もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】特別集会2・田口八重子さん&松木 薫さん[文京区]/NTV〈東京〉

(2022年)

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!日・朝首脳会談から20年で特別集会》

■飯塚耕一郎(田口八重子さんの長男、家族会事務局長)

◆「妹さんは死亡されています」だけ

みなさん、こんばんは。

明日で日・朝首脳会談から20年になります。この20年を振り返ると、ただ単に悔しいということだけではありません。5名の方々以降は誰も帰ってこられなかったし、我々が心から願っていた家族の再会もできませんでした。前代表の飯塚繁雄の再会も実現できなかったことは、本当に悔やまれることでした。

2002年に5名が帰ってきたことについては、先日実家に帰った時親父(育ての親)のメモがありました。当時親父と私はまだ家族会に入っていなかったので、親父は外務省からの連絡を自宅で待っていました。私は会社の出張に行っていて、日本の状況が分かりませんでした。

朝起きて、インターネットニュースを見ると、「田口八重子死亡」とありました。すぐに実家に電話をかけたのですが、親父はたまたま家にいましたので、「ニュースを見たけどどういうことか分からない」と聞くと、親父も、「まだ詳細は聞いていないので外務省とコンタクトして、どういう状況なのか聞いてくる」と言っていました。

その時の外務省の担当官との話もメモに書いてありましたし、会ってきた時の様子として、「妹さんは死亡されています」と言われたが、それ以降黙ったままだったようです。著書にもこの時の心情が書かれていますが、それ以降何もなく、「実際はどうだったのか、どういう証拠があったのか」と聞いても担当官は黙っているので、こちらも黙って根競べを続けようかと思ったようです。本人は当時「あきれてしまった」というのが当時の状況でした。

それ以降、家族会の活動に参加して、横田 滋さんたちと共にこの問題に関して様々な活動をしてきています。その後北朝鮮から「交通事故報告書」が来ました。

私もコピーされたものを見ましたが、疑わしいことが多く、翻訳された物には田口八重子の名前がなく、「理由」という文字すらいっさい書かれていないものでした。

それをもって、私の母であり、飯塚繁雄の妹が死んだとしていましたので、怒りを覚えましたし、そのような物で我々が納得すると思っているのか疑問を禁じ得ないというのが当時の気持ちでした。

5人が帰ってきた20年前、5人の家族が帰ってきた18年前は大きな動きでしたが、そこから何も動きがなかったのが実態です。そして2002年、2004年について色々な評価をする政府関係者やメディアの方がおられますが、私個人の関係としては、家族が帰ってくるかこないか、0か100かという状況が20年続いているわけで、家族が帰ってこないわけですから0点なのです。

交渉のプロセスについては、家族会がどうこうする話ではなく、家族を返すか返さないかにしか焦点が置かれていないわけで、そこをご理解いただければと思います。

連絡事務所の設置とか段階的な解決ということが北朝鮮から必ず出てきますが、そのようなことは時間稼ぎにしかならないと思っています。帰国された方々は軟禁なれている招待所で、毎週反省をさせられ、その報告が指導員によって上に上げられていますから所在は把握されています。

また夫が軍人で亡くなったような人の奥さんが、招待所のおばさんとなり、拉致被害者は常に監視をされています。厳しい監視体制の中に置かれているのに、「これから国内を調査します」と言うこと自体がおかしいわけです。これは北朝鮮の時間稼ぎでしかないことを改めてご理解いただきたいと思います。つまり、決断さえすれば明日にも帰国ができる状況なのです。

今日お話をするに当たり改めて20年前以降のことを調べてみたのですが、亡くなられた家族会の方が写っていつ写真があったりしますので、寂しい思いがしました。

八重子さんの兄弟に関しては、長男の飯塚繁雄、次男の飯塚 進、三女の千恵子は妹に会えないまま亡くなってしまいました。会うたびに、「大変らしいね、何ともないのかね」と言っていた八重子さんの兄・姉、私からすると伯父・伯母が亡くなっており、「会わせてあげられなかったな」と振り返れば、悲しい思い出になります。

