もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】荒木和博編[七條 一さん足どり]/TYS

※七條 一さんは失踪前、山口の画家と接触がありました。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!金沢で突然切れた足取り》

【8月17日水曜日】

特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

7月21日に現地ライブを実施した金沢でお話ししたように、七條 一さんの足取りは昭和45年(1970)2月10日、突然途切れます。

■ライブ動画

https://youtu.be/cRGuuoJocGI

現在調査会にある資料で、もともとはご家族から提供されたものだと思うのですが、誰が作ったのか不明のもの(この下に付けておきます)があります。そこには金沢までの足取りが極めて詳しく書かれています。一昨日七條さんの同郷の親友の方とお話しして、これを調べたのは警察だろうということになりました。資料を作成したのは別の人だと思いますが。

七條さんのお父さんは徳島県議会の議長を務めた方で、同県出身で当時警察庁長官だった後藤田正晴、後の官房長官にも協力を依頼したそうです。当時の後藤田長官から指示があれば警察はおそらく何が何でも探そうとしたでしょう。それで東京を出てから金沢まではよくこれほど調べたと思うほど調べています。

これだけ調べたのであれば、金沢のユースホステルを出てから、その日のうちに兵庫の西宮まで着かなければならなかったのですから金沢駅までのバスに乗ったか、あるいは金沢駅で目撃されていないかも調べたはずです。そのような情報がないのはなぜなのか。そこで本当に情報が消えたとするとなおのこと怪しいということになります。

また七條さんの写真からするとおとなしい真面目そうな学生という感じですが、親友の方によると極めて明るく、人を引きつけるタイプだったとのこと。確かに下の資料からもそれは感じられます。

後に弟の明さんが衆議院議員になられますが、もともとは一さんがその予定だったそうで、明さんによれば名前も投票用紙に書きやすいようにするために「一」と付けられたとのこと。ご本人もそのように思っていたそうです。何となく写真だけでイメージしていたので、あらためて思い込みに気をつけなければと思った次第です。

そんな環境だったので、学生運動との関係はないのではないか、というのが明さんと親友の方のお話しです。思想的にはおそらくそうだったと思います。ただし当時の、しかも学生運動の拠点だった明治大学の雰囲気からすると、何らかの理由で周りで目を付ける人間がいたということはあるかも知れません。ちなみにアルバイトはしていなかったのではないかとのこと。

七條さんには一度週刊誌で横田めぐみさんの夫ではないかとの報道がされたことがありました。根拠は全くわかりませんし、実際否定されていますが、北朝鮮にいるとの未確認情報もあり、引き続き調査を続けます。何かお気づきの方はお知らせいただけると幸いです。

■以下、作成者不明の資料(個人名などは伏せてあります)

1.健康保険保養所八ヶ山荘A氏

2月6日 PM8時ごろ来た

2月7日 AM8時30分頃出た

歩いて富山へ来た

駅まで1時間かかる

電車で行けと言ったが歩いていった

すごく明るい人

進んで話した

いい感じの人

変なところなし

今度金沢健康保険の保養所へ行くと言って出た

登山の格好していた

2.YH禄剛崎

9日PM1時ころ来た

「日程が早くなったので予約を取り消しに来た」といった

私方では料理の準備もしていたので泊まってほしかったが、同人の希望ではしかたなく「元気で旅を続けてください」といって送り出した

3.兼六園から案内してもらった女子高校生

・2月7日(土曜日)午後2時30分ころ

2人で兼六園の県の美術館の横を散歩していたとき、七条君から「天徳院へはどう行ったらよいのですか」と聞かれたので、二人が直接「案内します」ということでバスに乗っていき、天徳院を案内した。

次にバスで兼六園に帰り、次に県庁の前を通り中央公園(県庁の横で第4高校跡)に行き、次に金沢市片山、大和百貨店の屋上へ行って遊び、そこから近くのバス停からバスに乗って金沢市寺町1丁目で降り、そこから午後5時半ごろ、金沢荘の近くまで送って別れた。

案内した時間数は約3時間

・別れ際に「案内して頂いたお礼に」と言って二人に「誘惑者の日記」1冊(120円)、佐渡のおどり人形1個をくれた

・女の子二人はお互いに住所と氏名を名乗り、七條君から二人に名刺をわたしている

・さらに七條君から二人に「徳島に遊びに来たら知らせて欲しい、案内する」「ただし新婚旅行で来た時は案内できない」「大学はあと1年で卒業する。そして一生を徳島でくらす」「2月7日金沢荘で泊まり、2月8日9時の汽車で能登へ行きたい」等のことを言っている

