていないかもしれない。最後に見かけられたのは大阪市の繁華街ということになっていましたが、あるいはそこにさえ行っていなかったのかもしれない。

遠山文子さんは男性と二人で国内あちこちを訪れた様子をノートにつづり、そのノートを友人に送りつけています。写真もあるので本人がそこを訪れたのは間違いないでしょう。ノートの最後は石川県の海水浴場で過ごす姿の写真が貼りつけられていました。大方の人はこれを見て「駆け落ち前の思い出づくり」と考えるでしょう。でももしこれが拉致であって工作員による偽装工作だとしたら、全く話は違ってくる。北海道や博多湾や石川県の海水浴場に注目させておいて、実は全く違う場所で拉致された可能性も十分に考えられるのです。調査会があえて「失踪場所」ではなく「最終失踪関連地点」とするのはこうした理由からです。

長距離の移動に限らず、拉致のかなりのケースで北朝鮮工作員は二重三重の偽装工作を施してきたはずです。拉致を実行する際、必ずと言っていいほど彼らはこうした偽装工作を施すことを考えるでしょう。拉致だと感づかれにくくし、万一感づかれたとしても、その頃には実行犯は悠々と姿をくらまし、被害者本人はすでに海の向こうの北朝鮮に連れ去られていってしまっているのです。

北朝鮮は日本の警察が都道府県単位に分かれ、担当する部署がきちんと分かれていることのデメリットを十分に把握した上で、拉致や工作活動を繰り返してきたのです。

■拉致の情報

ずい分前に捜査機関のOBの方からこんな話を聞いたことがあります。

―こんな大事な情報、上に報告したら握りつぶされてしまう―

半ば冗談口調でしたが、十分に有り得る話です。現場の遺留品などから得た情報から北朝鮮による拉致の可能性を感じたとしても「国際問題になるから」と報告を上げない、あるいは報告を上げてもなかったこととして扱われる。結果的には長期間にわたって北朝鮮の拉致が世に出ることがなかったのではないでしょうか。

500名近くの特定失踪者のなかで、失踪当時に拉致の観点から調べられたケースはどれだけあったでしょうか? おそらくほんの僅かだったと思われます。最近まで「北朝鮮が日本人を拉致していることを把握していなかった」(ことになっている)のですから。

平成22(2010)年から、捜索願は「行方不明者届」と名称が改められました。失踪者に対する認識を改める意識の表れの一環だと思いたいものです。

(5月1日)

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・遠山文子さんについて》

◆氏名:遠山 文子

(とおやまふみこ)

(Fumiko To'yama)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月

◆生年月日:昭和27(1952)年5月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:東京都墨田区押上

◆当時の身分:建設会社を退職直後

◆身長:157cm~158cm

◆特徴:左の頬にえくぼがある

◆失踪場所:石川県羽咋市。柴垣の海水浴場に滞在したことまでわかっている

【失踪状況】

交際中の男性とともに失踪。

3月末に家出して男性(非公開)とアパートに住む。

6月中旬に男性とともに退職した後、そのアパートを両親が訪ねたが1週間後に引き払う。

当初は墨田区押上に在住。

その後6月下旬から7月にかけて旅行した記録のアルバムなどが友人に送られてきて、それ以来消息不明。

アルバムには男性とともに福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪、羽咋市柴垣の海水浴場と旅行した形跡を残す。

また、アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに張り付けてあり、途中で宿泊人数が4人になっている。

男性とは同じ職場で、同じ日に退社。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・尾上民公乃さんについて》

◆氏名:尾上 民公乃

(おのうえみこの)

(Mikono Onoue)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年6月6日

◆生年月日:昭和41(1966)年11月26日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:大阪府八尾市

◆当時の身分:スナックのアルバイト

◆身長:161cm

◆体重:49kg

◆血液型:O型

◆失踪場所:大阪府大阪市南区(現中央区)心斎橋

【失踪状況】

5日午後11時30分頃、大阪市北区内のスナックへ行った後、友人の車に同乗。

その友人は午前3時50分頃心斎橋の路上に停車、エンジンをかけたまま尾上さんを助手席に残し、近くのビルの飲食店にいる知人と連絡をとりに行った。

その友人が約30分後に戻ると車ごと消えていた。

尾上さんは免許を取得したばかりで運転歴殆どなし。

翌朝、福岡市博多港の沖浜町中央埠頭東側岸壁から乗っていた車が海中に落ちるところを釣り人が目撃。

ドアはいずれも閉まっていたが助手席の窓は開いていた。

車内は無人で、遺体は発見されていない。

車内には友人のセカンドバックがあったが、なくなっていた。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

■尾上民公乃さんについて

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=25-QmTrh3eY

■三浦和彦さんと波多野幸子さん、そして尾上民公乃さんの遺留品の車について

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2XSnphEd8ZIFez1Ciq9eE5CC7ggxDoKF20wA3j0LJtunOjsIeENgn9twg&feature=share&v=haJt3fFlPyw

《特定失踪者・松永正樹さんについて》

◆氏名:松永 正樹

(まつながまさき)

(Masaki Matsunaga)

◆失踪年月日:平成7(1995)年8月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年1月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:香川県

◆当時の身分:無職(以前は運送会社などに勤めていた)

◆身長:170cmくらい

◆失踪場所:香川県善通寺市~福井~北海道か?