もちろん八重子さんの兄弟だけではありません。横田 滋さん、有本嘉代子さんなど、この活動にまさに命を削って頑張ってこられました。なぜ会わせてあげられないのか、何をすればこの状況が変わるのか、これは日々感じていることです。

このような状況が20年続いていること自体が異常であって、異常事態は打破しなければならないというのを日本の政権は考えていただきたいと思います。20年救えなかったというのは、本当に救う気持ちがあったのかと改めて考えたいなと思います。後ろを振り向くだけでなく、これから先を見据えてどうやるかも考えていただきたいと思います。

拉致問題を核・ミサイル問題と切り離して交渉を

岸田政権は、従来政権のスタンスを継承することではなく、20年取り戻せないという異常事態を打破するために何をしなければならないかを考えていただき、新たな手段、アプローチを考えていただきたいと思います。

今後は、私個人として、家族会・救う会が掲げている「すべての拉致被害者の一括帰国」というこの大原則は絶対にはずせないと思います。また、政治家の方々が、「日朝平壌宣言に基づいて拉致・核・ミサイルを解決する」と言っていますが、基本的に拉致と核・ミサイルの問題は切り離してほしいと思います。拉致問題は事件であって、他の2つと同じものではありません。拉致をどう解決するかは核・ミサイル交渉と切り離してほしいと思っています。

バイデン(Joe Biden)大統領、それからエマニュエル(Rahm Emanuel)米国大使、そして先日韓国の尹徳敏(ユン・ドクミン)大使にお会いしましたが、「拉致問題を核・ミサイル問題と切り離して交渉することを容認していただきたい」とお願いしました。

また日・朝は過去のしがらみをぬぐい捨てて、建設的な姿勢として未来を描くことを考えるべきではないかと思っています。日・朝はこの20年異常な事態が続いています。何かもっとできないのかといつも思うのですが、これ以上苦しい想いは継続したくないですし、もし家族が帰国したら、北朝鮮を非難するのではなく、ただ静かに暮らしたい、家族との時間を取り戻したいだけです。

引き続き拉致問題へのご理解をお願いしたいと思います。

■本間 勝(田口八重子さんの兄)

◆妹はもう66歳 拉致されて44年間も耐えていられるのか

皆さん、こんばんは。

私は田口八重子の三番目の兄です。耕一郎が言いましたように、既に兄弟の中で3人が他界しています。長兄で前代表の繁雄は、死ぬ間際まで、自分が先に動いてこの問題に取り組むと言っていました。なかなか次の家族会代表をどうするかという声が出なかったのです。余命いくばくかが分かっていながら、ギリギリまで頑張っていました。病院で兄の顔を見るたびに、こんなに苦労して頑張って申し訳ないな、取り返すこともできないでと思っていました。

妹の田口八重子は、金賢姫(キム・ヒョンヒ)の日本人化教師として20か月共に暮らしていました。北朝鮮の内情をよく分かっていたわけです。経済状態の悪さ、独裁的で人民に対しいい政治をやっていないことなどです。北朝鮮は非常に寒いところで、帰ってきた5人の方もその厳しさを言っていました。それに毎年耐えているのかと思うと、本当に涙が出ます。

八重子ももう66歳です。22歳で拉致されて44年間も耐えていられるのかなという疑問があります。どこにいるかも分からないし。身体もあまり丈夫ではなかったですから。

この問題がなかなか進まないのは、もちろん独裁者である金正恩キム・ジョンウン)のせいです。解決の希望が一時見えたのは、金正日キム・ジョンイル)が亡くなった時ですね。佐藤会長(佐藤勝巳・現代コリア会長)が私に、「よかったね。これで帰ってくるよ」と。金正日工作員を育てるために日本から連れてきたわけです。指示した本人が亡くなったのだからね。

