もずの独り言・はてな版

半蔵ともず、はてなでも独り言です。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー2022(16)/西岡 力編

西岡 力(救う会会長)

■私たちにできたこと

ありがとうございます。

今日(この集会は10月23日に開催)この時間をどう使うかについて家族会の役員と話をしたところ、「西岡が少し話せ」、「今どうなっているか聞きたい」ということでした。

いつもはミニシンポジウムでしたが、今回は少し時間をいただいて、今どうなっているのか、救う会として拉致議連としてどうすべきかについてお話しいたします。その内容はお配りした「決議案」にありますので、これを手元に置いて聞いてくださればと思います。

繰り返し話していただいているように、小泉訪朝から20年、家族会・救う会ができてから25年、めぐみさん拉致からだと45年です。20年、25年というのは向こうにいる被害者にとっては、節目でもなんでもない。45年間も、手紙1本も使うことができず、暴力的に連れていかれて未だに帰ってこれないんです。

私たちはそれに手を出すことができていない。私たちは救う会を名乗っていて、45年間救うことができていないことを、本当に申し訳ないと思っています。ただ、一つだけ言えることは、救うための活動を止めたら絶対に救えないということです。止めることを向こうが望んでいるのです。だから飯塚繁雄さんがこの席で、「あきらめない」と3回おっしゃいました。やめることはできない。

そういう観点から整理すると、私たちにはできなかったこともありますが、できたこともあります。今日は、「できたこと」の上に、今後何をすべきかについて考えたいと思います。

■日本に「世論」ができ、金正日は拉致を認めざるを得ないと思った

小さな勝利で、家族の人たちからすればまだ勝利とは言えないことは承知の上です。

まず20年前、私たちは1回勝ちました。北朝鮮、そして日本の多くの人たちは、「拉致はない」と言っていたのです。先ほど松田先生の話にもありましたが、神奈川県議会にも「拉致はない」と言う人がいたのです。それどころか、『産経新聞』以外は、「拉致疑惑」と書いていました。「拉致事件」とは書いていなかったのです。

25年前に家族会ができて活動し、世論を作った。その世論を見て金正日キム・ジョンイル)は、小泉総理から何か得たいものがあったのですが、得るためには拉致を認めざるを得ないと思ったのです。「拉致はでっちあげだ」という嘘との戦いに私たちは勝ったのです。

■こんどは2つ目の嘘との戦いで勝った

しかし20年前北朝鮮は、新たな嘘をつきました。「拉致したのは13人だけ。そして5人返した。8人は死亡した。だから拉致は解決した」と言った。今もそう言っています。

「拉致は解決した」という嘘との戦いが2002年9月から始まったのです。

しかし残念ながら、日本の中でも死亡の確認をしていないのに「死亡した」と伝えたり、「一時帰国という約束で日本に帰ってきた」と言って、被害者を北朝鮮に返そうとしたりする人たちがいたんです。

しかし今、少なくとも5人の被害者とその家族を取り戻して、「日本は『拉致は解決済み』なんか認められない」と政府が言っています。それだけでなく国連でも、「拉致は解決していない」との報告書が出ています。

安倍総理の働きかけによって、トランプ(Donald John Trump)大統領は金正恩キム・ジョンウン)に3回、「拉致は解決していない。あなたは安倍晋三に会いなさい」と言ったのです。それだけでなく、習近平総書記も文在寅ムン・ジェイン)大統領も金正恩に、「拉致を解決しなさい」、「拉致を解決したらどうですか」と言ったんです。

「拉致は解決している」という嘘は世界で北朝鮮だけなんです。でもそれは自動的になったのではないんです。私たちが世界を駆け巡り、国際的な拉致も明らかにし、安倍総理が首脳会談の度に拉致を取り上げ、「解決していない」ことを広めることができた。これも戦いだったのです。この戦いが今も続いています。

「解決したのかしていないのか」。世界中は、「まだ解決していない」と。そういう所まで持ってくることができました。新しい嘘との戦いにどうしても勝たなければならない。

実は2017年から18年、19年にかけて、小泉訪朝以来最大のチャンスが来ていたのです。後で述べますが、2016年、17年に北朝鮮は40発の弾道ミサイルを撃ちました。そして3回核実験をしました。

