もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】小倉事件編[金乙星と京都]/KTV〈京都〉

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※小倉事件の金乙星は京都府と関連がありました。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!日本における外事事件の歴史 小倉事件》

特定失踪者問題調査会特別調査班

今回ご紹介するのは、「小倉事件」と称される事件で、昭和36(1961)年に福岡県の小倉市(現北九州市小倉南区・北区)で北朝鮮との間で密出入国をしていた在日コリアン金乙星が逮捕されたというものですが、当時報道された新聞記事では「対南工作の大物」という表現で、逮捕された事実を公表しているものの、実際にどのような対南工作を行ったのかについての内容は報道されていません。東京法令出版の「戦後の外事事件」や恵谷 治氏著書の「対日謀略白書」などにも掲載されていません。

■福岡県下を活動拠点として対韓工作、及び情報収集活動を行っていた

この事件内容を初めて目にしたのは、東京法令出版の『諜報事件判決集』内に「小倉事件」として掲載があったからで、事件の概要について書籍では「この事件は、在日朝鮮人北朝鮮に密出国してスパイ教育を受けた後、対韓工作の任務を帯びて再び日本に潜入していた事件である。在日朝鮮人であった金乙星は、昭和31年、日本からひそかに北朝鮮に脱出し、昭和36年4月ごろ我が国に潜入し、福岡県下を活動拠点として対韓工作、及び情報収集活動を行っていた」と述べています。

その後、ネットで金乙星について検索すると自伝的な著書『アボジの履歴書』(神戸学生青年センター出版部)を出版していることが判り、取り寄せて『諜報事件判決集』と照合しながら読んでみました。読み進めていくと朝鮮戦争については「米軍が祖国へ侵略戦争」との表記もあり、思想的なスタンスが理解できます。また、当然といえば当然かもしれませんが自身の活動歴において具体的な対南工作と判断する内容は記述されていません。しかし、北朝鮮への密出国の経緯や日本への密入国の経緯などを知るにはこの著書しかなく、今回はこの内容を基に「小倉事件」とされる概要と金乙星の生立ちなどについて書いてみたいと思います。

京都府兵庫県下の工事現場を渡り歩く

大正末期に朝鮮で生まれた金乙星は、間もなくして祖父と両親に連れられ日本に渡ってきました。渡日後、両親たちは京都府兵庫県下の工事現場を渡り歩き、昭和5(1930)年ごろ、兵庫県氷上郡武田村(現丹波市)に定着します。昭和18(1943)年、金乙星は三菱電機神戸工場の徴用工を経て陸軍に志願し、中国大陸に派遣され幾度かの実戦を経たのち昭和20(1945)年8月終戦を迎え、その後中国軍によって釜山に送還されました。

■密航で日本に再入国、金炳植と出会う

金乙星は日本にいる家族に会いたいため、日本への渡航を希望しますが朝鮮人ということで渡航は叶いません。「正規の手段では日本に渡れない」と判断した金は、密航で日本に渡る決心をして昭和21(1946)年4月、慶尚南道の馬山港から出港する密航船に乗って福岡県の海岸に上陸しました。

中国大陸に行っている間に両親は亡くなっていましたが、金乙星は兵庫県に戻り姉や妹、弟と再会し、姉の夫の関係で丹波の篠山(現丹波篠山市)に移り住みヤミ屋で生計を立てるようになります。また当時、姉の夫が朝鮮人連盟(朝連・朝鮮総連の前身)の副支部長をしていたことから、金乙星は朝連の集会にも参加するようになり、その後、現在の尼崎市にあった朝連の「青年学校」に入ります。そして青年学校を終えた後、東京・狛江に在った「朝連中央高等学院」に進み、卒業後に同学院の教務部で働くことになります。また同時期に日本共産党にも入党しました。

アボジの履歴書』では学院での勤務時代に、金乙星は金炳植(キム・ビョンシク)と出会っています。金炳植は後に朝鮮総聯の第一副議長にまで昇り、日本国内での工作活動の拠点ともなったユニバース・トレイディング社を設立し、工作員・高大基(コ・デキ。特定失踪者・渡辺秀子さんの夫でもあり、警察断定拉致被害者高敬美・剛姉弟の父親)などを使って日本国内で工作活動をさせていた人物です。「金炳植は最初から態度が横柄で非常に生意気な男だった…」ということで、「つかみ合いの大喧嘩になった…」と記述されており、その後の関係も悪かった旨の記述があります。

