もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】特別集会4・西岡 力編〈デラタメ診断書とインチキ遺骨〉[文京区]/NTV〈東京〉

(2022年)

-その命、見捨てますか?-

《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!日・朝首脳会談から20年で特別集会》

■西岡 力(救う会会長)

◆死亡の確認をしていなかった日本政府

そして次の日、「説明会はすぐにはない」ということでした。でも9月18日の朝、安倍さん(安倍晋三)の秘書の方から私の携帯に電話がかかってきて、「これから副長官が皆さんが泊まっているホテルに行きます」と。みんな同じ思いで「亡くなった」と言われているわけですから、眠れない夜を過ごしていたんです。

しかし、すぐに電話をかけて起きてもらって、ホテルの会議室をとって安倍副長官を待っていました。そうしたら副長官が来られました。朝一番で来られたということは、今から考えると、出勤時間の前に来られたわけです。だから政府の公式の説明会とは別に、政治家・安倍晋三として来て下さったんだなあと思うのです。

「まず家族の人に報告しなければならないと思ってきました」というのが開口一番で、「死んだ」と言われている人たちは、「死因は何ですか」、「いつ死んだのですか」と聞きました。「分からない」、「分からない」とおっしゃった。

私は少し大きな声で、「前日確認したと言ったじゃないですか。副長官確認したんですか」と言いました。確認するために待たせたことは分かっていましたから。そうしたら、「していない」と。「平壌ではそんなことができる状況ではなかった」ということでした。

それで、「おかしい」と思ったのです。そうしたら安倍さんが、「実は」と言って、「昼の時間に外務省の人が自分の所に来て、蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、そしてめぐみさんの娘と言われる人が来ていて、『これから面会に行きます』と言った」そうです。それが唯一の確認作業だったのです。

しかし、安倍さんが「ダメだ」と言ったんです。「総理が来ていらっしゃるのだからここに来てもらいなさい」と。そうしたその外務省の人は、安倍さんの言葉を正確には覚えていませんが、「少し遠いところにいるのでここに来てもらうのは難しい」と。そうしたら安倍さんが、「私が行く」と言った。そうしたら、「いや、副長官のことはちょっと」と、あたかも5人が副長官と会いたくないと言っているかのように聞こえるような言い方をしたそうです。

北朝鮮で被害者とめぐみさんの娘に面会した駐英公使も「確認していない」と

そういう中で刻々と昼の時間が過ぎて、次の会談の時間が近づいていることもあって、その年の2月まで外務省の北東アジア課長をやっていて、その時はロンドンの駐英大使間の公使だった人が確認作業に行ったのです。

その確認作業に行かれた人が、9月18日に東京にいるということが分かったのです。安倍さんの話から確認作業に行った人が分かったから、外務省に電話して、その人がどこにいるのかということをやったら、分かったんです。

でもその人は、その時から数えて明日か明後日にロンドンに帰ることになっていて、「ショッピングに行っているから連絡がつきません」と外務省が言って、なかなか会えないんです。

その人を掴まえることができないままで、地村 保さんや浜本雄幸さんは福井に帰ってしまった。もう列車の時間が来ていた。でも、地村さんにしても浜本さんにしても、最初に自分の息子や妹に会った人ですから、様子を聞きたいのは当たり前です。

でもそういう人がいるということも知らされてなかったから、帰ってしまったわけです。やっと4時になって外務省の人を掴まえることができて、横田家は4人で会ったのです。その時滋さんは、「いよいよ本当に引導を渡されるかもしれないと思った」と言っていた記憶があります。めぐみさんの娘という人と会ったのですから、いつ、どういう風に死んだのかを言われると思ったのです。そうしたら、「娘という人に会いましたが、その人が娘だという確認はしていません」という答えだった。だから、「死亡の確認はしていません」と。

その人の娘だという証拠としてバトミントンのラケットを持ってきたんです。

めぐみさんは当時バトミントン部だった。そのバトミントンのラケットを両親に見てもらって、これが失踪した時に持っていたものかどうかをしなければ先に進まないのですが、それは借りられないということだった。しかし、写真は撮れた筈ですが、それもしてなかった。