その時トランプ政権は、あらゆる手段を使って核・ミサイル開発を止めることを目標にしました。アメリカ本土まで届く核・ミサイルが完成直前まで来ていたからです。

安倍政権は、そのトランプ政権の方針を、「全面的に支持する」と言いました。

強い圧力をかけました。圧力対圧力の睨み合いになった結果、金正恩政権が折れました。それが2018年から19年の米・朝首脳会談の背景です。

強い圧力をかけて、そして話し合いの場に引き込む。それが成功しかかったのです。その時トランプ政権は拉致問題を棚上げにしなかった。核・ミサイル問題はアメリカにとって絶対に譲れない問題です。

東アジアの小さな国の独裁者に、いつでもニューヨークやワシントンを核攻撃できる力を持たせることは、アメリカにとって許せないことでした。だから、「すべての手段」と言い、それは軍事的攻撃を含むすべての手段を使って、核・ミサイルをやめさせると言ったのです。

金正恩安倍総理のメッセージを伝えた

シンガポール金正恩と会い、またハノイでも会いました。その2回の米・朝首脳会談で、3回、トランプ大統領が拉致の解決を迫ったのです。2019年の5月に、拉致議連の先生方とホワイトハウスに行った時に、説明を聞きました。

2019年のハノイの会談では、最初の1対1の首脳会談で、トランプ大統領が拉致解決を迫ったら金正恩は、別の話題を出して逃げた。そこで、少人数の夕食会でもう一度出した。そうしたら、「意味のある回答をしました」と教えていただきました。

しかし、「正確な言葉は家族にも教えられない。ただし、安倍総理には全部伝えた」とのことでした。安倍総理は私たちに、「トランプ大統領が一般論として『拉致を解決せよ』と言ったのではない。安倍晋三のメッセージを伝えてくれたのだ」と説明してくれました。

トランプ大統領は、「核・ミサイルを止めなさい。止めたら明るい未来が待っている」と伝えたのです。しかし、「アメリカは支援をしない」と明確に言っています。ではどこが支援をするのか。「シンゾーが国交正常化をしたら韓国にやったような支援ができる」と言っている。「しかしシンゾーがこだわっているのは拉致だ。あの男は拉致しか言わない」と言った。

しかし、核の交渉で物別れで終わってしまったために、安倍訪朝がなかったと私は思っています。その直後から安倍総理は、「条件を付けずに訪朝する」と言い始めたのです。もう金正恩の所に、拉致が解決したら日本は何ができるという安倍さんのメッセージが入ったのです。だから「条件を付けずに会う」と言い始めた。それは菅政権でも、先ほど挨拶された岸田政権でも続いています。

■もう一度チャンスが来る

そしてより強い圧力がかかる局面が今、来ている。先ほど言いましたように、2016年、17年に北朝鮮は40発の弾道ミサイルを撃った。今年は今日までに既に48発撃っている。2年で40発撃ったよりも今年の方が多い。

これはほとんどマスコミが報道しないのですが、北朝鮮の『労働新聞』や『朝鮮中央通信』によると、ミサイル発射には2種類ある。まだ実験中の時は軍ではなく、国防科学院という機関が撃つのです。それを「試射」と言っています。一方、開発が終わって軍に引き渡されたら「訓練」になる。

2017年の火星12が8月と9月に日本の上空を飛び越えました。その時は戦略司令部の発射訓練でした。北朝鮮には陸・海・空軍の他に戦略軍があります。ここが核・ミサイルを運用します。そこが訓練をしたのです。今年も48回やりましたが、今年は9月25日から10月9日までに7回ミサイルを発射しました。

北朝鮮はこう発表しました。「核運用部隊の訓練だ」と。戦術核を運用すると。

もう開発は終わっているわけです。

その報道を読むと、「模擬核弾頭を付けている」とあります。そして7回の内3回は目標についても書いています。1回は「南朝鮮の飛行場」、あと2回は「敵の港湾、敵の軍事指揮施設」とあります。

この2回では南朝鮮とは言わず敵と言っていますので、日本やグアムも入っているみなすのが通常の見方です。核で訓練をやるところまで軍事緊張を高めているのです。2016年、17年と同じような状況が近づいてきています。多分中国の党大会も終わりましたから、戦術核、威力の小さい核実験をする可能性があります。

