もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(17)/西岡 力編

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西岡 力(救う会会長)

■参加者紹介

まず、お別れの会から来てくださいました、ずっと一緒に戦ってきた方々をご紹介いたします。

西村眞悟衆議院議員

中山恭子拉致問題担当大臣

それから、滋さんの関係で、

◆雨宮正佳日本銀行副総裁

◆福田紀彦川崎市

救う会アメリカでのアドバイザーであるスーザン古森さん

◆またその夫でジャーナリストで、私たちを助けてくださっている古森義久さん

先程黒岩会長、平井知事からメッセージをいただきましたが、知事の会は全国の知事が入ってくださっており、その中で多羅尾東京都副知事、また佐久間新潟県副知事も来てくださいました。それ以外にも47都道府県の代表がここに来てくださっています。オールジャパンで集まってくださいました。

感謝致します。

それ以外に救う会の各地の仲間が来ています。

【基調報告】

■鉄の玉を押して坂道を上がり頂上が見えてきた

23年戦ってきました。

めぐみさんの拉致でいうと43年です。

その後半の23年が運動があった時代です。20年は運動がなかった。

ものごとというのは、発生の直後に手を打てば、一番早く解決するんです。しかし、20年間何もなかったんです。じゃあ、分かってなかったのか。全部とは言いませんが、日本人が拉致されたことは分かっていた部分があるんです。

私だって、1991年に、家族会ができる6年前に、「日本人が拉致されている」と論文を書きました。そうしたら、「身の危険はないですか」と言われました。脅迫状が来ました。先ほど神奈川県議会の状況を松田先生が話をしてくださいましたが、2002年以前は、「拉致がある」と言うだけで、あると言った人間が危ないという状況だったのです。それを打ち破ったのが滋さんです。

滋さんのあの世論に訴えようという決断があって、そしてここにいる皆さんがその決断に応えてくださって、「日本人が拉致されているのに放っておくことはできないじゃないか」となってきたのです。

しかし、そこで考えなければいけないのは、私は日本が大好きで愛国心がありますが、残念ながら日本政府は、経験則で言うと、日本人が拉致されていると分かっていても世論がない時は真剣に取り組まなかったという事実があります。

しかし、だからこそ滋さんの決断が正しかったのです。世論に訴えよう、と。

家族会ができて9年後に(政府拉致問題)対策本部ができました。ここには大臣以下政府関係者がいっぱい並んでおられますが、拉致問題担当大臣もその時できたのです。家族会の方が先なんです。

北朝鮮人権法もそうです。そして、各地で人権週間をしてくださっていますが、それだって当たり前ではなかったんです。しかし、その大きな壁を打ち破ったのが滋さんの名前を出すという決断だったのです。だから私たち専門家も立ち上がったのです。そして、ジャーナリストも知事もみんなが立ち上がった。

やっとここまで来たのです。私は、国民運動は重い鉄の玉を押しながら坂道を上がっていくようなものだと言ってきました。手を離すと、鉄の玉は下がっていくんです。一日一日、上がっていくということが実感できない。1年経って見ると、1年前よりは高い所にきたことが分かる。

家族会結成の時は拉致対策本部はなかった。10年経ったらできた。国際社会には2000年から行きました。もう20年です。アメリカに最初に行った時はお金がなくて、歳取った家族の人たちにエコノミークラスしか乗せられなくて心配だったのですが、でも20年経つと、アメリカの大統領が金正恩キム・ジョンウン)氏に直接、3回も「解決しなさい」と言ってくれるところまで来たのです。

しかしそれは、私たちが(鉄の玉から)手を離さなかったからです。手を離したら、鉄の玉は落ちてしまう。一つだけ言えるのは、やらなければ絶対救えないということです。でもここまで来た。そして、その先頭に滋さんがいたということを忘れてはならないと思います。

そして、私は今、チャンスが来ていると思っています。私は北朝鮮問題の専門家ですので、北朝鮮内部のことについて申し上げますと、制裁が効いてきています。

北朝鮮の政権は年間40億ドルから50億ドルくらいの外貨がないと、回っていかないんです。最高指導者の家族の贅沢な暮らしや、核・ミサイル開発や、軍隊や治安機関を維持するためにそれくらいなお金が必要なんです。

それを様々な手段で得ていたんですが、国際社会の制裁そして日本の制裁で外貨を断つことを戦略的目標にしてやってきたんです。リビアのような国は制裁を受けても石油を闇で売ることができるので外貨不足になりませんが、北朝鮮が売るものは、武器とか麻薬とか偽札しかない。それを遮断した。

北朝鮮の輸出の中で一番多いのは石炭とか鉄鉱石ですが、国連制裁で、北朝鮮からそういうものを買ってはいけないと書き込んだのです。北朝鮮の輸出は年間30億ドルありました。2017年の制裁の結果、2018年、19年には3億ドルと言われています。90%減ったのです。