外務省の施設に来て下さいと言われた理由は、「暗号のかかる電話がある」ということだった。昼にそれを見たのなら、横田さんに電話をして、「このラケットのメーカーはここですか」とか聞けばよかったのに、それもしなかった。電話なんか一度もしていないわけです。

そして外務省の人は蓮池さんと地村さんにも会ったわけです。当時家族会事務局長だった蓮池 透さんは東京にいましたから、蓮池家も駐英公使に会えたわけです。しかし、「蓮池 薫と名乗る人と会いましたが、この人が蓮池 薫さんだという確認はできませんでした」ということでした。

後で、帰国した蓮池さんに話を聞くと、蓮池さんはズボンをまくって、けがのあとを駐英公使に見せたそうです。蓮池さんは小学校の時、交通事故に遭っており、その傷跡があるんです。「これが自分が蓮池 薫だという証拠だ」と。

でも残念ながら、日本政府、当時の外務省は蓮池さんの特徴を事前に調査していなかったのです。それなら暗号のかかる電話で連絡してくればいいのに、それもしなかった。

そして蓮池さんも地村さんも、外務省の人に会って開口一番、「家の両親は元気ですか」と聞いたと後で聞きました。答えは、「分かりません」だった。確かに2月までは東京にいましたが、その後ロンドンに行かれていたということで、正確なことは知らなかったのですが、地村さんのお母さんはその年の5月に亡くなっているんですね。でも、お母さんが亡くなられていることを地村さんが知ったのは、2度目に外務省の斎木(斎木昭隆元外務次官)さん等の調査団が行った時でした。

それを聞いて、蓮池さんと地村さんが、「大同江の河原に行って、焼酎で弔いをしました」と言っていました。

◆政府に「助ける」姿勢がなかった

助けようと思っていたのなら、何とか確認しなければということになる。その時思ったのですが、私が政府の関係者だったら、「この人たちが被害者なんです」と言ったら、そこで手錠でもして、「私は日本政府の人間だからこの人たちを日本に連れて帰ります」と言いますよ。あるいは、「この人たちを日本に送るまで一緒にいます」と言いますよ。

まさか、5人は後で取り戻すというような交渉になるとは思わなかった。北朝鮮が認めた被害者なんですから即時帰国させるのが当たり前じゃないですか。その交渉をすぐ始めるべきである。先ほど耕一郎さんが言っていましたが、これは事件なんですから、外交交渉とは別だとすれば被害者が出てきたら、あるいは北朝鮮が被害者だと認めた人を置いておくという発想が、私はその時理解できませんでした。

だから当時の日本政府の中に、残念ながら「助ける」姿勢がなかった。外交問題の一つとして議題には拉致問題を上げていましたが、無理やり外国に連れてこられた人が目の前にいる。一日も早く取り戻さなければならないという意識があったらこんなことにはならなかったと思います。

でも、そのことが分かったのも、安倍副長官が朝来てくれたからなんです。当時、政府が発表したわけですから、マスコミは「遺族」、「死亡者」という言葉を使っていました。

◆日本人が「死亡」とあきらめたら殺すかもしれなかった

小泉さんに会って報告を受けたのは9月27日ですから、安倍さんが来なければ10日間マスコミは「遺族」、「死亡者」という言葉を使っていたでしょう。

そういうことが定着してしまったら取り戻すことができない。もしかしたら、日本人が「死亡」とあきらめたら殺すかもしれなかった。

それで9月19日に緊急記者会見をして、「遺族という言葉は使わないでくれ」、「死亡ではなく死亡と通報された被害者だ」ということをしました。そして逆に、「まだ生きているんだ。救出運動は終わっていないんだ」と思ったわけです。

そして5年間戦ってきて、拉致があるかないかの勝負では勝ったのです。北朝鮮が「拉致をした」と認めた。しかしその瞬間から北朝鮮は、「拉致は解決した」と言い出した。

今も宋日昊ソン・イルホ)という人が、ペーパーを出して「拉致は解決済み」と言いましたが、宋日昊は何も知らない人です。工作機関の人でも保衛部の人でもないから。日本語が少しうまいのですが、私も一度会って怒鳴り合いをしたことがありますが、何も知りません。言われたことを言っているだけです。