【失踪状況】

1995(平成7)年8月28日未明、「福井へ10日から2週間、仕事で行ってくる」とメモを残して車で香川県善通寺市の自宅を出たまま行方不明となる。

クレジットカードの支払い明細から8月28日に福井県三方五湖でガソリン34リットル給油。

9月1日以降網走、阿寒湖などで給油。

9日に足寄で29リットルを給油。

同月14日北海道の消印で、本人が本人宛に書いた封書が届く。

本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。

9月12日、青森で預金5万円が引き出されている。

同年12月19日、北海道苫小牧市の会社所有地に車が放置されているのが発見される。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

香川県警HP

http://www.pref.kagawa.jp/police/

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

Susumu Fujita)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《特定失踪者・藤田 慎さんについて》

※藤田 進さん・隆司さん兄弟の叔父

◆氏名:藤田 慎

(ふじたしん)

(Shin Fujita)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年

◆生年月日:昭和6(1931)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:29歳

◆当時の住所:東京都大田区蒲田

◆当時の身分:三菱重工業石川島播磨重工業のどちらかに勤務

◆身長:165cmくらい

◆体重:65kg〜70kg

◆特徴:

1)柔道をやっていてがっしりした体格

2)川に潜って魚獲りをするのが好きだった

3)長兄(藤田 進さんの父)と顔が似ている

◆失踪場所:東京都大田区蒲田本町(姉夫婦の当時の居住地)

【失踪状況】

長兄に「旅行に行く」と新品の靴を借りに来る。

次兄夫婦には、「結婚したい人がいる」と相談。

また、弟にお金を借りに来る。

その後音信不通。

失踪から数年後、兄夫婦宅(埼玉県川口市仲町)に年賀状が届く。

字体は達筆(本人の字体に似ていた)。

差出人の名前がなかった。

消印は世田谷だったようである。

昭和51年2月7日、埼玉県川口市で失踪した藤田 進さんの叔父にあたる。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

《特定失踪者・古川了子さんについて》

◆氏名:古川 了子

(ふるかわのりこ)

(Noriko Furukawa)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日

◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:千葉県市原市菊間

◆当時の身分:三井造船社員(経理

◆身長:157cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。

2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。

3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。

4)左眉に途切れたような傷がある。

◆失踪場所:千葉県市原市の自宅を出てから

【失踪状況】

当日は土曜日で会社が休みだったので、午前中に美容院に行って午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。

午前中、了子さんは母親が知らない間に家を出ていたが、美容院に了子さんから電話で「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができたので母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。

母親は美容院の人から電話を貰い、友達にでも会うことになったのだろうと気にはしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。

7月に初めて貰ったボーナスは手付かずだし預金通帳も置いたまま。

持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。

その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。

北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。

平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。

平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

救う会千葉ブログ

http://sukuukaichiba.blog.fc2.com/

■古川了子さんを救う会HP

http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

■古川了子さんの姉・竹下珠路さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第28回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=ATXuHCD6BCI

《特定失踪者・関谷俊子さんについて》

◆氏名:関谷 俊子

(せきやとしこ)

(Toshiko Sekiya)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市徳氏

◆当時の身分:薬品会社(千葉薬品)勤務。定時制高校在学中

◆身長:160cm

◆体重:50kgくらい

◆血液型:A型またはO型

◆特徴:

1)痩せ型

2)ソフトボールをやっていて、実業団に入るのを勧められた

3)スポーツは得意

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

親類の峰島英雄さんと幼馴染の同級生・遠山常子さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。

古川事件の1年後の同じ7月の失踪。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

■関谷俊子さんの姉・栄子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第46回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=6AJQzmF0voo

《特定失踪者・遠山常子さんについて》

◆氏名:遠山 常子

(とおやまつねこ)

(Tsuneko To'yama)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和32(1957)年6月22日

◆性別:女性

◆当時の年齢:17歳

◆当時の住所:千葉県市原市田淵

◆当時の身分:県立高校学生(夜間部)

◆当時の勤務先:千葉市内のスーパーマーケット

◆身長:158cm~160cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中肉中背で、関谷俊子さんより背がやや低い2)ポッチャリしていた

3)左右どちらかは不明だが眉の上にホクロの切除痕有り

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

幼馴染の同級生・関谷俊子さんとその親類の峰島英雄さんと千葉市内の飲食店で飲食後、峰島さんが「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。

店は峰島さんの兄が店長で妹が従業員。

峰島さんの乗っていた車も発見されていない。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

■遠山常子さんの姉・正子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第46回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=6AJQzmF0voo

《特定失踪者・峰島英雄さんについて》

◆氏名:峰島 英雄

(みねしまひでお)

(Hideo Mineshima)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日

◆生年月日:昭和27(1952)年9月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:千葉市稲毛区)轟町

◆当時の身分:千葉市内の電話工事会社社員(下請け)

◆身長:170cm

◆血液型:B型またはO型

◆特徴:

1)ガッチリした体型

2)少し空手を習っていた

3)飲酒・喫煙をする

4)軽装

◆失踪場所:千葉市

【失踪状況】

当日夜、遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、英雄さんの兄が店長を務め妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。

数時間店に滞在。英雄さんが「二人を車で家に送ってくる。おなかも空いたので、戻ってくるからおにぎりを作っておいてくれ」と言って店を出たが戻って来なかった。

その後三人からの連絡は一切無し。

車(赤いマーク2)も発見されていない。

失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。

失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.