・2月15日発信で、女子高校生から礼状が来ている

[差出人の住所、氏名]

金沢市○○ B子

4.8日夜、梶山旅館で一緒だった神大生及び画家の住所氏名

(省略)

5.7日及び9日の夜、金沢荘で一緒だった青森の鉄道員

以上

■行程についての当時の調査結果

2月3日

◆新宿 上野 8時40分発→急行 上越線

◆新潟 13時39分着

14時20分発→船

◆両津 16時50分着

新穂村 宝泉館H(新穂村潟上)泊

2月4日

新穂村→車で海岸線を北上、その後徒歩(どこから歩いたかは明らかでない)

◆弾崎→徒歩

◆外海府

外海府YH(佐渡郡岩谷口)午後4時着、泊

2月5日

◆外海府→海岸線南下

尖閣湾→相川

予定では相川泊であるが、冬は小木からの船便が1日1回しかないことがわかったため、真野まで足をのばす

◆真野 伊藤屋旅館H(佐渡郡真野町)泊

2月6日

◆真野→小木13時10分発

◆小木→船

直江津 16時10分着、16時30分発

糸魚川 17時07分着

ここでます寿司を買う

北陸本線急行白雪富山 18時19分着

ここから八ヶ山荘へTEL「遅くなったが今夜泊めてくれますか?夕食はます寿司を買ったのでいらない」

◆八ヶ山荘 健康保険保養所 20時着、泊

2月7日

◆八ヶ山荘 8時30分発→北陸本線

◆金沢 昼前着

兼六公園

・女子高校生と会い、案内してもらい、Y・Hまで送ってもらう

◆前田公の大徳院

◆香林城・大和デパート屋上で話す

◆金沢荘Y・H(健康保険保養所) 午後6時着、泊

・正午頃「予定より早くなった 夕食頼む」と電話あり。

・寄せ書きを書く。

・8日朝「能登をまわり大阪に帰る」と出る。

2月8日

◆金沢荘→能登路1号or2号

◆穴水→珠洲禄剛崎→曽々木 梶山旅館(輪島市野曽々木)泊

神戸大学の学生、山口県の画家と話す

◆輪島→曽々木

・どちらのコースを採ったか明らかでないが、七條氏、警察共に輪島コースだとみている。

2月9日

◆曽々木→平 時忠の墓・神大生がよいというので行く気になった

◆海岸線まわる・歩いているかもしれない

◆高谷館H

・予約してあった。

午後1時本人が来たが、予約は10日になっている、1日早すぎると言うと一回りしてくると言って出た。(但し、後に前言を翻し)そんな人は来なかった。

・警察資料ではY・H禄剛崎、七條さんは高谷館。

禄剛崎

・県保険課会計主任D氏にTELする「遅くなるが泊めて欲しい」。

・歩いているかもしれない

珠洲市

◆金沢 20時30分頃着

◆金沢荘

・21時頃着か?

・「能登をまわってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた、1泊する」と宿泊。

・受験に付き添ってきた青森の鉄道員と7日と9日の夜、共にする。

2月10日

◆金沢荘

・9時15分頃出発。

証言に少し食い違いがある

・雪が降っていたので兼六公園の雪景色を見てくると言って10cm位積もった雪の上を堤防の方へ向かって歩いて行った

・「東尋坊永平寺にまわる」と言って宿を出る

三方郡三方町 海山 予約済み?

2月10日

◆西宮 母の里着 予定

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

山口県警HP

https://www.police.pref.yamaguchi.lg.jp/

救う会山口HP

http://sukuukaiyamaguchi.blog.fc2.com/

救う会山口Facebook

https://facebook.com/sukuukaiyamaguchi

山口県特定失踪者家族会を支援する会facebook

https://facebook.com/groups/107829362893077?src=email_notif

■特定失踪者の帰国実現をめざす会・中国ブロックfacebook

https://facebook.com/groups/131092523902398?src=email_notif

長門市青海島・北朝鮮工作員侵入についてのビデオメッセージ

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=GCuW1Tyci74

長門市牛崎の鼻工作員上陸現場

https://youtube.com/watch?v=ZjuiA0xc5fg&feature=emb_imp_woyt

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・七條 一さんについて》

◆氏名:七條 一

(しちじょうはじめ)

(Hajime Shichijou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日

◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:東京都杉並区方南町1-24-12 三枝アパート

◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生

◆血液型:O型

◆身長:165cm

◆靴のサイズ:24.5cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)右利き

3)眼鏡着用

4)盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:石川県金沢市

【失踪状況】

2月3日早朝、下宿を出て北陸方面へ旅行に。

8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市ユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。