北朝鮮が出した死亡の証拠はみんな嘘だった

とにかく、北朝鮮の公式的立場は、2002年9月17日までは「拉致はない」で、それ以降は「解決済み」です。私たちの立場は「解決していない」です。

まず死亡についてですが、北朝鮮は「8人死亡」と言いましたが、死亡の証拠が出てきたのか。政府が9月27日に調査団を派遣して、「証拠」なるものを持ってきたわけですが、8枚の「死亡診断書」が出てきましたが、それはみんなデタラメでした。

8枚の内7枚は同じ病院で発行されていて、手で押すゴム印の位置は3枚が同じでした。私が透かして見たら一致しているんです。コピーしたわけです。すぐに家族支援室にその話を持っていった記憶があります。そして「遺骨」なるものも、他人のものだった。

北朝鮮は「8人死亡」と言いましたが、8人の内1人分でも客観的な死亡の証拠があったのならともかく、8分の0だったのです。

先程耕一郎さんが言いましたが、監視対象になっているのです。1週間に1回は「生活総和」という政治学習を全人民がやっているわけです。そもそも配給制ですから配給台帳があるわけです。住居も自由に決められないで、党が決めるんです。拉致被害者はもっと厳しい監視の対象なんです。

その8人が「死んだ」と言って、その8人の誰一人についても本物の死亡診断書を出せなかったし、遺骨も出せなかった。交通事故で2人死んだと言っていますが、2人とも交通事故証明書の名前の所をホワイト(修正液)で消したものをコピーしてきた。

我々だって客観的な証拠やDNAが出たら死亡と認めざるをえないわけです。

それを向こうができなかったんです。北朝鮮は、「日本が死んだ人を生き返らせようとして無理を言っている」と言いましたが、厳しく管理していた8人について死亡の証拠を出せなかったら彼らは嘘つきなんです。

◆横田家と5人の家族を平壌に呼ぶ作戦

その後も戦いが続いていて、北朝鮮は、拉致に関する国民の世論が急激に盛り上がったのを見て、これを潰さなければ日本からお金を取れないと思ったはずです。

当時、統一戦線部にいた張真晟(チャン・ジンソン)という人が今韓国にいますが、統一戦線部というのは優秀で、日本の世論を分析して、横田早紀江さんが世論の中心だ。彼女の影響力を削ぐことだと思ったのです。

そして、あんなに言葉がうまいんだから政治家をしていたのではないかと思って、調べてみたら政治経験が何もない。そこで田舎の馬鹿なおばさんが、安倍晋三とか西岡 力という右翼の言葉に騙されて話しているという線で宣伝しろということになったそうです。

そしてその後執拗に横田さんたちを平壌に呼ぼうとすることが始まります。斎木昭隆調査団が行った時、めぐみさんの元夫がでてくるんですね。「8人の内7人は遺骨があったけれども洪水で流れた」と。「松木さんのものだけは流れたけれど下流で拾った。そして2回火葬した。2回目の火葬は小泉訪朝の前の8月30日だった」と。

こんな馬鹿馬鹿しい話はないんですが、一応流れているんです。だから「違うかも知れないが」と言って出した。めぐみさんのものは「夫が持っている」と。

「それなら遺骨をください」と言うと、「タメだ」と。「横田さんの両親が平壌に来てくれたら渡します」ということだった。

そこで家族会で色々な話をして、「今は行かない」と決めたのです。そして北朝鮮にいる5人は、「自分たちは日本に行かない。家族が会いに来てください」と言っていたんですが、「行かない」ということを決めた。そうしたら突然、「一時帰国で返す」と言ってきた。

■拉致を知る-あなたの人生に“拉致”があったら-

https://news.ntv.co.jp/special/rachi/

■【5分で知る】北朝鮮による拉致問題-なぜ日本人を拉致したのか-

https://youtube.com/watch?v=ZMUbWZ5FKe4

横田めぐみさんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_2.html

横田めぐみさんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_2en.html

■「めぐみへの誓い-奪還-」PV

https://www.youtube.com/watch?v=J6cZyGknNi8

■「めぐみへの誓い-奪還-」(英語版)

