もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】小倉事件編[金乙星と金炳植]/CX〈東京〉

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※小倉事件の金乙星は金炳植と関連がありました。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!日本における外事事件の歴史 小倉事件》

特定失踪者問題調査会特別調査班

今回ご紹介するのは、「小倉事件」と称される事件で、昭和36(1961)年に福岡県の小倉市(現北九州市小倉南区・北区)で北朝鮮との間で密出入国をしていた在日コリアン金乙星が逮捕されたというものですが、当時報道された新聞記事では「対南工作の大物」という表現で、逮捕された事実を公表しているものの、実際にどのような対南工作を行ったのかについての内容は報道されていません。東京法令出版の「戦後の外事事件」や恵谷 治氏著書の「対日謀略白書」などにも掲載されていません。

■福岡県下を活動拠点として対韓工作、及び情報収集活動を行っていた

この事件内容を初めて目にしたのは、東京法令出版の『諜報事件判決集』内に「小倉事件」として掲載があったからで、事件の概要について書籍では「この事件は、在日朝鮮人北朝鮮に密出国してスパイ教育を受けた後、対韓工作の任務を帯びて再び日本に潜入していた事件である。在日朝鮮人であった金乙星は、昭和31年、日本からひそかに北朝鮮に脱出し、昭和36年4月ごろ我が国に潜入し、福岡県下を活動拠点として対韓工作、及び情報収集活動を行っていた」と述べています。

その後、ネットで金乙星について検索すると自伝的な著書『アボジの履歴書』(神戸学生青年センター出版部)を出版していることが判り、取り寄せて『諜報事件判決集』と照合しながら読んでみました。読み進めていくと朝鮮戦争については「米軍が祖国へ侵略戦争」との表記もあり、思想的なスタンスが理解できます。また、当然といえば当然かもしれませんが自身の活動歴において具体的な対南工作と判断する内容は記述されていません。しかし、北朝鮮への密出国の経緯や日本への密入国の経緯などを知るにはこの著書しかなく、今回はこの内容を基に「小倉事件」とされる概要と金乙星の生立ちなどについて書いてみたいと思います。

京都府兵庫県下の工事現場を渡り歩く

大正末期に朝鮮で生まれた金乙星は、間もなくして祖父と両親に連れられ日本に渡ってきました。渡日後、両親たちは京都府兵庫県下の工事現場を渡り歩き、昭和5(1930)年ごろ、兵庫県氷上郡武田村(現丹波市)に定着します。昭和18(1943)年、金乙星は三菱電機神戸工場の徴用工を経て陸軍に志願し、中国大陸に派遣され幾度かの実戦を経たのち昭和20(1945)年8月終戦を迎え、その後中国軍によって釜山に送還されました。

■密航で日本に再入国、金炳植と出会う

金乙星は日本にいる家族に会いたいため、日本への渡航を希望しますが朝鮮人ということで渡航は叶いません。「正規の手段では日本に渡れない」と判断した金は、密航で日本に渡る決心をして昭和21(1946)年4月、慶尚南道の馬山港から出港する密航船に乗って福岡県の海岸に上陸しました。

中国大陸に行っている間に両親は亡くなっていましたが、金乙星は兵庫県に戻り姉や妹、弟と再会し、姉の夫の関係で丹波の篠山(現丹波篠山市)に移り住みヤミ屋で生計を立てるようになります。また当時、姉の夫が朝鮮人連盟(朝連・朝鮮総連の前身)の副支部長をしていたことから、金乙星は朝連の集会にも参加するようになり、その後、現在の尼崎市にあった朝連の「青年学校」に入ります。そして青年学校を終えた後、東京・狛江に在った「朝連中央高等学院」に進み、卒業後に同学院の教務部で働くことになります。また同時期に日本共産党にも入党しました。

アボジの履歴書』では学院での勤務時代に、金乙星は金炳植(キム・ビョンシク)と出会っています。金炳植は後に朝鮮総聯の第一副議長にまで昇り、日本国内での工作活動の拠点ともなったユニバース・トレイディング社を設立し、工作員・高大基(コ・デキ。特定失踪者・渡辺秀子さんの夫でもあり、警察断定拉致被害者高敬美・剛姉弟の父親)などを使って日本国内で工作活動をさせていた人物です。「金炳植は最初から態度が横柄で非常に生意気な男だった…」ということで、「つかみ合いの大喧嘩になった…」と記述されており、その後の関係も悪かった旨の記述があります。