金正恩から見ても、「父がやったことだから」ということですから、返すタイミングがあったのです。親のせいにすれば自分の責任は問われないわけですから。

しかし、金体制の三代目という重みが、親のせいにできないで、また北朝鮮の悪さ加減が表に出ちゃうわけですから。人の命を泥棒して、日本から連れ去って返さない。そういう複雑なことが絡んでいるわけです。

金賢姫たちが起こした大韓航空機爆破事件では飛行機が落ちて115名の出稼ぎから帰る韓国人が死んでしまった。これほど大きな事件なのに韓国が北朝鮮の責任を追及するとか今一切していないわけです。うやむやにしている。しかし八重子が教えた金賢姫の証言で事件が明らかになっており、金賢姫は今韓国に存命していて、「八重子さんは生きていますよ」という話をしている。

平成22(2010)年に、軽井沢の鳩山邦夫さんの別荘で、飯塚家と横田家がそれぞれ金賢姫さんからたくさんの証言を聞きました。八重子と濃厚に接触した人が言っていることですから、生きていると思いますが、会いたいわけです。

安倍さんが長い間政権を担当し、「日本の最重要課題だ」と言いながらも、解決できなかったのはやはり(金正恩の)責任問題だからでしょう。

拉致問題担当大臣は何年も続けて務めてほしい

今は岸田政権で、松野(松野博一官房長官が担当大臣ですが、命をかけている問題で兼務してできるでしょうか。「日本の最重要課題」なら、何年も続けて同じ人を担当大臣にすべきなんです。北朝鮮では宋日昊ソン・イルホ)が今でもやっているじゃないですか。そして日・朝交渉でだまされて、はぐらかされてきた。「平壌宣言は日本が破った」と言っている。おそらく「こう言え」と言われていると思います。

私たちは命をかけています。しかし、八重子が帰ってくることを思うと、命を長らえることも大事です。この問題は闘いなんです。負けるわけにはいかない。

やはり会いたいです。非情な事件に巻き込まれたと思います。今も署名活動をしていますが、特定失踪者がどうやって帰ってこられるのか。特定失踪者の家族は、ないがしろにされているんじゃないかと、私たち以上に苦しんでいるんです。

私は川口市に住んでいますが、特定失踪者の藤田 進さんの弟の隆司さんが国連人権委員会に行って兄の救出訴えるなど必死の戦いをしています。しかし、なかなか先が見えない。埼玉県は内陸ですが、だまされて連れていかれている。そういう人がたくさんいるんですね。

ありがとうございました。

松木信宏(松木 薫さんの弟)

◆田中局長は当時家族会に説明したことを改めててきちんと語ってほしい

皆様、こんばんは。

私は小泉訪朝の時はまだ家族会に入っていませんでした。

9月27日だったと思いますが、総理官邸で拉致被害者として北朝鮮が発表した家族と総理との面会があり、その後家族会に入りました。

そのせいか、他の家族の方々と少し感覚が違うかなと思うことがしばしばありました。9月27日にキャピトル東急の地下で田中 均アジア大洋州局長の説明会がありました。私は拉致の運動とか家族会の活動は何も知らずに参加したのです。

田中さんは質問されるだけのものがなかったのでそうなったのでしょうが、何も説明がないまま裏口かどこかから退出されて、確か「逃げるのか」という罵声が飛んだと思います。

NHKで日・朝交渉に関する話がありました。田中さんと総理秘書官だった飯島 勲さんが日・朝交渉の話をしていました。田中さんは交渉の話を詳しくしていましたが、守秘義務があるのかもしれませんが、飯塚さんは「現在も進行していることをそんなに話せるか」というようなことを言っていたと思います。

私としては飯島さんの方が好ましいと思いました。田中さんはメディアに色々出ていますが、9月27日に話したことをきちんとやりなおしをしていただけないかと思います。田中局長にしても言いたいことがあるのだろうと思いますが、メディアに話すと色々と齟齬をきたすことがあると思います。私としては、直接の交渉者がどういう思いでやったのかを、間に人をはさまないで聞いてみたい。