https://youtube.com/watch?feature=share&v=VEQdbP3JlVo

■アニメ「めぐみ」

https://youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI

■横田拓也さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter06.html

■横田哲也さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter07.html

田口八重子さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html

田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html

■飯塚耕一郎さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter08.html

田口八重子さんについて

https://youtube.com/watch?v=uvvx_abelag

松木 薫さんのご家族のメッセージ

http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_7.html

松木 薫さんのご家族のメッセージ(英語版)

http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_7en.html

松木信宏さんビデオメッセージ

https://www.rachi.go.jp/jp/message/videomessage_inter09.html

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

拉致問題対策本部公式動画チャンネル

https://youtube.com/c/rachitaichannel

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■東京での拉致

https://youtube.com/watch?v=rEtXR4s4DYo&feature=emb_imp_woyt

■【西荻窪】映画「めぐみへの誓い」の話/出演者のトークイベント(佐羽 英・菜月・望月よしえ・多田広輝・稲村幸助・村尾健兒)がご覧になれます

https://youtube.com/watch?v=LTbuLRiZyN8

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

■特定失踪者家族会Facebook

https://www.facebook.com/rachikaiketsu/

北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP

http://hrnk.trycomp.net/

■No Fence北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会HP

http://www.nofence.jp/

北朝鮮の武器取引に潜入 ドキュメンタリー『ザ・モウル』

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3vdAu-Y2vddqN2pA5PDDZuXKDMnZHAUkt2G-NK-fDnv93z-dmS0ZhJrFU&feature=youtu.be&v=TZM-cjjOcEY

北朝鮮人権人道ネットワークfacebook

http://www.facebook.com/nknet2015

■自由朝鮮HP

http://cheollimacivildefense.org/

■実録!絵で見る北朝鮮「教化所」拷問の実態「THE FACT」

https://youtu.be/QBJcDDGwdFo

アメリ北朝鮮人権委員会(HRNK)HP

https://www.hrnk.org/

■VOA拉致問題動画

https://youtu.be/o2i_u8y8GJM

■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。

<原文>

『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』

https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx

<日本語訳>

北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』

https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html

■加藤 健ブログ「天を回せ!ロビー活動で挑む」

http://kenkato.blog.jp/

■ベナTVHP

http://www.benamu.org

■ベナTVブログ

http://blog.naver.com/benamu1004

■ベナTVFacebook

http://www.facebook.com/bnatv1004

北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ

http://blog.goo.ne.jp/aeran2000

■「平壌24時」

https://www.youtube.com/@tv9976

■姜哲煥(カン・チョルファン)さん動画

https://www.youtube.com/watch?v=T8wXjTN2W8E&feature=youtu.be

脱北者トーク番組動画

https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)

https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be

脱北者・金柱聖さんの動画(3)

https://youtu.be/pMC2G7akiiM

■ベナTV(日本語版)

https://www.youtube.com/watch?v=4YHLDtOoJOo

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=KeCTTaSgwx4&feature=youtu.be

■ベナTV(日本語版)動画

https://www.youtube.com/watch?v=_WZoh00PGV8

■ベナTV脱北者日本語字幕版

https://www.youtube.com/playlist?list=PLS0GqKLezT4179A9Wy4smneKYQxrq2shl

◆昭和52(1977)年11月15日

少女拉致容疑事案

被害者:横田めぐみさん(Megumi Yokota)

(拉致被害時13歳)

※This person was Abduction by North Korea

新潟市において下校途中に失踪。

平成16年11月に開催された第3回実務者協議において、北朝鮮側はめぐみさんが1994(平成6)年4月に死亡したとし「遺骨」を提出したが、めぐみさんの「遺骨」とされた骨の一部からは同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。

平成18年4月には日本政府の実施したDNA検査により、横田めぐみさんの夫が昭和53年に韓国より拉致された当時高校生の韓国人拉致被害者・金英男(キム・ヨンナム)氏である可能性が高いことが判明した。

※「白い翼でも黒い翼でも、赤い翼でも青い翼でも、何でも結構なんで、帰って来られる翼をめぐみに与えてほしい」

横田早紀江さん。拉致被害者横田めぐみさんの母)

※「正義は必ず勝つ、と私は信じていますので、あとしばらくお力をお貸しください」

(横田哲也さん。拉致被害者横田めぐみさんの弟)