■狛江から兵庫へ

学院での仕事と合わせ、居住を始めた狛江市(当時は村)での共産党細胞活動も始めた金乙星は、三多摩地区委員会の活動も行い、昭和22(1947)年5月ごろ、三多摩地区委員会の常任地区委員にも選出され職業活動家としての道を歩み始めます。その後昭和23(1948)年末、金は日本共産党兵庫県委員会へ配置転換で異動しましたが、翌24年9月に団体等規制令発布により朝鮮人連盟と在日本朝鮮民主青年同盟(朝鮮民青)が強制的に解散させられる事態となり、共産党兵庫県委員会からの指示で一時的に県委員会を離れ、淡路島の党地区委員長として赴任します。その時期、兵庫県の朝鮮民青委員長の紹介で女性同盟の活動家と結婚しましたが約2年で別れます。

金乙星は淡路から滋賀県委員会を経て朝鮮戦争勃発直後の昭和25(1950)年夏、神戸市委員会の責任者として異動します。ここで朝鮮青年の祖国防衛隊(非合法組織)の集会で講演する依頼を受け、講演後に警官隊によって逮捕され、約3週間拘束されたこともあったそうです。また当時、神戸港朝鮮戦争でのアメリカ軍に対する軍需物資輸送の兵站基地にもなっていたことから、港湾労働者として神戸港に潜り込んだようですが、兵器などの直接戦争に関係する物資の荷役にはMP(米軍の憲兵)が絶えず目を光らせていたということで、結局何もできなかったようです。

■日本人女性と結婚

昭和26(1951)年の末、金乙星は兵庫県委員会の委員長に選出されます。その2年後の昭和28(1953)年、当時のアパート隣室に住んでいた日本人女性Tと結婚しました。翌29(1954)年の秋、金は中国地方委員会への異動を命じられ、事務所が置かれていた広島に赴任します。

昭和30(1955)年7月、日本共産党の第6回全国協議会(6全協)が開催され、これまで党が主導してきた武力闘争を180度転換して自己批判し、平和路線的な指導体制になりますが、その約2カ月前には在日朝鮮人運動を主導してきた在日朝鮮統一民主戦線が解散し、在日朝鮮人総連合会(朝鮮総聯)が結成されました。その直後、日本共産党民族対策部の解消が行われ、日本共産党に入党していた在日朝鮮人党員は一斉に党籍を離脱することになりました。

鳥取から刑事事件逃亡者を逃がす計画

この後、民族対策部の責任者などから解消に伴う事後処理(借金問題)への手助けを求められ、商工人らの協力を得てある程度の処理を行いますが、残った問題はこの民族対策部の幹部メンバーたちの処遇でした。そこで幹部メンバーは、朝鮮労働党から直接指導を受けるため、北朝鮮への密航を計画します。

相談を受けた金乙星は知人に頼み、昭和30(1955)年10月頃、鳥取県の白兎海岸から幹部2名と数人の刑事事件の逃亡者などを乗せて出航させる予定でしたが、警察に情報が洩れて出航予定の何人かが尾行されたりしたため、計画は挫折します。結局、同じ船に刑事事件の逃亡者などを乗せるのは危険だということで約1か月後、今度は鳥取県の境港から幹部2名を北朝鮮に向けて出航させました。

■愛媛から北朝鮮

約3か月後、北朝鮮に渡った幹部の1名が帰国し、北朝鮮本国から民族対策部の責任者だったPに「すぐ帰国するように」との指示があったことを伝えました。結局、この件が基で昭和31(1956)年2月初め、金乙星は日本人妻Tを残したまま、民族対策部責任者のPらとともに愛媛県新居浜港から韓国の貿易船に偽装した船で北朝鮮に向けて密出国し、3日後には咸鏡南道の新浦港に着きました。

その後平壌に移動し、2、3か月後には日本に戻る予定で朝鮮労働党の歴史等について講義を受けながら学習していましたが、6月から8月にかけて朝鮮労働党内で発生した8月宗派事件と呼ばれるクーデター未遂事件が発生したことから日本へ戻る予定が延び、金乙星は朝鮮労働党の中で戦後日本の共産党活動や労働運動、大衆闘争を総括する仕事に就き日本に戻る機会を待っていました。

しかし、日本では日本共産党による「人民艦隊事件」や戦後、中国に残留していた日本人を日本赤十字社が引き揚げさせる帰国船・白山丸に日本共産党の関係者約60名が紛れて密入国した「白山丸事件」などが起きた関係で、更に帰国が難しくなりました。そのようなときに金乙星は朝鮮労働党から高級党学校への入学を薦められ、寄宿舎に入っての学校生活を送ることになります。