9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市ユースホステルに再度宿泊。

10日朝出発し、以後消息不明。

「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。

2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。

事前に東京の下宿から法要出席のための背広を西宮の母の実家に送ってあった。また弟の受験のため、14日には弟と東京に行く約束をしていた。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

■金沢ライブ(七條 一さん・非公開女性)

https://youtube.com/watch?v=cRGuuoJocGI

《特定失踪者・河田君江さんについて》

◆氏名:河田 君江

(かわたきみえ)

(Kimie Kawata)

◆失踪年月日:平成2(1990)年2月7日

◆生年月日:昭和41(1966)年8月15日

◆性別:女性

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:山口県豊浦郡豊浦町(現・山口県下関市

◆当時の身分:縫製工場勤務

◆身長:152cm~153cm

◆体重:47kg~48kg

◆血液型:B型

◆靴のサイズ:23.5cm

◆特徴:

1)ボブカット

2)左手の甲に3歳頃の火傷の跡(5cmくらい)

◆特技:手が器用。高校で和裁を中心に学習していたので浴衣、羽織などを作っていた

◆失踪場所:山口県豊浦郡豊浦町から下関の間

【失踪状況】

退勤後自宅近くで買い物したのち不明に。

2月20日頃、本人の乗っていた車が萩市島根県益田市の中間の国道沿いの駐車スペースに止まっているのが見つかる。

本人は運転時、ヒールのときは裸足で運転するほど汚すのが嫌いだったが、車が見つかったとき、運転席に泥、助手席にシダの葉、少量だが本人の血が付いたカミソリが見つかっている。

免許証、通帳などはそのまま。

その後預金の引き出しなし。

実家へ来るはずが全く逆の方向へ行っている。

2月18日に本人の声で知人に架電して「ごめんね」と言っている。

車内にあったレシートなどによると、8日午後1時34分に島根県出雲市でパン等を購入。

同日午後7時11分、長門市内のコンビニでおむすびを購入。

午後7時36分、同市内でカミソリ、チョコレートを購入。

午後7時37分、同市内弁当屋でのり弁1個を購入している。

島根県警HP

http://www.pref.shimane.lg.jp/police/

《特定失踪者・西村京子さんについて》

◆氏名:西村 京子

(にしむらきょうこ)

(Kyouko Nishimura)

◆失踪年月日:昭和62(1987)年12月27日

◆生年月日:昭和37(1962)年12月18日

◆性別:女性

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:山口県吉敷郡小郡町(現・山口市

◆当時の身分:洋装店店員。前職はバスガイド

◆身長:163cmくらい

◆体重:55kg

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)快活な性格

2)趣味は旅行

3)酒はほとんど飲まず、飲んでもビール2杯程度

◆失踪場所:山口県山口市湯田温泉

【失踪状況】

失踪日夕刻、自宅を車で出掛け、山口市湯田温泉の居酒屋で職場の同僚の女性(Aさん)と2人だけの忘年会を市内で行い、近くの別の飲食店で2次会を行った。

Aさんはそこで帰ったが、そこで男性(B氏)と知り合い、午後9時頃、西村さんがB氏の車に同乗するのをAさんが目撃したのを最後に2人とも失踪した。

B氏も現在まで行方不明。

西村さんの車は湯田温泉のスーパーの駐車場に置いてあった。

《特定失踪者・宮脇留義さんについて》

◆氏名:宮脇 留義

(みやわきとめよし)

(Tomeyoshi Miyawaki

◆失踪年月日:昭和41(1966)年9月30日

◆生年月日:昭和14(1939)年3月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:山口県光市

◆当時の身分:製鉄会社社員

◆身長:165cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)骨組みがっちり

3)手足大きめ

4)左目尻に1cmくらいの傷あり

5)右足膝下に5cmくらいの切り傷あり

6)話し方に時々鹿児島弁が出る

7)甲種坑内保安係員(国家試験免許)と起重機運転士免許を保有

8)酒好き

◆失踪場所:山口県光市

【失踪状況】

鹿児島県出身。

福岡や名古屋の会社で働いた後、山口県光市の製鉄所で昭和38年から勤務していたが昭和41年9月下旬、会社から「居なくなったが、帰省していないか」旨の手紙が実家に届き、失踪が判明した。