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■神奈川県警HP

http://www.police.pref.kanagawa.jp/

あさがおの会HP

http://www.asagaonokai.jp

ブルーリボンの祈り会/スイス日本語福音キリスト教会HP

https://www.jegschweiz.com/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%A5%88%E3%82%8A%E4%BC%9A/

■アニメ「めぐみ」

https://m.youtube.com/watch?v=OXGYACTRGjI

横田めぐみさん拉致現場を歩く(大澤孝司さん・中村三奈子さん)

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=PlwiM5lmdKE

横田めぐみさん拉致について現場から考えてみる

https://youtube.com/watch?v=HTMt9ik0XnE&feature=emb_imp_woyt

救う会TV「日本人拉致の3類型-横田めぐみさん拉致を中心に」

https://youtube.com/watch?v=R4tjcFlf7uI&feature=youtu.be

[November 15, 1977: Young girl abducted]

Abductee: Megumi Yokota (13, female, Niigata Prefecture)

Disappeared on her way home from school in Niigata City.

During the third round of Japan-North Korea Working-Level Consultations in November 2004, North Korea claimed that Megumi Yokota died in April 1994 and handed over what it claimed were her remains. DNA analysis, however, indicates that some of the bones from these remains belong in fact to a different person or persons.

Additional DNA analysis conducted in April 2006 by the GoJ indicated a high probability that Kim Young-Nam, a Korean citizen abducted from the Republic of Korea in 1978 when he was a high-school student, was married to Ms. Yokota.

◆昭和53(1978)年6月頃

李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案

被害者:田口八重子さん(Yaeko Taguchi)

(拉致被害時22歳)

※This person was Abduction by North Korea

昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。

北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。

(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」

拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

救う会埼玉HP

http://sukuukai.gozaru.jp/

拉致問題を考える川口の会HP

http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

上尾市民の会HP

http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

飯塚繁雄さん、救出活動20年。思いは『息子』へ(NNN)

https://youtube.com/watch?v=39KcWrpZgWs

飯塚繁雄さんのこと

https://youtube.com/watch?v=YvLxdQaNz68&feature=emb_imp_woyt

大韓航空機(KAL機)爆破事件について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=UCb2wKDDVm8

金賢姫氏・北朝鮮工作員について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=w-uKZAujq8k

■元工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)に聞く!第1部

https://youtube.com/watch?v=K1UBpTpih9U

■元工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)に聞く!第2部

https://youtube.com/watch?v=i26P7UkYGEY

■元工作員金賢姫(キム・ヒョンヒ)に聞く!第3部

https://youtube.com/watch?v=ZUvqcde_36s

田口八重子さん救出ソング「必ずあなたを助けにゆくから」byタジユキヒロ

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2ayQh8x41DiCh1wKjHjgk86AJoRl14aFFPfZ4A26DI7wCl7v3xnMuOtws&v=0TU9k83uWqU

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)

Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.

North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.

At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.

Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."

◆昭和55(1980)年5月頃

欧州における日本人男性拉致容疑事案

被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)

(拉致被害時26歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)

(拉致被害時22歳)

※This person was Abduction by North Korea

2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。

昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。

北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日・朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

熊本県警HP

http://www.police.pref.kumamoto.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

有本恵子さんたちヨーロッパ拉致について

https://youtube.com/watch?v=oYynHkWWoXU&feature=emb_imp_woyt

[In or around May 1980: Two Japanese men abducted in Europe]

Abductees: Toru Ishioka (22, male, Europe), Kaoru Matsuki (26, male, Europe)

Both men disappeared while living in Europe in 1980. A letter postmarked in Poland and sent by Mr. Ishioka in 1988 to his family in Japan indicated that he, Mr. Matsuki and Keiko Arimoto (see 12 below) were all living in North Korea.

North Korea asserts that Mr. Ishioka and Ms. Arimoto died in a gas poisoning accident in November 1988, but has provided no documents or evidence to support these claims. North Korea also asserts that Mr. Matsuki died in an automobile accident in August 1996. In September 2002, and at the Third Japan-North Korea Working-Level Consultations held in September 2002 and November 2004, North Korea handed over remains possibly belonging to Mr. Matsuki, but analysis in Japan indicates that these remains contain DNA belonging to someone else.