田中さんは、交渉されたことによって自宅に拳銃を打ち込まれたことがあったやに記憶しています。私にもこのことを聞かれましたので、「我々は拉致はテロだと言っていますので、そういうことをするのは本末転倒だ」と言った記憶があります。

個人的な感想ですが、改めて9月27日に何を言いたかったのか、きちんと語っていただきたいと思います。

20年が経ちましたが、みなさんが普通に区切りと言うのと違い、通過点でしかありません。しかし、北朝鮮にいる私の兄を含め、それだけ歳をとっていることではあります。当時私は29歳でしたが、今月末で50歳になります。50になると色々な病気にもかかります。しかし日本は医療が充実していますが、北朝鮮で充実した医療を受けられるのかと心配です。

◆政府は20年の蓄積を活かしてやってほしい

宋日昊ソン・イルホ)大使は、北朝鮮に残された骨の話をしていたと、ちらっと聞いたことがあります。彼は長く大使をやっていますが、日本との交渉で実績を上げていないのに長くやっていられるというのはどういうことなのかと、不思議に思うことがあります。田中 均さんの交渉のパートナーは亡くなったという話があります。

私の母は亡くなってずいぶん経ちます。最初は「会わせたい」というのがモチベーションになって、若いころは猪突猛進でしたが、今はそこまではやり切れません。一つひとつ立ち止まって、過去にはどうだったかと考えるようにしています。

政府もこれからは20年の蓄積をどう活かすか、宝の持ち腐れにならないように、是非やっていただきたいと思っています。交渉は外務省になりますが、拉致問題対策本部の皆さんは、家族の立場で頑張ってくださっており、感謝します。

もう後がないので、20年の蓄積を活かしてやってほしいと思います。岸田さんは、安倍さんがやったことと同じようにできるのかと考えておられると思います。しかし、安倍さんではないのだから岸田さんは自分なりのやり方で少しでも前に進められるようにやっていただきたいと思っています。

すべては、被害者が日本に帰ってこられるためにと考えていただければ、大きく方向を間違えることはないと思いますので、やってほしいと思います。失敗しても、何もしないのも失敗ですから、是非頑張ってほしいと思います。

皆様方には変わらぬ応援を宜しくお願いいたします。

■拉致を知る-あなたの人生に“拉致”があったら-

https://news.ntv.co.jp/special/rachi/

■【5分で知る】北朝鮮による拉致問題-なぜ日本人を拉致したのか-

https://youtube.com/watch?v=ZMUbWZ5FKe4

横田めぐみさんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_2.html

横田めぐみさんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_2en.html

■「めぐみへの誓い-奪還-」PV

https://www.youtube.com/watch?v=J6cZyGknNi8

■「めぐみへの誓い-奪還-」(英語版)

https://youtube.com/watch?feature=share&v=VEQdbP3JlVo

■アニメ「めぐみ」

https://youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI

■横田拓也さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter06.html

■横田哲也さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter07.html

田口八重子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html

田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html

■飯塚耕一郎さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter08.html

田口八重子さんについて

https://youtube.com/watch?v=uvvx_abelag

松木 薫さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_7.html

松木 薫さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_7en.html

松木信宏さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter09.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■東京での拉致

https://youtube.com/watch?v=rEtXR4s4DYo&feature=emb_imp_woyt

■【西荻窪】映画「めぐみへの誓い」の話/出演者のトークイベント(佐羽 英・菜月・望月よしえ・多田広輝・稲村幸助・村尾健兒)がご覧になれます

https://youtube.com/watch?v=LTbuLRiZyN8

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■「平壌24時」

https://www.youtube.com/@tv9976

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和52(1977)年11月15日

少女拉致容疑事案

被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)

(拉致被害時13歳)

※This person was Abduction by North Korea

新潟市において下校途中に失踪。

平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。

平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」

横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」

(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

あさがおの会HP

http://www.asagaonokai.jp

ブルーリボンの祈り会/スイス日本語福音キリスト教会HP

https://www.jegschweiz.com/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E4%BC%9A/