事後の調べで郵便貯金が同年9月30日付で全額引き出されていたが、本人が引き出したかは判明していない。

失踪日は最後に郵便貯金を下ろした日付。

同じ日付で鹿児島の父(平成13年死去)が手紙を送ったが「退社・帰郷、受取人不明」で返送される。

10月、京都の消印で光市の寮の同室者に「テレビ等の家具はやる」との葉書が届く。

同年12月末、母と次男が会社・寮を訪ね、会社の人事担当者と上司の作業長、寮母に会い、いきさつを聞くと「突然行方不明になった」とのこと。

給料、退職金、社内預金にも手をつけていない。

■鹿児島県警HP

http://www.pref.kagoshima.jp/police/

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

■愛知県警HP

http://www.pref.aichi.jp/police/

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

《特定失踪者・村本宣夫さんについて》

◆氏名:村本 宣夫

(むらもとのぶお)

(Nobuo Muramoto)

◆失踪年月日:昭和46(1971)年3月24日

◆生年月日:昭和7(1932)年8月18日

◆性別:男

◆当時の年齢:38歳

◆当時の住所:山口県岩国市

◆当時の身分:運転手・事務・雑用

◆身長:162cmくらい

◆特徴:

1)20歳〜25歳頃、和菓子製造職人をしていて、卸売りもしていた

2)喫煙は少々

3)パチンコをやっていた様子

◆失踪場所:山口県岩国市

【失踪状況】

岩国市の下宿先から失踪。

免許、お金など全部置いてあり、普段着のまま失踪した。

乗用車も新車に乗り換えたばかり、夫婦生活、人間関係に特に変わったことはなかった。

行く先を告げずに遊びに行くことはなかった。

失踪後、連絡一切なし。

《特定失踪者・国広富子さんについて》

◆氏名:国広 富子

(くにひろとみこ)

(Tomiko Kunihiro)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年8月2日

◆生年月日:昭和27(1952)年2月9日

◆性別:女性

◆当時の年齢:24歳

◆当時の住所:山口県宇部市

◆当時の身分:看護師

◆身長:152cm

◆体重:48kg

◆血液型:O型

◆特徴:

1)左こめかみから頬にかけうす茶色のあざ(化粧で隠れるほど、1cmくらいのあざ)

2)ざっくばらんな性格

3)兄弟思い

◆失踪当時の服装:グリーンのノースリーブシャツに薄黄色の7分丈のズボン、白いつっかけの軽装

◆失踪場所:山口県宇部市笹山

【失踪状況】

午後8時半頃、母親にたばこを買いに行くのを頼まれ、自宅から数十メートル先のたばこ自販機まで300円のみを持ってサンダル履きで家を出たまま消息不明。

新しい病院に勤務し始めたばかりだった。

平成16年1月29日、山口県宇部警察署に告発状提出。

■国広富子さん失踪現場からのライブ

https://youtube.com/watch?v=r4s5Ond9yA8

《特定失踪者・尹文夫さんについて》

◆氏名:尹文夫

(ゆんふみお)

(Fumio Yung)

◆別名:安村 文夫

(やすむらふみお)

(Fumio Yasumura)

◆失踪年月日:昭和52(1977)年9月16日

◆生年月日:昭和29(1954)年9月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:山口県美祢市

◆当時の身分:朝鮮大学校退学後で無職

◆身長:175cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:右手か左手かはっきりしないが手の甲に3cm程度の切傷

◆失踪場所:山口県新下関駅

【失踪状況】

県立高校の普通科を卒業後、朝鮮大学校工学部に入学したが言葉が通じないのと思想的な違和感から1年次に中退。

一度山口県美祢市の実家に帰るが仕事がなく、父親と意見の衝突があり家を出た。

以後外国人登録、運転免許も更新していない。

再度上京してそのまま消息不明。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

在日朝鮮人の拉致について

https://youtube.com/watch?v=N_kst-0qfYc&feature=emb_imp_woyt

■30分で分かる朝鮮学校問題 ~子供たちの明るい未来のために~動画

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR0pUgYHuN3Jiwey_HmR7h1oRtUoRFwDie3j-ZxUtptD2rpHRcoYMA1BJwk&v=CzKCoOZtVoo

【荒木和博・特定失踪者問題調査会代表による安村文夫さん失踪事件の解説】

今月(2017年6月)刊行された『朝鮮大学校研究』(産経新聞出版刊)を読んで、よくもまあ、こういう学校が認可されたものだと半ば呆れ、半ば感心(?)しました。最近の加計学園問題での騒ぎを見るにつけ、「こっちの認可問題の方がよっぽど大事だろう」と思わざるをえません。

左翼都政だった美濃部知事時代のことではありますが、本書には認可の運動をしている最中に学内では北朝鮮さながらの権力闘争が行われていたとも書かれています。文科省も女性の貧困の研究は厚労省に任せて、今からでもしっかりチェックしてもらいたいものです。