■狛江から兵庫へ

学院での仕事と合わせ、居住を始めた狛江市(当時は村)での共産党細胞活動も始めた金乙星は、三多摩地区委員会の活動も行い、昭和22(1947)年5月ごろ、三多摩地区委員会の常任地区委員にも選出され職業活動家としての道を歩み始めます。その後昭和23(1948)年末、金は日本共産党兵庫県委員会へ配置転換で異動しましたが、翌24年9月に団体等規制令発布により朝鮮人連盟と在日本朝鮮民主青年同盟(朝鮮民青)が強制的に解散させられる事態となり、共産党兵庫県委員会からの指示で一時的に県委員会を離れ、淡路島の党地区委員長として赴任します。その時期、兵庫県の朝鮮民青委員長の紹介で女性同盟の活動家と結婚しましたが約2年で別れます。

金乙星は淡路から滋賀県委員会を経て朝鮮戦争勃発直後の昭和25(1950)年夏、神戸市委員会の責任者として異動します。ここで朝鮮青年の祖国防衛隊(非合法組織)の集会で講演する依頼を受け、講演後に警官隊によって逮捕され、約3週間拘束されたこともあったそうです。また当時、神戸港朝鮮戦争でのアメリカ軍に対する軍需物資輸送の兵站基地にもなっていたことから、港湾労働者として神戸港に潜り込んだようですが、兵器などの直接戦争に関係する物資の荷役にはMP(米軍の憲兵)が絶えず目を光らせていたということで、結局何もできなかったようです。

■日本人女性と結婚

昭和26(1951)年の末、金乙星は兵庫県委員会の委員長に選出されます。その2年後の昭和28(1953)年、当時のアパート隣室に住んでいた日本人女性Tと結婚しました。翌29(1954)年の秋、金は中国地方委員会への異動を命じられ、事務所が置かれていた広島に赴任します。

昭和30(1955)年7月、日本共産党の第6回全国協議会(6全協)が開催され、これまで党が主導してきた武力闘争を180度転換して自己批判し、平和路線的な指導体制になりますが、その約2カ月前には在日朝鮮人運動を主導してきた在日朝鮮統一民主戦線が解散し、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総聯)が結成されました。その直後、日本共産党民族対策部の解消が行われ、日本共産党に入党していた在日朝鮮人党員は一斉に党籍を離脱することになりました。

鳥取から刑事事件逃亡者を逃がす計画

この後、民族対策部の責任者などから解消に伴う事後処理(借金問題)への手助けを求められ、商工人らの協力を得てある程度の処理を行いますが、残った問題はこの民族対策部の幹部メンバーたちの処遇でした。そこで幹部メンバーは、朝鮮労働党から直接指導を受けるため、北朝鮮への密航を計画します。

相談を受けた金乙星は知人に頼み、昭和30(1955)年10月頃、鳥取県の白兎海岸から幹部2名と数人の刑事事件の逃亡者などを乗せて出航させる予定でしたが、警察に情報が洩れて出航予定の何人かが尾行されたりしたため、計画は挫折します。結局、同じ船に刑事事件の逃亡者などを乗せるのは危険だということで約1か月後、今度は鳥取県の境港から幹部2名を北朝鮮に向けて出航させました。

■愛媛から北朝鮮

約3か月後、北朝鮮に渡った幹部の1名が帰国し、北朝鮮本国から民族対策部の責任者だったPに「すぐ帰国するように」との指示があったことを伝えました。結局、この件が基で昭和31(1956)年2月初め、金乙星は日本人妻Tを残したまま、民族対策部責任者のPらとともに愛媛県新居浜港から韓国の貿易船に偽装した船で北朝鮮に向けて密出国し、3日後には咸鏡南道の新浦港に着きました。

その後平壌に移動し、2、3か月後には日本に戻る予定で朝鮮労働党の歴史等について講義を受けながら学習していましたが、6月から8月にかけて朝鮮労働党内で発生した8月宗派事件と呼ばれるクーデター未遂事件が発生したことから日本へ戻る予定が延び、金乙星は朝鮮労働党の中で戦後日本の共産党活動や労働運動、大衆闘争を総括する仕事に就き日本に戻る機会を待っていました。

しかし、日本では日本共産党による「人民艦隊事件」や戦後、中国に残留していた日本人を日本赤十字社が引き揚げさせる帰国船・白山丸に日本共産党の関係者約60名が紛れて密入国した「白山丸事件」などが起きた関係で、更に帰国が難しくなりました。そのようなときに金乙星は朝鮮労働党から高級党学校への入学を薦められ、寄宿舎に入っての学校生活を送ることになります。

