もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2022(18)/櫻井よしこ編

櫻井よしこ(総合司会)

飯塚繁雄さんの志を継ぐ

ただ今より、「全拉致被害者の即時一括帰国を!私たちは決して諦めない!国民大集会」を開催致します(この集会は5月29日に開催)。

昨年12月に、家族会代表として14年間、拉致被害者救出運動の先頭に立ってくださった飯塚繁雄さんが亡くなりました。その前の国民大集会が最後の訴えとなりましたが、その挨拶の中で飯塚さんは、「決して諦めない」、「取り返すことを諦めない」、「北朝鮮に捕らわれている人たちのことを諦めない」と3回も「諦めない」という言葉を使いました。

飯塚代表の志を継ぐ意味で、私たちは今回の大集会のスローガンに、「諦めない」という言葉を入れました。「全拉致被害者の即時一括帰国を!私たちは決して諦めない!国民大集会」でございます。本当に気持ちを込めて今日の集会を進めてまいりたいと思います。

■参加家族紹介

めぐみさんが拉致された45年が経ちました。そして家族会が結成されてから25年が経ちました。小泉訪朝から20年が経ちました。

この間、必死の思いで拉致問題解決のために街に立ち、国際会議に出て、慣れない海外に行って各国の首相にお願いをしてきた家族会の皆様方を、拓也さん以外の方をご紹介したいと思います。

横田めぐみさんのお母様の横田早紀江さんです。

◆めぐみさんの弟さんの横田哲也さんです。

田口八重子さんの長男、塚耕一郎さんです。

◆八重子さんのお兄さん、本間 勝さんです。

有本恵子さんのお父様、有本明弘さんです。

◆市川修一さんのお兄さん、市川健一さんです。

松木 薫さんお姉さん、斉藤文代さんです。

松木 薫さん弟さん、松木信宏さんです。

松本京子さんのお兄さん、松本 孟さんです。

◆寺越昭二さんの長男、寺越昭男さんです。

◆寺越昭二さんの次男、北野政男さんです。

◆寺越昭二さんの三男、内田美津夫さんです。

◆地村富貴恵さんのお兄さん、浜本七郎さんです。

本当に長い時間の中、皆さん頑張ってこられました。これからも一緒に頑張りましょうと言うのは本当に変な話ですが、私たちは最後まで一緒に行こうと思っています。

■家族会結成の頃

先ほど私は家族会が結成されて25年が経ったと申し上げました。実はその25年前、1997年ですが、私たちはめぐみさんが拉致されていたということで、新潟の彼女が通っていた寄居中学で拉致のことをみんなに知ってもらおうと考えて行きました。

そこで集会をしようとしましたら、寄居中学には様々な理由があり、そこで開催することができずに、めぐみちゃんが通っていた小学校で集会をしました。どのくらいの人が集まって思いを共有してくださるか分かりませんでした。まるで手探り。そうしたら何と、講堂にあふれるほどの人が集まってくれて、講堂の外にまで行って、寒い時でしたが、運動場にむしろを敷いて多くの人がそこにずっと座って、音だけで話を聞いてくれたんです。それが25年前。

その年に家族会が結成されたのです。それ以降の家族会の動きというのは、本当に必死でしたが、まだ国際社会はおろか、日本国内でも拉致に関しての理解があまりない時期でしたので、いくつかひどい目にもあいました。でもみんな一生懸命にやってきました。その国民の思いを私たちは誠実に受け止めてほしい。

■満席の参集者

様々な方が様々な見地から問題提起をしてくださいました。ポイントの一つひとつを心に刻んで、そのことを実現、もしくは追及していくことが必要だと思います。

中間報告ですが本日800名(満席)の方がご参集くださいました。

ありがとうございました。

■日本の戦後体制の悪しき側面を全部ひっくり返すくらいの覚悟で

家族会と救う会の長い歩みの中で、私たちは日本国に決定的な問題解決の力がないということを、いやというほど知らされました。でもそこで嘆いているのではなく、今西岡さんがおっしゃったような「工程表」を作って、そして政府の協力を得て情報を集めて、今かなり北朝鮮の内部状況も含めての分析ができている日本になっています。そして日本は世界一厳しい制裁を北朝鮮に課しているわけですから、それを交渉材料に使うことができるし、また使うべきであると思います。ただ、もっともっと強い日本国になって、「日本は強い。侮ることはできない」ということを思い知らさなければならないと思います。

私たちがウクライナの問題でロシアと中国を重ねて考え、ウクライナと日本を重ねて考えるところまではいきました。ウクライナがあんなに一生懸命闘って、決して諦めずに、国土の1ミリたりとも奪わせない。国民のこれほど多くを殺したことを許さない強い態度を維持しています。

私たちの前にも、本当に中国の脅威の危機が迫っていますし、北朝鮮拉致問題は何十年も続いている。そういう中、どうやって対処するのかということを第一の課題として考え、そしてそれとつながる課題として、これから日本の前に立ち現れるであろう中国の非常に大きな脅威というものに対し、国として国民として立ち上がることができるような法制度も作らなければならないと思います。

戦後の諸制度は皆さん砕け散ったのです。国連は機能しない。北朝鮮に対するより強い制裁をアメリカが提起しましたが、中国とロシアがみごとにこれをひっくり返しました。国連は機能しない。その中で価値観を同じくする国々が手を合わせてやらなければならない。

そして日本国政府が国民を守る第一の責任者であることを肝に銘じて、これから国民の皆様方に拉致問題を一緒に解決しましょうと呼びかけると同時に、この国の戦後体制の悪しき側面を、我々が全部ひっくり返していくくらいの覚悟でやりたいものだと思います。皆様今日は長い時間ありがとうございました。

早紀江さんのお話を聞く度に、世の中のお母さんやお父さんが子どもを失くした時の悲しみを本当に感じます。耕一郎さんの話を聞く時も、小さい時に別れたので顔も思い出せない。お母さんと会えないことがどんなにつらい事かを感じます。この悔しさ、悲しさを、私たちは嘆くだけでなく、力の源泉にして強く立ち上がりたいものだと思います。

ありがとうございました。

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.