もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(18)/松原 仁編

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松原 仁(拉致議連幹事長。元拉致問題担当大臣

ストックホルム合意を破棄せよ

今、西岡さんが分析したことは極めて重要だと思っています。経済制裁が効いていることは私も様々確認をし、確信をしています。だから拉致問題解決に向かって今こそ結束して、我々が一番力を高める時だと思っています。

但し、私は一方において、日本人が本当に怒っているということが十分に伝わっているかということに関しては、若干懸念を持っている。この前も古屋先生に言ったけれども、ストックホルム合意をずっと認めている限りは、中山恭子さんもおっしゃっていましたが、こういう問題を破棄もしない状況を北側から見ると、日本は怒っていないと見られているのではないか。私はそう思っています。

そして、今、西岡さんが言ったように、確かに山がそこに見えているというのも事実です。だから、「死んでしまった」と北朝鮮側が言っている拉致被害者を取り戻すためには、「死んでしまった」と言い続けている人間を、北朝鮮との交渉の場から、例えば宋日昊ソン・イルホ)とか、そういう人物を排除していかなければ本当の解明は簡単にはできないだろうと思っています。

彼らを排除するには、一つの方便として、ストックホルム合意は極めて重要な仕事だと確信しています。今日は加藤拉致問題担当大臣がおられるので、敢えて申し上げます。解決はするだろうけど、本当の解決にするためには、怒りを表明し、そして相手のステークホルダーを変えなければならないと思っています。

先程家族会代表が言っていたように、家族と抱き合ってこそ解決であって、その絵柄がないのであれば、解決ではないということを、北朝鮮は明確に認識すべきだと思います。

それでは決議案を朗読いたします。

【決議案】

私たちは本日、約1年ぶりに、全拉致被害者の即時一括帰国を求めるためにここに集まった。新型コロナウイルス感染症のため、救出活動が大きく制限されている間に、今年2月には有本恵子さんのお母さんの有本嘉代子さんが、6月には横田めぐみさんのお父さんで家族会前代表の横田 滋さんがご逝去された。北朝鮮で助けを待っている被害者たちも、今年襲ってきた新型コロナウイルス感染症と水害の中で、苦しい生活を重ねただろう。私たちは胸が張り裂かれるような悲しみと口惜しさと怒りを感じている。

しかし、理不尽に拉致され、数十年も抑留されている全拉致被害者を助けるという私たちの運動は、歩みを止めることはできない。その目的実現のため、昨年2月、様々な思いを抑えて「全拉致被害者の即時一括帰国が実現するのであれば、私たちは帰ってきた拉致被害者から秘密を聞き出して国交正常化に反対する意志はありません」というメッセージを発信した。また、同じ昨年2月には、トランプ(Donald John Trump)大統領から「全拉致被害者を返せ」という日本のメッセージが金正恩委員長に直接伝えられた。菅 義偉首相は、拉致被害者救出を最優先課題に位置づけて、「日本の新しい総理大臣として、私自身、条件をつけずに金正恩委員長と会う」と表明した。

今年10月10日に金正恩委員長が認めたとおり、制裁の圧力は多大な効果を上げている。そのため、北朝鮮国内で政権への不満が高まっている。あらためて金正恩委員長に訴える。全拉致被害者を一括帰国させるという決断なしに現在の危機を脱する道はない。これ以上、日本人拉致被害者が厳しい状況に立たされ続け、また被害者家族が倒れれば日本国民は北朝鮮への怒りを解かず、国交正常化と経済支援は永遠に実現しない。

必ず、全拉致被害者の即時一括帰国を実現させるという強い心を込めて以下決議する。

1.北朝鮮は、全拉致被害者の即時一括帰国をすぐに決断せよ。

2.政府は、国民が切望する全拉致被害者の即時一括帰国を早急に実現せよ。

令和2年10月24日

「全拉致被害者の即時一括帰国を求める国民大集会」参加者一同

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

[松原議員が拉致問題担当大臣在任中、生存情報に接した事案]

《特定失踪者・藤田 進さんについて》

※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案

◆氏名:藤田 進

(ふじたすすむ)

Susumu Fujita)

◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日

◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日

◆性別:男

◆当時の年齢:19歳

◆当時の住所:埼玉県川口市南町

◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生

◆特徴:

1)家ではあまりしゃべらないタイプ

2)ギターがうまかった

◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】

失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。

後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。

脱北者北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。

平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

■藤田隆司さんfacebook

http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3

■緑風香ブログ

http://ryokuhuuka.wordpress.com/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

[松原議員が拉致問題担当大臣在任中、生存情報に接した事案]

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》

◆氏名:大澤 孝司

(おおさわたかし)

(Takashi O'sawa

◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日

◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日

◆性別:男

◆当時の年齢:27歳

◆当時の住所:新潟県佐渡市の独身寮

◆当時の身分:新潟県佐渡市の県農地事務所勤務。それ以前は小出(現・魚沼市)の農地事務所に勤務

◆身長:172cm

◆体重:65kg~67kg

◆特徴:

1)中肉中背

2)頭の上の左側に丸い3くらいの交通事故時の禿があり、髪の毛で隠していた

3)近視・色弱

4)垂れた髪を手で上げて、終わると頭をゆする癖

5)煙草を1日20~30本吸う

6)新潟弁を喋る

7)趣味はカメラと猟銃

◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】

自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。

当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。

失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。

以前勤務していた小出の事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。

元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。

北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。

平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

■大澤孝司さんと再会を果たす会HP

http://www.ric.hi-ho.ne.jp/takashi-o/

■大澤孝司さんと再会を果たす会・巻高同窓会HP

http://www.makiko-doso.jp/osawa/profile.html

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.