もずの独り言・はてな版

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2023(15)-2/西岡 力編[基調報告]

西岡 力(救う会会長)

■「金正恩委員長、あなたにも時間的制約があるんですよ」と岸田総理

皆さんのお手元に今日(この集会は5月27日開催)の決議案があります。それを見ながら話を聞いていただければと思います。

実は今日の隠れたテーマは、岸田総理が去年の10月にお話をしてくださった一歩踏み込んだ発言から、もう一歩どこまで踏み込んでくださるかということでした。私も注意深く聞いていました。

去年は拉致問題を、「時間的制約のある人権問題」とおっしゃいましたが、今年は拉致問題の前に、「時間的制約のある人権問題」とおっしゃって、そして「ひと時もゆるがせにできない」という切迫性のある言葉を付け加えてくださいました。

その上で日・朝関係について、「今の状況が長引けば長引くほど、関係をよくしようとしても、困難になりかねない」という表現がありました。これは私の言葉で言うと、「金正恩キム・ジョンウン)委員長、あなたにも時間的制約があるんですよ」ということです。

「今の状況が長引けば長引くほど、関係をよくしようとしても、困難になりかねない」、「親の世代が存命中に被害者を返さなければ、その後めぐみさんや恵子さんが帰ってきても、日本人は怒りますよ」と。「生きているのになぜ親に合わせなかったのだ。そうしたら関係改善どころか悪化しますよ」と。

私ならそう言うんですが総理は、「今の状況が長引けば長引くほど、関係を良くしようとしても、困難になりかねない」と、明確に金正恩委員長にメッセージを出してくださいました。

そして、「トップ同士で会談をしよう」と。「信頼関係を作ろう」と。「そのために自分の直轄でハイレベルの協議をする」という新しい提案もされました。

大変期待をしています。

■1980年代の後半に拉致と核が表面化

そこで、少し頭の整理をしたいと思います。

拓也さんの挨拶でも、櫻井さんの解説でも、今核・ミサイル問題と拉致問題の大きな二つのかたまりに我々は直面しているわけです。それが今までどういう関係だったのか。そして今どこにきているのかについて頭の整理をすると、岸田総理の先ほどの話の意味が分かってくると思います。

実は北朝鮮が核開発をしていると分かったのは1986年です。寧辺にある5,000kWの原子炉が臨界したのです。北朝鮮発電所と言っていましたが、送電線も付いていないんです。

5,000kWというのは実験炉としては大き過ぎます。発電所にしては小さ過ぎます。プルトニウムを作るのにちょうどいいのです。

そして拉致問題は1987年に大韓航空機(KAL機)爆破事件が起きて、拉致被害者が何に使われているかが分かって、1988年に国会が拉致を認めたのです。ちょうど1980年代の後半に拉致と核が表面化したのです。そこからずっとこの問題が我々の前にあるのです。

■1994年のジュネーブ合意では、拉致の世論がなく、北朝鮮にお金を出した

そして金丸訪朝があり、日・朝国交正常化交渉が8回あったりしました。最終的にアメリカのクリントン(Bill Clinton)政権が寧辺の原子炉を爆破する準備までして交渉になって、1994年にジュネーブ合意がまとまりました。

北朝鮮は、「核開発を凍結する」と言いました。止めるということです。その見返りにただで原子力発電所を2つ作ったのです。その費用は50億ドルです。そして日本に請求書が来ました。時の村山政権は10億ドル出すと約束しました。実際5億ドル出しました。

先ほど言いましたように、国会ですでに政府は拉致があると認めていたのですが、残念ながら日本が原子力発電所の費用の一部負担をする条件に拉致問題を入れませんでした。

核問題だけが先に進み、拉致があることがわかっているのに一切動かなかった。

それなのに日本はお金を出す約束をした。約束した半額は出したのです。拉致は分かっていたのに、世論がなかったから、その北朝鮮にお金を出してしまった。

核だけが先に進み、日本はお金も出した。

しかし、その核でも騙されていたのです。確かにプルトニウムの生産は止まりましたが、北朝鮮パキスタンから濃縮ウラニウムを作る技術を導入して、秘密裏に、原子力発電所をただで作ってもらいながら、核開発を続けていたのです。

そして北朝鮮は、「原子力発電所ができるまで電気が足りない」と言って、発電機は付いていないのですから嘘ですけど、火力発電所用の重油を貰っていた。

アメリカが年間50万tの重油を出していたのです。

重油を貰い、原子力発電所をただで作ってもらいながら、(ウラニウムで)核開発をしていたのです。それが小泉訪朝の前後に発覚した。

■核と拉致を一緒に解決しようとしたが

最終的に、トランプ(Donald John Trump)大統領が、金正恩と会いました。その時トランプ大統領は、金正恩暗殺計画を準備し、軍事的な緊張が大変高まる中で米・朝首脳会談になったわけです。

