もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2022(16)/ミニシンポ編

■ミニシンポ

櫻井よしこ(司会)

横田早紀江さんと飯塚耕一郎さんに、亡くなられた家族のこと、また過日はアメリカのバイデン(Joe Biden)大統領と面会したこと等について色々な思いがおありだと思いますが、それをお話しいただければと思います。早紀江さんからどうぞ。

■日本の国はもっとしっかりしなければいけません

横田早紀江横田めぐみさんの母)

皆様、こんにちは。

今日(5月29日)はまたたくさんの方が集まってくださってありがとうございます。

この頃声が少し出にくくなっていまして、聞こえづらいと思いますが失礼します。

今日も皆様方のお話を聞かせていただきながら、今この時間も北朝鮮に捕らわれている子どもたちは、何をさせられているんだろうか。それが見えないままの45年を私たちは過ごしてきました。起きるたびに、また寝る前に、「大丈夫かなあ。どうしてるかなあ」といつも思いながら家族は過ごしています。

飯塚さんもどんなに八重子さんに会いたかっただろうなあと思いながら、あんなに頑張ってこられたのに。主人の滋もそうですが、有本恵子さんのお母様も、みんなでワシントンに行って皆様にお伝えしたり、色々な思い出があります。複雑な人生だなと思います。しかし、彼らの人生はまだ奪われたままで助けてあげることができない。そして見えない。そうしてもその姿が見えない。

私たちは、めぐみの子がキム・ウンギョンという元気な子と、チウンという可愛いひ孫と会いました。皆様のご尽力で一度だけですが、主人とモンゴルまで出かけて、全く見えなかっためぐみの姿はなかったのですが、そっくりな元気な女の子と、考えてもいなかったひ孫までがいて、にこにこと笑って私の手に抱かれました。物語のような時間だと思いながら、そういう幸せもいただきました。

めぐみちゃんがどこからか出てこないかなと思って、キッチンに入っても、「めぐちゃんはいないねえ」とお父さんと話したのも深い思い出です。日本人としてこんな不思議な人生を歩む人間もいるんだなあと今、色々と思わせられています。

ただ、進行が遅いということが、今日も皆様方の話にありました。「なぜ動いていかないんだろう」と。私はいつも新潟時代の、あの子がいなくなったあたりからの様々なことが、「遅いなあ、遅いなあ。なんでこんな返答しかできないんだろうか」と思ったり、警察に行っても、「すみませんねえ。分からないんですよね」の一言で終わりでした。一言で言えば、本当にさみしいとしか言いようがないような思いでいました。

日本は島国ですから、たくさんの変な船が入ってきたり、変な船の中に向こうの人の遺体が何人もころがっていたりということが何度も海岸線で起きていまして、そういう人たちが普通の格好をして子どもたちを連れて行った時代がずっと続いているという恐ろしさがあります。

そして防衛というか、大きな国ですが本当にちゃんとしてくださっているのだろうかと思います。日本人はもっとしっかりと考えていてくださったのだろうなと思っていたのですが、こんなにたくさんの青年たちが色々な(北朝鮮の)役に立って今動いているかもしれないのです。本当に考えられないような中で、親を思い、兄弟を思いながら、「必ず帰りたい」と一生懸命耐えていると思います。

本当に日本の国はもっとしっかりしなければいけません。私たちも頑張らなければいけません。小さなことはどうでもいいんです。本当に日本を守るために、この国を守るためにと櫻井先生も前からおっしゃっていますけど、深い所でしっかりと心を合わせて、子どもたちが帰るまで頑張っていきたいと思います。

今後ともどうか宜しくお願いいたします。

■日本がもっと主体的に動くべき

飯塚耕一郎(家族会事務局長、田口八重子さんの長男、飯塚繁雄さんは育ての親)

皆さん、こんにちは。

本日はお暑い中お集まり下さり、ありがとうございます。

5月23日にバイデン大統領と迎賓館で面会をさせていただきました。その際に、伯父である本間 勝が、「あんちゃん(飯塚繁雄)がいたんだよな」と、ひとことぽろりと言いました。