そうした場合にアメリカはどうするか。日・米・韓はどうするか。韓国は保守政権に変わりました。アメリカの核を韓国に持って来なければならない。あるいは韓国が独自に核武装するという意見も高まっています。

今日の『産経新聞』の朝刊を見ると、「韓国とアメリカの特殊部隊が金正恩を暗殺する訓練を9月にやった」と。6月にもやったのですが、9月には韓国でやった。これはアメリカの特殊部隊の司令官がわざわざ写真をフェイスブックで公開しています。心理戦が始まっています。

圧力をかけた時の北朝鮮の動きがある。もう一度チャンスが来る可能性が高まっている、と私は見ています。その時に、核・ミサイルが使われるかもしれないとなると、話し合いになります。大嵐になります。大嵐の中で、私たちは拉致の旗が絶対に飛ばされないように握り続けなければならない。

2016年、17年の時私たちは、「拉致解決は最重要課題」とだけ言わないで、「最優先課題と言ってください。なぜなら核問題が先になっ最重要課題だが優先課題が先だとはならないように」という決議を、ここで何回もしました。

その結果トランプ大統領が核と拉致を一緒に金正恩に解決させるということになったのです。これは安倍さんが作ってくれた枠組み、遺産です。これが岸田政権とバイデン(Joe Biden)政権との間でも維持されています。だからバイデンさんが日本に来た時、非常に忙しいのに家族に会ってくれたんです。

バイデン政権はトランプ政権がやったことはやらないというのが基本方針ですが、拉致問題だけは引き継がれたのです。日本のお金を使って、軍事的圧力はアメリカが担当して、北朝鮮を説得するという枠組みが国益に叶っているとアメリカは判断したのです。それが共和党から民主党になっても変わっていない。

変わらせてはならないのです。この枠組みを維持しながら北朝鮮の核実験を阻止する。その嵐の中に私たちは入っていかなければならない。そして「全被害者の即時一括帰国」の旗を掲げ続ける。

小泉訪朝の時も、実はブッシュ政権の「悪の枢軸」演説があり、軍事圧力がかかったのです。その時は北朝鮮は、話し合いの相手として、アメリカではなく日本を選びました。だから小泉訪朝になったのです。

■日・朝首脳会談が先で人道支援はしても理解してほしい

一方、2016年、17年の軍事緊張の後の話し合いでは、金正恩はトランプを選んだ。だから米・朝になったのです。この次先にどちらを選ぶか分かりませんが、彼が決めることです。

私たちがアメリカの駐日大使に会った時にも、小泉訪朝の時のように金正恩が日本を先に交渉相手に選んだとしても、日本は核・ミサイルを許すことはできませんから、国連制裁違反はできない。しかし、国連が許容している人道支援というカードを使って、北朝鮮拉致被害者を全員返すなら人道支援をする用意がある。それをアメリカにも事前に納得してもらいたいというお願いをしました。

一方、もう一度金正恩がバイデン大統領と、米・朝首脳会談を先にやるなら、もちろん核・ミサイル開発は許されない。しかし、それと一緒に拉致問題を取り上げてほしい。そういう枠組みを維持・強化するというお願いをしました。

しかしアメリカは、日本にとって拉致問題は重要課題だ、最優先課題だ。その岸田総理の姿勢を国民が支持しているということを、アメリカも北朝鮮も韓国も中国も見ていると思います。

最重要課題を最重要視しなければ岸田政権は倒れてしまう。そのくらい日本人は怒っている。だから岸田総理は先頭に立ってやるとおっしゃった。与野党の先生方もここに集まって、「それを支持する」と言った。全国の地方議員も知事の会もここに集まって、「それを支持する」と言ったのだ、というメッセージを私は喜ぶべきだと思います。

この嵐の中で、嵐の中だからこそ、出口がみつかる。細い道かもしれないが、とにかく生きている人たちを全員、一日も早く取り戻そうではありませんか。

曽我ひとみさんが言っていました。「いつも夜になると月や星を見るんだ。その月や星は日本でも見えているはずだ。いつになったら日本から助けが来るのだろうかとずーっと思っていました」と言っていました。曽我さんが帰ってきてから20年、めぐみさんも恵子さんも、修一さんも八重子さんも、月や星を見ているんです。そしてまた、まだ認定されていない被害者の人たちも見ていたと思います。