その時トランプ大統領は、シンガポールで1回(2018年)、ハノイで2回(2019年)拉致問題を出しました。日本が拉致問題は絶対大切だと言って発信し続けたら、1994年のジュネーブ合意では議題にもならなかったのが、アメリカの大統領が拉致問題を出したのです。

2019年に私たちは訪米し、ホワイトハウスに行って、トランプ政権の高官からその様子を詳しく聞きました。ハノイの会談では1対1の会談で、トランプ大統領が最初に拉致問題を出した。金正恩は他の話題で逃げた。その直後にもたれた少人数の夕食会で、トランプ大統領がもう一度出した。

そこで金正恩委員長は、「意味のある回答をした」とホワイトハウスの高官が教えてくれました。私たちは総理官邸に呼ばれて、米・朝首脳会談があった度に、総理から説明を聞いていました。

安倍総理は、「トランプ大統領が一般論として拉致問題の解決を迫ったのではない。日本国総理大臣安倍晋三のメッセージを伝えてくれたのだ」と私たちに伝えました。

その後安倍さんは、「条件なしに金正恩委員長と会おう」と言い始めるのです。

会って、「拉致問題を解決しろ」と。「そうしたら日本はできることがある」という話をしたんだと思います。

トランプ大統領金正恩に、「核開発は止めなさい。止めたら北朝鮮は豊かな国になる」と説得したのです。分かりやすいビデオまで作ったそうです。しかしアメリカは、「経済支援はしない」と言った。「制裁を緩めてやる。軍事圧力は緩める。しかし経済支援はしない」と。それでどうして豊かな国になれるのか。

「シンゾー・アベに会え。日本は不幸な過去を清算して国交正常化し、経済協力をすると言っている」と。「しかし、日本の条件は拉致だぞ」ということをトランプ大統領が言った。

そこでは核と拉致が一緒になっている。核だけ進んで拉致が置き去りになるようなジュネーブ合意から進んで、核と拉致を一緒にアメリカに言わせることに成功した。

しかしジュネーブ合意の時は、合意がまとまったけど北朝鮮が騙した。トランプ大統領の時は金正恩との合意がまとまらなかった。だからそれ以上動きがなかった。

では今どういう状況か。

北朝鮮アメリカとの交渉に応じない

今回訪米して分かりましたが、米・朝関係は全く動いていません。「バイデン(Joe Biden)政権になってアメリカ側から何回も交渉をしようというアプローチをしても何の回答もない」と、複数の政府関係者が私たちに説明してくれました。

そういう中で北朝鮮は、大陸間弾道ミサイルをどんどん撃っています。繰り返しになりますが、北朝鮮のミサイル発射には2種類あります。まだ開発中の時は「試射」と言います。試射の時は軍が撃つのではなく、国防科学院が撃ちます。

そして完成されたら軍が撃ちます。これは「演習」です。ニュースを見る時、「試射」か「演習」かを見てください。今年になって大陸間弾道ミサイルの発射演習をしました。既にアメリカまで届く核・ミサイルは軍に納品されて、実戦配備されているんです。

この間Jアラートがかかった固体燃料の大陸間弾道ミサイルについてはまだ「試射」でした。既に液体燃料のアメリカまで届く大陸間弾道ミサイルは軍に納品され、演習が行われています。核攻撃演習を彼らは公然とやっているんです。

それなのに米・朝の動きがない。

島田副会長が複数のアメリカの関係者に、「なぜ北朝鮮アメリカとの話し合いに応じないのか」、「あるいはアメリカの中で北朝鮮問題について危機感が盛り上がらないのですか」と質問しましたが、「核実験をしていないし、ミサイルは何回もやっているので慣れっこになっていてアメリカの中でも盛り上がらないのだ」という話でした。

こういう中で私たちはこの4年間で、有本嘉代子さん、横田 滋さん、飯塚繁雄さんを失うという状況があって、タイムリミット、時間的制約があるわけです。

通訳の人は、「時間的制約がある」という言葉をタイムリミットと訳していました。

■核が動かない中で拉致を先にできないか

核と拉致の中で、拉致を先に動かせないかということを今私たちは考えて、運動方針を立てました。過去には拉致が動かいのに核だけで動いた時があった。その後一緒にやろうとした時もあった。しかし今、核が動かない中で拉致を先にできないのか。

それをする場合に使えるカードは限られている。日本が国連制裁違反をするわけにはいきません。核開発を容認することはできません。しかし、人道支援は国連制裁違反ではないのです。

そして日本は世界で一番厳しい制裁を課しています。すべての貿易を止めています。食糧を輸出することも買うことも一切禁止されています。しかし、北朝鮮に食糧を売ることは制裁違反ではないんです。なのに日本は止めている。