前回、前アメリカ大統領とお会いした時(飯塚繁雄)は、迎賓館のソファーで面会直前までずっと横になって寝ていたわけです。飯塚繁雄は晩年の3、4年は体力がなくなっていて、闘病の関係もありますが、歳だったということもありました。息も絶え絶えという感じで活動していました。

飯塚繁雄が亡くなって半年くらい経つのですが、まだ実感がありません。亡くなる直前にお見舞いに行った時、たまたま私だけだったのですが、親父は酸素マスクを付けて寝ている間、18年間の活動を思い出していました。

ある週末には親父は東に行き、私は西に行き、日本のどこかで講演をさせていただいたり、多忙が過ぎる場合は電話の連絡もできなかったのですが、テレビで親父の姿を見たり、私の姿を親父が見たりして、二人とも頑張っているなと思いながら過ごしていました。

義理の親子ではありますが、八重子さんを救うという一念に力を注ぎこんできたなと考えています。そんなことを迎賓館で思い出しながら、八重子さんに一目会わせたかったし、会わせるためにはアメリカの協力も必要ということで、バイデン大統領との面会実現にご協力していただいた皆様に改めて御礼申し上げます。

ただですね、バイデン大統領とお会いすることが目標ではなく、それをステップにして次の目標を達成しなければならない。そのために日本が主体的に動くべきということを、今後どう実現するかが重要だと思っています。

櫻井よしこ

西岡さん、お二人のお話を伺って、またバイデンさんとお会いしたことについてどうでしょうか。

■家族会・救う会の運動方針が大きな意味で「工程表」ではないか

西岡 力 (救う会会長)

私たちの救出戦略は、もしかしたら大きな意味での「工程表」ではないかと考えています。それを毎年運動方針や決議としてきました。

まず、強い圧力をかける。そして首脳会談を実現させる。しかし、最初の首脳会談で嘘をつくだろうから、その嘘を打ち破って全拉致被害者、特に一方的に「死んだ」とされて死亡の証拠なるものまで出された8人を含む、認定未認定に関わらず全被害者を取り戻す、という枠組みをずっと考えてきました。

ただしその圧力の部分については、日本だけでは実現できない。やはり国際社会と連携して圧力をかけて、首脳会談を実現させなければならないということで、「国際連携と制裁の圧力で首脳会談を実現させよう」というスローガンを出してきたわけです。

実は小泉訪朝の時、そしてトランプ(Donald John Trump)政権の時、これが一定程度実現したわけです。小泉訪朝の時はその1年前に、ブッシュ(George W. Bush)大統領が「悪の枢軸」という有名な演説をして、「テロとの戦争のターゲットは3つある」と言って、北朝鮮、イラン、イラクと言ったんです。「そのテロ支援国家大量破壊兵器を持つことを許さないことを目標にする」と。

北朝鮮は実は、94年にアメリカや国際社会をだまして、「核開発を凍結する」と言いながら、実はやっていたのです。その証拠を米軍はパキスタンに入って掴んでいたのです。2001年10月頃のことです。だから2002年1月の、「悪の枢軸」演説になったのです。

大量破壊兵器を持たさないのは戦争のターゲットだ」と言った。そこに北朝鮮が入っていた。なぜなら国際社会をだまして作っていて、その証拠をブッシュ大統領が握ったからです。

それへの対応として北朝鮮は、日本を先に選んだのです。アメリカを選ばないで。圧力をかけた時、日本を選ぶかアメリカを選ぶかは、彼らが色々判断します。

トランプ大統領の時は、2016年17年に40発のミサイルを撃って、3回核実験をしたのです。

それでトランプ大統領は、「これは許せない」と、ロケットマンと言ったりして、その中で国連の演説でめぐみさんのことも出し、そして斬首作戦という金正恩キム・ジョンウン)委員長を暗殺する軍事作戦を本格的に準備し、空母を3隻出した。そいうことがあり、次の年から話し合いが始まったのです。この時はアメリカを選んだ。

小泉政権の時は全被害者を取り戻す姿勢がなかったと私たちは思っています。

しかし、トランプ政権が軍事圧力と経済制裁で交渉を実現させた時は、拉致もテーブルに乗ったのです。

2018年と19年にシンガポールハノイで首脳会談がありましたが、特にハノイでの米・朝首脳会談では、1対1でトランプ大統領金正恩委員長が会った時は、アメリカが条件を出したらごまかした。

