もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】荒木和博編[七條 一さん足どり]/MRO〈福井〉

※七條 一さんは失踪前、永平寺へ向かった可能性があります。

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!金沢で突然切れた足取り》

【8月17日水曜日】

特定失踪者問題調査会代表 荒木和博

7月21日に現地ライブを実施した金沢でお話ししたように、七條 一さんの足取りは昭和45年(1970)2月10日、突然途切れます。

■ライブ動画

https://youtu.be/cRGuuoJocGI

現在調査会にある資料で、もともとはご家族から提供されたものだと思うのですが、誰が作ったのか不明のもの(この下に付けておきます)があります。そこには金沢までの足取りが極めて詳しく書かれています。一昨日七條さんの同郷の親友の方とお話しして、これを調べたのは警察だろうということになりました。資料を作成したのは別の人だと思いますが。

七條さんのお父さんは徳島県議会の議長を務めた方で、同県出身で当時警察庁長官だった後藤田正晴、後の官房長官にも協力を依頼したそうです。当時の後藤田長官から指示があれば警察はおそらく何が何でも探そうとしたでしょう。それで東京を出てから金沢まではよくこれほど調べたと思うほど調べています。

これだけ調べたのであれば、金沢のユースホステルを出てから、その日のうちに兵庫の西宮まで着かなければならなかったのですから金沢駅までのバスに乗ったか、あるいは金沢駅で目撃されていないかも調べたはずです。そのような情報がないのはなぜなのか。そこで本当に情報が消えたとするとなおのこと怪しいということになります。

また七條さんの写真からするとおとなしい真面目そうな学生という感じですが、親友の方によると極めて明るく、人を引きつけるタイプだったとのこと。確かに下の資料からもそれは感じられます。

後に弟の明さんが衆議院議員になられますが、もともとは一さんがその予定だったそうで、明さんによれば名前も投票用紙に書きやすいようにするために「一」と付けられたとのこと。ご本人もそのように思っていたそうです。何となく写真だけでイメージしていたので、あらためて思い込みに気をつけなければと思った次第です。

そんな環境だったので、学生運動との関係はないのではないか、というのが明さんと親友の方のお話しです。思想的にはおそらくそうだったと思います。ただし当時の、しかも学生運動の拠点だった明治大学の雰囲気からすると、何らかの理由で周りで目を付ける人間がいたということはあるかも知れません。ちなみにアルバイトはしていなかったのではないかとのこと。

七條さんには一度週刊誌で横田めぐみさんの夫ではないかとの報道がされたことがありました。根拠は全くわかりませんし、実際否定されていますが、北朝鮮にいるとの未確認情報もあり、引き続き調査を続けます。何かお気づきの方はお知らせいただけると幸いです。

■以下、作成者不明の資料(個人名などは伏せてあります)

1.健康保険保養所八ヶ山荘A氏

2月6日 PM8時ごろ来た

2月7日 AM8時30分頃出た

歩いて富山へ来た

駅まで1時間かかる

電車で行けと言ったが歩いていった

すごく明るい人

進んで話した

いい感じの人

変なところなし

今度金沢健康保険の保養所へ行くと言って出た

登山の格好していた

2.YH禄剛崎

9日PM1時ころ来た

「日程が早くなったので予約を取り消しに来た」といった

私方では料理の準備もしていたので泊まってほしかったが、同人の希望ではしかたなく「元気で旅を続けてください」といって送り出した

3.兼六園から案内してもらった女子高校生

・2月7日(土曜日)午後2時30分ころ

2人で兼六園の県の美術館の横を散歩していたとき、七条君から「天徳院へはどう行ったらよいのですか」と聞かれたので、二人が直接「案内します」ということでバスに乗っていき、天徳院を案内した。

次にバスで兼六園に帰り、次に県庁の前を通り中央公園(県庁の横で第4高校跡)に行き、次に金沢市片山、大和百貨店の屋上へ行って遊び、そこから近くのバス停からバスに乗って金沢市寺町1丁目で降り、そこから午後5時半ごろ、金沢荘の近くまで送って別れた。

案内した時間数は約3時間

・別れ際に「案内して頂いたお礼に」と言って二人に「誘惑者の日記」1冊(120円)、佐渡のおどり人形1個をくれた

・女の子二人はお互いに住所と氏名を名乗り、七條君から二人に名刺をわたしている

・さらに七條君から二人に「徳島に遊びに来たら知らせて欲しい、案内する」「ただし新婚旅行で来た時は案内できない」「大学はあと1年で卒業する。そして一生を徳島でくらす」「2月7日金沢荘で泊まり、2月8日9時の汽車で能登へ行きたい」等のことを言っている