■アニメ「めぐみ」

https://m.youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI

横田めぐみさん拉致現場を歩く(大澤孝司さん・中村三奈子さん)

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=PlwiM5lmdKE

横田めぐみさん拉致について現場から考えてみる

https://youtube.com/watch?v=HTMt9ik0XnE&feature=emb_imp_woyt

救う会TV「日本人拉致の3類型-横田めぐみさん拉致を中心に」

https://youtube.com/watch?v=R4tjcFlf7uI&feature=youtu.be

[November 15, 1977: Young girl abducted]

Abductee: Megumi Yokota (13, female, Niigata Prefecture)

Disappeared on her way home from school in Niigata City.

During the third round of Japan-North Korea Working-Level Consultations in November 2004, North Korea claimed that Megumi Yokota died in April 1994 and handed over what it claimed were her remains. DNA analysis, however, indicates that some of the bones from these remains belong in fact to a different person or persons.

Additional DNA analysis conducted in April 2006 by the GoJ indicated a high probability that Kim Young-Nam, a Korean citizen abducted from the Republic of Korea in 1978 when he was a high-school student, was married to Ms. Yokota.

◆昭和53(1978)年6月頃

李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案

被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)

(拉致被害時22歳)

※This person was Abduction by North Korea

昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。

北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。

(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」

拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

上尾市民の会HP

http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

飯塚繁雄さん、救出活動20年。思いは『息子』へ(NNN)

https://youtube.com/watch?v=39KcWrpZgWs

飯塚繁雄さんのこと

https://youtube.com/watch?v=YvLxdQaNz68&feature=emb_imp_woyt

大韓航空機(KAL機)爆破事件について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=UCb2wKDDVm8

金賢姫氏・北朝鮮工作員について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=w-uKZAujq8k

■元工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)に聞く!第1部

https://youtube.com/watch?v=K1UBpTpih9U

■元工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)に聞く!第2部

https://youtube.com/watch?v=i26P7UkYGEY

■元工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)に聞く!第3部

https://youtube.com/watch?v=ZUvqcde_36s

田口八重子さん救出ソング「必ずあなたを助けにゆくから」byタジユキヒロ

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2ayQh8x41DiCh1wKjHjgk86AJoRl14aFFPfZ4A26DI7wCl7v3xnMuOtws&v=0TU9k83uWqU

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)

Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.

North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.

Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."

◆昭和55(1980)年5月頃

欧州における日本人男性拉致容疑事案

被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)

(拉致被害時26歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)

(拉致被害時22歳)

※This person was Abduction by North Korea

2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。

昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。

北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日・朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

有本恵子さんたちヨーロッパ拉致について

https://youtube.com/watch?v=oYynHkWWoXU&feature=emb_imp_woyt

[In or around May 1980: Two Japanese men abducted in Europe]

Abductees: Toru Ishioka (22, male, Europe), Kaoru Matsuki (26, male, Europe)

Both men disappeared while living in Europe in 1980. A letter postmarked in Poland and sent by Mr. Ishioka in 1988 to his family in Japan indicated that he, Mr. Matsuki and Keiko Arimoto (see 12 below) were all living in North Korea.

North Korea asserts that Mr. Ishioka and Ms. Arimoto died in a gas poisoning accident in November 1988, but has provided no documents or evidence to support these claims. North Korea also asserts that Mr. Matsuki died in an automobile accident in August 1996. In September 2002, and at the Third Japan-North Korea Working-Level Consultations held in September 2002 and November 2004, North Korea handed over remains possibly belonging to Mr. Matsuki, but analysis in Japan indicates that these remains contain DNA belonging to someone else.

The Japanese authorities issued arrest warrants in June 2007 for Junko Mori and Sakiko Wakabayashi (nee Kuroda), wives of Yodo-go members, who are believed to be responsible for these abductions, and listed them both with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite them to Japan.