The Japanese authorities issued arrest warrants in June 2007 for Junko Mori and Sakiko Wakabayashi (nee Kuroda), wives of Yodo-go members, who are believed to be responsible for these abductions, and listed them both with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite them to Japan.

《特定失踪者・高 敬美さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 敬美

(こう きよみ)

(Kiyomi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和42(1967)年4月10日

◆性別:女性

◆当時の年齢:6歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

弟の高 剛さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・高 剛さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定

◆氏名:高 剛

(こう つよし)

(Tsuyoshi Kou)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和45(1970)年6月29日

◆性別:男

◆当時の年齢:3歳

◆当時の身分:幼児

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

姉の高 敬美さんとともに失踪。

2人は釧路出身の在日朝鮮人工作員である高大基(コ・デキ)と日本人渡辺秀子さんの子供。秀子さんは高が工作員であることは知らずに結婚した。

昭和48年6月頃、高大基が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、上記マンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られている。

この事件については朝日放送の石高健次氏が月刊『文藝春秋』平成12年12月号で明らかにした。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

北朝鮮による子供の拉致

https://youtube.com/watch?v=lKlCfjAc3fo&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・渡辺秀子さんについて》

警察庁北朝鮮による拉致と断定した2児の母親

◆氏名:渡辺 秀子

(わたなべひでこ)

(Hideko Watanabe)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年12月頃

◆生年月日:昭和16(1941)年6月5日

◆性別:女性

◆当時の年齢:32歳

◆当時の住所:埼玉県上福岡市大原(現・埼玉県ふじみ野市

◆当時の身分:主婦

◆北海道帯広市出身

◆身長:169cmくらい

◆体重:60kgくらい

◆失踪場所:東京都目黒区のマンション

【失踪状況】

地元の北海道で知り合って結婚した夫の在日朝鮮人工作員・高大基(コ・デキ)が突然失踪したため、その行方を追って秀子さんは子供2人を連れ、東京都品川区にあるユニバース・トレーディング社の高の勤務先周辺を探し歩いていた。同社は表向きは貿易会社だが、北朝鮮が工作活動を行うための会社であった。

工作組織はそのことが明るみに出るのをおそれ、親子3人を誘い出し、東京都目黒区のマンションに監禁したうえ、秀子さんを殺害、子供2人を北朝鮮へ連れ去ったと見られていた(月刊『文藝春秋』平成12年12月号。石高健次氏の論考)。

子供2人は翌年夏に北朝鮮へ連れ去られ、秀子さんは殺害されたとの説もある。

平成15年1月30日、殺人と国外移送目的誘拐の疑いで、氏名不祥の数人を容疑者とする告訴状を警視庁に提出。

しかし、遺体も見つかっておらず、拉致の可能性も否定できない。

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■埼玉県警HP

http://www.police.pref.saitama.lg.jp/

■高敬美さん・剛さんのこと

https://youtube.com/watch?v=dQBxTqqT4Zo&feature=emb_imp_woyt

■北海道と拉致

https://youtube.com/watch?v=56QbUzeWuHA

■帯広現地ライブ

https://youtube.com/watch?v=30UWDJXyJho

《特定失踪者・生島孝子さんについて》

◆氏名:生島 孝子

(いくしまたかこ)

(Takako Ikushima)

◆失踪年月日:昭和47(1972)年11月1日

◆生年月日:昭和16(1941)年6月14日

◆性別:女性

◆当時の年齢:31歳

◆当時の住所:東京都渋谷区

◆当時の身分:東京都港区役所麻布支所の電話交換手

◆身長:153cm

◆血液型:O型

◆失踪場所:東京都渋谷区の自宅アパート

【失踪状況】

当日、一日の年休届けを出し勤め先を休む。

朝、同居していた妹に「夕方に電話があったら出かける」と言っていたが、詳しいことは言わなかった。

衣類の入れ替えをし、夕方クリーニング店に衣類を出している。

孝子さんは翌日出勤時に着る服を揃えておいて出かけていた。その夜何の連絡もなく帰宅せず。

翌2日夜、自宅に電話があり、しばらく無言の後、「今更仕方ないだろ」と男性の声とともに切れた。

平成16年9月29日、警視庁に告発状提出。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■特定失踪者家族の声