・2月15日発信で、女子高校生から礼状が来ている

[差出人の住所、氏名]

金沢市○○ B子

4.8日夜、梶山旅館で一緒だった神大生及び画家の住所氏名

(省略)

5.7日及び9日の夜、金沢荘で一緒だった青森の鉄道員

以上

■行程についての当時の調査結果

2月3日

◆新宿 上野 8時40分発→急行 上越線

◆新潟 13時39分着

14時20分発→船

◆両津 16時50分着

新穂村 宝泉館H(新穂村潟上)泊

2月4日

新穂村→車で海岸線を北上、その後徒歩(どこから歩いたかは明らかでない)

◆弾崎→徒歩

◆外海府

外海府YH(佐渡郡岩谷口)午後4時着、泊

2月5日

◆外海府→海岸線南下

尖閣湾→相川

予定では相川泊であるが、冬は小木からの船便が1日1回しかないことがわかったため、真野まで足をのばす

◆真野 伊藤屋旅館H(佐渡郡真野町)泊

2月6日

◆真野→小木13時10分発

◆小木→船

直江津 16時10分着、16時30分発

糸魚川 17時07分着

ここでます寿司を買う

北陸本線急行白雪富山 18時19分着

ここから八ヶ山荘へTEL「遅くなったが今夜泊めてくれますか?夕食はます寿司を買ったのでいらない」

◆八ヶ山荘 健康保険保養所 20時着、泊

2月7日

◆八ヶ山荘 8時30分発→北陸本線

◆金沢 昼前着

兼六公園

・女子高校生と会い、案内してもらい、Y・Hまで送ってもらう

◆前田公の大徳院

◆香林城・大和デパート屋上で話す

◆金沢荘Y・H(健康保険保養所) 午後6時着、泊

・正午頃「予定より早くなった 夕食頼む」と電話あり。

・寄せ書きを書く。

・8日朝「能登をまわり大阪に帰る」と出る。

2月8日

◆金沢荘→能登路1号or2号

◆穴水→珠洲禄剛崎→曽々木 梶山旅館(輪島市野曽々木)泊

神戸大学の学生、山口県の画家と話す

◆輪島→曽々木

・どちらのコースを採ったか明らかでないが、七條氏、警察共に輪島コースだとみている。

2月9日

◆曽々木→平 時忠の墓・神大生がよいというので行く気になった

◆海岸線まわる・歩いているかもしれない

◆高谷館H

・予約してあった。

午後1時本人が来たが、予約は10日になっている、1日早すぎると言うと一回りしてくると言って出た。(但し、後に前言を翻し)そんな人は来なかった。

・警察資料ではY・H禄剛崎、七條さんは高谷館。

禄剛崎

・県保険課会計主任D氏にTELする「遅くなるが泊めて欲しい」。

・歩いているかもしれない

珠洲市

◆金沢 20時30分頃着

◆金沢荘

・21時頃着か?

・「能登をまわってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた、1泊する」と宿泊。

・受験に付き添ってきた青森の鉄道員と7日と9日の夜、共にする。

2月10日

◆金沢荘

・9時15分頃出発。

証言に少し食い違いがある

・雪が降っていたので兼六公園の雪景色を見てくると言って10cm位積もった雪の上を堤防の方へ向かって歩いて行った

・「東尋坊永平寺にまわる」と言って宿を出る

三方郡三方町 海山 予約済み?

2月10日

◆西宮 母の里着 予定

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

■北陸3県有志の会ブログ

http://koudousuruhokuriku.seesaa.net/

小浜市岡津海岸ライブ

https://youtube.com/watch?v=XDhW8At8WSA

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

《特定失踪者・七條 一さんについて》

◆氏名:七條 一

(しちじょうはじめ)

(Hajime Shichijou)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月10日

◆生年月日:昭和23(1948)年8月22日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:東京都杉並区方南町1-24-12 三枝アパート

◆当時の身分:明治大学政経学部政治学科3年生

◆血液型:O型

◆身長:165cm

◆靴のサイズ:24.5cm

◆特徴:

1)中肉中背

2)右利き

3)眼鏡着用

4)盲腸の手術痕あり

◆失踪場所:石川県金沢市

【失踪状況】

2月3日早朝、下宿を出て北陸方面へ旅行に。

8日に能登を回って西宮市の母の実家に立ちより、徳島に帰る予定で、金沢市ユースホステルを出発し、輪島市で宿泊。

9日「能登を回ってバスが遅れ、大阪行きの汽車に遅れた」と同じ金沢市ユースホステルに再度宿泊。

10日朝出発し、以後消息不明。

「雪が降っていたので兼六園の雪景色を見てくると言って10センチ位積もった雪の上を堤防の方に向かって歩いて行った」という証言と「東尋坊永平寺に回ると言って宿を出る」という証言がある。

2月10日は夕方のフェリーで西宮市の母の実家から祖父母を徳島に連れて帰り、翌日行われる法要に出席する約束をしていた。

事前に東京の下宿から法要出席のための背広を西宮の母の実家に送ってあった。また弟の受験のため、14日には弟と東京に行く約束をしていた。

北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

徳島県警HP

http://www.police.pref.tokushima.jp/

■金沢ライブ(七條 一さん・非公開女性)

https://youtube.com/watch?v=cRGuuoJocGI

◆昭和53(1978)年7月7日

アベック拉致容疑事案

被害者:地村保志さん(Yasushi Chimura)

(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:地村富貴惠さん(Fukie Chimura)

(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)

※This person was Abduction by North Korea

「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。

2人は昭和54年に結婚。

平成14年10月に日本に帰国。

娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。

捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員辛光洙シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)階段を一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」

(地村富貴恵さんの証言)

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

■地村保志さん・富貴恵さんについてのエピソード

https://youtube.com/watch?v=a7Aiiwi7se4&feature=emb_imp_woyt

■浜本雄幸さんのこと

https://youtube.com/watch?v=UAkTpwVkaIg&feature=emb_imp_woyt

救う会TV「条件拉致 地村さん夫妻事件」

https://youtube.com/watch?v=HmlEpOLwtQk&feature=youtu.be

[July 7, 1978: Couple abducted]

Abductees: Yasushi Chimura (23, male, Fukui Prefecture), Fukie Chimura (nee Hamamoto, 23, female, Fukui Prefecture)

Disappeared after saying they were going out on a date.

The two married in 1979 and returned to Japan in October 2002. Their daughter and two sons arrived in Japan in May 2004.

In February 2006, the Japanese authorities issued an arrest warrant for Sin Kwang-Su, the North Korean agent believed to be responsible for their abductions, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan.

《特定失踪者・河合美智愛さんについて》

◆氏名:河合 美智愛

(かわいみちえ)

(Michie Kawai)

◆失踪年月日:昭和59(1984)年4月2日

◆生年月日:昭和38(1963)年12月18日

◆性別:女性

◆当時の年齢:20歳

◆当時の住所:福井県越前市

◆当時の身分:繊維会社会社員

◆身長:169cm

◆血液型:AB型

◆特徴:

1)おでこが広い

2)口元に小さなホクロ

3)丸顔

4)髪の毛は柔らかくて多くない

5)右膝外側に10cm程度のあざ

6)趣味はドライブ

◆失踪場所:福井県武生市(現・越前市

【失踪状況】

失踪前日から地元の繊維会社に勤め始めていた。

昼食のために会社から一旦帰宅して昼食を取った後、会社に向かったが会社には着かずそのまま行方不明となった。

職場から「午後は休みだった」と連絡が来て会社に着いていないことが分かった。

自室の鏡台の上に財布を置いたままだった。

乗っていた自家用車(カローラ)も見つかっていない。

失踪後、1~2回、実家に無言電話がかかってきたが、名前を呼びかけると直ぐに切れた。

平成6年頃、宮城県内で目撃情報があります。

宮城県警HP

http://www.police.pref.miyagi.jp/

《特定失踪者・高木茂久さんについて》

◆氏名:高木 茂久

(たかぎしげひさ)

(Shigehisa Takagi)

◆失踪年月日:昭和36(1961)年8月10日

◆生年月日:昭和15(1940)年3月3日

◆性別:男

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:大阪府寝屋川市

◆当時の身分:同志社大学商学部3年生

◆身長:170cm

◆体重:60kg

◆特徴:

1)似顔絵を書いたり絵を描くのが上手

2)煙草を吸う

3)野球が好き

4)ゴルフを始めた頃に失踪

◆失踪場所:福井県小浜市の海水浴場

【失踪状況】

友人の女性とよく福井県小浜の海水浴場に行っていた。

失踪前日にその彼女と遊びに行くと言って、特に大金や所持品も持たず大阪の自宅を車で出かけたが、女性とともに行方がわからなくなった。

友達の女性と大阪市内の自宅から小浜の方によく泳ぎに行ったりしていた。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・田中浩史さんについて》