《特定失踪者・高 敬美さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 敬美

(こう きよみ)

(Kiyomi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:6歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

弟の高 剛さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・高 剛さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 剛

(こう つよし)

(Tsuyoshi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日

◆性別:男

◆当時の年齢:3歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

姉の高 敬美さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定した2児の母親

◆氏名:渡辺 秀子

(わたなべひでこ)

(Hideko Watanabe)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市

◆当時の身分:主婦

◆北海道帯広市出身

◆身長:169cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。

子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■北海道と拉致

https://youtube.com/watch?v=56QbUzeWuHA

■帯広現地ライブ

https://youtube.com/watch?v=30UWDJXyJho

《特定失踪者・生島孝子さんについて》

◆氏名:生島 孝子

(いくしまたかこ)

(Takako Ikushima)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月1日

◆生年月日:昭和16(1941)年6月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:31歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:東京都港区役所麻布支所の電話交換手

◆身長:153cm

◆血液型:O型

◆失踪場所:東京都渋谷区の自宅アパート

【失踪状況】

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。

朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが、詳しいことは言わなかった。

衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。

孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。

翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。

平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■生島孝子さんの姉・馨子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第55回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=POHXkU3DHq0

《特定失踪者・佐藤順子さんについて》

◆氏名:佐藤 順子

(さとうじゅんこ)

(Junko Satou)

◆失踪年月日:平成12(2000)年9月12日

◆生年月日:昭和47(1972)年2月28日

◆性別:女性

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:東京都府中市

◆当時の身分:無職。元会社員でワーキングホリデーで海外に行ったり、国内でアルバイトをしていた

◆身長:153cm

◆体重:40kg~45kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)痩せ型

2)首に大きめのホクロ

3)話すと表情が変わる

◆失踪場所:スイス・ツェルマット

【失踪状況】

7月4日から以前の職場の同僚とともに欧州を旅行。

同僚は約3週間の予定で日本に帰国。

8月24日に東京の自宅に電話をしている。

スイス・ツェルマットのユース・ホステルに宿泊し同宿の日本人観光客と朝食を摂ったあとに行方不明となる。

荷物のバッグがベッドに残っていた。

二泊三日の予定で、宿泊費を前金で払っていた。

9月16日、旅行代理店を通じて東京の実家に「佐藤さんが荷物を残して行方不明となった。連絡を取りたい」という連絡が実家に入る。

失踪した9月に、東京の実家に無言電話が4回あり、電話の向こうからは日本語とは思えない話し声などがあった。

電話は決まって日本時間の8時半にかかった。

佐藤さんは毎日詳細な日記を書いていたが、失踪した9月11日だけは日付だけで本文が記されていなかった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■失踪後の不審な電話について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=KLMOKpVKGWo

《特定失踪者・遠山文子さんについて》

◆氏名:遠山 文子

(とおやまふみこ)

(Fumiko To'yama)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月

◆生年月日:昭和27(1952)年5月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:東京都墨田区押上

◆当時の身分:建設会社を退職直後

◆身長:157cm~158cm

◆特徴:左の頬にえくぼがある

◆失踪場所:石川県羽咋市。柴垣の海水浴場に滞在したことまでわかっている

【失踪状況】

交際中の男性とともに失踪。

3月末に家出して男性(非公開)とアパートに住む。

6月中旬に男性とともに退職した後、そのアパートを両親が訪ねたが1週間後に引き払う。

当初は墨田区押上に在住。

その後6月下旬から7月にかけて旅行した記録のアルバムなどが友人に送られてきて、それ以来消息不明。

アルバムには男性とともに福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪、羽咋市柴垣の海水浴場と旅行した形跡を残す。

また、アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに張り付けてあり、途中で宿泊人数が4人になっている。

男性とは同じ職場で、同じ日に退社。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

羽咋市柴垣海岸

https://youtube.com/watch?v=z67jv7gcP-w&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・永山正文さんについて》

◆氏名:永山 正文

(ながやままさふみ)

(Masafumi Nagayama)

◆別名:永山 益巳

(ながやまますみ)

(Masumi Nagayama)

◆失踪年月日:昭和57(1982)年9月18日

◆生年月日:昭和34(1959)年1月7日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:東京都東大和市

◆当時の身分:東京都庁産業経済局勤務

◆身長:165cmくらい

◆特徴:

1)普通の体格

2)近眼で眼鏡は必需品

3)天然パーマ

◆失踪場所:東京都内か?