■妻が北朝鮮

金乙星が日本から密出国して3年後の昭和34(1959)年8月頃、妻Tが日本から密出国して北朝鮮に渡ってきました(裁判記録では「…Tは昭和33年頃、Hなる名義を用いて平壌から日本の父宛に手紙を寄越すようになった…」旨の記述があり『アボジの履歴書』とは違いがある)。これは3年前、金乙星と一緒に北朝鮮に来た民族対策部責任者Pの妻が働きかけて一緒に日本を密出国してきたということでしたが、金には予想外の出来事だったようです。

金乙星は昭和35(1960)年半ばに高級党学校を卒業すると、日本に戻る準備を始め、北京経由で外国の貨物船に便乗して戻る計画を立てます。これには日中友好商社の人物が協力したといいますが、日本に戻る金とは反対に朝鮮労働党では、妻Tに対し「折角共和国に来たのだから大学で勉強してはどうか?」と勧めたようで、Tはこれを受け入れ、北朝鮮に残って大学に入ることを選択したといいます。これは北朝鮮が得意な人質政策ともいえるでしょう。

■日本へ戻り、検挙される

そして昭和36(1951)年の半ば頃、金乙星は日本に密入国で戻ってきたようですが、これも裁判記録では「昭和35年9月頃から、同36年7月中旬頃迄の間に、朝鮮から本邦に上陸し…」となっており、正確な時期については把握できません。

そして昭和36(1961)年11月7日に北九州で小倉警察署員によって検挙されるまで、日本に戻った金乙星が具体的に何をしていたのかは報道記事や裁判記録から読み取ることは出来ません。『諜報事件判決集』に書かれている「福岡県下を活動拠点として対韓工作、及び情報収集活動を行っていた」という記述からすれば、警察当局は何らかの具体的な事実を把握していたとも思われます。

その後金乙星は裁判を受け昭和39(1964)年7月10日、出入国管理令違反の罪で「懲役8か月、執行猶予3年」の刑を受けます。金はこれを不服として控訴し、棄却されると更に上告しますがこれも棄却され、昭和41(1966)年7月26日、刑が確定しました。最高裁での上告が棄却され有罪が確定した金は法務省入国管理局から強制国外退去の対象とされますが、条件付きの仮放免手続きを取り、収監を免れた後、特別在留許可を求めて保守系の代議士等の助けを借りて上告審の判決から13年後の昭和54(1979)年に特別在留許可が下りました。

■別の女性と結婚

この間の昭和48(1973)年、金は平壌に残してきた妻Tの所在が不明なまま、在日コリアンのRと結婚し、2人の子供を授かりますが、約10年で離婚し、子供を引き取って育てることになります。一方、北朝鮮に残った日本人妻Tは、金乙星が日本へ戻った後も学校での勉強を続け、卒業後には中央放送委員会に勤務し、深夜の日本語放送でアナウンサーも務めていたということですが、ある時期から突然放送に出てこなくなり、所在不明となりました。平壌で正月に日本から北朝鮮に渡った人間が集まる酒席にTも参加していたことが原因で収容施設に送られたようです。

平壌の妻から突然の連絡

Tが所在不明となって約20年後の平成4(1992)年1月のはじめ、金乙星のもとに突然平壌から電話がかかってきました。相手はTとともに所在が不明となっていた元在日コリアンのAで、所在不明となった理由は話さずに平壌に戻れたことなどを告げ、Tが電話口に出ました。実に20年以上行方不明だったTでしたが、Tも所在不明になった理由は明らかにしなかったといいます。

その後、金乙星は妹を北朝鮮渡航させTと面会させましたが、この時も所在不明なった理由については話さなかったそうです。金の妹がTから預かってきた手紙には「金成日(キム・イルソン)同志の配慮で平壌に帰ってきた…」旨と「中央放送委員に復帰して対日本関係の放送事業に携わっている…」内容が書かれていたとのことですが、そのTは平成7(1995)年8月1日、平壌で病死したとのことでした。

■日本に定着

金乙星は、出入国管理令違反容疑で逮捕され、約3か月後に保釈されたものの、仕事については過去に因縁があった金炳植からいろいろな妨害があったといいます。その金炳植も昭和47(1972)年10月、南北赤十字会談に合わせ日本からの代表団の一員として北朝鮮に渡りますが滞在先の平壌で「反党反革命宗派分子」として拘束され失脚します(平成5年12月、金日成実弟金英柱〈キム・ヨンジュ〉と共に国家副主席に任命され、復権を果たす)。