すべての船舶の入港も止めています。その厳しい理由は、拉致問題があるからです。その部分は被害者が帰ってきたら解除できる。そして人道支援もできる。

その持ち札を使って、核・ミサイルが動かない、しかし刻々と時間が迫っている中で拉致を動かせないか、ということを考えていたら、去年の10月岸田総理が、「拉致問題は時間的制約のある人権問題だ」と言った。

その前に、「拉致、核、ミサイルを包括的に解決して」とおっしゃった後にそう言った。今日もそうでした。「拉致、核、ミサイルを包括的に解決して、平壌宣言に基づいて国交正常化して不幸な過去を清算するが」と言った後、拉致だけに「拉致問題は時間的制約のある」あるいは、「ひと時もゆるがせにできない」という言葉を使ったのです。

そして櫻井さんが雑誌の対談で岸田総理に、去年の10月の発言の意味を問うたら、「金正恩へのメッセージだ」とおっしゃいました。「推敲に推敲を重ねて作った」と。

そして、「家族の皆さんの意見もあり、高齢化ということもある中で、核問題と拉致問題を別次元の問題として扱う」という言葉まで、岸田総理はおっしゃいました。

そして今回は、「このままにしておくと日・朝関係は困難になりますよ」というメッセージを出しました。人道支援がほしいのであれば、核問題も全部解決した後の国交正常化で経済協力はありますが、今は核が動かないので国交正常化にはいけない。しかし、人道支援と日本独自の制裁は解除できる」というメッセージを出し続けているわけです。

北朝鮮を動かすための条件1 アメリカが反対しないこと

この私たちの戦略がうまくいくためには、いくつかの条件があります。

まず同盟国のアメリカが反対したらうまくいきません。アメリカにとっては核・ミサイル問題が大切で、「日本が拉致で先に行くな」と言われたら、あるいは北朝鮮から見て、「日本はいくら約束しても、アメリカが反対すれば動けないだろう」と思われたらこの戦略は通じません。

小泉訪朝の時、小泉総理が平壌宣言にサインして、「早期に国交正常化して大規模な経済協力をする」と言ったのに、お金がこなかった。北朝鮮の総括は、「アメリカが反対したから」です。

だから私たちは、これは古屋先生のアイディアもあって、「行くべきだ」とおっしゃてくださったので、訪米団を組織して、アメリカもこの運動方針を支持しているということを北朝鮮に発信しようと思って行ったのです。

そして先ほどの横田代表や山谷先生の挨拶にあった通り、繰り返しこの運動方針を説明しましたが、すべての政府高官、議員、専門家、人権活動家が、「理解できる。支援する」と言ってくれました。

反対と言った人は一人もいません。中には深い理解がある人権活動家は、「日本は世界で一番厳しい制裁をしている。それは拉致問題があるからでしょう。拉致被害者が帰ってきて、その厳しい部分を解除するのであれば、世界のどの国も、どの人権活動家も反対しません」と言ってくれました。一つはうまくいきました。

北朝鮮を動かすための条件2 北朝鮮に食糧がないこと

もう一つは北朝鮮が困っていないならばこの戦略は通じません。

北朝鮮でコメが余っている状況なら、人道支援に対する魅力はないわけです。

しかし、ニュースを見てください。韓国政府さえも、公式に北朝鮮で餓死者が出ていると認めています。状況はどんどん悪くなっています。

最近入った情報によりますと、4月1か月の間に国家保衛部(政治警察)が摘発した反体制事件は、なんと1,000件もあるそうです。もちろん大規模なデモ等はできません。しかし、落書きだとかビラ等、また少人数で金正恩の悪口を言っている会合が全国で摘発されている。

そして治安を維持する一般警察を北朝鮮では安全員と言い、政治警察は保衛員というのですが、その人たちが暴行に遭う事件が起きている。治安の担い手が末端で暴行に遭っている。

政治性はないのです。市場で自分たちのなけなしの商品を没収されると、それを恨みに思ってボコボコにする、そういう類の事件ですが、そういうことが起きている。

だから中央の社会安全部(日本の警察庁に相当)から、「取締りをソフトにするように」との指示が出たというニュースがありました。独裁国家で治安が維持できなくなったら、普通は見せしめのために厳しくやります。厳しくやっていたら末端の安全員がもたないんです。だから「取締りをソフトにするように」との指示が出たのですが、初めてのことです。

その一番の理由は全体の食糧がないことです。「5月になって、安全員と保衛員の家族への配給が止まった」と聞きました。本人は1日570gありますが、家族はない。だから市場に行って没収するしかない。そうすると恨まれて殴られる。

北朝鮮人道支援を必要としているのです。

北朝鮮を動かすための条件3 中国が食糧支援をしないこと

もう一つ条件があります。中国が大規模に人道支援をしたら我々の戦略は通じません。しかし、注意深く情報収集していますが、去年の秋以降、金正恩委員長が何回も習近平に大規模な食糧支援を要請していますが、支援物資は来ていません。