■妻が北朝鮮

金乙星が日本から密出国して3年後の昭和34(1959)年8月頃、妻Tが日本から密出国して北朝鮮に渡ってきました(裁判記録では「…Tは昭和33年頃、Hなる名義を用いて平壌から日本の父宛に手紙を寄越すようになった…」旨の記述があり『アボジの履歴書』とは違いがある)。これは3年前、金乙星と一緒に北朝鮮に来た民族対策部責任者Pの妻が働きかけて一緒に日本を密出国してきたということでしたが、金には予想外の出来事だったようです。

金乙星は昭和35(1960)年半ばに高級党学校を卒業すると、日本に戻る準備を始め、北京経由で外国の貨物船に便乗して戻る計画を立てます。これには日中友好商社の人物が協力したといいますが、日本に戻る金とは反対に朝鮮労働党では、妻Tに対し「折角共和国に来たのだから大学で勉強してはどうか?」と勧めたようで、Tはこれを受け入れ、北朝鮮に残って大学に入ることを選択したといいます。これは北朝鮮が得意な人質政策ともいえるでしょう。

■日本へ戻り、検挙される

そして昭和36(1951)年の半ば頃、金乙星は日本に密入国で戻ってきたようですが、これも裁判記録では「昭和35年9月頃から、同36年7月中旬頃迄の間に、朝鮮から本邦に上陸し…」となっており、正確な時期については把握できません。

そして昭和36(1961)年11月7日に北九州で小倉警察署員によって検挙されるまで、日本に戻った金乙星が具体的に何をしていたのかは報道記事や裁判記録から読み取ることは出来ません。『諜報事件判決集』に書かれている「福岡県下を活動拠点として対韓工作、及び情報収集活動を行っていた」という記述からすれば、警察当局は何らかの具体的な事実を把握していたとも思われます。

その後金乙星は裁判を受け昭和39(1964)年7月10日、出入国管理令違反の罪で「懲役8か月、執行猶予3年」の刑を受けます。金はこれを不服として控訴し、棄却されると更に上告しますがこれも棄却され、昭和41(1966)年7月26日、刑が確定しました。最高裁での上告が棄却され有罪が確定した金は法務省入国管理局から強制国外退去の対象とされますが、条件付きの仮放免手続きを取り、収監を免れた後、特別在留許可を求めて保守系の代議士等の助けを借りて上告審の判決から13年後の昭和54(1979)年に特別在留許可が下りました。

■別の女性と結婚

この間の昭和48(1973)年、金は平壌に残してきた妻Tの所在が不明なまま、在日コリアンのRと結婚し、2人の子供を授かりますが、約10年で離婚し、子供を引き取って育てることになります。一方、北朝鮮に残った日本人妻Tは、金乙星が日本へ戻った後も学校での勉強を続け、卒業後には中央放送委員会に勤務し、深夜の日本語放送でアナウンサーも務めていたということですが、ある時期から突然放送に出てこなくなり、所在不明となりました。平壌で正月に日本から北朝鮮に渡った人間が集まる酒席にTも参加していたことが原因で収容施設に送られたようです。

平壌の妻から突然の連絡

Tが所在不明となって約20年後の平成4(1992)年1月のはじめ、金乙星のもとに突然平壌から電話がかかってきました。相手はTとともに所在が不明となっていた元在日コリアンのAで、所在不明となった理由は話さずに平壌に戻れたことなどを告げ、Tが電話口に出ました。実に20年以上行方不明だったTでしたが、Tも所在不明になった理由は明らかにしなかったといいます。

その後、金乙星は妹を北朝鮮渡航させTと面会させましたが、この時も所在不明なった理由については話さなかったそうです。金の妹がTから預かってきた手紙には「金成日(キム・イルソン)同志の配慮で平壌に帰ってきた…」旨と「中央放送委員に復帰して対日本関係の放送事業に携わっている…」内容が書かれていたとのことですが、そのTは平成7(1995)年8月1日、平壌で病死したとのことでした。

■日本に定着

金乙星は、出入国管理令違反容疑で逮捕され、約3か月後に保釈されたものの、仕事については過去に因縁があった金炳植からいろいろな妨害があったといいます。その金炳植も昭和47(1972)年10月、南北赤十字会談に合わせ日本からの代表団の一員として北朝鮮に渡りますが滞在先の平壌で「反党反革命宗派分子」として拘束され失脚します(平成5年12月、金日成実弟金英柱〈キム・ヨンジュ〉と共に国家副主席に任命され、復権を果たす)。