金乙星はその後、不動産会社で働いた後、自身で不動産、パチンコ店、飲食業などを行う会社を興し、日本に定着しました。

以上が「小倉事件」の概要と、検挙された金乙星の経歴についての内容です。『アボジの履歴書』を読み進めると、2番目の妻となった日本人Tも夫を追いかけて北朝鮮に行ったために二度と日本に帰国することが叶わず、帰還事業で北朝鮮に渡った日本人妻の皆さんと同じような運命に曝されたような気がします。金乙星による密出国や密入国に係る「小倉事件」ですが、その背景には北朝鮮によって違った道を歩むことになった日本人女性のドラマがあったことを気付かされる結果となりました。

(2月1日)

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

有本恵子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html

有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和58(1983)年7月頃

欧州における日本人女性拉致容疑事案

被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州にて失踪。

よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。

捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。

北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

有本恵子さんの母・嘉代子さんの肉声

https://youtube.com/watch?v=u-TQn2F3UK4

有本恵子さんたちヨーロッパ拉致について

https://youtube.com/watch?v=oYynHkWWoXU&feature=emb_imp_woyt

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)

Disappeared in Europe.

The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.

North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.

《特定失踪者・安達恵美子さんについて》

◆氏名:安達 恵美子

(あだちえみこ)

(Emiko Adachi)

◆失踪年月日:昭和34(1959)年5月4日

◆生年月日:昭和11(1936)年1月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市北区

◆当時の身分:准看護師

◆血液型:B型

◆身長:150cmくらい

◆体重:42kg

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

5月2日、病院の慰安旅行(行先は不明・1泊2日程度)に参加する予定だったが、当日になって急に「行かない」と言い出す。

同僚の看護婦によると、神戸の方に行くようなことを言っていたという。

外出の衣服で荷物はボストンバック1個程度。2日午後2時に外出した記録あり。

普段着など身の周りのものは残っていた。

北朝鮮興南で出生、終戦まで大連で生活。

昭和22年1月引き揚げ。島根県平田町の叔母宅で暮らし、昭和30年頃京都に行く。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・井尻恵子さんについて》

◆氏名:井尻 恵子

(いじりけいこ)

(Keiko Ijiri)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年3月16日

◆生年月日:昭和35(1960)年10月23日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都府京都市中京区

◆当時の身分:母親の経営するスナック手伝い

◆身長:157cmくらい

◆特徴:両頬に粟粒大のほくろ

◆失踪場所:京都市内の自宅前

【失踪状況】

母親が経営するスナックを深夜に退勤後、同僚と飲みに出かけた。

3月15日夜、同僚と京都市内に飲みに出かけ、翌16日午前4時頃、自宅前でタクシーを降り、その後行方不明。

現場は終夜人通りの絶えない繁華街。

失踪後、運転免許の更新も行っていない。

結婚が決まっていて家具を見に行くなど準備をしていた。

数百万の預金が残されたまま。

《特定失踪者・上田英司さんについて》

◆氏名:上田 英司

(うえだえいじ)

(Eiji Ueda)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年11月4日

◆生年月日:昭和24(1949)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:予備校生(大学受験生)。ホテルのフロントや喫茶店でアルバイトをしていた

◆身長:175cm

鳥取県西伯郡伯耆町出身

◆特徴:

1)読書が趣味

2)目立つのを嫌がる地味な性格

3)実直で親思い

◆失踪当時の服装:黒いコートに紙袋1つ

◆失踪場所:東京都渋谷区または京都府

【失踪状況】

失踪当日「京都へ行ってくる」と家主に言い残して東京都内の下宿を出て行ったまま行方不明に。

黒いコートを着て、荷物は紙袋一つだったという。

11月初めに実家の荷物を実家の鳥取県から送ったが、いつもは来るはずの「受け取った」という手紙が来ないので不審に思い、電話してみる。

20日頃いなくなったことを知る。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

鳥取県警HP

http://www.pref.tottori.lg.jp/police/

《特定失踪者・尾方 晃さんについて》

◆氏名:尾方 晃

(おがたあきら)

Akira Ogata)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年2月14日

◆生年月日:昭和30(1950)年12月12日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:京都市北区衣笠西馬場町

◆当時の身分:立命館大学学生。レストランでアルバイトをしていた

◆身長:168cm

◆体重:65kg

◆特徴:

1)右胸部と右背中に右胸部にリンパ腺炎の縦型の手術跡あり

2)右手中指第3関節の骨が突起している

◆失踪場所:京都府京都市北区

【失踪状況】

京都市北区の下宿先から失踪。

直前の年末には岐阜の実家に帰省した。

翌年1月、京都市内のアルバイト先から「アルバイト代を払いたいが実家に帰っていないか」と連絡があった。

家族がアパートに行くが、荷物、お金はそのまま残っていた。

家賃は1年間支払っていなかった。

2月13日に預金を引き出した形跡がある。

3月30日に叔父が死去し、本人に電話したが連絡つかず。

また、名古屋の妹に縁談があり、会社を退職する前に京都を案内してほしいと手紙を出したが返事がなかった。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・尾崎隆生さんについて》