◆氏名:田中 浩史

(たなかひろし)

(Hiroshi Tanaka)

◆失踪年月日:平成8(1996)年4月5日

◆生年月日:昭和35(1960)年6月11日

◆性別:男

◆当時の年齢:35歳

◆当時の住所:京都府京都市山科区

◆当時の身分:ビルメンテナンス(排水管清掃等)

◆身長:170cm~172cm

◆体重:50kg

◆血液型:B型

◆特徴:

1)痩せ型

2)顔色浅黒

3)実年齢より若く見える

4)飲酒・喫煙をする

5)腰痛持ちのためやや足を引きずり加減で歩く

6)料理が得意

7)手先が器用

◆持病:肩こり、腰痛、喘息性気管支炎の持病あり

◆失踪場所:福井県丹生郡河野村

【失踪状況】

当日朝7時半、いつもと同じ時間に出勤のため車で京都市山科区の家を出る。

同日昼過ぎに勤務先(京都市山科区)から欠勤していると連絡あり。ポケベルで呼び出すが連絡なし。

翌6日捜索願を出す。

10日福井県警丹生警察署から「丹生郡河野村の海岸沿いに車を発見した」との報があり、丹生郡河野村の海岸沿いに車が発見された。

夕方確認に出向くと車の中に本人のバッグ、ポケベル、免許証があったが、財布は発見できず。海も捜したが見つからなかった。

所持金は2万円~3万円だったと思われる。

同年6月に福井県警より4月5日午前中に福井県内の道でスピード違反をして本人署名のある納付書が送付された。

京都府警HP

http://www.pref.kyoto.jp/fukei/

■越前海岸/山下 貢さん・田中浩史さん・林 雅俊さん失踪関連現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=v7CxRYIeRy0

《特定失踪者・林 雅俊さんについて》

◆氏名:林 雅俊

(はやしまさとし)

(Masatoshi Hayashi)

◆失踪年月日:平成10(1998)年5月12日

◆生年月日:昭和50(1975)年1月20日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:岐阜県不破郡垂井町

◆当時の身分:岐阜大学大学院生(土木科)

◆身長:169cm

◆体重:50kg

◆失踪場所:福井県丹生郡越前町梅浦の海岸

【失踪状況】

午前9時頃いつもどおりに大学へ車で向かった。22時30分に大学の指導スタッフと別れる。

この日の夜は帰宅しなかった。

それまでも卒論などで朝帰りや泊まり込みがあったので帰宅しなくても不思議ではなかった。

5月13日福井県越前町の海岸に車が止まっているとの電話が四ケ浦駐在所から自宅にある。

車は海岸の釣り場に下りて行くところ(本人は釣りはやらない)で、下りて行く道を塞いだように停まっていた。当日早朝から止めてあった模様。

ドアはロックしてあり、中にパソコン、財布、免許証などすべて置いてあった。座席のリクライニングは倒れていた。

パソコンには次のようなメッセージが残されていた。

[いやあ、もう疲れちゃったよ

少し道をはずしてしまったような気がする

何も考えずにここまできてしまった

このままゼネコンへ入ったとしてもやっていく自信はぜんぜんありません

修論も考えるとぞっとします

今までさんざんわがまま言ってごめんね

先生にもよろしく

このパソコンは○○さんにあげます

本当にすんません]

メッセージの残された時間は13日午前2時04分だったが、友人の証言や多数の遺書を見てきた川人 博弁護士の見解など、本人のものでない可能性が少なくない。

その後無言電話が1~2カ月間続いた。

1回女性の声で「雅俊さんいませんか」という電話があった。

車が置いてあった場所は山下 貢さんの車が置いてあった場所(通称・よびかけ地蔵)から直線距離で10キロほどのところで、置かれていた状況も類似している。

また、北朝鮮にいるとの不確定情報がある。

岐阜県警HP

http://www.pref.gifu.lg.jp/police/

■林 雅俊さんについて

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=l6OGEIofuoA

■越前海岸/山下 貢さん・田中浩史さん・林 雅俊さん失踪関連現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=v7CxRYIeRy0

■林 雅俊さんの父・俊雄さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第87回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=mdHBF_PdP7w

