もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(16)/古川了子さん

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竹下珠路(古川了子さん姉。特定失踪者家族会事務局長)

■「お帰り」と言える家族がいる間に

皆様、こんにちは。

コロナ禍の中でなかなか動けないままに今日まで来てしまいました。今日はこの場で発言の機会をいただきましたことを、ありがたく御礼申し上げます。

今日はここに、今年3月に特定失踪者問題調査会と家族会がこのような本を発行しました。もしかすると、もうお手元にお持ちの方もおられるかもしれませんが、これは、「『ただいま』も言えない 『お帰り』も言えない」という本で、こんな普通のことが40年も50年も北朝鮮に捕らわれたまま言えない家族がたくさんいるという事実を、すべて記録してあります。

今、政府の発表では、北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者は875名おられますが、その中で氏名を公開している方々と認定された被害者の方々を会わせると、およそ540名です。

この540名の51%が、70歳を超えています。60歳以上で見ると77%になります。被害者の77%が既に60歳を越えているということです。この現実を、どうぞ皆さん直視してください。

この本には、一人ひとり、40年も50年も前に、日本に生まれた自分の人生に希望を持ち、日本の社会に希望を持っていた無垢の若者たちで、ある日突然捕らわれていった。その事実が、その状況が一人ひとりについて書かれています。

当時の北朝鮮関連の情報も載っています。

書店でも手に入れられますし、ネットでも購入できます。手に取ってお読みいただければ、大変ありがたいと思います。ちなみにここにおられる私の地元、千葉県の県議会の皆さんには一冊ずつ読んでいただいています。

■今回参加した特定失踪者家族の紹介

私たち特定失踪者の家族を紹介させていただきます。

◆昭和47年、1972年に東京都渋谷区からいなくなった生島孝子さんのお姉さん、生島馨子さんです。

◆昭和49年に富山県新湊市からいなくなった荒谷敏生さんの妹さん、矢島文恵さんです。

◆そして、その間の年(昭和48年)に、千葉県市原市からいなくなった古川了子の姉の私、竹下珠路です。

今週の水曜日(10月21日)に、特定失踪者家族は加藤官房長官に、大変お忙しい中面会の機会をいただき、いくつもの特定失踪者家族ならではの要請をさせていただきました。本当にありがとうございます。

私が申し上げたいことは、今までの先生方も言っておられましたが、私たちは政府と地方も含めて議員の先生方、そして国民が一体となってこの拉致問題に向かっていかなければ、拉致被害者を取り返せないと思っています。みなさんもきっとそうだと思います。

そして、私たちの家族が帰ってきた時に、「お帰り」と迎えられる家族がいる間にです。既に、若い息子が連れて行かれ、お母さんが、お父さんが亡くなった家族もおられます。帰ってきた時に、「ただ今」と言える家族がもういない。こんな残酷なことがあるでしょうか。

どうぞ皆さん、「ただ今」に「お帰り」と言える家族がいる間に、すべての拉致被害者を国民すべての力で取り返してください。そして、私たちは、櫻井さんも先ほど、「年に2回」とおっしゃいました。「救出するためにここに集まって発言する、ちゃんと共有する」とおっしゃいました。

この本の発行者の一つである特定失踪者問題調査会の代表に3分間の発言の機会をいただけなかったことは、とても心残りです。

どうもありがとうございました。

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

《特定失踪者・古川了子さんについて》

◆氏名:古川 了子

(ふるかわのりこ)

(Noriko Furukawa)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日

◆生年月日:昭和30(1955)年1月1

◆性別:女性

◆当時の年齢:18歳

◆当時の住所:千葉県市原市菊間

◆当時の身分:三井造船社員(経理

◆身長:157cmくらい

◆血液型:B型

◆特徴:

1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。

2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。

3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。

4)左眉に途切れたような傷がある。

◆失踪場所:千葉県市原市の自宅を出てから

【失踪状況】

当日は土曜日で会社が休みだったので、午前中に美容院に行って午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。

午前中、了子さんは母親が知らない間に家を出ていたが、美容院に了子さんから電話で「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができたので母親に浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。

母親は美容院の人から電話を貰い、友達にでも会うことになったのだろうと気にはしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。

7月に初めて貰ったボーナスは手付かずだし預金通帳も置いたまま。

持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。

その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。

北朝鮮工作員安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。

平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。

平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。

千葉県警HP

http://www.police.pref.chiba.jp/

救う会千葉HP

http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

救う会千葉ブログ

http://sukuukaichiba.blog.fc2.com/

■古川了子さんを救う会HP

http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

■竹下珠路さんビデオメッセージ

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=LUc5f2_rnOQ

■竹下珠路さん講演

https://youtube.com/watch?v=PQnCYiKKCp8

■しおかぜ収録inハーグ

https://m.youtube.com/watch?v=CeE7fbhZALk

《特定失踪者・生島孝子さんについて》

◆氏名:生島 孝子

(いくしまたかこ)

(Takako Ikushima)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月1日

◆生年月日:昭和16(1941)年6月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:31歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:東京都港区役所麻布支所の電話交換手

◆身長:153cm

◆血液型:O型

◆失踪場所:東京都渋谷区の自宅アパート

【失踪状況】

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。

朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが、詳しいことは言わなかった。

衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。

孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。

翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。

平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

《特定失踪者・荒谷敏生さんについて》

◆氏名:荒谷 敏生

(あらたにとしお)

(Toshio Aratani)

◆失踪年月日:昭和49(1974)年5月13日

◆生年月日:昭和23(1948)年10月25日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:富山県射水市庄川本町

◆当時の身分:無職。前職は建設会社勤務、その後日本高周波に勤務

◆以前の職歴:

・日本建鋼(約7ヶ月勤務)

立山アルミ(約7ヶ月勤務)

・日本高周波(1週間勤務)

◆身長:160cm

◆特徴:

1)右利き

2)痩せ型

3)かなり強度の近視

4)盲腸の手術痕あり

5)気が弱く、人と話をするのが不得意

◆失踪場所:富山県新湊市か?

【失踪状況】

新湊市の自宅を出たあと失踪。

家族が外出中に失踪した。

市内を流れる庄川の河口近くで消息絶つ。

家から海まで数十mで、裏には無人駅があった。

身の回りのものはそのまま残っている。

お金を持たず、渡航者リストにもない。

戸籍を動かした形跡ない。

当時パスポート取得してない。

14年後に女性から「荒谷敏生さんいらっしゃいますか」と電話がある。

過去に外泊が増え「アメリカに行きたい」等と言っていた。

また、アメリカかブラジルに移住した日本人の本を読んで感動し手紙を出したことがある。

■矢島文惠さんfacebook

https://facebook.com/profile.php?id=100008008690224&pn_ref=ec_friends_card

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.