◆氏名:尾崎 隆生

(おざきたかお)

(Takao Ozaki)

◆失踪年月日:昭和35(1960)年11月3日

◆生年月日:昭和8(1933)年4月28日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市

◆当時の身分:ネクタイ製造会社の経理

◆身長:169cm

◆体重:60kg

◆特徴:左手の指が事故で曲がらないが、手先は器用

◆失踪場所:兵庫県神戸市

【失踪状況】

11月2日、カメラを持って「遊びに行く」と言って神戸市の自宅を出かけたまま戻らず。

翌日、会社から連絡があり、失踪が分かった。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

《特定失踪者・甲斐一志さんについて》

◆氏名:甲斐 一志

(かいかずし)

(Kazushi Kai)

◆失踪年月日:昭和54(1979)年5月6日

◆生年月日:昭和28(1953)年2月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:京都府京都市東山区の会社寮

◆当時の身分:調理師

◆身長:178cm

◆体重:72kg

◆特徴:右足首上に500円玉位の火傷痕。

◆失踪場所:京都府京都市東山区

【失踪状況】

うどん屋の寮に2~3人で住んでいた。

当日近くのコーヒーショップに出かけ、そのまま失踪。免許証も財布も置いたままだった。

寮の中の1人と思われる人物から九州の実家に電話があり、母が出ると「一志君は家に帰っていませんか」との問い合わせで1日1回昼頃に4~5回かかってきた。

名前を答えないので「あなたが殺したんじゃないか?」と問い詰めると、それっきりかかってこなくなった。

《特定失踪者・樹下秋男さんについて》

◆氏名:樹下 秋男

(きのしたあきお)

(Akio Kinoshia)

◆失踪年月日:昭和30(1955)年4月7日

◆生年月日:昭和11(1936)年10月8日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:京都府京都市下京区

◆当時の身分:住み込み店員(製麺所)

◆身長:164cm~165cmくらい

◆特徴:

1)人当たりがよい陽気な性格

2)友人らから好意を寄せられる八方美人型

◆失踪場所:京都府京都市下京区

【失踪状況】

勤務先に「実家に行ってくる」との書き置きを残して失踪。

実際には実家には行っていないが、失踪1〜2日前に伏見の実家を訪ねている。

以後全く情報なし。

《特定失踪者・小久保稔史さんについて》

◆氏名:小久保 稔史

(こくぼとしひと)

(Toshihito Kokubo)

◆失踪年月日:昭和55(1980)年1月13日

◆生年月日:昭和22(1947)年8月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:三重県鳥羽市池上町

◆当時の身分:船員(機関長)

◆身長:163cm

◆体重:57kg

◆特徴:

1)痩せ型

2)浅黒

3)口の右上(右の鼻下)に3mmくらいのほくろ

4)盲腸の手術痕あり

5)話し方ややうけ口

6)歌が上手で演歌を好む

7)手先は器用だった

◆失踪場所:京都府舞鶴市のスナックを出たあと

【失踪状況】

島根県温泉津港を出発し、1月13日朝、舞鶴港へ入港。

その日は日曜日で作業がなかったため、午後7時に東舞鶴のスナックを一人で出て、家族に「パチンコ屋の横から」と言って三重県鳥羽市の自宅に電話をした。

電話では長女の入学準備の話など普通の口調で話をしたが、その後消息不明。

スナックを出た時点で船の同僚と別れている。

船室もそのまま、コートも置いてあった。

舞鶴海上保安部、東舞鶴警察署、鳥羽警察署に捜索依頼をする。

また、家族親戚が舞鶴を捜したが見つからず。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

三重県警HP

http://www.police.pref.mie.jp/

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

拉致問題を名古屋から発信する9.11オンライン集会

https://youtube.com/watch?v=MsRFYBJvzwc&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・小丸勝義さんについて》

◆氏名:小丸 勝義

(こまるかつよし)

(Katsuyoshi Komaru)

◆失踪年月日:昭和40(1965)年4月10日

◆生年月日:昭和17(1942)年12月24日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:大阪府堺市

◆当時の身分:造船会社社員

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)右肩の中心に縫った痕がある

2)子供の頃のけがで左眉の中心に縫った跡が残っている

3)細面

4)浅黒

◆失踪場所:東京都または京都府舞鶴市

【失踪状況】

大阪の大学を卒業して舞鶴の造船会社に就職が決まり、東京本社で研修を終えて赴任地舞鶴までの切符をもらって以後行方不明。

汽車に乗ったのかどうかも分からない。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・酒井秀俊さんについて》

◆氏名:酒井 秀俊

(さかいひでとし)

(Hidetoshi Sakai)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月16日?