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR3q1a0KG8cPrkvvhm4kJocEobx5Br1Ti8WDKeHSHMcIJxTRUiv1QiTvukw&feature=youtu.be&v=drLrU0ZSWD0

■特定失踪者家族会ご家族の声ライブ・イイノホール

https://youtube.com/watch?v=_dQgVz7ZAOA&feature=emb_title

■生島孝子さんの姉・馨子さんのメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第55回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=POHXkU3DHq0

《特定失踪者・佐藤順子さんについて》

◆氏名:佐藤 順子

(さとうじゅんこ)

(Junko Satou)

◆失踪年月日:平成12(2000)年9月12日

◆生年月日:昭和47(1972)年2月28日

◆性別:女性

◆当時の年齢:28歳

◆当時の住所:東京都府中市

◆当時の身分:無職。元会社員でワーキングホリデーで海外に行ったり、国内でアルバイトをしていた

◆身長:153cm

◆体重:40kg~45kg

◆血液型:A型

◆特徴:

1)痩せ型

2)首に大きめのホクロ

3)話すと表情が変わる

◆失踪場所:スイス・ツェルマット

【失踪状況】

7月4日から以前の職場の同僚とともに欧州を旅行。

同僚は約3週間の予定で日本に帰国。

8月24日に東京の自宅に電話をしている。

スイス・ツェルマットのユース・ホステルに宿泊し同宿の日本人観光客と朝食を摂ったあとに行方不明となる。

荷物のバッグがベッドに残っていた。

二泊三日の予定で、宿泊費を前金で払っていた。

9月16日、旅行代理店を通じて東京の実家に「佐藤さんが荷物を残して行方不明となった。連絡を取りたい」という連絡が実家に入る。

失踪した9月に、東京の実家に無言電話が4回あり、電話の向こうからは日本語とは思えない話し声などがあった。

電話は決まって日本時間の8時半にかかった。

佐藤さんは毎日詳細な日記を書いていたが、失踪した9月11日だけは日付だけで本文が記されていなかった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■失踪後の不審な電話について

https://youtube.com/watch?feature=emb_title&v=KLMOKpVKGWo

《特定失踪者・遠山文子さんについて》

◆氏名:遠山 文子

(とおやまふみこ)

(Fumiko To'yama)

◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月

◆生年月日:昭和27(1952)年5月2日

◆性別:女性

◆当時の年齢:21歳

◆当時の住所:東京都墨田区押上

◆当時の身分:建設会社を退職直後

◆身長:157cm~158cm

◆特徴:左の頬にえくぼがある

◆失踪場所:石川県羽咋市。柴垣の海水浴場に滞在したことまでわかっている

【失踪状況】

交際中の男性とともに失踪。

3月末に家出して男性(非公開)とアパートに住む。

6月中旬に男性とともに退職した後、そのアパートを両親が訪ねたが1週間後に引き払う。

当初は墨田区押上に在住。

その後6月下旬から7月にかけて旅行した記録のアルバムなどが友人に送られてきて、それ以来消息不明。

アルバムには男性とともに福岡、東萩、津和野、札幌、女満別、知床、摩周湖、釧路、小樽、舞鶴、大阪、羽咋市柴垣の海水浴場と旅行した形跡を残す。

また、アルバムには写真ばかりではなく航空券、宿の領収証などが細かに張り付けてあり、途中で宿泊人数が4人になっている。

男性とは同じ職場で、同じ日に退社。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

石川県警HP

http://www2.police.pref.ishikawa.lg.jp/

羽咋市柴垣海岸

https://youtube.com/watch?v=z67jv7gcP-w&feature=emb_imp_woyt

《特定失踪者・永山正文さんについて》

◆氏名:永山 正文

(ながやままさふみ)

(Masafumi Nagayama)

◆別名:永山 益巳

(ながやまますみ)

(Masumi Nagayama)

◆失踪年月日:昭和57(1982)年9月18日

◆生年月日:昭和34(1959)年1月7日

◆性別:男

◆当時の年齢:23歳

◆当時の住所:東京都東大和市

◆当時の身分:東京都庁産業経済局勤務

◆身長:165cmくらい

◆特徴:

1)普通の体格

2)近眼で眼鏡は必需品

3)天然パーマ

◆失踪場所:東京都内か?