金乙星はその後、不動産会社で働いた後、自身で不動産、パチンコ店、飲食業などを行う会社を興し、日本に定着しました。

以上が「小倉事件」の概要と、検挙された金乙星の経歴についての内容です。『アボジの履歴書』を読み進めると、2番目の妻となった日本人Tも夫を追いかけて北朝鮮に行ったために二度と日本に帰国することが叶わず、帰還事業で北朝鮮に渡った日本人妻の皆さんと同じような運命に曝されたような気がします。金乙星による密出国や密入国に係る「小倉事件」ですが、その背景には北朝鮮によって違った道を歩むことになった日本人女性のドラマがあったことを気付かされる結果となりました。

(2月1日)

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定した2児の母親

◆氏名:渡辺 秀子

(わたなべひでこ)

(Hideko Watanabe)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市

◆当時の身分:主婦

◆北海道帯広市出身

◆身長:169cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。

子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■北海道と拉致

https://youtube.com/watch?v=56QbUzeWuHA

■帯広現地ライブ

https://youtube.com/watch?v=30UWDJXyJho

《特定失踪者・高 敬美さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 敬美

(こう きよみ)

(Kiyomi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:6歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

弟の高 剛さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・高 剛さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 剛

(こう つよし)

(Tsuyoshi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日

◆性別:男

◆当時の年齢:3歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

姉の高 敬美さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・生島孝子さんについて》

◆氏名:生島 孝子

(いくしまたかこ)

(Takako Ikushima)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月1日

◆生年月日:昭和16(1941)年6月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:31歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:東京都港区役所麻布支所の電話交換手

◆身長:153cm

◆血液型:O型

◆失踪場所:東京都渋谷区の自宅アパート

【失踪状況】

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。

朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが、詳しいことは言わなかった。

衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。

孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。

翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。

平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■生島孝子さんの姉・馨子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第55回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=POHXkU3DHq0

《特定失踪者・佐藤順子さんについて》

◆氏名:佐藤 順子

(さとうじゅんこ)

(Junko Satou)

◆失踪年月日:平成12(2000)年9月12日

◆生年月日:昭和47(1972)年2月28日

◆性別:女性

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:東京都府中市

◆当時の身分:無職。元会社員でワーキングホリデーで海外に行ったり、国内でアルバイトをしていた

◆身長:153cm

◆体重:40kg~45kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)痩せ型

2)首に大きめのホクロ

3)話すと表情が変わる

◆失踪場所:スイス・ツェルマット

【失踪状況】

7月4日から以前の職場の同僚とともに欧州を旅行。

同僚は約3週間の予定で日本に帰国。

8月24日に東京の自宅に電話をしている。

スイス・ツェルマットのユース・ホステルに宿泊し同宿の日本人観光客と朝食を摂ったあとに行方不明となる。

荷物のバッグがベッドに残っていた。

二泊三日の予定で、宿泊費を前金で払っていた。

9月16日、旅行代理店を通じて東京の実家に「佐藤さんが荷物を残して行方不明となった。連絡を取りたい」という連絡が実家に入る。

失踪した9月に、東京の実家に無言電話が4回あり、電話の向こうからは日本語とは思えない話し声などがあった。

電話は決まって日本時間の8時半にかかった。

佐藤さんは毎日詳細な日記を書いていたが、失踪した9月11日だけは日付だけで本文が記されていなかった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■失踪後の不審な電話について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=KLMOKpVKGWo

《特定失踪者・遠山文子さんについて》

◆氏名:遠山 文子

(とおやまふみこ)

(Fumiko To'yama)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月

◆生年月日:昭和27(1952)年5月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:東京都墨田区押上

◆当時の身分:建設会社を退職直後

◆身長:157cm~158cm

◆特徴:左の頬にえくぼがある

◆失踪場所:石川県羽咋市。柴垣の海水浴場に滞在したことまでわかっている

【失踪状況】

交際中の男性とともに失踪。

3月末に家出して男性(非公開)とアパートに住む。

6月中旬に男性とともに退職した後、そのアパートを両親が訪ねたが1週間後に引き払う。

当初は墨田区押上に在住。

その後6月下旬から7月にかけて旅行した記録のアルバムなどが友人に送られてきて、それ以来消息不明。

アルバムには男性とともに福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪、羽咋市柴垣の海水浴場と旅行した形跡を残す。