◆生年月日:昭和27(1952)年1月31日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:京都市右京区

◆当時の身分:立命館大学経済学部4年生

◆身長:170cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)盲腸の手術跡

3)酒はつきあい程度

4)趣味は絵画、スキー

◆失踪場所:不祥(当時京都市右京区に下宿)

【失踪状況】

当時両親は転勤族で山形在住、姉は結婚し祖母と実家の愛知県一宮市に住んでいたので、本人の失踪時期は正確にはわからない。

就職は岐阜県大垣市内に内定し、卒論に追われていた。

正月に母や姉の住む山形にも一宮市にも帰省しなかった。

下宿していた部屋はたった今まで生活していたような感じだった。

失踪前の11月、海外旅行で一人でアムステルダムに2~3週間に行っていた。

山形県警HP

http://www.pref.yamagata.jp/police/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・澤辺和也さんについて》

◆氏名:澤辺 和也

(さわべかずや)

(Kazuya Sawabe)

◆失踪年月日:平成13(2001)年12月3日

◆生年月日:昭和42(1967)年5月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府網野町(現・京丹後市

◆当時の身分:料理師

◆身長:178cm

◆体重:65kg~70kg

◆特徴:

1)左胸に傷

2)顔の右に大きなほくろ

3)がに股歩き

4)細身

5)酒は何でも飲める

6)煙草はホープを吸う

7)剣道、柔道をしていた

◆失踪場所:京都府宮津市の勤務先から帰宅途中

【失踪状況】

12月3日午後5時半頃、宮津市日置の職場から「6時には帰宅する」と電話をかけてきたが、夜になっても自宅に戻らずその後行方不明。

20日経った12月23日夜、京都府宮津警察署より宮津市内の山中で炎上した跡のある車発見の報。

付近住民が午前2時頃車が立ち去っていく音と、その後の爆発音を聞いている。

本人の姿はなく、雪解けを待って翌年4月に捜索が行われたが、焼けた車から100mほど離れた位置で本人の財布が発見されたのみであった。

《特定失踪者・田中浩史さんについて》

◆氏名:田中 浩史

(たなかひろし)

(Hiroshi Tanaka)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月5日

◆生年月日:昭和35(1960)年6月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:ビルメンテナンス(排水管清掃等)

◆身長:170cm~172cm

◆体重:50kg

◆血液型:B型

◆特徴:

1)痩せ型

2)顔色浅黒

3)実年齢より若く見える

4)飲酒・喫煙をする

5)腰痛持ちのためやや足を引きずり加減で歩く

6)料理が得意

7)手先が器用

◆持病:肩こり、腰痛、喘息性気管支炎の持病あり

◆失踪場所:福井県丹生郡河野村

【失踪状況】

当日朝7時半、いつもと同じ時間に出勤のため車で京都市山科区の家を出る。

同日昼過ぎに勤務先(京都市山科区)から欠勤していると連絡あり。ポケベルで呼び出すが連絡なし。

翌6日捜索願を出す。

10日福井県警丹生警察署から「丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見した」との報があり、丹生郡河野村の海岸沿いに車が発見された。

夕方確認に出向くと車の中に本人のバッグ、ポケベル、免許証があったが、財布は発見できず。海も捜したが見つからなかった。

所持金は2万円~3万円だったと思われる。

同年6月に福井県警より4月5日午前中に福井県内の道でスピード違反をして本人署名のある納付書が送付された。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

《特定失踪者・種田 誠さんについて》

◆氏名:種田 誠

(たねだまこと)

(Makoto Taneda)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年5月

◆生年月日:昭和25(1950)年2月1日

◆性別:男

◆当時の年齢:34歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:焼肉料理店チーフ

◆特徴:盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:京都府京都市

【失踪状況】

京都市内のアパートから失踪。

「職を変えたい」と鹿児島の実家に電話があり、金銭だけは持って出たようだが、着替えなど身の回りのものはアパートに残したまま。

以来何の連絡もない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

《特定失踪者・西安義行さんについて》

◆氏名:西安 義行

(にしやすよしゆき)

(Yoshiyuki Nishiyasu)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年3月15日

◆生年月日:昭和40(1965)年6月27日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:兵庫県氷上郡市島町(現・兵庫県丹波市

◆当時の身分:無職(就職活動中)