【失踪状況】

東京都東大和市の自宅から「出勤する」と告げて自宅を出たまま行方不明となる。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・浜崎真嗣さんについて》

◆氏名:浜崎 真嗣

(はまざきまさつぐ)

(Masatsugu Hamazaki)

◆失踪年月日:平成12(2000)年1月6日

◆生年月日:昭和49(1974)年8月2日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都日野市

◆当時の身分:家電メーカー(日本ビクター)の会社員で、業務用ビデオの設計担当

長崎県出身

◆身長:160~161cm

◆体重:51~52kg

◆足のサイズ:24cm

◆特徴:

1)浅黒

2)左目の上瞼に2mm程度のイボあり

3)電子装置設計技術を身につけていた

4)趣味はビリヤードとオーケストラ(ファゴット

◆失踪場所:東京都日野市の会社寮

【失踪状況】

1月6日(失踪当日)の東京都内の会社の始業式を無断欠席、翌日、翌々日も出社しないため、人事部係員が寮の部屋を点検。

のちに在京の兄や長崎の両親も寮の部屋へ行った。

部屋には6日の朝刊(未読)が入れられ、PHSも置きっぱなしで、書き置きもなかった。

また、布団は敷いたままで、食べかけパンが残っていた。

普通の服装で出かけ、自転車も置いたままだった。

職場の机はすぐにでも仕事が始められるような状態になっていた。

のちに給料振込通帳を記帳した結果、1月6日朝6時~7時に東京駅のATMで3万円をキャッシング、また午後1時半頃、函館で普通預金口座から現金12万円を下ろしていたことが判明したが、定期預金には一切手をつけていない。

失踪後、約1年間に2回、長崎の実家に不審電話があった。

失踪直後に航空会社に飛行機に搭乗した形跡がないかを調べてもらったものの記録がはっきりしないとのことであった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

長崎県警HP

http://www.police.pref.nagasaki.jp/

■北海道警HP

http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

■浜崎真嗣さんについて

https://youtube.com/watch?v=_uaorwihjXg

■浜崎真嗣さんの父のメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第109回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=3HyPdJPEYdA

※浜崎真嗣さんは日本ビクター(当時)の社員で、平成12年(2000年)1月6日東京都日野市のアパートから失踪しました。

当時25歳でした。

学生時代はオーケストラに所属していました。

(荒木和博・特定失踪者問題調査会代表)

■浜崎真嗣さんがファゴットを担当している九州大学オーケストラの「フィンランディア

https://youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=csasgDKa68Y

《特定失踪者・宮本直樹さんについて》

◆氏名:宮本 直樹

(みやもとなおき)

Naoki Miyamoto)

◆失踪年月日:平成14(2002)年3月3日

◆生年月日:昭和52(1977)年11月9日

◆性別:男

◆当時の年齢:25歳

◆当時の住所:東京都荒川区

◆当時の身分:フリーター(主に清掃業務)

◆身長:178cm

◆体重:66kg~68kg

◆靴のサイズ:27.5cm

◆特徴:

1)筋肉質でがっしりした体格

2)鼻の下から唇にかけて手術痕あり

3)視力は要コンタクト

4)失踪当時、軽くパーマをかけていた

◆失踪場所:東京都荒川区

【失踪状況】

3月3日午後3時30分頃、「今夜は夕飯はいらない」と行って自宅を出ていった。いつもと全く変わらなかった。

その夜は友人のところへ行ったのだろうと両親は全く心配しなかったが、5日朝、新門司港海上保安庁より電話で「3月3日19時10分発の東京発フェリー船室に荷物だけ残し、本人が見あたらない」との連絡。荷物には免許証、財布、眼鏡、コンタクトレンズなど身の回りのもの一切があった。

東京湾フェリー乗り場から乗ったと思われるが、降りた形跡なし。同フェリーは朝5時に新門司港(福岡)着。

時々1人旅に出かけることはあったが、心配をかけるようなことはなかった。

■警視庁HP

http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

■福岡県警HP

http://www.police.pref.fukuoka.jp/

徳島県警HP

http://www.polic.pref.tokushima.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと金田龍光さんのことについて

https://youtube.com/watch?v=r0ItbzDsKzQ

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.