【失踪状況】

東京都東大和市の自宅から「出勤する」と告げて自宅を出たまま行方不明となる。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・浜崎真嗣さんについて》

◆氏名:浜崎 真嗣

(はまざきまさつぐ)

(Masatsugu Hamazaki)

◆失踪年月日:平成12(2000)年1月6日

◆生年月日:昭和49(1974)年8月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都日野市

◆当時の身分:家電メーカー(日本ビクター)の会社員で、業務用ビデオの設計担当

長崎県出身

◆身長:160~161cm

◆体重:51~52kg

◆足のサイズ:24cm

◆特徴:

1)浅黒

2)左目の上瞼に2mm程度のイボあり

3)電子装置設計技術を身につけていた

4)趣味はビリヤードとオーケストラ(ファゴット

◆失踪場所:東京都日野市の会社寮

【失踪状況】

1月6日(失踪当日)の東京都内の会社の始業式を無断欠席、翌日、翌々日も出社しないため、人事部係員が寮の部屋を点検。

のちに在京の兄や長崎の両親も寮の部屋へ行った。

部屋には6日の朝刊(未読)が入れられ、PHSも置きっぱなしで、書き置きもなかった。

また、布団は敷いたままで、食べかけパンが残っていた。

普通の服装で出かけ、自転車も置いたままだった。

職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。

のちに給料振込通帳を記帳した結果、1月6日朝6時~7時に東京駅のATMで3万円をキャッシング、また午後1時半頃、函館で普通預金口座から現金12万円を下ろしていたことが判明したが、定期預金には一切手をつけていない。

失踪後、約1年間に2回、長崎の実家に不審電話があった。

失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

長崎県警HP

http://www.police.pref.nagasaki.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

■浜崎真嗣さんについて

https://youtube.com/watch?v=_uaorwihjXg

■浜崎真嗣さんの父のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第109回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=3HyPdJPEYdA

※浜崎真嗣さんは日本ビクター(当時)の社員で、平成12年(2000年)1月6日東京都日野市のアパートから失踪しました。

当時25歳でした。

学生時代はオーケストラに所属していました。

(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)

■浜崎真嗣さんがファゴットを担当している九州大学オーケストラの「フィンランディア

https://youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=csasgDKa68Y

《特定失踪者・宮本直樹さんについて》

◆氏名:宮本 直樹

(みやもとなおき)

Naoki Miyamoto)

◆失踪年月日:平成14(2002)年3月3日

◆生年月日:昭和52(1977)年11月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都荒川区

◆当時の身分:フリーター(主に清掃業務)

◆身長:178cm

◆体重:66kg~68kg

◆靴のサイズ:27.5cm

◆特徴:

1)筋肉質でがっしりした体格

2)鼻の下から唇にかけて手術痕あり

3)視力は要コンタクト

4)失踪当時、軽くパーマをかけていた

◆失踪場所:東京都荒川区

【失踪状況】

3月3日午後3時30分頃、「今夜は夕飯はいらない」と行って自宅を出ていった。いつもと全く変わらなかった。

その夜は友人のところへ行ったのだろうと両親は全く心配しなかったが、5日朝、新門司港海上保安庁より電話で「3月3日19時10分発の東京発フェリー船室に荷物だけ残し、本人が見あたらない」との連絡。荷物には免許証、財布、眼鏡、コンタクトレンズなど身の回りのもの一切があった。

東京湾フェリー乗り場から乗ったと思われるが、降りた形跡なし。同フェリーは朝5時に新門司港(福岡)着。

時々1人旅に出かけることはあったが、心配をかけるようなことはなかった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

徳島県警HP

http://www.polic.pref.tokushima.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと金田龍光さんのことについて

https://youtube.com/watch?v=r0ItbzDsKzQ

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.