その直後の少人数の夕食会でもう一度出したら、「意味のある回答」をした。

これはホワイトハウスに私たちが行ってトランプ政権の高官から聞きました。しかし、「いくら家族でもその中身は言えませんが安倍総理には伝えてあります」と聞きました。

安倍総理は私たちに、「トランプさんが拉致の解決を迫ったのではなくて、私の拉致に関するメッセージを金正恩委員長に伝えてくれた」と説明してくれました。トランプ大統領を通じて、安倍さんのメッセージが伝わった時、肯定的な話ができた。2019年にはかなりの所まで行ったのですが、核問題でまた北朝鮮アメリカをだまそうとして、地下に核施設がいっぱいあるのにそれは言わないで、「寧辺で終わりにする」と嘘を言った。米・朝が潰れたので、日・朝も潰れたのです。

しかし、またミサイルを撃ってきた。もう16発です。2年間で40発と半年で16回とどちらが多いか。そして核実験を今しようとしている。そういう中で、圧力をかけて話し合いに持ち込む時に、日・米の連携は絶対必要です。共和党から民主党に政権が代わったから特に必要です。

そういう戦略的な環境の中で、岸田総理がバイデン大統領と家族会との面会をさせてくださったのは大変ありがたい。意味があったと思っています。

櫻井よしこ

ありがとうございました。

日本政府が何をするのかという決意がとても大きな意味を持ちます。岸田政権に臨みたいことについて、早紀江さんと耕一郎さんいかがですか。

■早く日朝会談を

横田早紀江

ぜひ日・朝会談をして、心を割って話し合いをしてほしい。それを早くやってくださいと、そればかりを言い続けています。そういう思いでいっぱいですが、向こうの方がなかなか「会いましょう」と言ってくれない感じですので、そこをどういう形にしていったらいいのか。そういう時にアメリカの言葉が一つ入るとか、色々な形で動いてほしいと切望しています。

飯塚繁雄さんの最後のメモの最初に「八重子」と

飯塚耕一郎

継続と、近い未来へのアクションがあると思います。今政府は啓発活動をしています。地味な活動ではありますが、重要な活動ですから引き続きやっていただきたいと思っています。

なぜかと言うと、記憶に鮮明だった2002年を考えても、そこから20年も経っているということです。最近2、3年はあまり依頼がないのですが、かつては大学などで多く講演をさせていただきました。

そういう意味で、かなり忘れさられた問題であると認識して継続的な啓発活動が必要になると思います。

近い未来のアクションですが、1点目は、拉致問題はもう停滞は許されないということです。北朝鮮が何も動かないから何もしないというスタンスは変えなければならないと思います。北朝鮮問題が難題であることは誰もが分かっていますが、これを動かすためにあらゆる手段を使って、首脳会談に向けて動く必要があると思います。

そのためには常に総理が北朝鮮に向けて、「首脳会談をやりましょう」という直接的な言葉でもかまわないので、対外的なアクションを明示する必要があると思います。

2点目は、北朝鮮に関しては無用な譲歩や段階的交渉は無意味であることを改めて申し上げたいと思います。段階的交渉、調査委員会、連絡事務所の設置ということは北朝鮮問題においては、転換期になると必ず声を挙げる人が出てきます。

しかし、拉致被害者は厳重に管理されていて、現時点でどこで生活しているのか、北朝鮮政府は把握していますので、段階的交渉は無意味で向こうの時間稼ぎに過ぎないことを改めてご理解いただければと思います。

3点目は、核・ミサイルと拉致問題を切り離すことが重要になると思います。

先日バイデン大統領が来日した際に、私の手紙をお渡しさせていただいたのですが、拉致問題は命の問題で、命は時間に限りがある。この問題を仮に北朝鮮と日本が優先的に公表することになったとしても、そこは容認していただきたいと手紙に書かせていただきました。

核・ミサイルの時間軸と拉致問題の時間軸を考えると人間の命には限りがあるので、何とか早く問題を解決しなければならないことをアメリカ側にご理解いただきたい、とも申し上げました。