◆身長:170cm

◆体重:70kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)近眼で眼鏡使用

2)中学生の頃、交通事故で右鎖骨を骨折し治療跡がある

3)普通運転免許取得

◆失踪場所:京都府山陰本線綾部駅

【失踪状況】

友人と舞鶴方面へドライブ。夕方、帰り道の綾部駅前で友人と別れた後失踪。

度々、舞鶴に出かけていた。

当日はいつになく、服装を気にしていた。

綾部で降車する理由が見当たらず、舞鶴線舞鶴に引き返した可能性が高い。

失踪後から平成5年にかけ、子供の歌声などの不審電話が連続した。

失踪後1年ほどして、名古屋中央郵便局消印で、該当者のいない電話番号入りのはがきが届く。

1998年頃、不審な車が西安家の様子を伺い、周辺に聞き込みを行った。

北朝鮮からの未確認情報がある。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・福本勝利さんについて》

◆氏名:福本 勝利

(ふくもとかつとし)

(Katsutoshi Fukumoto)

◆失踪年月日:平成7(1995)年5月11日

◆生年月日:昭和47(1972)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:滋賀県長浜市神照町

◆当時の身分:会社員。以前は兵庫県高砂市で家業の漁業を手伝っていた

◆身長:172cm

◆体重:52kg

◆特徴:

1)18歳のとき脳腫瘍手術をしているため頭の後ろに10cm角の傷があり、頭上前から耳の後ろを通って皮の中側に体の前の方へ管が入っている

2) バレーボールをしていた

◆失踪当時の服装:青色の上下作業服、安全靴、眼鏡、腕時計

◆失踪場所:滋賀県虎姫町の会社から

【失踪状況】

兵庫県高砂市で家の仕事(漁業)を手伝っていたが、手術もしていたため疲れやすく、休むことも多かったので、求人広告で京都市下京区で紹介された滋賀の会社へ行く。

一度見学し、自分に出来そうなので行きたいと言い寮に入って仕事をすることになる。

これと言って変わった様子はなかったが、出勤1日目の昼に突然いなくなった。

会社のロッカーに財布や中の現金など鞄の中身そのままに残っていた。

滋賀県警HP

http://www.pref.shiga.lg.jp/police/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

■福本勝利さんの母・福本えりさんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第25回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=IszXfdVE0Z4&t=540s

《特定失踪者・古川 龍さんについて》

◆氏名:古川 龍

(ふるかわりょう)

(Ryou Furukawa)

◆失踪年月日:昭和62年(1987)3月以降

◆生年月日:昭和39年(1964)11月4日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:イギリスのデヴォン(Devon)州エクセター(Exeter)市

◆日本国内の住所:京都府京都市

◆当時の身分:留学生

◆身長:167cmくらい

◆特徴:痩せ型

◆失踪場所:エクセター市ないしスペイン

【失踪状況】

大学(英文科)在学時に英語の勉強をするため私費でイギリス・エクセター市に滞在中、スペインに向かった後、行方不明となった。

エクセター市の滞在先だった部屋には荷物が置かれたままだった。

古川 龍さんの失踪について、現時点で北朝鮮との直接の結びつきは見つかっていないが、政府認定拉致被害者有本恵子さんの拉致はイギリスを、松木 薫さんと石岡 亨さんの拉致はスペインを舞台に行われていることもあり、公開をきっかけに新たな情報が出てくることを期待している。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・別役佳子さんについて》

◆氏名:別役 佳子

(べっちゃくけいこ)

(Keiko Betchaku)

◆失踪年月日:昭和44(1969)年2月

◆生年月日:昭和16(1941)年8月1日

◆性別:女性

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:京都府京都市

◆当時の身分:スナック店長

◆身長:155cm~156cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)色白

2)飲酒、喫煙する

3)スポーツは何でもやる

◆失踪場所:京都府京都市北区紫野西野町

【失踪状況】

昭和44年(1969)2月、京都市北区紫野西野町に所在したスナック「ダンヒル」(現在は存在しない)に雇われママとして勤務していた当時、高知県香美郡香我美町(現・香南市)の実家に一時帰省の意味で帰ると連絡してきたのを最後に行方不明となった。

実家に子どもを預けていた。

日時は不明だが、当時北海道に居住していた弟に家賃とミシンの支払いを依頼する手紙が送られてきた。

本件については別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がおり、それらが関与した拉致の可能性が考えられる。

また、飲食店勤務等の職業で幼い子供がいたという意味では渡辺秀子さんや田口八重子さんらとも類似の点がある。

高知県警HP

http://www.police.pref.kochi.lg.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・前上昌輝さんについて》

◆氏名:前上 昌輝

(まえがみまさてる)

(Masateru Maegami)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年10月22日

◆生年月日:昭和32(1957)年7月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:京都市左京区北白川