《特定失踪者・濱端俊和さんについて》

◆氏名:濱端 俊和

(はまばたとしかず)

(Toshikazu Hamabata)

◆失踪年月日:昭和58(1983)年4月10日

◆生年月日:昭和34(1959)年9月10日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:会社員(原子力発電所の定修工事)

沖縄県うるま市出身

◆身長:155cm

◆体重:50kg

◆特徴:左顎下にアザ

◆失踪場所:福井県敦賀市敦賀駅

【失踪状況】

沖縄県出身で地元の会社から横浜の建設会社に研修生として派遣されていた。

昭和58年3月末に大飯原発の定修工事が完了し、美浜原発の定修工事に転出するため、3月30日に横浜の本社に到着。

工事の機材を積み込んで4月2日に美浜に向け出発、3日着。

4日から美浜原発定修工事作業準備。

9日同じ沖縄出身の同僚と日帰りでアメ横まで洋服を買いに行く。

10日その同僚をパチンコに誘うが同僚が行かなかったので一人でタクシーを呼び、当時宿泊していた敦賀市内の寮を出たまま失踪(タクシーは敦賀駅前で降りたことが確認されている)。

ジャンパー姿で出掛けており、免許証、貯金通帳、保険証などの荷物すべて置いたまま。

広島に友人に預けた車があったがそれもそのまま。

10月23日Yという女性から沖縄の実家に電話があり、9月末にご主人が行方不明になった。行方が分からないかとの問い合わせがあった。

濱端さんとは神奈川県内にある自動車工場で知り合ったとのこと(濱端さんは昭和55年4月から10月までここに季節工として勤務)。

お母さんが電話を受け、息子も行方不明になっていると伝え、電話番号を聞いたが教えてもらえなかったという。

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

沖縄県警HP

http://www.police.pref.okinawa.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・藤原英二さんについて》

◆氏名:藤原 英二

(ふじわらえいじ)

(Eiji Fujiwara

◆失踪年月日:昭和50(1975)年1月

◆生年月日:昭和24(1949)年7月26日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の身分:調理師。東京の弁当工場に勤務

◆当時の住所:東京都新宿区

◆身長:168cm

◆特徴:

1)中肉

2)色弱と乱視あり

3)趣味は釣り

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

昭和50年正月の1日か2日頃の夜(19時頃)、突然広島の実家に電話をしてきて、家族に「いま福井に釣りに来ている」と語る。

その後一切の連絡がなく行方不明となる。

同年3月、母がみかんを送ろうと東京の勤め先に電話すると、前年末から出勤していないとのこと。

その春、姉が東京の居候先である友人宅へ行くと、衣類、釣り道具など荷物はそのままで免許証もあった。

昭和50年1月の1日か2日頃(夜7時頃)、突然家族に「今、福井に釣りに来ている」と電話をしてきた。

しかしその後一切の連絡なく今日まで音沙汰がない状態。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

広島県警HP

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/police/

《特定失踪者・古川文夫さんについて》

◆氏名:古川 文夫

(ふるかわふみお)

(Fumio Furukawa)

◆失踪年月日:昭和45(1970)年2月

◆生年月日:昭和26(1951)年9月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:兵庫県尼崎市

◆当時の身分:大工見習い

◆身長:160cm

◆血液型:O型

◆特徴:

1)痩せ型

2)髪型は七三分け

3)喘息の発作で時々息ができなくなる

4)酒は少々飲む

◆失踪場所:福井県

【失踪状況】

3日くらいの日程で北陸方面へ遊びに行くと家を出て行方不明。

出かけて3日目くらいに「あと3日ほどで帰る」との電話があったが帰宅せず。

さらにその後、石川県の消印で、質札が入った手紙が届いた。

質物件は本人のカメラなどだった。

その他、家出するような心当たりはなし。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・松永正樹さんについて》

◆氏名:松永 正樹

(まつながまさき)

(Masaki Matsunaga)

◆失踪年月日:平成7(1995)年8月28日

◆生年月日:昭和40(1965)年1月14日

◆性別:男

◆当時の年齢:30歳

◆当時の住所:香川県

◆当時の身分:無職(以前は運送会社などに勤めていた)

◆身長:170cmくらい

◆失踪場所:香川県善通寺市~福井~北海道か?