お父さん、お母さんは北朝鮮が「死んだ」と言ったニュースを信じているから助けに来ないのだろうか。私の名前はまだ出ていない。私が北朝鮮にいるということさえも親兄弟に知らせることができずに私は死んでいくのか。そう思って今晩月や星を見る人が絶対にいるんです。

日本人を助ける。それは私たち日本人がやることではないか。

以上です。

ありがとうございました。

■政府拉致問題HP

http://www.rachi.go.jp/

警察庁HP

http://www.npa.go.jp/

救う会全国協議会HP

http://www.sukuukai.jp/

特定失踪者問題調査会HP

http://www.chosa-kai.jp/

◆昭和53(1978)年8月12日

母娘拉致容疑事案

被害者:曽我ひとみさん(Hitomi Soga)

(拉致被害時19歳)

※This person was Abduction by North Korea

被害者:曽我ミヨシさん(Miyoshi Soga)

(拉致被害時46歳)

※This person was Abduction by North Korea

「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。

ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。

ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。

北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。

捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

新潟県警HP

http://www.police.pref.niigata.jp/

■【記録】北朝鮮による拉致被害者曽我ひとみさん、新潟・佐渡に帰郷(2002年10月17日・NNN)

https://youtube.com/watch?v=weTa9C0oTWw

■【news every.拉致】“引き裂かれた親子”の35年/拉致被害者曽我ひとみさんと母・ミヨシさん(2013年8月12日・NNN)

https://youtube.com/watch?v=vBfxQYX-NbM

■曽我ミヨシさん・ひとみさん拉致について

https://youtube.com/watch?v=-UUFEOi38Ts&feature=emb_imp_woyt

曽我ひとみさんのご主人、ジェンキンスさんのこと

https://youtube.com/watch?v=qdgXaUQP9qA&feature=emb_imp_woyt

救う会TV「条件拉致 曽我ひとみ・ミヨシさん事件」

https://youtube.com/watch?v=Nu0_e_1CZHw&feature=youtu.be

曽我ひとみさんメッセージ(「たつ兄ゆみ姐のオレがやらなきゃ誰がやる!」第16回)はコチラ↓

https://youtube.com/watch?v=bmjTRk-_0oA

[August 12, 1978: Mother and daughter abducted]

Abductees: Hitomi Soga (19, female, Niigata Prefecture), Miyoshi Soga (46, female, Niigata Prefecture)

Disappeared after saying they were going shopping.

Hitomi Soga returned to Japan in October 2002. Her husband (Charles Robert Jenkins, a US citizen) and two daughters arrived in Japan in July 2004.

North Korea asserts that Miyoshi Soga never entered North Korean territory. The Japanese authorities issued an arrest warrant in November 2006 for a person known as Kim Myong-Suk, a North Korean agent believed to be responsible for the abductions, and listed her with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite her to Japan.

◆昭和53(1978)年6月頃

元飲食店店員拉致容疑事案

被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)

(拉致被害時28歳)

※This person was Abduction by North Korea

欧州に向け出国したあと失踪。

平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。

平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。

兵庫県警HP

http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/

救う会兵庫HP

http://www.sukuukai078.net/04.html

救う会兵庫facebook

http://www.facebook.com/sukuukai078

■田中 実さんと金田竜光さんについて

https://youtube.com/watch?v=eYfVEni7iBU

■田中 実さんと金田竜光さん2

https://youtube.com/watch?v=HNnrUBqdsas&feature=emb_imp_woyt

■田中 実さんと金田龍光さんのことについて

https://youtube.com/watch?v=r0ItbzDsKzQ

■田中 実さんと恩師渡辺友夫さんの話

https://youtube.com/watch?fbclid=IwAR2aV3zzV5jXDLfx_WrzH2tBdYJ2Qm5isPvDJPvrZ8TXXf5DnX7Vy4068uo&t=71s&v=PfPNGVhejxk

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)

Disappeared after departing Japan for Europe.

The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.

Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.

【SEA OF MERCY】

The book named “Sea of Mercy”

13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.

He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.

Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.

Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.

Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.

They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.

In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.

Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.

Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.

But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.

North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.

Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.

In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.

In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.

The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.

In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.

Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.

But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.

“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.