4点目はアクションというより決意ですが、飯塚前代表の言葉にもあったように、「絶対あきらめない」という気持ちを我々は常に持っておくべき気持ちだと思っています。

飯塚繁雄の死ぬ間際のメモ2枚があり、その中に家族への心配等がありましたが、一番最初に書かれていたのが、「八重子」という文字でした。83歳で亡くなりましたが、最後の最後まで八重子さんのことが頭の片隅に常にあって、死ぬ間際まで心に思っていたことで、ご参加の皆様すべてにご理解いただいて、心の片隅でかまわないので、この問題を必ず解決する気持ちでいていただきたいと、私の願いを共有していただきたいと思っています。以上です。

■被害者救出と経済的見返りをどうするか

櫻井よしこ

今の4点は深刻な真摯な希望であると同時に、国家としてどのようにこれに取り組むかとなると難しい問題を含んでいると思います。私たち日本国民の気持ちとしては、ミサイルや核の問題は横に置いておいて、とにかく被害者を返してほしいと。日・朝関係の中で最優先であってほしい。家族は皆歳をとっているし、被害者の皆さんの写真がスクリーンに次々に出ていますが、皆50代後半から、60代、70代になっているわけです。時間がない。では返してもらった時にどうなるか。当然北朝鮮は経済的な見返りを要求するでしょう。これにどう応えるのか。

私たちは今、ウクライナに対するロシアの侵略戦争の問題で、ロシアとの経済環境をどうするかということについて、色々な意見が出ています。経済的に相手を利するようなことはしてはならない。その意味では日本の企業が国益を先に持ってくるべきときだなと思うのですが、同じようなことが拉致問題に関してもきっと聞かれるだろうと思います。

私たちはそれでも、何とか知恵を働かせて被害者の皆さんを一日も早く取り返さなければならないわけです。西岡さん、この複雑で難しい状況の中で、あなたはご自分の生涯をかけて朝鮮半島問題、拉致問題に取り組んで来られた。我々は一体どうしたらいいのかということについてお話しください。

■すべての手段で首脳会談を実現し「全拉致被害者の即時一括帰国」を

西岡 力(救う会会長)

これもまた「工程表」の一部になると思うのですが、今耕一郎さんは短めに話したのでご理解いただけなかった部分もあると思いますが、家族会・救う会としては、今日の決議案にもありますが、核・ミサイル問題と拉致問題の切り分けについて、もしも北朝鮮がトランプ政権の時にやったように、先にアメリカを交渉相手として選んだ場合、トランプ大統領は安倍さんのメッセージを伝えてくれた。

それはトランプ大統領がそれなりの計算をして、アメリカの今のシステムでは、核問題が解決しても、核の開発費用を補償しろという北朝鮮の要求を受け入れることはできない。人権抑圧、独裁国家に経済支援をすることはできないわけです。どの政権でも同じです。

しかし日本は、国交正常化をすれば、韓国と同じように経済協力をすると言っている。しかし、安倍晋三は拉致しか言わない。だからあなた(金正恩委員長)は被害者を返さないと、まとまった経済協力はもらえませんよ、と。トランプ大統領は日本のお金も交渉の取引手段とした上で、2回も迫ってくれたわけです。

だから「シンゾーがこう言っている」と言ったわけです。それを政権が代わってバイデン政権でも同じようなことを言ってもらうためには、相当な努力が必要だ。菅政権になってもそうお願いしたのですが、菅さん(菅 義偉前首相)が去年4月に訪米した時に、国務長官、安保補佐官、アジア・太平洋調整官がワシントンでブルーリボンバッジを付けて出てきたのです。

菅さんが帰ってきて、新聞のインタビューで答えたのは、「アメリカのバイデン政権は菅政権をよく研究している」と。菅政権の第一課題が拉致だ。台湾問題などでアメリカが日本にやってもらいたいことがいっぱいあっても、「菅が一番関心を持っていることを探せ」と言ったら、「拉致だ」と。だから国務省がバッジを付けてきた。

一方、小泉訪朝型で日本を交渉の相手に選んだ場合、今回のようにミサイルを16発撃ち、核実験をやりそうな、同じような危機が高まった時です。もちろん日本は国連制裁違反はできませんが、しかし国連制裁よりも厳しい制裁をかけています。制裁法を作り、できることは全部作ってくださっています。