◆当時の身分:大学受験準備中のため無職。直前まで北海道富良野の牧場で働く。

◆身長:173cm

◆特徴:

1)筋肉質の体格

2)大けがのため左目がやや小さい

3)絵画、書道が得意

4)写真に興味がある

◆失踪場所:北海道旭川駅

【失踪状況】

高校卒業後、美大を志望して東京で受験するも失敗。

1浪して地元京都を中心に受験するが再び失敗した。「人生修業のために北海道に行きたい」と言って、4月に京都の自宅を出発し、2ヶ月ほど横浜で当面の資金を稼いで、母に「お金が貯まったので、いよいよ北海道へ行く」と電話をしてきた。

北海道に渡り、道庁で紹介を受けた富良野の牧場で4ヶ月ほど働く。

8月下旬に母に電話で「大学受験を決意した」と話し、9月20日に牧場を退職。

国鉄旭川駅前のホテルに2泊宿泊し、22日午前10時頃、旭川駅の荷物一時預りにザックを預け、「3日間お願いします」と言って出かけたのが最後で行方不明になった。

北海道富良野の牧場を退職し、京都の実家に「お世話になった人たちに会って、京都に帰る」と連絡していたが、以来消息を絶つ。

後に旭川駅の荷物一時預かりにザックを預けていたことが分かる。

同年11月初旬、実家に男性の低い声で「前上昌輝の家の者か」と電話がある。

電話に出た母親が「昌輝のことを知っているお方ですか」と数回叫んだが、それには答えず「また電話する」と言って電話を切った。

以来手がかりは全くない。

平成16年9月28日、京都府警に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

■前上昌輝さんの同窓生によるHP

http://www.ja3yaq.ampr.org/%7Ejh3txp/kitashirakawa/maegami.html

《特定失踪者・松本重行さんについて》

◆氏名:松本 重行

(まつもとしげゆき)

(Shigeyuki Matsumoto)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月17日

◆生年月日:昭和10(1935)年7月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:48歳

◆当時の住所:京都府舞鶴市

◆当時の身分:漁師。漁業協同組合職員

◆身長:165cm

◆体重:55kg

◆特徴:

1)喫煙する

2)酒は飲まない

3)コーヒーが好き

4)カラオケが好き

5)囲碁・将棋が好き

◆失踪場所:京都府舞鶴市小橋の海上

【失踪状況】

漁船「照和丸」で刺し網漁業中に行方不明。

船は同日無人の状態で漂泊していたのを発見される。

べた凪、転落しにくい船の構造、ベテラン漁師であることを考えると、転落は有り得ない。

たとえ転落しても、水温も高く自力で船に戻れるはずであり、遭難しても大掛かりな捜索から遺体が発見されたはずである。

出港直後、不審な船が接近している。

京都府の東端に位置し、北朝鮮絡みの事件が多発する地域に隣接する。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

《特定失踪者・水嶋弥寿志さんについて》

◆氏名:水嶋 弥寿志

(みずしまやすし)

(Yasushi Mizushima)

◆失踪年月日:平成15(2003)年9月8日

◆生年月日:昭和39(1964)年4月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:埼玉県蕨市

◆当時の身分:会社員

◆身長:169cm

◆体重:66kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)前髪を右手と首を上にむけてあげる

2)喫煙しない

3)酒は付き合い程度

4)大またでゆったり歩く

◆趣味:読書、映画、スポーツ(テニス)

◆特技:コンピューター

◆失踪場所:埼玉県蕨市さいたま市大宮区のどちらか

【失踪状況】

平成15年9月4日午前7時30分頃、自宅から勤務先に体調不良で休むと電話連絡。

7日にさいたま市大宮で現金を引き出して以降、消息不明。

失踪前に体調を崩し1週間休みをとっていたが、毎日会社に連絡を入れていた。

9月8日に出社せず連絡も無くなったことで会社の部長や同僚が住居に向かい、行方不明が判明。

昼過ぎに会社から京都府舞鶴市の家族に連絡が入った。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

山口県警HP

http://www.police.pref.yamaguchi.jp/

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

《特定失踪者・渡邊晃佐さんについて》

◆氏名:渡邊 晃佐

(わたなべこうすけ

(Kousuke Watanabe)

◆失踪年月日:昭和27(1952)年10月27日

◆生年月日:昭和7(1932)年1月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:京都府京都市右京区上桂三宮町

◆当時の身分:立命館大学学生

◆身長:163cm

◆体重:56kg

◆趣味:ダンス、登山

◆失踪場所:京都府京都市右京区上桂三宮町

【失踪状況】

当日自宅を出て行方不明。

その後連絡なし。

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.