お金を出せば買えます。しかし支援物資は来ていないので餓死者が出ているのです。全体として足りないのです。

■岸田総理の挨拶はすぐ平壌へ、全被害者が帰ってきた後人道支援

その中で、去年10月の岸田総理の国民大集会での挨拶は、北朝鮮の権力中枢が大変注目しているという情報が複数あります。多分今日の挨拶も、すぐ翻訳されてすぐ平壌に行く。もう行っているかもしれません。

しかし横田代表が言ったように、私たちの条件は全被害者が帰ってきた後の人道支援です。被害者を返すために話し合いをするための人道支援ではないんです。

北朝鮮人道支援を貰って食い逃げするんです。今までずっとそうでした。

だから被害者が帰ってくるのが絶対条件です。それも全員です。認定未認定に関わらず全被害者が帰ってくることです。帰って来たら日本は約束を守ってすぐに人道支援をしますよ。これは国連制裁違反じゃないですよ、と。そして万景峰号(マンギョンボンごう)が日本に入れるようにしますよ、と。船舶の入港禁止法解除は国連の制裁違反ではありません。

しかし、絶対の条件は2、3人が帰って来ることではなく、全員が帰って来ることです。そのメッセージを今日も出すことができました。総理が来てくださって、各党代表がみんな並んで、同じ方向を向いてメッセージを出しました。知事の会も地方議員の先生方も全国から来て下さって、みんなで同じメッセージを出すことができました。

■いよいよ山場を迎えてきた

これが平壌に届いて、岸田総理が作るとおっしゃっていた、首脳会談実現のための「総理直轄のハイレベルの協議」が動いて、早い時期に日・朝首脳会談ができることを心から望んでいます。

集会の途中で家族会の飯塚代表が帰られることを覚えていますよね。そして今日、早紀江さんが途中で帰られました。本当に私たちにも時間がないのです。しかし、それは「あなたたちにとっても時間がないですよ」というメッセージが岸田総理の口から今日、北朝鮮に出されました。

「このままにしておいたら、日・朝関係を改善しようとしても困難になりかねませんよ」というメッセージが出されました。いよいよ山場を迎えてきたと思います。

日本人は拉致問題を忘れていない。親の世代が存命の内に返さなかったら日・朝関係は大変なことになると北朝鮮に思わせるかどうかは世論の盛り上がり次第です。

みんなで頑張りましょう。

絶対に取り戻しましょう。

ありがとうございました。

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと金田龍光さんのことについて

https://youtube.com/watch?v=r0ItbzDsKzQ

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

《特定失踪者・金田竜光さんについて》

◆氏名:金田 竜光

(かねだたつみつ)

(Tatsumitsu Kaneda)

※This person was Abduction by North Korea

◆失踪年月日:昭和54(1979)年ごろ

◆生年月日:昭和27(1952)年

◆性別:男

◆当時の年齢:26歳

◆当時の住所:兵庫県神戸市東灘区青木

◆当時の身分:中華料理店「来大」の店員

◆身長:180cm

◆特徴:

1)非常に痩せていた

2)右小鼻から右目にかけて薄いあざ

3)明るく社交的で友人が多かった

◆失踪場所:神戸市東灘区

【失踪状況】

金田さんは韓国籍

田中 実さん(昭和53年に拉致)と同じ施設で育った。

幼少の折に両親が離婚し、神戸市の児童養護施設に姉と共に預けられる。

昭和43年に同施設を卒園(田中 実さんも同年卒園、ただし田中実さんは高卒で3歳年上)。

昭和52年頃、田中 実さん拉致実行犯・韓竜大(ハン・ヨンデ)が経営する中華料理店「来大」に勤務。

昭和53年には田中 実さんを「来大」に紹介し、共に働く。

同じ年の6月6日、韓竜大の誘いにより、田中 実さんがオーストリア・ウィーンに出国。その後半年程して、田中 実さん投函によるオーストリアからの国際郵便を受け取る。

その内容は「オーストリアはいいところであり、仕事もあるのでこちらに来ないか」との誘いであった。田中 実さんの誘いを受け入れ、打ち合わせと言って東京に向かったが、以後一切連絡がなく、行方不明となる。

連絡がないことを不思議に思った友人が、この間の事情を知る韓竜大に再三説明を求めたが、「知らない」と繰り返す。

その後失踪した2人を知る友人たちの間で「2人は北朝鮮にいる」との噂が広まり、韓竜大に近づく者がいなかった。

救う会兵庫」は平成14年10月に韓竜大、15年7月にその共犯である曹廷楽(チョ・ジョンガリ)についての告発状を兵庫県警に提出している。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.