それは国連制裁より強いんです。貿易を全部止めています。国連制裁は食糧品、肥料、医療品を北朝鮮に出すことを禁止していないのです。従って、国連制裁より強い部分は拉致で使うことができるんです。

また人道支援は国連制裁の禁止事項ではないんです。だから尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権は、ウイルス関連の薬品を送ると言っているんです。北朝鮮が乗らないだけですが。

日本にとって最重要課題の拉致について、国連制裁違反にならない部分で大規模な人道支援等のカードを使うことができます。しかし、事前にアメリカと協議をしておかないと、首脳会談が実現してもうまくいかないだろう。だから「工程表」なんです。

それがトランプ政権で成功し、バイデン政権でも成功している。そこでいよいよ岸田さんに平壌に行ってもらわなければならない。しかし、多分、トランプ大統領にやったように嘘をつきます。「何人かの人は生きていて、それ以外の人は死んでいる。これで終わりだ」というふうに言ってくると思います。

それをまた打ち破らなければならない。そのためには情報が必要です。トランプ大統領ハノイで、「これが核施設の全部です。これを廃棄します」と金正恩氏が言ったら、にやっと笑って、「私たちはあなたたちがやっていることを1日レベルで知っていますよ。準備ができていませんね」と言って、ランチの約束をキャンセルして帰ってしまったのです。

岸田総理が平壌に行って、また嘘の死亡通告を受けたら、にやっと笑って、「昨日めぐみさんはあそこで顔を洗っていましたね」と言えるくらいの情報力があれば、勝てる。

まずは国際的環境を整える。今北朝鮮は、核・ミサイルについて2016年、17年と同じことをやっています。北朝鮮の内部では治安が悪くなっているくらいに制裁が効いています。だからこそ核・ミサイルで突っ込んできているのですが、これで大きな嵐が来るかもしれない。

小泉訪朝、トランプ・金正恩会談に次ぐ3つ目の嵐が来た時に備えて準備をしておかなければならない。その準備は一定程度できている。それが「工程表」です。後は日本政府がどのくらいの情報を持っているのか。

25年前に家族会ができました。私たちの要求は、日本政府に、拉致問題の専門部署を作ってほしいということでした。5年経って小泉訪朝がありましたが、それまでにできませんでした。その4年後、2006年にできたのです。約10年かかりました。

それから16年経ちました。政府の中に拉致問題の担当部署ができて、情報の部署もあります。16年の力を出してほしい。小泉訪朝の時はそれがなかったから負けたんです。

今度岸田さんが行く時には16年間の蓄積を持って、行ってもらう。担当部署を作るという「工程表」を10年かけて作ったのです。だから今、国政の最優先課題になったのです。自動的になったのではないのです。私たちが戦ってきたから、国政の最優先課題にしたんです。国際的な課題にしたのです。

アメリカに行ったのは2000年からです。苦しいなかでやってきたからここまで来たのです。できたこともあります。もちろん結果は出ていませんが。一歩一歩進んできたことは間違いないので、もう一度核・ミサイルの嵐が来たならば、すべての手段を使って首脳会談を実現し、その首脳会談で嘘を打ち破って、「全拉致被害者の即時一括帰国」を実現してほしいし、私はできると信じていて、これからも戦っていきたいと思います。

■日本の戦後体制の悪しき側面を全部ひっくり返すくらいの覚悟で

櫻井よしこ

家族会と救う会の長い歩みの中で、私たちは日本国に決定的な問題解決の力がないということを、いやというほど知らされました。でもそこで嘆いているのではなく、今西岡さんがおっしゃったような「工程表」を作って、そして政府の協力を得て情報を集めて、今かなり北朝鮮の内部状況も含めての分析ができている日本になっています。そして日本は世界一厳しい制裁を北朝鮮に課しているわけですから、それを交渉材料に使うことができるし、また使うべきであると思います。ただ、もっともっと強い日本国になって、「日本は強い。侮ることはできない」ということを思い知らさなければならないと思います。