ところで特定失踪者の中で1人朝鮮大学校に在籍した人がいます。

安村(尹)文夫さん。

昭和52年(1977)9月16日、新下関駅から新幹線で東京に向かったまま行方が分からなくなりました。当時23歳。

安村さんは山口県立の普通科高校を卒業後朝鮮大学校工学部に入学しました。お父さんが朝鮮総聯から表彰されたこともあったので朝大にはスムーズに入学できたそうですが、言葉が通じないのと思想的な違和感から1年生の途中で退学、実家に戻っていました。ご家族によれば東京には知人は朝大関係者しかいないとのことなので、何か声がかかったのかも知れませんが詳細は不明です。

安村さんが失踪する5年前、昭和47年(1972年)は金正恩キム・ジョンウン)の祖父・金日成(キム・イルソン)の還暦の年でした。『朝鮮大学校研究』にも出てきますが朝鮮総聯はその年朝鮮大学校の学生200人を北朝鮮に送ります。還暦祝いの貢ぎ物で、もちろん片道切符です。

私の中学の1年後輩(在日)も同じ昭和47年、中学2年の夏休みに北朝鮮に行って帰ってきませんでした。夏休みが終わっても登校せず、北朝鮮に行って戻ってこないということは分かったもののそのまま除籍になったようです。このことを知ったのは数年前なのですが、行った経緯は分からないものの、おそらく同じ扱いになったのではないかと思います。

そして安村さん失踪の3日後には久米 裕さん拉致、いわゆる宇出津事件が起きています。翌月には松本京子さん、その翌月には横田めぐみさんが拉致されています。帰還事業と拉致というのは決して無関係ではない、そんな思いもしている次第です。

《特定失踪者・花田昭博さんについて》

◆氏名:花田 昭博

(はなだあきひろ)

(Akihiro Hanada)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年9月24日

◆生年月日:昭和41(1966)年4月5日

◆性別:男性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:広島県大竹市

◆当時の身分:高校3年生

◆身長:169cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)左眉毛上に米粒大のほくろ

3)一重瞼

◆失踪場所:当時居住していた自宅から

【失踪状況】

失踪当日自宅テーブルの上に「釣りに行きます」との書置きを残し、朝5時~6時頃家を出たまま行方不明となる。

本人は留守にするときには必ず書き置きをしていた。

当日は学校は休みだった。

1週間後、自宅から33km離れた山口県大島大橋山口県柳井市と大島郡周防大島町間の大畠瀬戸に架かる橋)の中央近く車道部分に本人の自転車と釣り竿が放置されていた。

釣りが趣味だったが、通常はほとんど1人で出かけており、たまに2歳年上の友人と行ったこともあった。通常行く先は自転車で行ける範囲の大竹海岸だった。

本人が小学生のとき、お父さんとお父さんの知人、その子供たちで大島大橋を渡って島内に入り釣りをしたことが何度かあるが1人で大島まで釣りに行ったことはなかった。

自宅には小遣い7,000円~8,000円が残されていた。

間違い電話の可能性はあるが失踪後何度か無言電話はあった。

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・坂本英明さんについて》

◆氏名:坂本 英明

(さかもとひであき)

(Hideaki Sakamoto)

◆失踪年月日:昭和42(1967)年11月20日

◆生年月日:昭和10(1935)年11月15日

◆性別:男

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:大阪府大阪市西区の社員寮

◆当時の身分:会社員。その前は航空自衛隊に6年勤務。

◆身長:165cm

◆体重:50kg

◆特徴:

1)たばこを1日10本くらい吸う

2)酒は少々飲む

◆失踪場所:大阪府大阪市西区立売堀

【失踪状況】

免許の更新に行くと言って会社の独身寮から外出したまま外出したまま戻らず。

更新の手続きはされていなかった。

高校卒業後、山口県防府市航空自衛隊に6年勤務し、その後運送会社に務める。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・西村三男さんについて》

◆氏名:西村 三男

(にしむらみつお)

(Mitsuo Nishimura)

◆失踪年月日:昭和56(1981)年5月

◆生年月日:昭和37(1962)年5月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:山口県山口市

◆当時の身分:会社員(住宅メーカー工場勤務)

熊本県出身

◆身長:170cmくらい

◆血液型:O型

◆特徴:中学・高校時代は野球部に所属

◆失踪場所:山口県山口市

【失踪状況】

ゴールデンウィーク後、実家の実家の熊本県宮原町(現・氷川町)から山口市にある会社に戻り、寮から工場へ移動中失踪。

原付免許も寮に置いたまま、住民票もそのまま。

会社の記録では5月下旬から欠勤となっている。

失踪後6ヶ月程して無言電話あり。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.