朝鮮労働党の39号室というところに独裁政権を維持するための外貨が集められているのですが、その在庫が今年に入って1億ドルを切ったという複数の情報があります。

金正恩氏が水害の現場に行って、色々言いますが、昔は金正恩氏が行けば39号室から外貨が出たから病院などを作るのは簡単だったのです。特別扱いをして、金正恩氏が行ったところはすぐにきれいになったのです。今、それができないから、軍隊を派遣している。軍隊でも足りないから平壌の1万人以上の人を水害の地域に送っているのです。

しかし、食糧もなくてその人たちが行ってどうなるんでしょう。基本的に外貨がなくなっているという中で、コロナが起き、水害が起きたのです。それで平壌でも、「核・ミサイルで私たちを食べさせてくれるのか」ということ(反体制活動)が起きているんです。

そのために10月10日の深夜、金正恩氏が、涙をぬぐいながら、「ありがとう、ありがとう、ありがとう」と言ったのです。朝鮮語で「ありがとう」には、「カムサハムニダ」と「コマッタ」があるのですが、あの演説の中で、「カムサハムニダ」が6回、「コマッタ」が12回ありました。30分の演説で18回も人民にありがとうと言ったのです。

普通は朝鮮語も敬語が厳しいのですが、最高指導者は敬語を受ける側で、自分は人民に対して敬語を使わないのですが、あの演説では金正恩が人民に対して敬語を使った。それくらい不満が高まっているということで、異例のへりくだった演説をしました。せざるを得なかった。

ただ、北朝鮮のような国ですから、平壌市内に住んでいる人たちは一時的に感激したんです。「最高指導者がここまで分かってくれているんだ」と胸を打った人たちもいると、内部につながる筋の人から聞きました。

しかし、地方ではそもそも平壌に何が起きても関係ない。毎日食べるのが精一杯だ。そして、社会安全部というのが一般警察で、国家保衛部というのが政治警察ですが、その両方の人たちが夜歩いていると、誰かに襲われて袋叩きに遭う。

反体制組織があるというところまではいってないのですが、私怨で、「私の家族がひどい目にあった。あいつのせいだ」ということで、治安機関の人間が襲われるところまで治安が乱れています。

基本的な原因は外貨を断たれたことです。それは日本とアメリカと国際社会が、意図を持って制裁をしてきたからです。被害者を取り戻す戦略はただ一つ。「先圧力、後交渉」です。先に圧力をかけ、その圧力を背景に交渉する。アメリカも強い圧力をかけた結果、北朝鮮トランプ大統領との会談に出てきた。

その時逃がさないように、トランプ(Donald John Trump)大統領に拉致問題の深刻さを理解させておくということも成功したのです。今、トランプ大統領金正恩氏との会談が決裂して、ハノイで妥協ができなくなったから金正恩氏がまた内向きになって、核・ミサイルを人民に見せながら、「我慢しろ」、「自力更生」と言っていますが、限界が来ているのは間違いない。

「だからこそ今、日本と交渉しなさい。拉致問題を日本は最優先にしているんだ。拉致被害者を全員一括で返すならば、家族会・救う会は、帰ってきた人たちから秘密を聞き出して、国交正常化に反対(するようなこと)はしない」というメッセージを去年2月に出しました。

これは「先圧力」の段階がもう終わった。いよいよ「後交渉」の段階になったからです。交渉の中で最低限私たちが取りたいものを相手に伝える必要があると思ったからそういうメッセージを出したのです。

そして、安倍前総理は、「無条件で金正恩氏と会う」と去年の5月に言いましたが、それも「先圧力」の段階が終わった。いよいよ「後交渉」の段階だと判断されたからだと思います。そして菅総理も、「私が金正恩氏と会ってこの問題の解決の活路を開く」と、同じメッセージを出しています。

北朝鮮の指導者に対して、「被害者を全員返しなさい。あなたが決断すれば、北朝鮮の人民たちが幸せになる道が開ける。日本は意地悪をしているのではない。しかし、被害者が全員帰ってこない今の状況で制裁を緩めたり、支援をしたりすることは絶対できませんよ。それが、ここに集まった私たちの決意なんだ。

全被害者を即時一括帰国させなさい。それまで我々は、絶対に諦めないし、許さない」、そういうメッセージを皆さんと一緒に出したいと思います。

鉄の玉を押して来たら、私は頂上が見えてきたと思っています。しかし、手を離したら坂道を落ちていってしまう。

今日は800人。実は心配したんです。(3密対策の観点から)多くても困るし、少なくても困る。みなさんがこういう状況の中で、全国から集まっていただき、怒りの声を挙げてくださって本当にありがとうございます。絶対に負けない。全員取り戻す。私たちは諦めない。戦い続けるという決意を持って、今日の話を終わります。

ありがとうございました。

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.