私たちがウクライナの問題でロシアと中国を重ねて考え、ウクライナと日本を重ねて考えるところまではいきました。ウクライナがあんなに一生懸命闘って、決して諦めずに、国土の1ミリたりとも奪わせない。国民のこれほど多くを殺したことを許さない強い態度を維持しています。

私たちの前にも、本当に中国の脅威の危機が迫っていますし、北朝鮮拉致問題は何十年も続いている。そういう中、どうやって対処するのかということを第一の課題として考え、そしてそれとつながる課題として、これから日本の前に立ち現れるであろう中国の非常に大きな脅威というものに対し、国として国民とし

て立ち上がることができるような法制度も作らなければならないと思います。

戦後の諸制度は皆さん砕け散ったのです。国連は機能しない。北朝鮮に対するより強い制裁をアメリカが提起しましたが、中国とロシアがみごとにこれをひっくり返しました。国連は機能しない。その中で価値観を同じくする国々が手を合わせてやらなければならない。

そして日本国政府が国民を守る第一の責任者であることを肝に銘じて、これから国民の皆様方に拉致問題を一緒に解決しましょうと呼びかけると同時に、この国の戦後体制の悪しき側面を、我々が全部ひっくり返していくくらいの覚悟でやりたいものだと思います。皆様今日は長い時間ありがとうございました。

早紀江さんのお話を聞く度に、世の中のお母さんやお父さんが子どもを失くした時の悲しみを本当に感じます。耕一郎さんの話を聞く時も、小さい時に別れたので顔も思い出せない。お母さんと会えないことがどんなにつらい事かを感じます。この悔しさ、悲しさを、私たちは嘆くだけでなく、力の源泉にして強く立ち上がりたいものだと思います。

ありがとうございました。

横田めぐみさんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_2.html

横田めぐみさんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_2en.html

■横田拓也さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter06.html

■横田哲也さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter07.html

田口八重子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html

田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html

■飯塚耕一郎さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter08.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和52(1977)年11月15日

少女拉致容疑事案

被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)

(拉致被害時13歳)

※This person was Abduction by North Korea

新潟市において下校途中に失踪。

平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。

平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」

横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」

(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

あさがおの会HP

http://www.asagaonokai.jp

ブルーリボンの祈り会/スイス日本語福音キリスト教会HP

https://www.jegschweiz.com/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E4%BC%9A/

■アニメ「めぐみ」

https://youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI

横田めぐみさん拉致現場を歩く(大澤孝司さん・中村三奈子さん)

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=PlwiM5lmdKE

横田めぐみさん拉致について現場から考えてみる

https://youtube.com/watch?v=HTMt9ik0XnE&feature=emb_imp_woyt

救う会TV「日本人拉致の3類型-横田めぐみさん拉致を中心に」

https://youtube.com/watch?v=R4tjcFlf7uI&feature=youtu.be

[November 15, 1977: Young girl abducted]

Abductee: Megumi Yokota (13, female, Niigata Prefecture)

Disappeared on her way home from school in Niigata City.

During the third round of Japan-North Korea Working-Level Consultations in November 2004, North Korea claimed that Megumi Yokota died in April 1994 and handed over what it claimed were her remains. DNA analysis, however, indicates that some of the bones from these remains belong in fact to a different person or persons.

Additional DNA analysis conducted in April 2006 by the GoJ indicated a high probability that Kim Young-Nam, a Korean citizen abducted from the Republic of Korea in 1978 when he was a high-school student, was married to Ms. Yokota.

◆昭和53(1978)年6月頃

李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案

被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)

(拉致被害時22歳)

※This person was Abduction by North Korea

昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。

北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。

(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」

拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

上尾市民の会HP

http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

飯塚繁雄さんのこと

https://youtube.com/watch?v=YvLxdQaNz68&feature=emb_imp_woyt

大韓航空機(KAL機)爆破事件について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=UCb2wKDDVm8

金賢姫氏・北朝鮮工作員について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=w-uKZAujq8k

田口八重子さん救出ソング「必ずあなたを助けにゆくから」byタジユキヒロ

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2ayQh8x41DiCh1wKjHjgk86AJoRl14aFFPfZ4A26DI7wCl7v3xnMuOtws&v=0TU9k83uWqU

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)

Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.

North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.

Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.