【失踪状況】

1995(平成7)年8月28日未明、「福井へ10日から2週間、仕事で行ってくる」とメモを残して車で香川県善通寺市の自宅を出たまま行方不明となる。

クレジットカードの支払い明細から8月28日に福井県三方五湖でガソリン34リットル給油。

9月1日以降網走、阿寒湖などで給油。

9日に足寄で29リットルを給油。

同月14日北海道の消印で、本人が本人宛に書いた封書が届く。

本人の部屋へ置いておくが、3週間過ぎても帰らないので開封すると、車番号、銀行口座番号、印鑑、暗証番号、車のキーが入っていた。

9月12日、青森で預金5万円が引き出されている。

同年12月19日、北海道苫小牧市の会社所有地に車が放置されているのが発見される。

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

福井県警HP

http://www.pref.fukui.jp/kenkei/

香川県警HP

http://www.pref.kagawa.jp/police/

《特定失踪者・丸山善昭さんについて》

◆氏名:丸山 善昭

(まるやまよしあき)

(Yoshiaki Maruyama)

◆失踪年月日:昭和41(1966)年3月31日

◆生年月日:昭和18(1943)年8月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:22歳

◆当時の住所:石川県加賀市

◆当時の下宿先:福井県坂井郡三国町

◆当時の身分:漁船員(底引き網漁船)

◆身長:160cm

◆特徴:

1)面長

2)優しい人柄

3)酒好き

◆失踪当時の服装:当日は背広上下で裸足で下駄履きの格好

◆失踪場所:福井県坂井郡三国町三国漁港周辺

【失踪状況】

三国町の下宿に「加賀の実家に行ってくる」と伝言して出かけたまま行方不明となる。

当日は月末の給料日で、天気が良くても出港をしないことになっていた。

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

《特定失踪者・山下春夫さんについて》

◆氏名:山下 春夫

(やましたはるお)

(Haruo Yamashita)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年8月17日

◆生年月日:昭和21(1946)年3月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:福井県小浜市

◆当時の身分:会社員。造船会社に住み込み勤務

◆身長:160cm

◆特徴:

1)色白

2)角張った顔

3)水泳が得意

◆失踪場所:福井県小浜市一番町

【失踪状況】

朝8時の会社の始業時間前に同居の大工から「山下さんが昨夜夜釣りに出かけたまま戻らない」と連絡がある。

会社前の岸壁に本人の作業靴を発見。

港内、湾内を捜索するが手がかりなし。

8月16日会社近くで夕涼みを兼ねて夜釣りに行くと出かけたまま失踪。本人の作業靴が発見されている。

失踪2か月前に小浜市の岡津(おこづ)海岸から高敬美・剛姉弟が連れ出されたとされる。

山下 貢さん、林 雅俊さんも近隣地域からの失踪だが、この地域は過去も現在も頻繁に工作員の出入りが行われている地域である。

兄の長男が後継者となるはずだったが急死したので、末弟の春夫さんを大阪から帰省させ、その年の6月から親戚が経営する地元の造船会社に就職させた。

大阪府警HP

http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・山下 貢さんについて》

◆氏名:山下 貢

(やましたみつぐ)

(Mitsugu Yamashita)

◆失踪年月日:平成元(1989)年12月27日

◆生年月日:昭和25(1950)年7月5日

◆性別:男

◆当時の年齢:39歳

◆当時の住所:福井県敦賀市

◆当時の身分:作業員

◆特徴:

1)くせ毛

2)右利き

3)腰部に縦20cmの手術痕

◆失踪場所:福井県越前町

【失踪状況】

失踪当日早朝4時頃、釣り道具を持って「魚を釣ってくる」と実家を出て失踪。

越前町午房が平の国道305号線沿い(通称・よびかけ地蔵)に車が発見される。

岩場に餌箱が残されていたが、遺体はもちろん釣り竿、その他の遺留品も未発見。

車は鍵がかかっており、車内に長靴・食べかけのおにぎり・免許証等が残される。

当時海は穏やか、浜育ちの本人は泳ぎ達者。

当時の所轄だった丹生警察署の調べでは

1)交通事故の可能性はない

2)自殺する動機は見当たらない

3)岩場から転落した形跡は認められない

4)付近一帯の検分・捜索の結果何も見つからず

失踪後数年経った頃、本人の自宅や実家などに無言電話や不審な電話がかかる。

■越前海岸/山下 貢さん・田中浩史さん・林 雅俊さん失踪関連現場ライブ

https://youtube.com/watch?v=v7CxRYIeRy0

■山下 貢さんの母・きよ子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第22回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=aDWI_CsYirQ&t=540s

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.