また、アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに張り付けてあり、途中で宿泊人数が4人になっている。

男性とは同じ職場で、同じ日に退社。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

羽咋市柴垣海岸

https://youtube.com/watch?v=z67jv7gcP-w&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・永山正文さんについて》

◆氏名:永山 正文

(ながやままさふみ)

(Masafumi Nagayama)

◆別名:永山 益巳

(ながやまますみ)

(Masumi Nagayama)

◆失踪年月日:昭和57(1982)年9月18日

◆生年月日:昭和34(1959)年1月7日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:東京都東大和市

◆当時の身分:東京都庁産業経済局勤務

◆身長:165cmくらい

◆特徴:

1)普通の体格

2)近眼で眼鏡は必需品

3)天然パーマ

◆失踪場所:東京都内か?

【失踪状況】

東京都東大和市の自宅から「出勤する」と告げて自宅を出たまま行方不明となる。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・浜崎真嗣さんについて》

◆氏名:浜崎 真嗣

(はまざきまさつぐ)

(Masatsugu Hamazaki)

◆失踪年月日:平成12(2000)年1月6日

◆生年月日:昭和49(1974)年8月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都日野市

◆当時の身分:家電メーカー(日本ビクター)の会社員で、業務用ビデオの設計担当

長崎県出身

◆身長:160~161cm

◆体重:51~52kg

◆足のサイズ:24cm

◆特徴:

1)浅黒

2)左目の上瞼に2mm程度のイボあり

3)電子装置設計技術を身につけていた

4)趣味はビリヤードとオーケストラ(ファゴット

◆失踪場所:東京都日野市の会社寮

【失踪状況】

1月6日(失踪当日)の東京都内の会社の始業式を無断欠席、翌日、翌々日も出社しないため、人事部係員が寮の部屋を点検。

のちに在京の兄や長崎の両親も寮の部屋へ行った。

部屋には6日の朝刊(未読)が入れられ、PHSも置きっぱなしで、書き置きもなかった。

また、布団は敷いたままで、食べかけパンが残っていた。

普通の服装で出かけ、自転車も置いたままだった。

職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。

のちに給料振込通帳を記帳した結果、1月6日朝6時~7時に東京駅のATMで3万円をキャッシング、また午後1時半頃、函館で普通預金口座から現金12万円を下ろしていたことが判明したが、定期預金には一切手をつけていない。

失踪後、約1年間に2回、長崎の実家に不審電話があった。

失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

長崎県警HP

http://www.police.pref.nagasaki.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

■浜崎真嗣さんについて

https://youtube.com/watch?v=_uaorwihjXg

■浜崎真嗣さんの父のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第109回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=3HyPdJPEYdA

※浜崎真嗣さんは日本ビクター(当時)の社員で、平成12年(2000年)1月6日東京都日野市のアパートから失踪しました。

当時25歳でした。

学生時代はオーケストラに所属していました。

(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)

■浜崎真嗣さんがファゴットを担当している九州大学オーケストラの「フィンランディア

https://youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=csasgDKa68Y

《特定失踪者・宮本直樹さんについて》

◆氏名:宮本 直樹

(みやもとなおき)

Naoki Miyamoto)

◆失踪年月日:平成14(2002)年3月3日

◆生年月日:昭和52(1977)年11月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都荒川区

◆当時の身分:フリーター(主に清掃業務)

◆身長:178cm

◆体重:66kg~68kg

◆靴のサイズ:27.5cm

◆特徴:

1)筋肉質でがっしりした体格

2)鼻の下から唇にかけて手術痕あり

3)視力は要コンタクト

4)失踪当時、軽くパーマをかけていた

◆失踪場所:東京都荒川区

【失踪状況】

3月3日午後3時30分頃、「今夜は夕飯はいらない」と行って自宅を出ていった。いつもと全く変わらなかった。

その夜は友人のところへ行ったのだろうと両親は全く心配しなかったが、5日朝、新門司港海上保安庁より電話で「3月3日19時10分発の東京発フェリー船室に荷物だけ残し、本人が見あたらない」との連絡。荷物には免許証、財布、眼鏡、コンタクトレンズなど身の回りのもの一切があった。

東京湾フェリー乗り場から乗ったと思われるが、降りた形跡なし。同フェリーは朝5時に新門司港(福岡)着。

時々1人旅に出かけることはあったが、心配をかけるようなことはなかった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

徳島県警HP

http://www.polic.pref.tokushima.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.